2005年 春合宿 山行記

筆者 T・K (2年生)

3月24日(木) 〈1日目〉

 新宿駅6番線、集合時間より少し遅れてスーパーあずさに乗り込んだ。
 23日からの予定だったが、天候を考慮して1日遅れの24日から今年の春合宿が始まった。特別参加する予定だったK先生が来られなくなったので、新宿に集合したNとT、八王子で合流したF先生とYの5人で茅野駅に向かった。

 茅野駅に着くと「矢島様」と書かれた旗を持って予約していたタクシーの運転手が待っていてくれていた。基本的にタクシーを事前に予約しておくのはその山行のCLなのだが、そのCLである自分の名前で予約しようとするとやたら時間がかかる。字の説明が難しいのもあるが、何より聞き取りづらいのであろう。かといって「早稲田大学高等学院です。」と予約しようとすると「長いので早稲田大学さんでよろしいですか?」となんとも誤解されやすくなりそうになる。そこで最近はY本人に了承を得て、「Y」という名前を使わせてもらっている。今度は誰の名前を使わせてもらおうか。

 40分ほどタクシーに揺られ、渋の湯に到着した。そこで早めの時間帯ではあったが、昼食を取ることになった。渋の湯の玄関先にちょうど座れる階段があったので、そこにザックを降ろし、昼食を各自取り始めた。すると外で雪かきをしていた従業員らしきおじさんが渋の湯の建物に戻ってきて、「ここは人の玄関だから座らないで」と投げ捨てるように言った。その言い方に少しムッとしたが、我々にも非があるので「あ、すいません。」と言って階段から端へと少し移動した。新宿駅で買ったとりそぼろ弁当を食べていると1台のタクシーがやってきた。親子2人が乗っており、ザックの大きさからどうやら同じ目的らしい。するとその親子も同じように階段に座り準備をし始めた。あぁ、また同じ注意されるんじゃないかなぁと内心思っていたが、後ろを向いて駅弁を食べていた。

(さて、ここからの1段落はこの山行記を書いているKの個人的感想と意見であり、学院ワンゲル部とは一切関係の無いことを明記いたします。)

 駅弁を食べていると後ろから某温泉宿Sの湯の関係者らしき人物が声をかけてきた。「階段に座らないでください。ここは人の玄関ですから。」あぁ、やはり彼らも注意されたかと思い、「はーい。」と返事をした。とばっちりを受けないようにもう少し向こうに移動したほうがいいかなと思い、振り返るとなぜか自分の方向に目を向けている。一瞬あれっと思ったが、間髪いれずに彼の言葉を浴びせられた。「うちも商売でやってますから。ね? わかる? 人の玄関に座られると迷惑なんですよ。」こんな感じの内容だったであろうか。とにかく彼の言い方と表情は自分に対して挑発的で、「客じゃないんだったら近寄るなよ。最近のガキはこれだから困るよ。」的なものだった。しかもそれはなぜか自分に向けられている。なぜ? どうして? その言葉は座っていた親子に向けられるものではないのか? それともまとめて団体とみなされていたのか?いや、たとえそうだとしてもなぜ自分とだけに目を合わせて言い放った? たしかに自分は目つきは悪いし多少誤解されることもあるが、それだけで? といろいろな考えを元にその状況を理解しようとした。 その人が建物に戻り、自分の中で結論が出されると、疑問が久々の怒りへと転換した。あまり怒りの感情を表に出さない方だが、そのときは抑えられない感情に支配されていた。いくら我々に多少非があったとしても、もう少し言い方を変えられるのではないだろうか。いくら最近の若者が非常識と言われているからといってその固定観念に縛られ、山を楽しみに来た若者のなかの個人を攻撃するとはどういうことであろうか。そして何より許せなかったのが、「うちも商売でやってますから」という発言である。確かにそのとおりだ。どこの人もどこの企業もどこの世界も商売でやっている。だが、あまりにもストレートすぎる発言ではないのか。少なくとも山小屋など、山に関わる人たちはきっと商売だけではない素敵な心を持っているものだと思っていた。だが、その人からは微塵もその心は伝わってこなかった。 そしてその怒りに拍車をかけるものを見てしまった。某温泉宿Sの湯に掲示されている文字「ザック持ち込み禁止」。……。ん? ついには登山者まで否定してしまいましたか。確かにザックを持ち込めば汚れたり邪魔になったりするだろう。だが、山のふもとにある温泉は登山者に利用されることに例外はありえない。少なくとも今まで入ってきた温泉にはその常識は通用していた。また、邪魔になるだろうと思い、着替えだけ持って入ることもあった。温泉の方々はそれでも丁寧に接してくれていた。しかし、そんな自分の中の信頼関係がその文字によって脆くも崩壊してしまったのである。できれば2度とこの某温泉宿Sの湯の地に足を踏み入れたくない。そしてそのとき、断固としてこの温泉には入るまいと強く決心したのであった。

