私が宝塚市に引っ越してきた9月は、まだまだ真夏のように熱い時期だというのは前に書きましたね。「保温」にしておかなければ、朝炊いたご飯が炊飯器の中で夕方には腐ってしまうくらい。
さて、そういう季節に宝塚市に引っ越してきた私は、不思議な光景に出会いました。道を歩いている小学生の殆ど全員が肩から水筒を下げているんですね。最初は「遠足かぁ。」くらいに思ってたんですが、よく見るとリュックじゃなくてランドセルだし、どうやら毎日持って歩いてるようなんですよ。「なんなんだろ?水道水のカルキにアレルギーのある子なのかなぁ?そのわりにはみんな持ってるしなぁ。」などと首をかしげておりました。
平成9年にムスコが幼稚園に入園して2週間ほどでムスメのお産の為に帰省し、そのまま1学期と夏休みを実家で過ごして、いよいよ2学期から本格的に入園した幼稚園に通い出したわけですが、2学期が始まってすぐに事務の先生に「ムスコ君にお茶を持たせてあげて下さい。」と言われました。
「???必ず持たせなきゃいけないんですか?」
「いえ、必ずというわけではないんですが・・・。」
そのやり取りを聞いていた友達が、教えてくれました。
「幼稚園の水道水は飲まれへんねん。喉が乾くし暑いから、水筒持ってかなあかんねん。」
「ええーーーーーーーーーっ!!??」
いやー、びっくりしたなんてもんじゃないです。だって日本の水道水といえば、世界でも「安心して飲める水」のトップクラスにあると思ってましたからね。極端なことをいえば、たとえ水道管の内部が錆びていようがタンクにカラスの死骸が浮いていようが、どこぞの出所の解らないようなミネラルウォーターなんかよりは、ちょっとくらいカルキ臭くてもよっぽど安心だと思っていた水道水を「飲んじゃダメ」ですと!?
しかも幼稚園では衛生面での配慮から、「お友達のお茶をもらわない、お友達にあげない」という方針を徹底していて、もし水筒を忘れようもんなら、30度を軽くこえる気温の中、家に帰るまで、給食で出るお茶以外は何も飲めない、てなことになるらしいんですよ。
小学校ではさすがにそこまで厳しくはないらしいんですが、それでもやっぱり水筒は必要で、1年生なんかは小さな身体に大きなランドセルを背負ってさらに水筒を持つという、なんとも危なっかしい格好で毎日通学するわけです。
私の実家があるむつ市は美味しい水が豊かなところで、そりゃあ井戸水にくらべると水道水は味が落ちますが、それでもなかなかの線ではあると思います。そういうところで育った私には、「水道水を飲んじゃダメ」というのは、それこそ「ここの空気、吸っちゃダメ」と言われたくらいのショックでした。
さて、この水道水ですが、いったい水道代はいくらだと思いますか?うちはダンナの両親と同居の6人家族で、2ヶ月間、下水道代も含めて15、000円〜17、000円ってところです。宝塚市独自のダムを持ってないからとかなんとか色々な理由があるらしいんですが、「学校や幼稚園では飲めない水」のわりに、0が1個多いと思いませんか?
宝塚市に来てべっくらこいた習慣ベスト5に、節分があるのね。東京辺りならここ何年かでだいぶ知られてきてると思うけど、関西の節分って、面白い事をやるんですわ。どういうのかって言うと、
「今年の恵方を向いて、巻寿司まるかぶり」
「恵方(えほう)」というのはその年の「縁起のいい方角」(今年は西南西)、「巻寿司」は「太巻き」に限る、「まるかぶり」というのは「まるかじり」のこと。つまり「今年の縁起のいい方角を向いて、太巻きをまるのまままるかじりする。」というものなんですな。しかも太巻き一本食べ終わるまでは、一言もしゃべっちゃいけないんですわ。
ちょっと想像してみて欲しいんだけど、それまで談笑しながら食事をしていた人達がおもむろに太巻きを手にしたと思ったら、ひたすら黙々と一方向を向いて食べる。いつも恵方に背を向けて食べてる人は、この時だけ食卓に背を向けてでも恵方を向く・・・・。
なにやらすごい光景でござんしょ?
