2004年 夏合宿 山行記

筆者 T・K (2年生)


7月26日
〈1日目〉

 「おぅ、おはよう。」
 ワンダーフォーゲル部にとって最大の試練とされる夏合宿のスタートは、今年は新宿駅9番線からであった。集合場所につくと既に1年のTが到着していた。ふと考えると、夏合宿のための食料買出しのときもTが一人先に集合場所で待っており、最初に挨拶をしたことを思い出す。次に姿を現したのはA先生だった。後々詳しく教えて下さったことだが、先生は合宿のつい先日まで渡米しており、まだ多少時差ぼけが残っているとのことだった。

 F先生と1年のYは後から乗車することになっていたので、二人以外の部員と先生は特に問題もなく新宿を発つことができた。F先生とYも無事後から乗車し、それぞれ持参した昼食を食べながら数時間、しばらく見ることもなくなるであろう箱型の文明機械に揺られていた。

 そんな中、こんな退屈と感じられる時間の中でもいろいろなことが自分の頭の中で交錯していた。この夏合宿が終わればほぼ100パーセント次期主将になることが決定してしまう。果たして自分なんかがそんな役目を担うことができるのかと悩んだり、素直に1年の最初に辞めておけば良かったのではと自暴自棄になってみたり、少なくとも自分より多く登山を経験しているYやTに任せたほうが良いのではないかとまで考えたりしていた。が、ふと現実に戻り、これから夏合宿に入ることを考える。するとまた頭の中で消極的な考えや想像が膨張していく。夏合宿に入る前、「せいぜい死なないようにね」「もしかしたらこの会話が人生最後かも」「遭難するなよ」と言いたい放題言われたことを思い出し、多少薄らと怒りを覚えながらも、やがて色濃く不安になっていったことを、期待に胸躍らせているであろう1年生に言えるわけでもなく、ましてやこの山行を最後に引退する3年生に伝えるのは失礼に当たることかもしれなかった。もちろんその不安とは遭難したり滑落したりすることではなく、体力がもつかどうかということである。そして、もしかしたらこのとき、頭なのか心なのかはわからないが、同学年に部員がいない寂しさに襲われていたのかもしれなかった。といってももちろん、矢島、筒井、野田と同じ学年になる方法がないとはいっていないが……。

 南小谷で乗り換え、平岩に向かい、そこからバスで蓮華温泉へと向かった。ここのバスに多少疑問を持ったのは自分だけかもしれないが、今でも腑に落ちないことがある。電車とバスの到着と発車時刻が合わないのでバスに待ってもらっていたのだが、バス側の人たちの慣れた手つきを見ると、このようなことは頻繁にあるように見てとれたのである。ではなぜバスの時刻表を変更や修正をしないのだろうとあれこれ考えながら同じ平岩で乗車したおばさんたちと一緒に蓮華温泉に向かった。

 蓮華温泉に到着。蓮華の森キャンプ場に向かい幕営をした。前回の6月山行は時間がなく、そのときの幕営が初めてであろうK・Nにいろいろと説明をできなかったこともあり、夏合宿では、K・Nを始め、1年生全員がしっかりとテントを張れるようになってくれるよう願っていた。

 テントを張り終わると、「それじゃ、温泉行こう。」とI先輩がすばやく準備をし終えて待っていた。それにしても、温泉に入るときほど先輩が輝いていることはない。少ない期間ではあるが一緒に登山をしていてつくづく思う。きっと1年生もそう思っていたのではないだろうか。もちろん、自分も人のことを言えないということは言うまでもない。3年生の二人は先に温泉に行き、あとから1年生がついていった。そして1年生と露天風呂に入りに小屋の後ろの樹林帯に入っていく。予想以上に登った。ようやくそれらしい所に着くと、果たしてそれは浴槽だと言えるのか疑問を抱いてしまうような小さな空間に、全裸になってつかっている二人組が見えた。「これ温泉ですか?」とふと聞いてしまうほどだった。白濁したぬるま湯に白い異物がぷかぷかと浮かんでいる。もう少し自分に表現力があれば適切に当時の状況を説明できたとは思うがこれくらいにしておこう。やがてもう少し登ったところにそれらしいものが現れた。だが、割と混んでいたのでもう少し上へ向かってみた。既に自分はバテバテであったが、上に登りきる前に上のほうから両手を使って×サインを出している矢島の姿が見えた。「どうした?」と聞いてもはっきりとした返事は返ってこない。やがてK・NとYが帰ってくると、「ハーレムになっていました。」とYから一言。「っあ〜はいはい。」と納得。上階は経験が豊かすぎて多少おしゃべりになったお姉さま方の楽園と化していたようだ。YとK・Nの心中を察すると胸が痛い。結局、Tを除いた部員全員で下の温泉に入る。気持ちは良かったがやはり少し恥ずかしい。やがて一緒に入っていたおじさんが「黄金の湯近くだから行ってきたら?」と助言してくれた。ここまで来たらとトランクス一枚で豪快に駆け下る。しかし思ったより近くにないので、「おじさんに騙された?」という発言も飛び交ったが、無事発見。「うぉ〜ここ最高」などといいながら、温泉を満喫した。

