2004年 春合宿 山行記

筆者 T・K (2年生)


 
「この雨だと向こうは大雪だろうね。」
 山行予定日3月21日(日)の前日、部員で食料の買出しを済ませて帰宅後、ザックのパッキングの最中に先生から延期の知らせが来た。
 全員の都合が合う4月3日(土)から、予備日を含めて4月6日(火)までという日程になった。


4月3日
〈1日目〉

 
集合場所である立川駅に集合時間通りに着こうと西荻窪駅にいた自分は、まさに切符を買おうとしているときであった。
 「ごめん。少し遅れる。」
 今回チーフリーダーを務めるN先輩からの電話は、立川駅までの間、眠気と不安でほどほどの緊張感を与えてくれた。

 立川駅には、I先輩、T君がすでに着いており、時間になるとW先輩も到着した。I先輩には電話の内容を伝えていたが、不安は重いザックと一緒に電車に乗り込むいつもの先輩の姿を見て、解消された。

 何事もなく韮崎に着いた部員たちは、先生と合流し、手配していたジャンボタクシーに乗り込んだ。この日は天気に恵まれ、今日にも瑞牆山に登ろうと話をしながらタクシーに揺られていた。

 瑞牆山荘に着き昼食をとる。準備体操を済ませ、確実に夏合宿のときよりも重みが増し、パンパンに膨れているザックを背負う。ここから1本で富士見平小屋を目指す。久しぶりに山に入るだけあって最初から息が切れていた。いや、それだけが原因ではないだろう。やはりザックが重いのである。今回の春合宿は主に富士見平小屋を拠点に、サブザック行動が中心になっている計画であった。今思えばそれだけでありがたいことだと感謝したい。しかし、1年の3学期に入部し、最初に行った山行が春合宿であったというW先輩が言うには、そのときはすべてメインザック行動だったということだ。まさに超人である。そう思い返しながら、途中垣間見ることができた瑞牆山に感銘を受ける。

 そんなことを考えつつ無意識のうちに富士見平小屋に到着する。そしてすぐに水場が凍っていないか確認をしに行った。良かったことに、透き通ってきれいな冷たい水が流れてくれていた。だがここで、安心感と脱力感というアンビバレンツ(現代文で習いました)な状態になっていたのは僕だけだろう。というのは、今回の春合宿に食料係であるK先輩が都合で来られなくなってしまったことに理由がある。ミーティングで誰が食料計画をするかということで、自分がすることになり、しかも水をなるべく使わないような献立をつくるようにとのことだったのだ。それから、家族の意見を総導入して計画したのだが、水場が凍っていなかったので水の心配がなくなったのである。

 先生に水場が使えることを報告した後、サブザックと必要なものを準備し、天気は良かったが雪が残っているかもしれないという判断でアイゼンとピッケルも用意した。

 次の日の天気が良くなさそうだという情報を元にこの日のうちに瑞牆山に登ることになった。登り始めて7、8分後に突然「コーン、コーン」という高い音が静かな登山道の中に鳴り響いた。その音に後列にいた部員たちと先生は気づき、「動物かな?」と部員同士はなしていたところ、「実は、雪山で遭難した女の人の霊だったりして(笑)」と、先生が冗談で言っていたりした。どうやら登山道の端に立っている木々が音を出していたらしいが、新2年生の2人は先生の発言に半笑いしながら冗談でもそんなこと言わないでくださいと思ったであろう。そしてそれからすぐに日陰に入り、地面が凍結している部分が出始めた。ついに、人生初めて装着するアイゼンの登場である。全員装着し終わり、1人だけ少し興奮しながら再出発した。そして、すぐにアイゼンという自分にとって未知数の雪山装備に感動した。登山道がいくら凍結していても、まったく滑らないのである。夏山でもコンスタントにこけている自分にとって感動するのにも無理はなかった。しかしそんな中、反対側から来る中年のおばさん方や、年配の方と一緒に登ってくる、見た目小学生の方々がアイゼンを使うことなく登っているのを見て気になったりもしたが、「きっと雪山のプロフェッショナルなんだよ。」などと自分から発言し、自分にもそう言い聞かせたりした。

 途中沢を通るなどして、出発から2時間ほどで瑞牆山山頂に到着した。大きな岩がごろごろとあり、断崖絶壁だった。天気が良かったので、計画にも入っている金峰山も眺めることができた。しかし、八ヶ岳まで見えなかったことは残念であった。早稲田の校旗を掲げながらの写真撮影に盛り上がりつつ、再び富士見平小屋を目指し下山した。