それでもまあ物珍しさもあって、はじめのうちはちゃんとまるかぶっていたんだけど、子どもが生まれてからはなかなか作法を踏めなくなったのね。今なんか、ホントにもう無理。「黙って」っていうのが一番難しい。せっかく人が「黙って」食べようとしても、
「ママ、今日さ、学校でさ、○○ちゃんと○○ちゃんがこういうこと言ってさ、面白くて笑っちゃった!ママ、面白いでしょ?!」
「ママ、あのね、お兄ちゃんね、アタシのキティちゃんのラムネ、食べちゃった〜〜〜!!」
・・・・・・・・・・。これに「そうなの?面白いねぇ。」とか「おや、残念だったね。また買おうね。」とか、とにかくちゃんと返事をするまで、二人でまるでマシンガンのようにしゃべり続けるわけね。「へぇ。」とか「ふ〜〜ん。」とかじゃ、ダメなのよ。
普通、「上の子がよくしゃべる子だったりすると下の子は無口でおとなしいことが多い」ってな話を聞くけど、うちは二人ともマシンガン状態。まぁ、しゃべるしゃべる。これじゃ「黙ってまるかぶり」なんて、できっこありませんて。
しかし二人とも、そんなに母の縁起を悪くしたいのか!!いや、その前に自分自身の縁起も相当悪い事になってそうだぞ!!・・・つってもわからんか。あ〜〜〜あ。
5:30AM タイマーをかけていた頭上のエアコンが動き出して、その音であと30分で起きる時間だと思った。
それまで布団に入ったままでトロトロしていよう。今日も寒そうだなぁ。明日から厄神さんのお祭りだっけ。毎年冷え込むもんなぁ。
まだ起きたくないなぁ。あぁ、ムスコ、あったかいやぁ。気持ちいぃなぁ。目覚まし鳴るな鳴るな、まだ鳴るな・・・・・。
5:46AM それは突然やって来た。
なに!?なに!?パパ!!何これ!?揺れてる!地震!?あぁ、地震だ!!ムスコ!ムスコ!泣いてる。あのエアコン、落ちてきたらムスコが死んでしまう。あぁ、ムスコ、大丈夫、ママの下にいれば大丈夫。この揺れ、この私が初期微動に気付かなかった。どうして?こんなに大きいのに?直下型!?そうか、直下型だからだ。なんてこと!!あぁ、外に投げ出されそうだ。床が波打ってる。うちが潰れたら死ぬ?死ぬの?こんなことで死ぬの?いやだ!冗談じゃない!!やりたいこと、まだいっぱいあるんだから!!今年も祭に帰るんだから!!あぁ、でも、この揺れ。まだ揺れてる。ちっとも弱くならない。ムスコ泣くな泣くな。大丈夫、ママが上にいるからエアコンが落ちてもおまえには当たらないよ。パパ、パパ、大丈夫?あぁ、長い。どうしてこんなに長いんだろう?叫ぶな!怖くても決して叫ぶな!!パニックになる!自分を押さえられなくなる!ムスコが怯える。あぁ、でも、でも、怖い!!
5:47AM
おさまった?おさまったの?真っ暗だ。パパ、不用意に動いちゃダメだよ。必ずスリッパ履いて。あんなに大きい地震だったんだから、余震が必ずあるよ。ドア開く?電話、たぶん無理でしょ?ほらね。ムスコ、大丈夫。もう大丈夫だから。ほら、抱っこしててあげる。何も見えない。なんでこんなに暗いんだろう。あぁそうか。ブレーカー落ちちゃったんだ。もうすぐ夜が明ける。そしたらなんとかなるよ。大丈夫。ムスコ泣かないで。
なんだかまだ揺れてる気がする。余震?でも揺れてる音がしないよ。私が震えてるの?歯はガチガチしてないよね。手も震えてない。ドキドキしてるけど、ちゃんと落ち着いてるよね。じゃあ、やっぱり余震?余震なんだ。ムスコ、寒い?インフルエンザ、治ったばかりなのにね。あぁ、余震まで長い。おさまってもまたすぐ次の余震がくる。寒いけど、ドアは閉められない。よかった。空が明るくなってきた。
兵庫県南部地震が起きた時のことは、5年経った今もこのとおり、まとまらないんです。その時思ったことを書くだけで精一杯。本当はもっともっといろんなことを思ったんですが、それを全部書いたら本当に収拾がつかなくなっちゃうんです。
この後7:00AM前に、ダンナが「田名部のお父さん達が心配してるといけないから。」と、公衆電話に走ってくれました。その時は上手く連絡がついたんですが、直後に公衆電話でも連絡しにくくなりました。
