ココだけの話なんだけどねのページ


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仕切り

19 The Longest Day 2004/3/1

 ちょうど1週間前の今日、月曜日のことですわ。その前の週の金曜日から風邪を引いて学校を休んでいたムスコですが、週末を挟んで静養してもパッとしなかったばかりか土曜日の夜に症状のピークを迎え、日曜日もそれを引きずっていたため、その日も学校を休ませてかかりつけの診療所へ連れて行きましたです。
 この診療所がまたよく混む診療所で、それでもドクターはムスコが3歳の頃からお世話になっているかかりつけ医だし、ムスメを幼稚園に送りだしたその足で、午前診の始まる9時頃にはなんとか診療所に入りましたですよ。この時点で、もう混み混み(泣)順番が回ってくるのは、おそらくお昼前くらいでしょう。
 しかし病気の子どもを抱えた親のエネルギーのすごいこと。診療開始の9時の時点で、もう午前診の時間いっぱいの順番ができてしまってるんですから。

 ええ、私もその中の1人なんですけどね。

 で、どうして頑張って9時に診療所に入ったかというと、ムスコの症状から「これはひょっとすると点滴になるかもしれない。」と踏んだからです。
 この診療所では「子どもの点滴には2〜3時間かかりますので、点滴が必要だと思われる場合は9時に来院してください。遅い時間だと点滴が出来ない場合があります。」旨の至極真っ当な内容の張り紙がありまして、呼吸が苦しそうだったり高熱で脱水を起こしかけてたりすると、親はそれはもう頑張って、どうかすると7時半くらいから並んだりするようですわ。ええ、聞いた話ですが。

「7時半から順番を取らないといけないくらい重症なら、診療所が開くのを待ってるより救急指定病院に行ったほうがいいんじゃないか!?」

という素朴な疑問はさておき、苦しそうな子どもの姿を見ていられないという、それが親の気持ちというものでもあるのでしょう。
 ムスコは前の週の診察で、医者に

「胸にちょっと悪い音がする。喘息の音とはちょっと違う。どちらかというと肺炎のような、小さいんだけど無視出来ない音。」

と言われていたので、症状が酷くなった土曜日の後の最初の受診だということもあり、点滴を見越していました。
 で、予想をつけたとおり、診察に呼ばれたのはもうすぐ12時になろうとしている時間でした。さらに予想したとおり、点滴になりましたです。ええ、ホントに予想どおり。

「点滴は9時に来いと言うから9時に来たのに、これじゃ9時に来た意味があるんだか無いんだか……。」

とぼやきたい気持ちはあるんですが、この日は実はもっと切実な問題も抱えておりまして。というのは、午後からムスメの一日入学説明会の日だったわけです。ムスメの通う幼稚園の園バスで、同じ小学校に通う園児を数人小学校まで送り届けてくれるそうで、その時間が午後1時。一日入学説明会は午後1時半から始まりますが、何時に終わるか分かりません。
 そのことを医者に話すと、午後診の時間が3時まであるから、私が入学説明会に行っている間、ムスコはこのまま診療所で点滴をさせてもらえることになりまして。ありがとう先生。助かりますわ。
 で、ムスコが点滴の針を指されて待ち合い室に出てきたのが12時半。近くのスーパーでおにぎり2個とペットボトルのお茶を買って「これを食べてなさいよ。」とムスコの側に置き、私はと言えば事務員にPHSの番号を知らせて、お昼も食べずに診療所から小学校に走りました。うう、風が冷たい。

 ムスコの事が気になりながらもこちらも大事、入学説明会の話もしっかり聞きます。説明会も終わりに近付いた2時半過ぎ、診療所からPHSに電話が入りました。廊下に出てPHSに出るとムスコで、「点滴、もう終わったよ。」とのこと。診療所から家までは通い慣れた道でもあるので、先に家に帰っているように言い、姑にこれからムスコが帰るから玄関の鍵を開けておいてくれるように電話をしました。ええ、姑が1人で留守番をする時は、用心のためと姑が訪問販売などにわずらわされないように、ドアに鍵をかけておくんですわ。が、誰も電話に出んわ……というベタなネタは置いておいて、あれ?でも珍しいな、こんな時間におばあちゃんが留守にするなんて……と思いつつ、鍵がかかっている留守宅に熱のあるムスコを一人帰すのもなんなので、診療所にすぐに電話をして、ムスコをそのままそこで待たせてもらうようにお願いしました。
 説明会が終わって外に出ると、風はますます強く冷たく。診療所から小学校に直行したので、ムスメのコートを取りに家に寄ることも出来ませなんだ。しかたが無いので私が着ていたハーフコートをムスメに着せます。なんだこりゃ、よく漫画に出てくる、お父さんの背広を着たちっちゃい子か?(笑)
 まあそれはいいとして、先月から風邪をひいて咳がなかなか止まらない私も、この寒さの中をセーター一枚で歩くのは、ちょいと辛いものがありましたですよ。まあ親なんて、みんなこんなもんなんでしょうが。

 そんなこんなで診療所に寄ってムスコを回収、買い物をして4時近くに帰りました。おお、寒い。あれ?鍵がかかってる?おばあちゃん、珍しくゆっくりなお出かけだなあと思いつつ、いやしかし、今日はいささか疲れました。仕事で寝てなかったこともあり、3人で昼寝をすることにしましたよ。ムスコもムスメも、あっという間に寝付きました。そりゃそうだろうなあ。私もしばしの休息を、ぐ〜〜〜〜〜〜〜……。

