2004年 冬季山行 山行記

筆者 S・Y (1年生)


 
阿佐ヶ谷で、また荻窪で、幸せそうな家族連れが楽しそうに笑いながら降りていく。「サンタさん、今年は何くれるかなぁ??」「さぁ、何だろうね……。」ごくあたりまえの会話が憎らしかった。山行間近のある夜、ぼくは冬山装備を買いに行った帰りであった。街はこれ以上ないほどにクリスマスムード一色だ。あきらめの悪い僕は、彼らと同じようにクリスマスを過ごせないことを心なしか恨んでいるようだった。「お前がうらやましいよ! 山じゃホワイトクリスマスなんだろ??」と必死にかばってくれる中学時代の旧友がいてくれたことが唯一の救いであり、また励みであるように思えて仕方がなかった。やっぱ持つべきモノは友、だね。グスン。

 ……さて、くだらん前置きはこのくらいにしておこうか。

12月24日 〈1日目〉

 朝、夏合宿より重い(と勝手に思い込んでいる)ザックを背負って国分寺駅へ自転車を飛ばした。切符を買おうと券売機に並んでいると、どこかで見たような顔に出会った。K先輩! まさか国分寺で会うとは夢にも思っていなかった。
 そんなこんなで電車に乗り、いつもと違う景色をぼんやり眺めているうちに高尾に到着した。今回は高尾集合だ。

 TとNはすぐに見つかったが、表情はなぜか苦笑い。聞けば、電車が遅れたことに付け込んで駅員にやたら絡むクレーマーのおっさんにジャンプを何冊も貢がれて困った、とのこと。あっけにとられていると、「わっ、また来たよ……」。どうやら彼がやってきたらしい。両手にはしっかりジャンプが二冊ぶら下がっていた。「まぁ読めよぉ、ほら、人数分!!」……てか、意味不明。「早く電車乗っちゃったほうがいーんじゃん?」と僕が言ったとき、僕らは誰かがまだ来ていないことに初めて気づいた。いくら探してもいない。いればすぐ分かるはずなのに。

 仕方なくなかなか現れない先生を待ち続けた。相変わらずおっさんはいろいろなものをプレゼントしてくれる。唯一有益だったのが山梨日日新聞。これから向かう大菩薩周辺の天気予報がきっちり載っていたので、皮肉にもかなり役に立った。

 そうこうしているうちに先生がやってきたので、さっさと電車に乗った。車掌はやたら人身事故のお詫びを連発していたようだが、毎日中央線を通学に使っている僕にとっては日常茶飯事なので聞こえていないに等しかった(本当はおっさんにもらったジャンプに見入っていただけだが)。

 やがて今回のスタート地点である甲斐大和に着いた。タクシーを待たせてしまったようだ。ザックを気合と根性と愛情でトランクに押し込んでもらい、駅を後にした。今日の幕営地・湯ノ沢峠までは一応車道が通っている。しかし途中のゲートから先は冬季閉鎖されているということだったので、とりあえず行けるところまで行ってもらうことにした。

 さて、ゲートに着いた。お昼を回っていたので昼食をとることにした。しかし。「水入れてなくない?」自分で気づいて自分で言って、さらには自分で、いや皆が一瞬凍りついた。「下の川まで下りて汲んでくりゃいいじゃん。」という極論が出たまさにそのとき、タクシーの運ちゃんが救いの手を差し伸べてくれた。

「ほら、乗りなよ!」
「え??いいんですかっ??」
「下の温泉まで連れてってあげるよ! そこで汲みな!」
「じゃ、お金……」
「サービスするさ!」
 ……世の中まだまだ捨てたもんじゃない。なんていい人なんだ!
「ほんと、すいません……。」
 かくして温泉で水を汲み、さあ歩くか、となったところでまたしても救いの手が。
「キミら本気であそこまで歩く気?」
「や、さすがに二度もお世話になるのは……」
「そんなんじゃ登る前に疲れちゃうぞ! 乗せてってやるよ!」
 ……感無量。どう感謝すればいいのかも分からなかった。ゲートに戻った後、全員で運ちゃんに頭を下げた。
「気をつけてな〜!」
 ……塩山タクシーのTさん、次の大菩薩山行でもどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m。

 さてさて、ここからが本番である。湯ノ沢峠への山道に取り付くまではひたすら車道を歩く。ところどころで水溜りが凍っているのが見える。
 厚着をしてはいたが、朝の寒さのことを想像するとやはり不安になった。