後で聞いたら実家では6:00AMからテレビをつけっぱなしでいたそうです。神戸、芦屋、西宮、伊丹、尼崎、豊中等の情報は流れるのに、肝心の宝塚の情報が出ない。妹の嫁ぎ先も含めた親戚という親戚、あるいは両親の友達からも、「宝塚はどうしてる!?大丈夫なのか?」と私達の身を案じる電話が引きも切らず、情報の無さにごうをにやした父は単身車で宝塚に向かうところだったそうです。父は薬の管理の難しい持病があったので、もしそんなことになっていたら私達以上に父も大変なことになっていたでしょう。
今年も「あの瞬間」がやってきます。
ついこないだ、家族4人で阪急電車に乗って出かけたのね。阪急電車っていうのはあの宝塚歌劇や宝塚ファミリーランドも抱える大きな鉄道会社(っていうの?)なんだけど。先頭車両の一番前の左側ドア付近、つまり運転手さんのすぐ後ろのあたりに乗ってたわけ。
「宝塚南口(たからづかみなみぐち)」っていう駅に着いたら、私達が立ってるドアの向こうのホームに、「ああっ!!あれは宝塚音楽学校の生徒さんたちっ!!」な方々が4人、二列縦隊できっちり立ってるんですよ。見たところ男役候補が3人、娘役候補が1人、
やっぱり姿勢、いいですね。
その生徒さん達、電車が自分達の目の前で止まったとたん、ドアの両側にビシッと拡がったのね。降りてくるお客さんの邪魔にならないように。で、お客さんが降りてから生徒さん達が乗ってきたんだけど、乗る直前、安全確認のために窓から顔を出した運転手さんに向かって「おはようございます!!」って4人全員で挨拶したのね。ドアの両側に乗り降りするお客さんの方を向いて拡がってたから運転手さんに背中を向けてた生徒さんも二人いたんだけど、ちゃんと振り向いて挨拶してた。
多少驚きつつも「さすがだな〜〜〜。」と感心して見てたのよ。電車内でも「ビシッ」だしね。
電車が次の終点「宝塚」駅に着いてその生徒さん達のすぐ後を追うような格好で私達も降りたんだけど、降りてすぐ生徒さん達、ホームのずーっと後ろの方を向いて「お疲れ様でしたっ!!」って言うんだよね。私も見てみたけど、先輩らしき人の姿は私には判らなかったよ。挨拶された先輩だって自分が挨拶されたかどうか、もしかしたら気付いてないかもしれないでしょ。だいたいそんなに遠かったら後輩が乗ってるかどうかだって気付かなかったかもしれないし。
「宝塚歌劇」というとあのひたすらきらびやかなステージばかりが表に出るけど、実は音楽学校時代からのこうした厳しい生活の上に成り立ってるんだよね。校内を歩く時は一列になって右側の壁にそって小走りで行かなきゃいけないらしいし、ダンスの練習場の床掃除はヘアピンで板の間に詰まってるほこりを掻き出さなきゃいけないらしいし、「今どき珍しい花嫁学校」の要素を持ちながら実は体育会系の厳しさに満ちた世界らしいんですよ(ずっと前、テレビで見た)。
こんな厳しい毎日を送りながらがんばってる生徒さん達だもんね、一人でも多く、明日のスターになれるといいなと思った出来事でした。
私が宝塚市に引っ越して来たのは、平成2年の9月半ば。おー、もう9年にもなるのかー、そうかー。
それにしても暑かったよ、9月だもんね。この辺の9月ったら、まだ「真夏」。暑い暑い。
むつ市から上京して一番参ったのが、夏の暑さだった。昼間暑いのはまあいい。許せないのは夜も暑いということだ。これでは体がもたん!(もったけど) しかも昼間外に出ただけで、腕が汗でびっしょりになってしまう。手の指まで汗で濡れてしまうのには驚いたね。
しか〜〜〜し。
宝塚市は東京よりもっと暑かった。気温はそう変らないのかな、でも東京よりうんと暑いよね。湿度も高いし。
それで東京みたいに外に出ると腕が汗でびっしょり・・・になった後すぐ水分だけ乾くので汗の塩分だけ残って、まるで腕から塩をふいたように白くなるのにも参ったね。大阪に出ると更に暑いし。
空気の重さが違うんだよ、むつとは。なんて言うか、「殺人的」、そんな感じ。
そうそうそれでさ、朝、ご飯炊くでしょ。残るから後で食べようと思うでしょ。ずっと保温にしとくと電気が勿体無いからスイッチ切っとくでしょ。そうすると夕方にはご飯が腐っちゃうんだよ〜〜〜〜〜。東京でもそんなことにはなったことが無かったから、ホントに驚いたよ。
姑に聞いたら、「そりゃ、”保温”にしとかへんかったら、悪なるで。」とのお言葉。え〜〜〜、そうなのか〜〜〜?