 そのまま明日の朝まで寝ていたい誘惑を払いのけ、なんとか起きだして夕食のしたく。そろそろできあがる頃に子ども達を起こし、姑の部屋の戸を少しだけ開けて「ご飯にしましょう。」と声をかけると、「……うん、今行く……。」と姑の声。私達が寝ている間に帰ってきたらしいです。ところが姑がなかなか部屋から出てきません。おかしいなと思ってドアのところから顔だけ中に入れて見ると、ベッドの横のラグマットっていうんですか?ああいうのに姑がうつ伏せに寝ています。ふわふわのマットだから気持ちいいのかな、と思いつつもなんとなく気になって見ていると、おばあちゃん、手足をゆっくり動かして、うつ伏せのまま何かしようとしているみたいです。……あれ……?何か変だ……もしかして立ちたくても立てないでいるんでないのかな……?……てことは……。

ぎゃぎゃーーーーー!
倒れてるってこと!?!?(汗)

「どうしました!?」と姑の側に寄ってみると、やはり手足が思うように動かせなくて、立ち上がれない様子です。そこで姑の右腕を私の首にまわして抱き起こし、すぐ横のベッドに座らせました。うう、重い(汗)
 いったいいつからこの状態だったのか。もしかして午後に電話をした時に誰も出なかったのは、留守にしていたからじゃなくて動けなかったから?
 姑には糖尿病と高血圧の持病があるので、その辺が心配です。同じ持病持ちの実家の父は6年前に脳硬塞で倒れ、今もリハビリの毎日を送っていますし。

 様子を見ていると、意識はしっかりしているし、記憶もちゃんとあるようです。私のことも分かるようです。ひとまずベッドに寝かせ検温をしている間にダンナに電話です。「なるべく早く帰る。」の言葉にホッとしつつ姑の様子を見に行くと、何をしようとしたのか上半身がベッドからずり落ちそうになっているじゃありませんか。しかもその体勢を、自分で少しも立て直すことができないようなんです。私もガラスの腰を抱える身、今ここで無理をして腰のヘルニアが悪化したら誰が子ども達の面倒を見るのか、仕事はどうするのかと、自分の身体のことも気になるとはいえ、今は姑をなんとかしないといけません。姑の身体をなんとか元の位置に戻し、子ども達にご飯を食べさせ、後片付けが済んだ頃、ダンナが帰ってきましたよ。ホッ。
 持病の薬を飲まないといけないんですが自分ではベッドの上に起き上がることも出来ないようなので、手を貸してベッドに座らせ、食欲は無いということだったので脱水防止にイオン飲料をコップ一杯飲ませたあと、どうやらこうやら薬を飲ませました。かかりつけの病院へは翌日行くことにして、私達が寝てしまうと1人でトイレに行くことも出来ないだろうということで、寝る前に手をひいて支えながらトイレへ。廊下でトイレが済むのを待ちながら、このまま姑の身体が動かなくなって、悪くすれば私のことも孫のことも分からなくなって、話に聞いたりテレビで見たりするような介護地獄に落ちてしまうのかと、ふと思いました。

 翌日はまた朝からムスコの点滴があったので、午後から姑のかかりつけの病院に、私も付き添って行きました。昨日からの様子や同居の孫がプチ肺炎に罹っていることや嫁が長い間ゲホゲホしていることなどを告げ、診察の結果、

「熱はそんなに無いし、胸の音は悪くないし、血圧も普通です。うーん、風邪かな?」

ということで、風邪薬と胃薬をもらって帰りましたですよ。ふーん、風邪なんだ?いや、ただの風邪ならよかったよ、うん。

 

 しかしこの月曜日は、なんと目の回るような、長い長い一日だったことでしょうか。私の体調が悪いところに持ってきて子どもの病気だけでも厳しいものがあるのに、姑の体調も悪くなるというサービス付きです。こんなサービス、要りません(泣)
 その後はおかげさまでムスコも姑も少しずつよくなってきていますが、特に姑には、本当は毎日散歩するなりリハビリするなり、身体を少しでも動かして欲しいなあと思っているわけです。医者嫌いの出無精なので、どちらも難しいだろうとは思うんですが。
 いかにして姑の気持ちを明るく外に向けさせるか、そんなとても難しい、言うなれば「史上最大の作戦」を、あれこれ考えています(←無理矢理)

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18 急なんだもの(困) 2002/10/25

それは、一昨日水曜日の事。ちょっと遅めの買い物に、子ども二人を連れて出ました。
「ちょっとひんやりするから、今シーズン初の鍋焼うどんでもつくろっかな〜♪」
とあれこれカゴに入れていたその時、後ろでムスコの声がしました。

「あれ?どうしたの?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。」(左頬をおさえて、声を殺して泣くムスメ)
「どしたの?歯が痛いの???」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。」(声を出さずにこっくりうなずいて)

「‥‥‥‥‥‥いたい〜〜〜〜〜〜。」

と泣きながら座り込んでしまいました(汗)
またこれが、いつも豪快な泣き方をするムスメにしてはめずらしく、さめざめと泣いているのですわ。

痛みのあまり、声も出ないんでしょうか。声でなくて息だけで泣いてます。涙がぽろぽろ落ちてきます。
それにしても今の今までなんともなかったのに、突然泣いてしまうほどの痛みが来たということですか?