 テント場に帰ると早速夕食の準備に取りかかった。この日の夕食はカレー。ワンゲル定番メニューだが、それはおいしく作り甲斐があるという証拠でもあるだろう。この日は晴れていたので外で調理をした。料理を作るときは大体、飯炊き班とおかず班に分かれる。自分は知らないうちに飯炊き当番になっていたが、今思うと去年の夏合宿で米と格闘したからこそ今飯炊き当番になっていることに気づく。そう考えると次期飯炊き当番内定であるYにもこの夏合宿で頑張って欲しいと自ずと考えていた。飯炊きとカレーに分かれてはいたが、実際飯炊きといっても大体をYにまかせていたのでどちらかと言うとカレーを手伝っていた。今回は、次の日のカレーうどんにもルーを使用するということもあり、多めに作っていた。しかし、それにしてもルーの素が多かったような気がする。ほとんど飽和状態であった。「完全に飽和状態だよね」などとTと話しながら完成。そして、Yと一緒にそわそわしながら先生の食器にご飯をよそる。後々コメントをもらうと特に問題もなかったようなので一安心した。それにしてもこの日のカレーはおいしく感じた。なんといってもK・Nが炒めて持ってきた豚肉がおいしかった。

 先輩がとった天気図によると台風が接近しているとのことだった。不安になりつつも初日は特に問題もなく就寝の時間を迎えることができた。



7月27日
〈2日目〉

 アラームで起床。眠い。寒い。食欲が出ない。やはり、日ごろの生活を正していないと山での生活についていくことは非常に厳しいものだと改めて感じた。この日の朝はカレーうどんなので、前日のカレーを温め、うどんを茹でるだけで済んだ。

 「頂きます」と、頭で考えるまでもなく体から勝手に発せられたこの言葉は、とても重いものである。他の部員が黙々と食べる中、自分は毎度のことながらペースが遅い。しかし、朝食は登山にとって大事なエネルギー源となるのでしっかりと摂っていなければならない。なんとか食べ終わると他の部員は食器を片付け始めていた。1年生もしっかり朝食を食べきっていた。特にTはよく食べてくれる。これからもワンゲルにとってとても重宝される存在となるだろう。1年生が食べ終わっていて少し情けない気持ちになりかけたそのとき、大きな存在が目に映った。K・Nがまだ食べている。だれもホッとしたとは言わないが、なぜか親近感が沸いた。

 テント撤収を終え、個人のパッキングに入る。そして気付く。ザックが重い。そのうえ自分のザックはパーティーで一位、二位を争う重さに達していた。個人用マット、シュラフカバー、サンダル、行動食とあまりにも個装が充実していたので無理もなかった。しかし、安定した睡眠と一人はぐれたときのことを考えると、自分自身をなだめることしか出来なかったのかも知れない。きっと先輩たちもそう思っていたのではないだろうか。だが、割合軽めの1年生のザックの重さを手で確かめたときは、多少自分の欲を恨んだ。