 途中先生が両足をくじいてI先輩と遅れて小屋に到着することになった。他のメンバーは先に小屋へ戻り、気象、テント組み立てに分かれ作業に当たっていた。無事に計画通り1日目の過程を終了したかに見えたが、今思えば先生が両足首とも捻挫をするという普段では考えられない事態に部員は気づかなければならなかったのであろう。

 この日の夕食は焼きそば。「おい、麺固まってるよ!」「おいおい、焦げてるにおいがするぞ!」悪戦苦闘はしたが、食べることができたのでひとまず安心した。
 ミーティングで気象係から、明日は雨か雪かもしれないとの情報が伝えられた。「停滞」という2文字が部員の頭に広がる中、21時に就寝した。




4月4日
〈2日目〉

 気象係、ラジオの天気予報はずばり的中していた。5時に起床し、窓の外を見ると一面銀世界へと姿を変えていた。大粒の雪がいまだ斜めに降り注いでいる。先生の判断でこの日1日は停滞することに決定した。とにかく寒い。テントの中で6人、ホットドッグを食べながらガスを空焚きして暖まっていた。

 しかし、なぜこうも時間の流れとはゆっくりと流れるものなのだろう。こんなことを感じてしまうのは受験勉強中には考えられないことであり、日々の日常でもそこまで感じることはないだろう。食事も落ち着いてだいたい午前6時前後。就寝までの時間を考えるととてつもなく途方にくれてしまいそうなのであえて考えないようにしている自分がいた。とにかく時間を潰そうと部員と先生とで話をし続けていた。ここで話されていた話、もしくは前日の就寝までの時間に話されていた内容は、決して外部に漏れてはならない。この日、降り積もっていく雪によって、白く覆いかぶさられていった山々のように、このとき話された内容もワンゲル部員1人ひとりによって覆いかぶさられていくことだろう。

 といっても、さすがに話のネタも尽きてくる。そこで一応体を動かしておこうと、雪が小降りになったところを見計らって軽く雪の感触を確かめた。昼食に菓子パンと温かい紅茶を頂き、先生と相談をして金峰山へ続く登山道の途中までラッセルをしに行くことになった。

 雪が積もっていることを想定し、今回はワカンを装着して行くことになった。正午を過ぎたあたりから準備をし、出発した。
 いざ登り始めると予想していたよりも雪が少なかった。もちろん森林限界を突破したらそれなりに積もっているだろうが、大日小屋までの道のりは石が多く、日陰に入ると雪の下が凍結している箇所がいくつもあった。
 そんな情報を富士見平小屋へ持ち帰り、再びテントで暖まった。

 そして、この日の夕食は炊き込みご飯とさんま缶である。このとき、食料係の仕事を担った自分が、この春合宿で1番反省しなければならない事件が勃発する。

 「じゃあ、そろそろ飯を炊こう。」N先輩に言われ、いつも通りに、触っただけで凍ってしまいそうな冷たい水で米をといだ。炊き込みご飯の素を、といだ米の入っているコッヘルに入れ、炊き始める。今思えば、このときに気づいていれば……と後悔するしかない。それからいつも通りに米を炊き終え、ついに用意ができた。部員と先生が食べ始める。

 「これ炊いたの誰?」と先生から一言。もうすでにお察ししていただけたと思うが、あえて述べよう。この一言があるということは、かなり上手に炊けてお褒めのお言葉を頂くか、 ……、ということである。そう、後者である。

 炊き込みご飯の素の分の水の量を計算に入れていなかったのであった。おかげで、ものの見事に芯が残った。I先輩から、「世界では食べ物で困っている人たちがいるから……。」W先輩から、「俺はこんな感じのほうがいいけどね。」とほかにもいろいろとフォローして頂きました。本当に申し訳ございません。そのとき、土下座して謝りたい気持ちでいっぱいでしたが、今でも深く深く反省しております。

 肩身の狭い思いをしながらも、うまくいけば明日にも下山できる可能性があったので、荷物の整理をした。この日は20時に就寝。次の日はいよいよ金峰山に入る。



4月5日
〈3日目〉

 この日は朝から反省していた。前の日の夜、炊き込みご飯を多めに炊いて、次の朝に焼きおにぎりにするという食料計画をしていた。まさに、不幸中の不幸である。焼いたはずなのに冷えきっていて、なお、ぼろぼろと崩れる。これも、前の日におにぎりの形を作った自分に責任があるのは明らかだった。「自責の念で押しつぶされる」、まさにこの言葉が型にはまる。