翌日木曜日は、このあたりの歯医者はたいがい休診日。すでに7時30分になっていたとはいえ、今夜中に診てもらわないといけません。
さいわいムスメのかかりつけの歯医者は、今いるスーパーのすぐ近く。
PHSには、その歯医者の電話番号も入ってます!!(えっへん!!)

というわけで、急いでレジを済ませて歯医者に電話。
診察券と保険証は次の受診時でいいということで、ショッピングカートとスーパーのビニール袋を二つ下げた素晴らしい恰好で、そのまま歯医者へ。

上下の左の奥歯に見事な穴が開いていました(汗)最近油断して、仕上げ磨きをしてなかったからなあ‥‥‥。

ちょっと削って痛み止めを入れ、仮詰めしてもらっておしまい。
今までずっと泣き通しだったムスメも、痛み止めが入った途端にぴたりと泣き止みました。
明日は休診日なので、用心のために腫れ止めの抗生剤と鎮痛剤をもらって帰宅。

おかげで晩ご飯は、9時近くになってしまいましたわ(汗)
ずっと待っててくれたおばあちゃん、感謝でございます。

 

ところでこの日、買い物に出る前に、ムスメは鼻血を出していましたのです。
ムスコも一時期そうでしたが、私に似てしょっちゅう鼻血を出すのですわ。
なもんで、ティッシュを左鼻に詰めて買い物に出たわけですが‥‥‥‥‥。

「いたいよ〜〜〜〜〜。」
ティッシュを左鼻に詰めながら、左頬をおさえて泣く5歳児。
その5歳児の手を強く引きながら、
「泣いてるともっと痛くなるよ!もう泣かない!!早く来なさい。急がないと歯医者さんが終わってしまうから。」
と受付時間が気になるせいで、怖い顔でレジに並ぶ母親。
その後ろから所在無げについてくる小学4年生。

私の前にレジに並んでたどこかのおばさんが、やたら私の顔をじろじろ見るなあと思ってたけど、私もしかして、

幼児虐待

だと思われたのかしら???(汗)

みなさーーーーーん!違いますよーーーーぅ!!
これは鼻血と虫歯ですよーーーーーぅ!!!

ホントですってばーーーーーー!!!(泣)

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17 100円ショップのおかげです 2001/6/9

先日ちょこっと手直しした「我が家の人々」。いったいどこを直したのか見てすぐに判った方は、かなりな「T's Houseおたく」です。マジで表彰もんです(←あんまり嬉しくないと思う‥‥‥)
実は「ムスメ」の部分を、かなり変えました。おっぱいを離れたのは去年書いてましたが、今回は「おむつが取れた」ことをしっかりと付け足したんですよ。前ですか?前は「おしっこはトイレでできるようになったが、うんちだけは“トイレ怖い”と、どうしてもおむつにしてしまう。困ったものだ。」みたいに書いていたと思います(←本人がうろ憶え)

「おしっこだけトイレでする」のと「おしっこもうんちもトイレでする」のは、おお〜〜〜〜〜〜っきな違いがあるんですよ。3歳を過ぎた子のうんちは、臭いも量も、大人のそれとたいして変わりません。それをきっちり履いた紙おむつの中に無理矢理出すわけですから、肛門を出たはいいけれど行き場を失ったうんちが、おむつをこんもりと持ち上げながらおしりにぺったりとはり付いてしまうんです。うんちが出てすぐにおむつをとりかえても、紙で拭いたくらいじゃうんちはとれません。ぬるま湯に浸した紙で洗いながら拭くか、市販のおしり拭きをどっさり使わないことには、あのコクのあるうんちは取れないんです。家でならまだいいですが、これが出先となると本当に困るんですよ。おむつ替えスペースが無いところだってあるわけですし。それがトイレでしてくれれば、どんなにコクがあってもキレさえあるうんちなら、トイレットペーパーにすら付いてこない、つまり紙だけで用が足りちゃうわけですから、本当に助かるんですよ。たまにかなり手強いうんちが出ることもありますが、そんな時はウォシュレットで洗っちゃえばいいんですし。

「トイレが怖い」というお子さんは、結構いるようですね。「おむつは嫌だけどトイレも怖い」という子どものために、ティッシュペーパーの空き箱の天井部分を切り取り、中に紙おむつを開いて入れて即席のトイレを作るというのを、いわゆる「育児のコツ本」で読んだこともあります。つまり「おまる」ですね。
トイレトレーニングでおまるを使うご家庭は多いと思うんですが、私はおまるは使いたくなかったんです。だっておまるにしたところで結局はトイレで始末しなくちゃいけないわけですし、あれで結構構造が複雑で、どんなに綺麗にしてもすぐに不衛生になってしまいそうな気がしましたし、ムスメのお産の後、腰痛が悪化してまっすぐに立つ事も出来なくなってしまった身には、おまるに頻繁に座らせてその度にトイレで始末するなんてことは、まず無理でしたし。