 昼食を取り終わり、早速出発準備に入った。去年もそうだったように上下に雨具を着て、冬山用スパッツをつけた。F先生がこの日の午後に雪上訓練のためのオーバーミトンを部員に渡し、いよいよ出発。となるはずだったのだが、自分のオーバーミトンが無い。なぜか1組だけどこかへ消えており、探しても見つからないのでそのまま渋の湯を出発することとなった。

 1本目のところからすでに雪が積もっている状態だった。樹林帯ということもあり、ところどころ凍結しているところがあったが、コースタイムも順調に登って行く。割と緩やかな登りではあったが、運動不足のせいか息が荒かった。高見石を経由して黒百合ヒュッテに向かうプランもあったが雪上訓練の時間を取るため、そのまま黒百合ヒュッテへと向かった。

 黒百合ヒュッテに到着。小屋を見ると、小屋の1階部分は半分以上雪に埋もれているような状態だった。小屋の人が雪かきをした後があったが、その周りだけ壁のようになっている。その壁は雪の層になっていた。

 黒百合ヒュッテの中に入る。中は思っていたよりも広く、雰囲気的にチロリアンを和風にしたような感じだ。早速筒井が受付をする。メインザックを降ろして少し休憩をした後、雪上訓練の準備に入った。小屋の外でアイゼンを装着する。寒い。アイゼンをつけるために手袋をはずすのだが、あっという間に手の感覚が無くなる。自分のアイゼンは割合簡単に着けられるものだったので時間は余りかからなかったが、1年部員のアイゼンは着けるのがなかなか難しそうだった。

 いよいよ雪上訓練に入る。先生の後を追って小屋の前の高いピークを目指す。トラバースする形で入って行ったのだが、積雪がすごい。深い雪に簡単に足が取られてしまう。異常に体力を消耗することになった。途中、Tにいたっては、「わっ」という声に振り返ると、背の高い筒井が上半身だけになっていた。ようやくピークに着くと早速先生のデモンストレーションから始まった。

 雪山登山中に万が一滑落した場合の対処法なのであるが、やってみるとなかなか難しい。足にダメージを与えないように足を上げて滑り落ち、脇を締めて回転してピッケルを刺す。足がつりそうになるうえ、顔が雪に埋もれとても冷たい、というより痛い。だが滑るのは割合楽しかった。

 雪上訓練を終え、再び黒百合ヒュッテに戻った。雨具などを干した後、夕食の準備に入る。この日の夕食はシチュー。Tが天気図を取り、Yが米を炊いている間に、Nと二人で小屋の人に場所をお借りして下準備に入った。水もお借りすることになったが、どうやらその水は氷から溶かしたものであるようで、ドラム缶に蓄えてあったのだがとてもきれいに見えた。下準備を終え、鍋から溢れんばかりの野菜の量に多少懸念するところもあったが炒め始めた。そしていつものことではあるが、菜箸を駆使した。

 さすが食料係経験者のこともあって、二人の菜箸の使い方は呼吸が合っていた。これもある意味ワンゲルの伝統でもあるのだろう。自分もそのような使い方は自然に覚えていたし、先輩も同じように駆使していた。ある程度火が通ると水を入れて煮込み始める。そしてまたいつものことではあるが、○皿分のルーを入れる。飽和状態だ。これも伝統だろうか。記憶をさかのぼると去年の夏合宿の蓮華温泉を思い出す。きっと伝統だ。たしかにあの時はとてもおいしかった。しかしそれは一般の方に通用する手段なのであろうか。疑問が疑問を呼ぶがこのくらいにしておこう。

 シチューもご飯もとてもおいしかった。が、しかし。恐れていたことが現実となった。シチューのルーが余っている。長年ワンゲルを苦しませている事態なのだが誰かが解決しなければならない。とりあえず自分が先陣を切る。われらが救世主Tも戦いに挑んだが、すでに何回も御代りをしている。Yは残っていたご飯に挑み、すでに戦意喪失。ではNの出番だ。が、まだ1杯目も食べ終わっていない。結局長期戦にもつれ込み、何とか完全制覇した。