 そして夏合宿最初の歩行が始まった。
 1本目で既にバテる。だが、ここで弱音を吐いていたらこの地獄になるであろう夏合宿についていけなくなってしまう。この日のメインザック行動は白馬大地まで。途中の天狗ノ庭でこれから見ることになる絶景を予感させるような景色を眺める。もう少しで目的地に着く、そんな思いが頭の中を駆け巡るがその前にドッと疲れが押し寄せてくる。そんななかちょっとした出来事があった。「K・N、朝結局食べられた?」A先生のこのような感じの何気ない言葉から事実が発覚した。K・Nがしっかり朝のカレーうどんを持ち歩いていたのだった。「小屋で捨ててくればよかったのに」と、こんな発言も多々あったが、朝、自分がK・Nに「残すんだったら基本的には持ちかえらないといけないからね〜」と言っていたことを思い出し、もしやそれがこの事態を生んだのではと思うと、説明の仕方が悪かったと反省する気持ちよりも、素直に持ち歩こうしたK・Nの行動をうれしく思う気持ちのほうが強かったのかもしれない。

 そんな出来事がありながら途中事故もなく白馬大地に到着することができた。ちょうど森林限界を越えた辺りだったので視界がとても広く、太陽の光に照らされてきらきら光る湖がとても綺麗だった。テントを張り、この日の昼食であるホットドックとコーンスープを平らげ、その後のピストンに備えて休憩を取る。

 ピストンの目的地である天狗原は、岩場を登った先にある。荷物が軽いということもあり、先ほどまで疲れていたパーティーも足早に岩場を登っていく。というより結構なスピードだった。荷物を背負ったおじさんおばさんをスイスイ追い抜き、あっという間に頂上付近に来ていた。しかし、F先生が見当たらないのでもう少し先へと進む。するとそこには雪渓が広がっていた。F先生の呼ぶ声に気付き、下まで降りてみる。雪渓の向こう側には、中学生らしき団体が集まっていた。雪渓の中にある岩場で休憩を取った。4日目の朝日岳を登る際に雪渓を通る可能性があったので、ここの雪渓を使って練習をすることになった。雪の感触を思い出し、それと同時に春合宿のことも思い出した。一通り練習を終えると、一休みした後に再び白馬大地へ下山した。 

 帰ってくると、夕食の準備に取り掛かるまでに時間の余裕がいまだにあった。部員は湖の近くでゆっくりと休憩を取る。少し肌寒い。トラバースやピストン、ダミーや歩行時間のことなどを詳しく先輩から教わった。
 15時30分ごろ夕食の準備に取り掛かる。この日は炊き込みご飯と味噌汁、そして次の日の朝の分の飯を一緒に炊く。Yが次の日の分である米を炊き、自分は炊き込みご飯を担当することになった。それにしても炊き込みご飯というものは失敗する可能性が極めて高い。内心緊張していたが、今までの自分と炊き込みご飯との歴史を振り返ると仕方がない気もする。なるべく焦がさないよう慎重に火にかけていた、と説明するとそれなりにやってそうだが、実際はびびっているだけだった。Yのことはそっちのけで集中した。味噌汁も出来上がり、夕食を食べ始める。問題の炊き込みご飯を炊いたコッヘルの底は見事に焦げていた。もちろん落胆したが、その前にコッヘル持ちのTに申し訳ないことをしたという気持ちのほうが強かった。だが、T・N先輩を中心として作られた味噌汁がおいしかったのでそれが何よりの救いだったと思う。

 最初の本格的な歩行で疲れはしたが特に調子が悪そうな部員は出ていない。まだ外は充分明るいが、夏合宿2回目の夜を迎える。



7月28日
〈3日目〉

 2時30分起床。あまり寝た気がしない。どちらかというと寝たというよりも休憩したといった感じであった。とにかく朝は忙しいので早々とシュラフをたたみ始める。部員全員で中心にスペースを空け、ガス、ヘッド、コッヘルを用意して水を沸騰させる。よく考えると、朝起きてすぐにあたふたと作業をすることは下界ではそうないことだとわかる。もちろんこの合宿で慣れてきている1年生は頼もしいが、さすがに山を多く登っているだけあって先輩たちは行動が速い。普段ボーっとしていることが多い自分はあまり朝の行動が得意ではないことをしみじみ感じる。では、F先生はどうかというとこれまたすごい。春合宿で見せた転換の速さには驚いた。朝、起床時間をオーバーしてしまったとき、シュラフをすばやく隅に押しのけ、部員に指示して中心にスペースを空けてガスを点けた。雪が降っているのでテントを暖めるためにも早く点ける訳だが、自分はそのスピードにはついていけない。朝はのんびりするのが性に合っている。
 沸騰した水に照り焼きチキンのパックを入れる。前日Yが炊いたご飯に照り焼きチキンをのせて鳥の照り焼き丼にして食べた。