なもんで、子ども用の便座を用意したんですよ。トイレの便座の上に乗せて使う、あれです。ムスコの頃から使っていたコーポポトのが一つと、ムスメのために買った、ミニーマウスの赤いめんこい便座と(←こういう女の子っぽいものが、欲しかったんです)。ところがこれがまた、ムスメが座るのを嫌がりましての〜(涙)。おしっこは何とかするようになったんですが、うんちは怖がって大泣きしちゃうんですね。こちらも出もしないうんちをさせるのに、いちいち重たいムスメを抱き上げて便座に座らせるのもかなりな負担だったので、じきに止めちゃったんですよ。「小学生になってもおむつしてる子はいないわけだから。」なんて自分を納得させて(←要は根性無し)。

そんなある日、近くの100円ショップで意表を突くものを見つけました。

おまる

おまるです。これが100円でっせ、奥さん!!しかも前向きでも後ろ向きでも使えます。いえ、どっちが前でどっちが後ろかってのは、判らないんですが。便の後始末も簡単です。中身をトイレに流したら、トイレ用の洗浄スプレーをシュッシュして、トイレットペーパーでさっと拭くだけです。
ムスメの好きな、サーモンピンクの優しい色合い。これのおかげでおむつが取れにくいと言われている寒い季節に、あっという間におむつが取れました。しかも一度おまるでうんちをしたら、トイレでうんちが出来るようになるまで早い早い!さらにおまるを買った100円ショップで可愛らしいパンツを買ったのがとどめで、以来、ムスメは夜寝る時以外はおむつをしなくなりました
なんで夜だけおむつをしていたかというと、やっぱりそこらへんは用心のためでして、ついでに言うとこのおまるを買う直前に新しい紙おむつを買っていたので、在庫がかなりあったんですな、そのせいです。しかもちっとも汚れないもので、おむつがよれて使えなくなってしまうまで、何日も同じおむつを履かせていましたぞ、えっへん!!(←貧乏性)。
でもおねしょはしないし、おねしょパッドをシーツの上に敷いているので、一昨日からとうとう夜もおむつを外してしまいました。今のところ、もんのすご〜〜〜くいい調子です。パンツの気持ちよさを、知ってしまったんですね。こないだ東京に日帰りで出かけたんですが、一度も失敗しませんでしたし。このおまるを買うまでのあの苦労は、いったい何だったんだろう???
しかし、何ですな。これからは何か困った事ができたら、とりあえず100円ショップに出かけてみようっと♪何かいいものがあるかもしれないし♪(でも将来「100円ショップで彼氏探してくる」なんて言い出したら、ちょっとコワイな)

でもオフ会でご飯を食べている時に大きな声で「うんち出る〜♪」と言うのは、ちょっと勘弁して欲しいぞ>ムスメ

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16 20000記念トップページの裏話 2001/5/3

いやいやいや、皆さん、見ていただけましたか?20000記念のトップページを。私達家族のイラストの上にポインタを置くと、アメリカのロックグループ「KISS」のメイクをしているイラストになるんですよ。ダンナがジーン・シモンズ、私がポール・スタンレー、ムスコがエース・フレーリー、ムスメがピーター・クリスという、怖れを知らぬ配役です。いえ、彼らもちょうど4人なので、いい按配だったんですよ。
あ、裏話と言っても「何のパロディか」って説明じゃなくてですね、実は中学の頃から大好きだったこの「KISS」、ついこないだコンサートのために来日していたんですが、今回のワールド・ツアーを最後に、解散だか引退だか廃業だかするってんですよ。
っっがーーーーーーーーーーーーーん!!!しょおっっっっく!!!!!

というわけで義母を拝み倒して子ども達をたのみ、3/21水曜日、大阪城ホール(いわゆる“城ホール”ね♪)にKISSのコンサートを聴きに(見に?)出陣しました。ダンナとは途中の駅で合流です(てへ♪)。思えば「ムスコ妊娠7ヶ月」状態で出かけた、「アルフレッド・ハウゼ・オーケストラ」以来のコンサートです。
大阪環状線の「大阪城公園駅」を出ると、すぐ目の前に城ホールがあります。開演までまだ1時間もあるのに、ものすごい人・人・人‥‥‥。仕事帰りでしょうか、スーツ姿のままで顔はKISSに塗っている人が随分いましたよ。その気持ち、解ります。でもこの人達、いったいどこで塗って来たのでしょうか?その姿を想像すると、つい笑ってしまいます。客層は30〜40代が圧倒的に多かったですね。
義弟にKISSのTシャツを買うのを頼まれてもいることだし、ホールに入る前にTシャツとパンフレットを買ってしまおうと思ったのですが、売店の入場制限をしている上に、まだ売店の前までたどりつけない人の列の太いこと長いこと‥‥‥。
あっさり「コンサートのあとで買おう」ということにして、ホールに入っちゃいました。ああ、この時やっぱり並んでおくんだった‥‥‥(涙)。
私達の席は2階席の一番上、ステージにもそこそこ近いし、そう悪くない席です。ところがしばらくすると会場係がやってきて、私達の席では演出上差し障りがあるので、申し訳ないがこちらで用意した席に移ってくれと言うんですね。たしかに私達の席のすぐ後ろには大きなライトが置かれていて、コンサートが始まって立ち上がりでもしたら、メンバーを照らすライトの中にダンナの影が入ってしまうのでした。で、初めの席よりもう少しステージに近い席に換えてくれたのはいいんですが、その時にチケットの半券を持って行かれてしまったんですよ〜〜〜〜。なんてことしやがるぅ〜〜〜、大事な大事な半券を〜〜〜。
ステージは‥‥‥‥、あのエンターテイメントを、どう表現すればいいでしょう。50歳をとうに過ぎたおじさん4人のパワー、迫力、色っぽさ、確かなテクニック、自分達がやりたい曲は脇に置いて、客のことだけ考えてそうな選曲と演出。私の稚拙な文章では、とてもじゃありませんが表現しきれません。ああ‥‥‥(←また思い出してしまったらしい)
感動と余韻でふらふらしながら外に出たら、売店はまたもや長蛇の列。子どもを義母に頼んでいる以上、この列に並んだせいで帰りが更に遅くなるなどという事は許されない‥‥‥‥。泣く泣くパンフレットを諦めました。自動的に義弟に頼まれたTシャツも消えました。半券もありません。何も残らなかった‥‥‥‥‥(号泣)

