人間は何故争うのだろうか?人間が相手に怒りを感じるとき,それは,自分の心が傷つけられたときであろう。人間の心は作られたも

のである。作られたものは,傷つき,そして壊れることもある。

 たまたま偶然に,ある形に作られたものを,偶然と認識することができないところから,人間の悲劇が生じる。自分の心は,絶対的なる

神によって決定され,支持されていると信じることもできる。何らかの絶対的であると信じられている価値によって支持された心もあるだ

ろう。また,人間としての本来の心というものが存在し,その本来の心が現れたものと信じることもできる。

 絶対的なるものによって支持された心が,お互いに絶対性を主張してぶつかるとき,そこに争いは避けられない。自分の心が傷つけら

れたとき,その心を支持している,絶対的なるものまで傷つけられたと感じる。そして,その争いは極限まで進行してしまうことになる。

 人間の心は,何かを信じることが必要なのだとは思う。何を信じるかは,一人一人の趣味である。或いはその人が所属する集団の好

みに過ぎないと認識することができたら,争いはかなりなくなるだろうと思うのだが。(2001/1/2)


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