田名部祭の由来
青森県の祭というと「青森ねぶた」や「弘前ねぷた」が有名ですが、「田名部祭」は「ねぶた」や「ねぷた」とは、その起源を全く異にしています。
「ねぶた」や「ねぷた」が田んぼの虫送りから発展していったのに対して、「田名部祭」は北前舟(きたまえぶね)をはじめとする日本海側の海運でもたらされたものだという事で、「京都祇園祭」の流れをくむと言われます。
たしかに田名部祭の昼間のお囃子は「祇園囃子」と呼ばれますし、祇園祭のようにそれぞれの山車の運行順序が決まっていたりします(祇園祭は先頭が“長刀鉾=なぎなたぼこ”と決まっており、その後に続く数十台の山車の運行順序は、毎年くじ引きで決められるようです)。
昼間はこの祇園囃子に乗って、山車は粛々と運行されます。
とは言ってもやはり青森県の祭ですから、夜は昼間の顔とはうって変わって、山車もお囃子も燃え上がるような様子を見せます。
昼間は雅(みやび)な垂れ幕に包まれていた山車は、夜になると「額(がく)」と呼ばれる、「ねぶた」「ねぷた」のような艶やかな絵灯籠でその身を飾ります(「お色直し」参照)。お囃子も昼間の静かな祇園ばやしから情熱的な「ヤマヤレ」に変わります。
この、昼の「静」と夜の「動」のコントラストが、田名部祭の大きな魅力の一つとなっています。
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