と・こ・ろ・が、コンサートの大音響のせいで、ダンナの耳がやられてしまいました。いえ、私も一時的に難聴になったんですが、ダンナは花粉症で風邪も引いていたものでしょっちゅうハナをかまなければならず、そのせいで耳にかなりの負担がかかりっぱなしということになってしまったんです。翌日には結構いいところまで回復できた私に比べて、ダンナの方は耳鳴りは引かないわ、聞こえ方は回復しないわ、さすがに自分でも「やばいかな?」と思ったそうです。全く音が聞こえないというのではなくて、両耳ともある一定の音域の音が聞こえなくなったそうで、たとえば自動販売機のボタンを押した時の「ピッ!」という音、あれは聞こえなくなったそうです。あとは耳鳴りの向こうから、ある程度は聞こえていたそうなんですね。
実はダンナには東京時代、突発性難聴の前科があります。その時は「チューリップ」のコンサートだったので今回のKISSに比べれば音量的にはそうでもなかったんですが、スピーカーのモロ前だったんですね。それで突発性難聴になっちゃったんですよ(私も一緒だったんですが、私は大丈夫でした)。突発性難聴は最初の3日間が回復の勝負らしいというのを知っていたので近くの耳鼻科をすぐに受診し、1週間程入院して完治したんです。
今回は上手い具合に(?)コンサートの翌々日に会社の健康診断がありまして、当然それに引っかかり、翌土曜日(つまり3日目です)には耳鼻科に行く事が出来ました。が、医者の話では「こんなパターンは初めてだなぁ‥‥‥。治るかもしれないけど、治らないかもしれない。とにかくステロイド剤を真面目に飲んでね。」ということだったそうで、ええ、真面目に飲みました。一緒に処方された花粉症と風邪の薬も。
その甲斐あってか1週間後の受診では「こんなふうに両耳とも同じレベルで回復するなんて、珍しい人だなぁ。」と言われ、その1週間後には「長いこと医者をやってるけど、ダンナさんみたいな回復のしかたをする人は初めてだ。」と言われ、その2週間後には「もう完璧やねぇ。」と言ってもらえました。は〜、やれやれ、これで一安心。

チケットの半券もパンフレットもTシャツも何も残らなかったけど、ダンナの突発性難聴と共に、思い出にはしっかりと残ったコンサートでしたな。ああ、でもでもでも、もうちょっとしたら「復活コンサート」なんかやってくれないかなぁ‥‥‥。海外のアーティストって言う事がコロコロ変わるのが常なので、もしかしたら2、3年後には‥‥‥なんて思ってるんですけどね。
‥‥‥え!?もし復活コンサートをやるってことになったら、また難聴覚悟で行くのかって!?
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥うふっ♪(←こらこらこら‥‥‥‥)

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15 大誤算 2000/12/21

ここの一つ挿んだ下の方でご報告した「13 つ、ついにやっと、」。そう、ムスメは「ママのおっぱい、早く治るといいのにねぇ。」などと言いながらも、おっぱいを飲まなくなりました。ちょっと寂しい気もするけれど3歳過ぎまでたっぷり飲ませたんだし、第一これで「至福の添い寝授乳の後の、地獄の起きだしin仕事」にならなくて済むんだと思うと、それはやはり嬉しさとか喜びとかの方を大きく感じてしまうわけでございます。
「さ、お兄ちゃんも寝たよ。おまえもねんねだよ。」と言いつつ仕事机に向かい、静かになった気配に気付いてムスメを見るとすやすや眠っている、といったシチュエーションが理想でして、天使のような二人の子どもの寝顔を見ては仕事への意欲もいや増し、明日への活力にもなろうというものだと思っておりました。