 やがて山道に入り、沢沿いに進むにつれて道は細く、急になってくる。
 沢の一部まで凍ってつららのようになっている箇所もあり、きれいだと感動する気持ちと寒さに怯える気持ちとの狭間に僕は挟まれていった。

 湯ノ沢峠に着いた。今日の行程はここまでだ。一休みして、設営を始める。

 いったんは避難小屋の中にテントを張ったが、後からテントを持っていない方々が泊まりにやってきたので僕らはそこを譲ることにした。
 奥の広場にテントを移し、先生の差し入れのお茶をいただきながら学院の様々な話でしばし盛り上がっていた。あまり学院のHPに載せるにはふさわしくない内容なのは言うまでもない。

 夕食もそれなりに美味く、初登場のエアマットも助けて割りと良く寝られた。



12月25日 〈2日目〉

 朝5時。ワンゲルとしては異常なゆっくりスタートである……とは言ったものの、Nに叩き起こされた僕はやはり朝に弱いんだろうか??
 よく分からないまま朝食のおしるこを作り、食べる。よく混ぜていなかったらしく、不運にもあんこの沈殿に当たってしまったK先輩とNはかなり苦戦しているようだった。

 荷物を片付け、テント撤収にかかる。案の定、広げたフライからはパリパリ音がする。昨夜の雪が凍ったのだ。「持ちたくねーなー……」とこぼすTに他人事ながら密かに同情していた。

 準備体操を済ませ、湯ノ沢峠を出る。陽はとっくに昇っており、ヘッデンの出番は今回の山行では結局一度もなかった。
 道には霜が降り、なかなか思うようには進めない。そのあたりはさすが冬山、といったところか。

 悪戦苦闘しながら大蔵高丸の山頂に立った。空は見渡す限り青い。
 秀麗富岳十二景の山頂からは富士山はもちろん、一年生山行で数々の伝説が生まれた南アルプスの山々までもがきれいに見られた。

 ここからは稜線上を小さなアップダウンを繰り返しながらひたすら突き進んで行く。途中道端に笹が生い茂るのを見て石神井公園を連想したNには笑ってしまった。言われてみれば確かにそうだよね……。
 ハマイバ丸、大谷ヶ丸と順調に通過し、滝子山に至った。そりゃ、ルートぐらいは覚えている。
 ただ、その他にはお喋り禁止令が発動されてエネルギー源を奪われたことで個人的にかなりキツかった記憶しか残っていない……。
 滝子山の山頂からはまた記憶が戻る。
 とにかくこの日は天気が素晴らしく、大菩薩の山々や本社ヶ丸はもちろん、北岳や塩見岳などといった山もしっかり見ることができた。

 余談だが、ここで僕はこの山行で初めて携帯のカメラで写真を撮った。要はとにかく、それだけ素晴らしい景色だった!!

 山頂からは初狩駅に向かって一気に下るコースをとった。それにしてもかなり急な下りである。現に、山頂から2本でふもとの集落まで下りてしまったのだから。
 集落に下りてからはひたすら駅まで車道歩きだ。疲れた足には結構応える。あのときは確かマツケンサンバの話をしたような、しなかったような…????
 
 初狩駅に着きひとまず解散となったが、部員は全員で近くの鉱泉に行くことにした。それにしても変な部活だ。ここ最近「ワンゲル」と言う名前の「温泉同好会」になっちゃいないかっ!? 一体どーなってんだ?? ……成り行きって怖いネ。

 しばらく甲州街道沿いに歩くと噂の「日の出鉱泉」が姿を現した。が、それはどこからどー見ても民家の一角であった! とにかくかなりのサプライズではあったが、汗を洗い落としたい一心だったので、あまり気にはならなかった。お湯は熱さ加減がとても心地よく、一度出た後もう一度入ったので真っ赤に茹で上がってしまった。

 帰り際にコーヒー牛乳までサービスしてもらい、そこでの経験はますます印象深いものになった。
 その頃にはもう、今日がクリスマスだなんてことはとっくに頭から消え去っていた。

 ……寒さに慣れる意味では今回の山行はちょうど良かったのでは? と思う。夏合宿以来の展望にも恵まれ、個人的にはかなり充実していた。


《「稜線」第27号(2005年度)所載》

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