 就寝前のミーティングで決断が迫られた。翌日の天気が悪い。高確率で停滞をせざるを得ない状況だった。大幅な計画変更をする必要が出てきた。とりあえず明日の天気を祈りつつも暖かい布団の中で就寝した。



3月25日(金) 〈2日目〉

 「これ、まずいんじゃない?」
 ハッと目覚めると予定起床時間よりも1時間遅れていた。完全に寝坊である。慌てて食事の準備に入る。朝食はスパゲッティとインスタントスープだったので簡単に出来る。それよりも起きてからの頭痛が気になった。小屋の窓の外を見てみる。完全に悪天候だ。昨日とは明らかに違う。停滞の色が濃厚だった。

 とりあえず朝食のスパゲッティを食べ始めた。先生の話で停滞が決定した。Yが小屋の外にある温度計を確認したところ、どうやらマイナス16度あったらしい。とりあえず停滞が決定したのでゆっくりと朝食を取ることができる、と思ったのだが、いつもより増して食欲が出ない。どうやら昨晩のシチューが重たく残っているようである。TとYは早いうちに食べ終えた。問題はいつもの2人なのであるが、予想外にもNのペースがなかなかいい。負けじと食べようとするが一向に減らない。途中救世主Tにも手伝ってもらいはしたが、結局ギブアップ。Nは達成感を感じつつ食べきったようだ。ここにNの成長が窺える。結局自分の分のスパゲッティはお持ち帰りということになってしまった。

 黒百合ヒュッテに宿泊していたほかの登山者が下山していく中、ワンゲル部員は暇を持て余していた。1階部分の掃除が始まってしまったのでメインザックをすべて2階へと運び、個室を使わせてもらった。個室利用は素泊まりのほかに追加代金が必要だがはたしてよかったのだろうか。そう思いつつも小屋の人に案内されて個室にザックを置いた。ついに小屋にはワンゲルパーティーだけになり、時間との格闘に入った。

 先生が個室で休んでいるので、とりあえず2階の広間で時間を潰す。停滞を考えてトランプなどを持ってこなかった部員にとってこの長い時間は辛いものである。そうこうしているうちに重大な発見があった。なんと3階部分(屋根裏)に携帯電話の電波が入るところが存在したのだ。この発見は自分にとって大きいものだった。25日に行われるドイツW杯対イラン戦の情報が得られるからだ。この発見によってその場は結構盛り上がりはしたのだが、再び時間との戦いである。何もすることが無いので、ワンゲル部員4人でそれとなく雑談が始まった。しりとり、連想ゲーム、……。シュラフを持ち出して横になりながらの会話もなかなかいいものだ。眠気に負けないようにして雑談は続いた。

 昼食にクラッカーと6Pチーズを食べる。しかしクラッカーというものはなぜこうも水分が奪われるのであろう。改善が必要である。そのクラッカーを使って数字当てゲームなるものをやったりしていた。さすが学院生である。どんなものでも有効活用し、発展させることが出来る。F先生が起きてきて話はようやく山関係に転換した。主に新入生歓迎山行について語られたが、気が付けば思い出話になっていたりする。短い期間ではあるが一緒に登っているだけあって山行の思い出話は絶えることが無い。これも山に登るときの大きな楽しみのひとつでもある。今度は是非新入生とも思い出話が出来るようになりたいものである。

 気が付けばこの日の夕食の時間である。長かったような時間も案外経つのは早いものだ。早速準備に取り掛かるわけだが、この日はハンバーグ丼と松茸風味のお吸い物なのでやるとしたら米炊きと湯煎ぐらいだ。米はYがやるとして後は特にすることが無い。とりあえず各々が分担して持っている食料を持ってきた。そして事態が発覚した。なぜか湯煎するハンバーグが1人分足りない……。なぜ? とりあえず各自ザックの中を確認する。無い。おかしい。食料買出しの時には確かに5人分買ったはずだ。食料係のNがスーパーの棚から持ってきたし、その数を自分も確認した。会計係のT筒井が持っていたレシートを見ても確かに買っているのである。となれば話は早い。誰かが持ってき忘れたのだ。だが、誰も忘れたようではない。だいたい湯煎ハンバーグ1人分だけ忘れるというのもおかしな話だ。それ以上犯人探しをしてもいられないので4人分を5人で分けることになった。ご飯がおいしかったので良かった。漬物やふりかけもあったので何の問題もなかった。そして何よりお吸い物がおいしかった。新たに食料計画のレパートリーに追加しても良いのではないだろうか。