だがしかし。

現実はなんと過酷なことでしょうか。たしかにムスメはおっぱいは飲まなくなりましたが、別の攻撃をしかけてくるようになりました。第1攻撃は「ママァ、今日、一緒に寝れるぅ?」「いや〜、今日はママ仕事キツイからなぁ‥‥。同じお部屋にいるんだし、お兄ちゃんもいるんだし、一緒に寝なくても大丈夫でしょ?」
「え〜〜〜〜〜〜!?ママァ、一緒に寝ようよぉ。」これが第2攻撃。しかも半ベソという反則技を使っています。「しょうがない、こうなったらさっさと寝せて、早く仕事にとりかかろう。」そんなふうに考えるので、「いいよ、一緒に寝ようか。」となってしまうわけですよ。
一緒に布団に入ると、敵は容赦なく次の攻撃をしかけてきます。「ママァ、上向いて寝てぇ。」「上?こう?」「うん。ママァ、おっぱいしゃわるぅ♪」「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
これがまた、やたらと気持ちいいんですわ。いえ、変な意味じゃないですよ。子どもの手って小さくて温かくて、なんともいえないくらい私の胸にフィットするんですな。胸の上にぬくぬくの小さな手。同じ布団に寝てるので、身体の暖かさも季節的にいい具合だったり‥‥‥‥。これで「眠るな。」と言う方が無理ですよ、ホント。子どもを寝せるつもりが自分が先に寝てしまい、一時間以上も経ってからそのまま朝まで寝てしまいそうになるところを必死で目をこじ開けて起きるということが、ここんとこずっと続いてます。
なんで一時間くらい経ったところで目を覚ませるかと言うと、仕事部屋の電気をつけておく、トレス台の電気をつけておく、ラジオをつけっぱなしにしておく、ファンヒーターをつけたままにしておくという、「何が何でもとにかく一度は絶対に起きなきゃいけない状態」にしておくからです。あ、あと「ちょっとくらいトイレに行きたくても我慢しておいて、寝ているうちにトイレに行きたくなって起きる」手もよく使いますな。‥‥‥‥‥‥ちょっと哀しすぎる手だなぁ‥‥‥‥‥‥。

こんなことならまだおっぱいをやってた方が良かったんでしょうか?最近、おっぱいを止めたことに自信が無くなってきました。どれどれ試しにちょっと絞ってみよう‥‥‥‥‥。まだ出てるしなぁ、おいおいおい‥‥‥‥‥。

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14 ムスメ、七五三 2000/11/18

本日、満3歳のムスメの七五三の写真撮影を敢行いたしました。実は今月3日に写真屋さんを予約していたんですが、1日に同居していた舅が亡くなって、それどころではなくなってしまったんですね。しか〜〜〜し!!いとこ(パパの妹の子)の着物を借り、「仕事でもないのにスーツ着るんか。」とボソめくダンナと、なにかよくわかんないけど自分の七五三や入学式やおじいちゃんの葬儀に着たスーツを着せられたムスコと、脚のムダ毛をしっかり処理し、たいして代わり映えしないのにいつもより念入りな化粧をしたのに「しばらく美容室に行ってないなぁ。」と己をわきまえぬ発言の目立つ私の4人は、いそいそと予約した写真屋に向かったのです。
いや〜、今まで知らなかったんですが、子ども用の足袋って、伸びる素材でできてるんですなー。しかも小鉤(こはぜ)が無い。まるでソックスですな。これなら履きやすそうですね。ムスメの足のサイズは17センチですが、なになに、「17センチ=5〜6歳」ですと〜〜〜〜!?オー!ノー!!でかい!でかいぞ、ムスメ!!
美容師さんに着付けして貰ったムスメは、まるで日本人形のよう(←親バカ)。じーっと動かず、美容師さんの言うことをちゃんときいてるみたいだぞ、よしよし。肩の下まで伸びた髪を結い上げて貰って、次は粉おしろいで鼻にハイライトをちょっと入れました。ほお紅をそっと入れて、低い鼻を少しでも高く見せる小細工をいたしました。そしていよいよ紅をひきます。なんと!シャネルのルージュではありませんか!!私でも使ったことがありませんぞ!!ああ、私も七五三したい!!(←いや、そうでなく)。
着付けとヘアメイクで約40分かかりましたね。さすがにムスコが焦れてきました。自分が主役じゃないってのをなんとなく感じて、それも面白くないんですな。「もう、ムスメちゃんまだぁ?」と何度も聞いてきます。しかしムスコよ、女の身支度というのは、時間がかかるものなのだよ。いずれ君に彼女が出来た時に、思い知ることになるとは思うけど。それに比べたら40分なんてちょろいちょろい。
着物を着て髪を結ってお化粧をして、ムスメは自分の姿にうっとりしています。女って生き物は、こんな小さいうちから自分を飾る喜びを知っているものなんでしょうか?ムスメを冷静に観察している私と違って、ダンナは微妙に視線をムスメから外しているようですな。しょうがないなぁ、男親って。今からそんなじゃ、あと7、8年して初潮を迎えた時や、10年くらいしてブラジャーを付け出した時や、12、3年して「彼氏出来た。デート行ってくる。」と言い出した時や、20年くらいして「お嬢さんを下さい。きっと幸せにします。」とどこの馬の骨ともしれない男がいきなりやって来たときにどうするんだ?えぇ?
などと思っているうちにしたくもできて、写真屋さんが用意していてくれた千歳飴の袋を持ってまずはムスメ一人で撮影。その後家族4人で撮影。でもこれがまた一苦労でして、ムスメのポーズが決まったかと思うと、ムスコの表情が乱れ、ムスコの髪をなおしたかと思うと、今度はムスメの顔の向きがおかしくなるといった感じで、いや〜、時間がかかりましたわい。そんなこんなでどうやらこうやら撮影は終わりましたが、椅子に座って不自然な力で脚を斜めに流していた私は、もうちょっとで脚がつるところでした。
喪中なので神社にお参りには行けませんが、このまま着替えてしまうのもしゃくなので、着物を着たままうちに帰ることにしましたよ。神社近くのケーキ屋さんでおばあちゃんの分も苺のロールケーキを買って帰りました。初めての足袋と草履だったので痛がるかと思いましたがそうでもなく、「わ〜、お姫様みた〜い。」のおだてにすっかり気を良くして、ほいほいと帰って参りました。