あたしゃまたてっきりちょっとでも温度を下げておいた方がいいのかと思ってスイッチ切っといたんだけど。あ、それなら冷蔵庫に入れておかないとダメなのか。う〜〜〜〜〜ん、そうか〜〜〜〜。
宝塚市に引っ越して来てすぐに、「関西で生き残るための知恵」が一つついた私でした。
あ、それからこの事件で「日本酒は米から作る」事を実感しました。炊飯器を開けた瞬間、同じにおいがしたもんね。
5 「宝塚市民な顔」 99/11/11
宝塚市に引っ越してきてまだ数日しか経っていなかった頃。右と左くらいはやっと解ってきたかな、って程度の土地鑑だったのね。
いつものように駅前のジャスコに買い物に行ったわけですよ。そしたら後ろから
「あの、すんませんけど、道わからへんねん。」
と、年とったばっちゃ。いやいや、年輩の御婦人。
「!!!!!!」
こういう時は、
「すみません、私も引っ越してきたばかりで、この辺のことまだよく解らないんです。」
って言うよね、言うでしょフツー。
なのに私ときたら、
「はい、どちらまで行かれるんですか?」
ってやっちゃったんだよ〜〜〜〜。それも思いきりにっこりしてさ〜〜〜〜。そういう性格なんだってば〜〜〜。
そのばっちゃ、
「市役所やねん。」
よがっだ―――――――――――。それなら解るよ――――――――――――――。
親切に教えてさしあげて、事なきを得ましたよ。
なんかね、割としょっちゅう道を聞かれるんですよ。で、また答えられなかった事が無いときたもんだ。
よく道を聞かれるところベスト3、
第3位 「パンネル」 おいしいおいしいパン屋さん。隣の西宮市からも車で買いに来る人がいる。
第2位 市役所 たまたま近いとこに住んでるから教えてあげられる。
第1位 保健所 これも近いから案内できる。わかりにくいところにあるんだ、これが。
聞かれるのが珍しいところと言えば、
阪神競馬場 あまりにも有名な競馬場。近くと言えば近くにある。
「宝塚てくてく」 毎月一回新聞に入ってくる地元ミニコミ紙。
○○寺会館 葬儀屋さんに聞かれてびびった。
ところで、こんなにも頻繁に道を聞かれるって事は、私はどこからどう見ても地元民に見えるという事なのかなー。自分じゃ下北の顔だと思ってるんだけど。私の顔を知ってる方、どう思う?
ここ宝塚市に引っ越してきて、神棚の位置に驚いた。台所にあるんだよ。お勝手口の上とかに。
聞けば「かまどを守ってくれる神様」だという。なるほど、それなら台所にあるわけだ。
その神様をダンナとお参りしようということになった。阪急電車の「清荒神駅」で降りる。「清荒神」って一発で読めた人、宝塚市民以外で何人いるかなあ。「きよしこうじん」って読むんだよ。
長くて急な参道をえっちらおっちら登って行って、おお、見えてきましたよ、あそこがそうですか。うちのかまども守って下さいね。お賽銭、お賽銭っと。ちゃりらり〜〜〜ん。
大きな鈴をがらんがらん鳴らして、さて、おごそかに柏手をぱんぱんと・・・・・、
あれ???
・・・・・他の人、誰も柏手打ってない・・・?なんで?アタシだけ?