 この日は個室を使わせてもらって就寝した。サッカーの試合の状況が気になりはしたがどうしようもない。明日はいよいよ行動なので体をゆっくりと休めた。



3月26日(土)
 〈3日目〉

 「うわっ、まずい。」
 無いと思っていたことが起きた。30分寝坊した。さすがに2日連続はあってはならないことであった。急いで朝食の準備に入る。携帯でアラームをセッティングしていたのだが、最近買い換えたばかりなのでどうやら操作をミスしたらしかった。朝食はうどん。これも麺を茹でて、つゆを湯煎するだけである。が、またもやその事態に気づいてしまった。湯煎のつゆが1人分足りない。とにかくまた各自ザックを調べた。しかし無い。これは同一犯である確率が高い。いろいろな説が飛び交ったが、とりあえず春合宿終了後、自己申告するということになった。内心自分だったらどうしようとドキドキだったが一応念のため謝罪をしておいた。ここにKの精神的な弱さを垣間見ることができるがあえて触れないで頂きたい。

 この朝のうどんはおいしかった。朝は基本的にそんなに食べられないほうだが早々と食べ終えた。しかし、また問題が出た。窓の外を見ると、天候が昨日とほとんど変わっていない。むしろ悪化しているようだった。天気予報では寒気が抜ければ晴れるという予報だったが、とにかく予想していない事態だった。

 先生の判断で時間を置いて様子を見ることになった。赤岳鉱泉までは行かないことが前の時点で決定はしていたが、天狗岳までも登れなくなると来た意味が無くなってしまう。部員と雑談しながら天気が良くなるのを待った。

 待っている間、例の携帯の電波が入るところへ行き、サッカーの試合の結果を確認した。意気消沈した。部員に知らせはしたが、ため息しか出なかった。

 先生と出発の時間を確認して部員のところに行くと聞きたくなかった情報を聞いてしまった。それまで外で幕営していた登山者たちが悪天候の東天狗岳を登ろうとしたところ、ルートファインディングが難しく、それに視界が無くなってしまい、登頂を諦めて引き返してきたとのことだった。とりあえず先生に報告する。天狗岳に登ることがかなり難しくなった。部員と話し合いをした結果、困難ではあるがチャレンジしようという結論に達した。

 テルモスに紅茶を入れる。各自サブザックを用意し、寒さ対策に追われた。小屋の外に出る。やはり寒い。やはりマイナス16度。やはり手の感覚が無くなる。やはり初日よりも積雪量が確実に増えていた。ここからは先生がトップを行く。1年生をはさんで自分は最後尾に付いた。行動開始。雪が深い。樹林帯を行く。尾根に乗り、ワカンからアイゼンに履き替えた。ここからがものすごい。突風が吹き続ける。横殴りの細かい雪が顔に刺さる。この突風の強さは吾妻連峰を思い起こさせる。あまりにも強くて度々吹き飛ばされそうになった。それも進むにつれてさらに強くなっていく。細かい雪がさらに追い討ちをかけるように吹きつけられてくる。想像以上に痛かった。はっきり言って目も開けられないような状況だった。その中をトップの先生が淡々と進んでいく。後ろから同じようにルートファインディングをしようと思っていたが、とても出来るものではなかった。レベルが違っていた。雪に度々足を取られる。その度に体力が消耗されていった。

 岩陰で休憩を取った。座っているだけでも寒い。こういうときの紅茶はおいしい。気合いを入れなおして再び出発した。相変わらず突風が吹きつけてくる。やがて分岐らしき場所に到着。そのまま東天狗を目指す。岩場に入ると確かに危険な箇所が出てきた。前から少し危険なところがあると言われていたが、東天狗までの道程は個人的にはそうでもなかったように思われる。それよりも突風で吹きつけられる小石のような細かい雪のほうがかなり厄介だった。そんな風と格闘しながら東天狗の頂上らしきところに着いた。「よっしゃー!」歓喜の声が上がる。記念撮影をする。先生のカメラで撮った後、Nのカメラで撮ろうとした。が、写真を撮ろうとしたNがはずした手袋が突風で遥か彼方へ飛ばされてしまった。そんなことからも読者に風の強さが伝わるであろうか。

 とにかく寒いので早くも下山し始める。と、またしてもハプニングが起こった。パッと一瞬太陽が見えてあたりのガスが晴れると見てはいけないものが見えてしまった。「あぁ!あれが本当の東天狗の頂上だ!」先生の言葉に驚嘆と苦渋の声が湧いた。とにかくここまで来たら登るしかない。力を振り絞りついに本当の頂上に到着した。そして写真撮影。ようやく目標が達成された。当初の予定とはかけ離れた目標ではあったが、この悪天候の中登りきったという感動と経験はワンゲル部員だからこそ味わうことの出来る素晴らしいものであったと思う。……だが、個人的には景色が見たかった……。