しかしムスメや、写真屋さんにいた時はまるで借りてきた猫のようにおとなしくて、3歳とは思えぬほどに楚々とした雰囲気を醸し出していたのに、うちに帰った途端着物を着たままどすこい状態で歩いたり、飛び跳ねたりするのはどういうこと!?まぁ、それを見たダンナがなんとなくホッとしていたようだったからまぁいいけどさ。

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13 つ、ついにやっと、 2000/9/11

ふふふふふ‥‥‥。皆様、いよいよ皆様にこのご報告をできる時がやって参りました。は?何のことか解らん?そうでしょうとも、そうでしょうとも。このWEBサイトを立ち上げてからというもの、あまりに日常的な話題でございましたから。
だがしかし!!たった1年とはいえ月日の流れとともに、人は変わっていくもの(←どこかで聞いたセリフ)です。そうです、人は変わっていくのです!!たとえそれがたった3歳の幼児であろうとも!!!
な〜〜〜んて、こんな書き方してる場合じゃないですわ〜〜〜〜!!いや〜〜〜、皆さん、ムスメの断乳に成功しそうなんですよ〜〜〜。何でもよく食べる、綺麗に生え揃った歯で噛みちぎられそうになったことなど日常茶飯事。真冬の寒い夜に授乳しているうちに胸をはだけたまま寝てしまい、胸とお腹がキンキンに冷たくなって震えて起きたことも数知れず。飲んでるのかと思いきや、実はただ乳首をくわえて遊んでいただけというのが分かっても、疲労のあまり怒る気にもなれなかったことも星の数ほど。もしかしたら甚大な影響があるかもしれないからと、具合の悪い時に使うべき薬を使えなかったこともしばしば。しかし!しかししかししか〜〜〜〜〜し!!!ある作戦を実行に移してから約1ヶ月間、ムスメは一度もおっぱいを飲んでいませ〜〜〜〜ん!!
もうたいがい大きくなったお子さんがなかなかおっぱいを離してくれないのでお困りのお母さん、この作戦はいいですよ、お薦めです。まず、「いかにも薬臭いにおいを発する薬」と、大きめのカットバンを2枚用意します。うちでは「イソジンうがい薬」を使いました。これなら「いかにも」というにおいがするし、茶色い色もつくので、臭覚と視覚の両方から敵(←誰?)を攻めることが出来ます。
用意できたら、まずカットバンのパッド部に、薬をしみ込ませます。そして両方の乳首にニプレスのように貼る、これだけです。あとはあなたの女優魂を発揮して下さい。
「いたたたた‥‥。おっぱいが痛くてお医者さんに診てもらったら、大怪我してるって言われたよ。お医者さんにお薬つけてもらってばんそうこう貼ってもらった。あいたたたた‥‥‥‥。」
こう言いながら、いかにも痛そうに顔をしかめ、上半身をよじって身悶えて下さい。もし出そうなら、涙の2粒も流してみましょう。場合によっては、包帯でぐるぐる巻きにしちゃって下さい。お子さんがそれでも納得しない時は、迷わず「本当だよ。ほら、こんなお薬つけられた。強いお薬だから、なめると死んじゃうんだって。」と、胸をはだけて見せましょう。お子さんの目には薬で着色された大きなカットバンを貼られた乳房がうつるでしょうし、なんとも言えない薬の臭気がお子さんの鼻を襲うことでしょう。あとは「お医者さんに”おっぱいの怪我が治るまでおっぱいしたらダメだ”って言われたよ。」の一点張りで通して下さい。あくまで「本当はお母さんはおまえにおっぱいをあげたいんだよ。でもお医者さんがダメだって言ったの。」と、おっぱいをあげられないのはいかにも不本意であるというスタンスをとって下さい。全国のお医者さんには大変申し訳ないことですが、母と子の幸せな断乳生活のためですから、ちょっと協力してもらうことにしましょう。そうすればお子さんは、そういう態度を見せないよりはよっぽど精神的に安定して、おっぱいがなくて不安にさいなまれるという事態がかなり避けられると思います。しかも乳首にワサビやカラシを塗るのは赤ちゃんが可哀想だからイヤ、という方にもお薦めできますね。
さて、この作戦は、「ある程度年齢がいった子」でないと効きません。お薬が何であるか、怪我というのがどういうものであるのか、ばんそうこうを貼るのはどういう時か、お医者さんの言うことを聞かないとどういうことになるか、そういったことが解る年齢でないと実行が難しい作戦ですね。つまり、「来年から幼稚園なんだけど、まだおっぱいがとれないのよ、どうしよう。」というようなお子さんにこそ有効であると同時に、まだやっとよちよち歩きが始まった1歳前後の赤ちゃんにはあまりお薦めできないということをお断りしておきます。
いずれにしてもうちのムスメはこれで約1ヶ月おっぱいを飲まずにいるわけですし、服の上から「ママァ、おっぱいの匂いがするぅ。」と言いながら胸に「ちゅ♪」としたりはしますが、お風呂の時に、もうばんそうこうの貼られていない乳首を見ても、「飲むぅ!!」とは言わないところまで来ています。1歳前後に断乳できなかったら、いっそのこと3歳を過ぎるまで待った方がいいのかもしれませんね、焦らないで。
実はこの作戦を考えたのは実家の母なんですが、これで寝ながら授乳していて思いっきり噛まれて「痛いたいたいたいたいたい〜〜〜〜〜〜〜〜!!」と悲鳴をあげて飛び起きなくてもいいわけですし、「もしムスメが寝ぼけて乳首を噛みちぎったら、ちぎれた乳首を忘れずに持って救急車に乗ろう。」なんて考えなくていいんです。さすが、「亀の甲より年の功」ですな、まったく。

あ〜、やっとおっぱいが私のもとに戻ってくるぅ〜〜〜。
(今試しに絞ってみたら、まだ乳汁が出ました!いったいいつまで出るんだ!ええ!!??)