 6時30分ごろに富士見平小屋を発つ。雪はやはり前日よりも積もっていた。頂上付近は結構積もっているだろうと思いながら慣れないアイゼンの感触を確かめ登る。10分後、少し異変があった。先生のアイゼンが外れたのである。このとき、まさに先生とアイゼンとの終わりの見えない長い戦いが始まるのであった。

 先生がアイゼンを着け直し、パーティーは再出発する。しかし、すぐにパーティーは止まることになった。すでに先生のアイゼンは外れていたのだった。そしてまた着け直す。景色が眺望できるところで休憩を挟んだ。先生の足に目をやる。またもや外れていた。つけ方を変え、しっかりと固定する。しかしここで、アイゼンに関してよりも、聞いたことのない言葉が先生の口からこぼれ不安を覚えた。「今日はめちゃめちゃ調子が悪い」と一言。本当に今まで一度も聞いたことが無かった。だがここで、部員たちは先生の容態を軽く見ていたのかもしれない。今まで山を登ってきて、調子の悪そうな先生を見たことがなかったからだ。先生の容態よりも先生のアイゼンを気にしていた自分は、またここで反省しなければならない。

 それからも先生のアイゼンは外れ続けた。そして、ここから先生は超人技を見せつける。なんとアイゼン装着を諦め、ノーマル状態で凍結している登山道を歩き始めたのである。どう考えたって登れないだろうと心の中で思っていたが、多少滑りながらもピッケルを上手に使いこなし先頭についていっていた。休憩の後からセカンドに入っていた先生を真後ろで見ていた自分がつくづく思う。おかしい。普通は登れないはずだ。上に行くにつれ両手を使わなければ登れないような急な斜面にも入ったが、それでもついていけていた。もちろん凍結もしていてよく滑る。ベテランの域に入るとこうなるものなのであろうか。そうならばその方々に言いたい、「……参りました……」と。

 大日岩に着き、ここで休憩を取った。まだ頂上でこそなかったが、白く染まった山々を拝見できた。そしてここから再度、先生はアイゼンに勝負を挑む。

 そこからは、比較的樹林帯が多かった。日光もあまり入らないうえ、少し風も出始めていた。鼻水が出る。雪で濡れた手袋は、表面がカチカチに凍っていた。手がうまく握れないのである。強く握り締めると、バリバリと音を立てながら氷にひびが入った。途中で飲んだ温かい紅茶が体に染み込んでいった。しかし、暖かさもつかの間、再び寒さに襲われる。パンを食べ、行動食も食べつつ、頂上を目指した。

 ようやく樹林帯を抜けると、そこには絶景が広がっていた。しばらく景色を見られずにいたので、その感動もひとしおだった。天気も良く、何もない青い空に太陽がいつにも増して光り輝いていた。すぐにでも頂上に着きたい気持ちであったが、山頂付近、森林限界ということもあり、一層雪が積もっていた。しかし自分たちのパーティー以外は誰も雪が降ってからは登っていないので、自然そのままのきれいな雪山の景色が待っていた。

 だが、やはり足は重くなる。とくに先頭を行っていたN先輩はかなり体力を奪われていたのではないだろうか。雪山でしか経験できない「ラッセル」をそのときまさに実践していたのである。さすがにペースも落ち、2番手である自分が先頭に立ち、ラッセルというものにチャレンジした。本当に疲れる。このとき、ズボズボと深い雪に足をとられながら思った。きっと雪山で遭難するのは、このラッセルをすることによって極端に体力を消耗し、寒さに負けて停滞をせざるを得なくなってしまうのだろうと。あっけなく自分はバテバテになり、さっとT君と交代してもらった。

 「頂上に着いたら誰か1人迎えに来てくれ。」
 そう先生が後ろで言葉を残し、部員たちは金峰山山頂へ登りつめた。

 ザックを置き、手袋を外し、ピッケルを雪に刺し、山頂から思う存分に春の雪山の景色を満喫した。ここでは、瑞牆山からでは見ることができなかった八ヶ岳がはっきりと見ることができた。またその反対側には、太陽に照らされるようにずっしりと大きな富士山を眺めることができた。夏の北アルプスもすばらしいが、この季節にしか見られない、空気の透き通っている、景色の透き通っている雪山も絶対に負けはしないだろう。