 撤収を終えて白馬大地のテント場を発つ。約40分後、この夏合宿最初の日の出を眺めることができた。徐々に照らされていく湖がとても綺麗だった。森林限界を越えていたこともあり、前日とは違って小石が敷き詰められている登山道であった。ある程度登ると尾根に乗り、左右どちらも景色が広がるようになった。少し風があったので体がザックごと揺られることもあったが、ダミーを乗り越えて小蓮華山山頂に到着した。やはり夏合宿の山々の景色は一段と厳かに見えてしまう。1年生は今まで登る山々ほとんどで雨に遭っていることもあり、ようやくまともな景色を見ることができたのではないだろうか。「写真持ってくればよかったぁ〜」と、ひとり後悔していた。

 小蓮華山を出発し、いよいよ白馬岳を目指す。しかしここからが辛かった。
 日差しが強くなってきたので、白馬岳のふもとの辺りで帽子を全員被る。ここで、誰かのサングラスが道に落ちていたのだが、そのサングラスがどうなったかはワンゲル部員の誰もがわからない。日差しが強くなってくると、登山道の傾斜も急になってきた。息を荒くしながら一歩一歩登っていく。かなりバテていた。もう駄目だと思っていると、小学生の男の子がすいすいと上から下りてくるのが目に入った。自然と力が出る。というよりあんな小さい子が登山をしているのを見ると、力を出し切るほかない。降りてくる中高年の登山者にも声をかけてもらい、上から下りてくる中学生らしき団体を見送りながら、ほぼ気合で登りきって白馬岳山頂に到着した。

 白馬岳山頂でこの日の昼食をとる。コンビーフとマヨネーズをパンにはさんで食べた。そしてなにより重かったであろう果物缶が使われた。果物缶は重いのが最大の難点ではあるが、疲れているときに食べるとこれがとてもおいしく感じられる。景色は素晴らしいものだったと思う。絶壁を写真に収める登山者もいれば、高山植物を撮っている登山者もいた。何より心配していた天気も良く、景色を遮るものも無かった。このときまた写真を持ってこなかったことを後悔したが、1年の野田にこの景色をしっかり撮ってもらえればそれでいいと自分をごまかして納得した。

 しばらく休憩を取った後、下に見える山荘へ降りていった。それにしても大きかった。やはり多くの登山者がこの白馬岳に来るのだろう。外観もしっかりしているように見えた。だが、もちろんここに泊まれるわけはない。先に進むと、なんとも表現しがたいトイレの独特の臭いが漂うテント場に到着した。なるべくトイレから離れた場所にテントを張る。
 張り終えると、疲れていたが早速ピストンに行くことになった。問題は杓子岳に行った後、その先の鑓ヶ岳にも登るかどうかということだった。結局、杓子岳に登ってから考えることになった。サブザック背負って最初は一気に下っていく。下っているときは余裕を感じていたが、いよいよ登りに入るとさすがにペースが落ちた。杓子岳の登りは急で、しかも石と砂利が敷き詰められており、足場がしっかりしていなかった。登ろうとしてもなかなか前に進まない。もちろん疲れていた。やっとの思いで杓子岳頂上に着く。鑓ヶ岳には行かない、というより行けないという自然の流れになっていた。記念写真を撮り、再びテント場へ向かう。途中、雨に降られそうになったが、大怪我することなくテント場に着いた。

 休憩をした後、夕食の準備に入る。この日はご飯と味噌汁だけだったので、飯をYに炊いてもらい、残りの部員は味噌汁を作っていた。この夏合宿で持ってきた味噌はチューブ型になっており、味噌を出しやすかったのは良かったが、その出方がなんとも言えなかった。その出方で意味なく盛り上がっていた。
 また、F先生にテント場の周りに生息している高山植物の名前や特徴を教わった。似たような名前の花もあれば、形の似たものも多かった。思えば、登山に行くと山の景色しか見ないが、こんな小さな所から山を楽しめることを知ることができた。だが、それと同時になかなか名前を覚えられないことも分かった。
 ご飯も炊き終わり、ふりかけと味噌汁と一緒に食べる。自分は疲れているせいかあまり食欲が出ず、それでもいつものことだと思っていたが、久々に強烈な頭痛に襲われて体調の変化に気づいた。寝る前にF先生から薬を頂き、早めに寝ることにした。もちろん、他の部員は明日の行程についてじっくりと話し合っていた。自分も参加したかったが、体調を考えてシュラフのなかに入った。
 「明日はこの夏合宿で一番きつい歩行になる。」ミーティングの話を思い出しながら眠りについた。