仕切り

12 そ・・・そうきたか・・・ 20008/28

夏休みも終わりに近づいた今月の26日、神戸の「モザイクガーデン」に「ポケモン」の映画を観に行きました。前から子どもが観たがっていたし、私も数カットお手伝していた関係で気になりまして(「株 O・L・M」の井口君、いいところに名前を出してくれて、どうもありがとうございます)。
いえ、別に映画がどうのこうのという話じゃないんですが、実はムスコ、去年夏に帰省してイトコ達とダジャレでわあわあ遊んでからすっかりダジャレにハマッテしまいまして。なにかっつーとすぐにぶちかましてくれるワケです。
で、この日もおしゃれな神戸の街中を映画館に向かっている時に、「ママ、痛いシャレ、教えてあげようか。」ときましたわ。
「うん、教えて。」「あのね、”コンドル・・・・”
(あ〜〜〜?コンドル〜〜〜?”・・・が乗った電車が混んどる”か〜〜〜?それのどこが痛いんだ?ああ〜〜〜ん?)
と一瞬思った直後、「・・・・がケツに食い込んどる”!!ね?痛いでしょ?」
・・・・・・・・・・力、抜けましたわ・・・・・・・・・・。

ところでムスコは「ダジャレ」の「ダ」を、田名部弁だと思ってるんですな。「〜〜〜だべ。」の「だ」と同じものだと思ってるんです。それはそれで面白い解釈だなぁと思いますぞ、はい。

仕切り

11 ああっ!!とうとう!!! 2000/5/25

ついにこの日がやってきてしまいました。そう、今日はムスメの3歳の誕生日なんですな。ええ、ええ、そりゃあ目出たいですよ。親だもの、嬉しいですよ。でも、でもでもでも、とうとうおっぱいとおむつも持ち越してしまいましたわい!!
最近じゃあ片方のおっぱいをくわえながらもう片方をしっかり手でおさえて飲んだりしてますよ。ひどい時にはさらに飲んでる方のおっぱいまでおさえたりしてますよ。「誰もとってったりしないのに。」と言うと、「だってこれはアタシのだもん!」とでも言いたげに、乳首をくわえたまま人の顔をジロッと睨むんですな、これがまた。
綺麗に生え揃ったなんでもよく食べる歯があって、吸い込む力も強いときた日にゃあ、乳首がまるで歯と舌でしごかれてるように痛いんですよ。しかも寝入りばなということもあって、寝ぼけて歯を食いしばられたりして、
「ぃぃい痛いたいたいたいたいたいたいたい〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
と叫びながら、ムスメの上下の顎の間に指を入れて強引に口をこじ開け、乳首を救出するということも、もう何度もあったわけですな。しかもそれで下着に血が付いた事も何度かあったりするんですじゃ。
どうしてこんな大変な思いをしてまで、まだおっぱいをしてるんでしょうか。やっぱり時間に不規則な仕事を自宅でしていて、満足にかまってやれていないという負い目のようなものが、自分の心の中のどこかにあるんでしょうね。「せめておっぱいくらいは子どもの満足がいくまで与えたい。」という気持ちが、たしかにまったく無いわけではないですよ、はい。

さすがにダンナが「なぁ、ホンマにまだ出てるんか?」と聞いてきましたね(そりゃそうだよなぁ)。
「う〜〜〜〜〜ん・・・・・、たぶん出でるど思うんだたって・・・・・。ちょっと搾ってみるが?」
ムスメがくわていない方の乳首の根元をきゅっと搾ると、母乳がダンナの顔に向かってそれはそれは勢いよくしゅーーーっと飛びました。
「うわっ!」と母乳をよけるダンナ。
「ちょっと!なんも汚ぐねのに、なしてよげるのよ!!」
「反射神経ええねんや。これがよけられへんかったら、飛んできたボール顔で受けて怪我すんねんで。」
「口で受げればいいべのー。」
「いや、それは遠慮しときます。けど、よう出たなー。あんなに出るねんなー。」
「ほだのー。まんだあったに出でらんだのー。たまげだのー。」
・・・・・まるで他人事ですな、この夫婦。
昔は「末の子は学校に上がるまでおっぱいをやってた」なんていうことはザラだったそうですが、水筒に母乳を入れて学校に行くなんてシャレにならんぞ!!(「異国で暮らすぞ!・水筒の謎」参照)
それにしてもいったいいつまで飲むんだ!?ええ!?!?!?

テレビを見ていたムスメが、「ママ、おぱい!おぱいだよー!!」と嬉しそうに言いました。こんな真っ昼間からおっぱいが出てくる番組があったかな?と思いつつテレビを見てみましたが・・・・・。
・・・・・ムスメや、それは「おぱい」じゃなくて、「ポパイ」だよ・・・・・。

仕切り