 いろいろあったが足早に下山する。すると下山し始めた途端に天候が良くなり始めた。黒百合ヒュッテに戻ってきた頃には青い空が見えていた。つくづくワンゲル部員には強運の持ち主がいると思われる。キョウの字が間違っているようにも思えるがただの変換ミスだ。

 黒百合ヒュッテに入ると登山者で溢れていた。後からも続々と訪れてくる。天狗岳登山途中、ワカンからアイゼンに履き替えるときにワカンを置いたままだったので、YとTが取りに行った。その間にメインザックのパッキングを済ませ、昼食のパンを食べる。YとTが帰ってくると多少疲れた顔をしていたがそれよりも笑みがこぼれている。話を聞くとどうやら晴れていて綺麗な景色が見えたらしい。羨ましい。そしてあることに気づいてしまう。ひょっとしてキョウ運の持ち主って……。

 帰りのバスの時刻に間に合わないことがわかったので登山靴を脱いでいたNに携帯でタクシーの予約をしてもらった。もちろんあの3階部分で。そして最後に黒百合ヒュッテのお兄さんに挨拶をして黒百合ヒュッテをあとにした。ここには是非もう1度来てみたい。そしてそのころにはもう晴天である。渋の湯に向かう途中にすれ違った黒百合ヒュッテに向かう登山者たちが本当に羨ましかった。そんな気持ちもあったせいか、コースタイムよりも大幅に早くタクシーの予約をしていた渋の湯に到着した。あまりそこには戻りたくなかったのだがどうしようもない。アイゼンや雨具をしまい、N様で予約されていたタクシーに乗り込んだ。

 それにしても不完全燃焼だったような気がする。茅野駅に向かう途中、Yの元気さぶりを見てもわかる。しかし貴重な体験が出来た。そう自分で納得しながら茅野駅に着くと、この春合宿最大の事件が勃発した。

 次に茅野駅を出るスーパーあずさの時刻を見てみると発車まで数分しかなかった。慌てて特急券と乗車券を買い、重たいザックを背負ってホームに降りた。するとちょうどスーパーあずさが到着。と、自分が使っていたピッケルが無いことに気づく。切符売り場に置きっぱなしだったのだ。「わるい! 今急いで取ってくるからザック入れといて!」とっさに出た一言。その瞬間、獲物を狩る獣のように早く階段を駆け上り、駅員さんに一言言ってピッケルを取り、同じ階段を駆け下った。「ピー! カシャン!」あぁ、これほどまでに無常な機械音が今まであっただろうか。目の前の現実についていけない自分は茫然自失にならざるを得なかった。そしてホームに1人取り残されて初めて現実を知らされる。まさにパニックである。とりあえずザックを探す。無い。先輩の言ったことを忠実に守って重たいザックをわざわざ運び入れてくれていたのだ。本当にやさしい後輩達だ。だが、 このときにはそんなやさしさがうれしくもあり、悲しくもあった。Ambivalenceである。とりあえず携帯にメールをする。Yは携帯の電池がなく、Tはザックに入っていることが予想されたのでとりあえずNに連絡した。何回かやりとりをした後、終点の新宿駅にザックだけ置いてもらうことにした。それにしてもこのときに、財布と携帯があって本当に良かった。不幸中の幸いである。しかし、ニット帽をかぶってピッケルだけ片手に持ってうろたえている姿を客観的に見てみると、はっきり言って変質者にしか見えない。

 とりあえず小淵沢まで行き、40分ほど待って次のスーパーあずさに乗り込んだ。その40分間ほど孤独な時間は無かっただろう。ドキドキしながら乗っていたので安心して眠ることも出来なかった。そしてようやく新宿駅に着くと、ホームの端に置かれているザックを発見し、重たいザックを再び背負って帰宅した。

 今回の春合宿は様々な問題や事件が多かったように思われる。食料から起床時間など、これから生かしていかなければならないことが多いだろう。そして何より解散をした後も集中して帰らなければならないことを学んだ。きっと人の悪口を言うからこんなことになったのだろう。そんなことをスーパーあずさに乗っているときに悟り、怒りを抑え、いつもの冷静さを取り戻せたのかもしれない。来年は是非後輩に、夏とは一味違う冬山の素晴らしい景色を見て欲しい。


《「稜線」第27号(2005年度)所載》

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