筆者 K・I (3年生)


7月29日 〈4日目〉

 起床時間が30分ずつ早くなっている。この日の起床は2時。まだ暗く、他のテントが寝静まっている中騒がしく撤収・水汲みを済ませ、再び白馬岳に向かい出発。
 山頂にはかなりの数の人がいた。時間的にはまだありそうなのだが今にも出てきそうな様子なのでここで御来光を待つ。待つ。結局始めの予想通りの時間に昇ってきた。しかしそれだけ待ったに値する眺めであった。これだけ人が多いのも無理はない。振り返れば剣岳が朝日に赤く染まっている。いつか登りたい。

 三国境から北に進むと途端に緑が増え、気持ちの良い道となる。進むにつれ大きくなる雪倉岳の登りも4日目で荷物の軽かったこともあるがあっけなく終わり、頂上に到着。天気に恵まれており眺めは素晴らしい。やや霞んでおり日本海は見えなかったが米山らしきものが遥か遠くに見える。頂上に眼鏡を忘れた者が出たので取りに戻り再び出発。早く気付いて良かった。
 池や雪渓を見下ろしながらの下りが続き、燕岩の手前で昼食。その後も湿原や池塘等、良い風景の中の道を行く。
 水平道の分岐でトランシーバーの電池を取り替え、それが先生のザックに入っていないことに誰も気付かず出発。登降の多いことで有名な道だ。K・Nが落ちた。先生と引っ張り上げようとするが荷物を背負った人間は重い。自分まで引きずり落とされそうになる。T・Nを加え3人がかりで引っ張り上げ何とか助かったがK・Nは足場が無く宙吊りの状態だったという。助かってよかった。その後の水平道は花が咲き、雪渓がありと良い道だったのだが後半になるとさすがに疲れてきて風景を眺める余裕が無くなってしまったのは残念であった。

 漸く朝日小屋が見えてくるが見えてからが長いのがこの山域の常識。全員よろよろになって小屋に辿りついた。が、ここは湿原・小川・雪渓と非常に良いテント場だった。水を好きなだけ飲めるのがうれしい。



7月30日 〈5日目〉

 30分ずつ早まり今日は1時半、とはならずに3時起床となり一安心。それでもまだ暗い中での登りで、富山の町の灯りが見下ろせた。朝日岳に着いた時は日も登り、最後の展望を楽しんだ。今年は天気に恵まれ、皆の顔も赤い。富山県と別れ新潟に下りるとぬかるんだ滑りやすい道が続き、転ぶ者も出てくる。山の上とは思えない湿原の広がる五輪高原を過ぎると歩き易くなり、白高地沢に到着。

 昼食をとり出発すると轟音と共にヘリコプターが間近を飛んでいった。後で分かった事だが蓮華温泉付近で親子連れが行方不明になったらしい。この山行記を書いている8月10日になっても見つかったとの知らせは聞いておらず、気になる。白高地沢からはしばらく樹林の中の道を歩き、立派な橋で瀬戸川を渡る。ここから最後の登りが始まる。最終日、間もなく下界という所でこの登りはひどい。突然樹林が切れ、青空とお花畑が広がった。ここが兵馬ノ平で見上げれば雪倉岳も見える。風景は素晴らしいのだが暑い。日差しを遮るものが無い。再び樹林の中の道に入る。緩やかになったとはいえなおも登りが続き、再び樹林が切れた11:40、見覚えのあるキャンプ場の建物が目に入った。

 その後A先生は一本前のバスで帰られ、他の者は温泉へ。湯船から見た朝日岳は良かった。

 今年は例年より1日短かったが、意外に疲れた。僅か2人の3年生で仕切っていくのは去年、一昨年と全く違い疲れる。これからは上級生がK1人という異常な事態となるが1年生も上級生に任せきりでなく仲良く協力していってくれればと思う。


《「稜線」第26号(2004年度)所載》

▲2004年度の山行一覧に戻る▲

▲以前の山行・目次に戻る▲

■ワンゲル・トップページに戻る■