『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「積極的に商業資本を利用して、印旛沼(いんばぬま)・手賀沼(てがぬま)干拓事業を計画したり、

フカヒレ・干しアワビや干しナマコなどを俵に詰めた俵物の輸出によって貿易収支を黒字にし、財政

健全化に成功している。最近の評価では、開明的政治家であり近代日本の先駆者とも言われるよう

になってきたんだ。」

 「それほど成功したのに、なぜ失脚したの?」

 「印旛沼・手賀沼干拓事業が大洪水のために失敗したのも一つの要因だった。それから、浅間山

の大噴火や天明の大飢饉などの天災が発生し、それらが為政者の悪徳のゆえだと民衆が信じてし

まったことが大きい。当時は為政者の悪徳が天変地異を引き起こすと信じられていたんだ。」

 「意次の次に権力を握った松平定信はどんな政治をしたの?」

 「定信は朱子学の徒で、商業を蔑視し米本位制の世の中に戻そうとした。また、庶民に倹約を強制

したり、出版統制を行ったり、朱子学以外の儒教を排除したりした。その結果、庶民の不満が鬱積し

て経済も混乱し、将軍・家斉との対立もあって、老中首座であった定信はたった6年で老中を解任さ

れている。」

 「藩単位でもいいから、藩経営に成功した藩主はいなかったの?」

 「米沢(よねざわ)藩の上杉鷹山(うえすぎようざん)が、瀕死の米沢藩を蘇らせた名君として有名だ

ね。」

 「上杉鷹山ってどんな人だったの?」

 
     

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