 後から、先生を迎えに行ったW先輩と先生が着いた。
 するとすぐに先生は座れそうなところを見つけ腰を下ろしてしまった。
 「何かすることがあるんじゃないか。」
 そう先生は一言言った。そしてとっさに、「タクシーを呼ぶ」と口から言葉が出た。
 「ちがう。」一瞬緊張が走ったが、つぎに先生の重い口が開かれ、部員は全員理解した。
 「さっきから容態が悪いんだから、チーフかサブが何か聞くはずでしょ。」
 先生は、気分は最悪だと言っていた。しかも頂上付近で部員の助けを必要としていたのだ。ただ事ではない。しかし、頂上に着いて浮かれていた自分はそのことに気づくことができなかった。それから先生から話があった。大学のとき以来に調子が悪いこと、めまいがしていること、足に力が入らないこと。まさにだれが考えても絶不調な状態だった。

 とにかく今日中に下りるのか、余裕を持って明日下山するのか判断が必要だったが、先生の容態を見ると富士見平小屋までもつかも分からない。ここは、先生のペースに合わせてゆっくりと下山することになった。

 それからも不運は続いた。今まで戦っていた先生のアイゼンだったが、ものの見事に使い物にならない。着け直しても着け直してもすぐに外れる。ついには外れた状態でそのまま下山し始めた。やはり滑る。アイゼンをつけている自分も滑った。だが、何とか持ちこたえ、先生は途中倒れることなく富士見平小屋に到着した。そして、ここからさらに下りるか、もう1泊するか判断しなければならなかった。だが、先生の容態は良くなっていない。もう1泊することで決定した。

 小屋に入り、I先輩がタクシーの予約をした。それから荷物の整理をした。
 早めにこの日の夕食の準備をW先輩と開始する。ちなみに献立は、ワンダーフォーゲル部前代未聞のお好み焼きである。水を使わない料理として考えた案であったが、ここにきてまたもや難関である。はたしてコッヘルで焼くことなど出来るのであろうか。不安を残しつつも、W先輩とキャベツの千切りをしていた。

 下準備を終え、ついに焼き始める。
 「おお、お好み焼きのにおいがする。」「できそうじゃん。」「あれ、でも下にくっついてるぞ。」「おい、なんか焦げ臭いぞ。」「やべ、ひっくりかえんねぇ。」
 記念すべき第1号、見事に失敗。
 ここは挑戦あるのみ、と再び挑戦。
 「今度は水増やしたからうまくいきそう。」「あれ、でもまたくっついてる。」「はやくはやく、油、油。」「なんかあまり鍋の中を見たくないんだけど」とF先生。
 第2号、見た目失敗。
 それから何度となく挑戦した。ようやくW先輩が1人でそれらしいものを完成させる。
 「よくわかんないけど、まずくはないよ。」とありがたい言葉をもらうことができた。が、しかし、6人分作るのに大変な時間がかかる。5時に下準備をはじめ、2時間以上奮闘していた。もちろん満腹にはいたらなかったであろう。部室にフライパンらしきものがあったという情報をI先輩からもらったが、時すでに遅し。とにかく大変だった。

 疲れもあってか、この日はすぐに眠りに入った。



4月6日
〈4日目〉

 朝、目が覚めるとすぐにおしるこの準備に取りかかる。といってもコッヘルでおしるこを温め、そこにもちを入れるだけの作業だった。しかし、またここで後悔する。実は、食料買出しのときに、もちを何個買うかで悩んでいた。やはりもちは多いほうがいいだろうという意見も出たが、ザック重さを考え、しかも予備日を使わなかったことを考えるとあまりにもその代償は大きい。結局、朝食べるかもしれないもちの量よりも、予備日がないときに背負うことになるもちの重さに負けてしまったのであった。

 多少もちの数に差はあったが、割とおいしく頂けたと思う。食べ終わるとザックのパッキングを開始し、撤収を終え、6時前ぐらいには富士見平小屋を離れた。そのときに見えた、正確には前から見えていた富士山が綺麗だった。

 下りの途中でルートミスもあったが、無事に瑞牆山荘まで着くことができた。そこで早々と反省会を終えた。そのときに先生は「天気に恵まれためったにない良い山行だった」と話していた。予約していた7時より少し前にタクシーが到着し、7月山行の二の舞にならないようにしっかりと忘れ物がないかチェックして乗り込んだ。

 今回の山行は、個人的に反省点が多いものになってしまったが、とにかく素晴らしい景色を眺めることができたことに感謝したい。
 次の新入生歓迎山行は、今回、先生の容態に気づけなかったことを反省し、常に1年生の状態を把握できるようにしなければならないだろう。
 そして何より、アイゼンの有難さを知り、また、K先輩のいる有難さをも痛感することのできた春合宿であった。 


《「稜線」第26号(2004年度)所載》

▲以前の山行・目次に戻る▲

▲2004年度の山行一覧に戻る▲

■ワンゲル・トップページに戻る■