なーんかしっくりこないままあっちこっちの祠にお参りして、さあ帰ろうということになった。
うーーーん、関西では柏手を打たない習慣なのかしらん、ダンナに聞いても「わからへん。」って言うし、むむむ・・・・と思いながらふと見ると、
「清荒神清澄寺」
と書いてあるじゃないですか。「寺ああぁ〜〜〜〜〜!!??」
「きよしこうじんせいちょうじ」というお寺さんなんだそうですよ。そりゃあ、柏手なんか、打たんわなあ〜〜〜。
もうひとつ、怪しい所があるんです。お隣の西宮市にある「門戸厄神(もんどやくじん)」ってとこなんですけどね「厄神さん、厄神さん。」って言ってこの辺の人は厄払いやお参りに行くんですけど、どうもやっぱりお寺さんみたいなんですわ。
神社なんですか?寺なんですか?
フルネームで見ないと、わかんないんですよおおお、アタシみたいな他所者には・・・・。
うちのダンナが通っていた宝塚市立R小学校には、「購買部」があったというのだ!
ノート、鉛筆、消しゴム、上履き、体育用帽子など、およそ学校で必要な物のみならず、なんと紙せっけんまで置いてあったという。「購買部」というよりは、ほとんど「文房具屋」のノリだったらしい。(今どきのひとは「紙せっけん」てわかるのだろうか?)
私が「購買部」というものを初めて経験したのは、高校に入ってから。ドラマやマンガでみた「焼そばパン争奪戦」は、そんなには激しくなかったように思う。
入学した中学校は完全給食だったこともあって「購買部」は無かった。卒業した中学校は基本的に昼はお弁当で、でも持って来なかった子のために、あるいはパンを食べたい子のために、各クラスごとに「パンの注文(略してパン注)」があった。
しかし「購買部」と呼べる物は無かった。
現在もその小学校に「購買部」があるかどうかはわからないし、長男が通う宝塚市立S小学校には現在のところ「購買部」は無い。
だが、昭和45年〜51年頃に小学校に「購買部」が存在した。しかも紙せっけんまで置いてあったという事実は、「青森県標準=日本標準」に疑問すら抱かなかった私を、完膚なきまでに打ちのめした。
おそるべし、宝塚市。
うちからわりと近い所に宝塚大劇場や宝塚音楽学校があるんですよ。そんな関係で歌劇の団員の方や音楽学校の学生さんをよく見かけます。
学生さんはわりと早いうちから男役を目指す人、娘役を目指す人、と方向を決めるんでしょうか、制服を着ているんだけど、将来なりたい役所がハッキリ解るヘアスタイルをしてます。
ヘアスタイルと言えば、ヅカファンの皆様の中にもまるで団員そのもののようなヘアスタイルやメイクをしている方もいらっしゃるようです。ちょっと見には団員と見分けの付かない方もいらっしゃるんですよ。
ってな事を友達としゃべってたら、その友達が言いました。
「でもね、姿勢だけは違うのよね。」
確かにそうです。姿勢が全然違うんですよ。団員の皆さんや生徒さんの姿勢の良さは、ちょっとやそっとでマネできるようなもんじゃありません。背筋がピンと伸びて、「ああ、日々鍛練している人はやっぱり違うな」と思います。
・・・私はと言うと、昨日、長男の小学校の運動会でPTA競技に出て筋肉痛になり、ただでさえ悪い姿勢が更に悪くなってます。
くくぅ・・・。
さて、ふつう見知らぬ土地に引っ越した時、まず最初につっかかるのが言葉。でも関西弁は割にメジャーな方だし、ダンナの喋る言葉が解らなかった事がついぞ無かった私は、「関西弁が解らないかも」なんてことは全く考えずに”in 関西”したのだった〜。
だ〜が、しかし!
なんか違うぞ、どうも変だぞ、てことにじきに気付いた。テレビから聞こえてくる関西弁とは違う。どこがどう、とはハッキリ言えないが、とにかく違う。さらに困った事に、舅の言う事がほぼ完璧に解らん。ダンナがしゃべる関西弁とも違うし、人の顔を見ないでボソボソ話すので、多分全国共通語(以下、共通語。標準語とはいわないよっ)を話されても解らなかったとは思うが、これにはホントに参った。
そんなわけで、
舅が何か話出したら、とりあえず顔をジッと見る事にした。かろうじて解る単語と表情、語気の強弱で、なんて言ってるか読み取ろうとしたわけ。なんか、読唇術の世界よ。
そうこうしているうちに、だんだん解るようになってきた。不思議だね。今では8、9割は解るもの。田名部弁(たなぶべん、つまり、出身地の方言のこと)と共通語と関西弁を使えたら、なんか、3ヵ国語を喋ってるような感じがしてくるよ〜。