2004年 1年生山行 山行記

筆者 K・T (1年生)

8月31日 〈1日目〉

 
8月31日早朝、私はパッキングしたばかりの重いザックを背負い、駅に向かった。台風の影響で東海道線は遅れていたが無事小田原に到着した。小田原8:08分発のこだまに乗り、部員のNとYを発見。K先生と他の部員は東京から、F先生は新横浜からの乗車だった。雨中、新幹線の中、うとうとしながら今日から始まる山行の事を考えていた。

 今回は南アルプス、笊ヶ岳への1年生山行であった。3年生が引退してから初めての山行。しかも事前のミーティングで夏合宿よりもレベルが高いと聞き、心細く、不安になった。しかし、徒歩部部長のK先生と2年生のK先輩が同行すると決まり一安心。そういえば今回から装備、会計の仕事を任されている。果たして大丈夫だろうか?

 眠りから覚めたときにはすでに静岡。予約しておいたタクシーに乗り込み、いざ出発! タクシーの中では10月に控える学院祭や秋の山行の話をした。しばらくすると周りは田舎に、タクシーは山道に。それからは車酔いと悪戦苦闘した。途中のトイレ休憩で回復はしたもの散々だった。

 2時間かかり畑薙第一ダムに到着。ここで持参の昼食。

 12:30になった。そろそろ東海フォレストのバスが来るころだ。しかしなかなか来ない。皆、車の音に反応するが主役のバスは来ない。「椹島ロッジやってるのかね〜?」など話しながら待つことなんと4時間! やっと東海フォレストのバスが来た。ザックを担いでバスに乗ると運転手が、「本当は台風が来た跡は2日間ぐらい通れないんだから! 来るのがやっとだよ! 客がいるから仕方ないな……」。こっちは散々待ったのに感じが悪い。流石独占企業。この辺一帯は東海フォレストのものなのだ。このバスで1時間ほど行ったところが今日の宿泊地の椹島ロッジだ。あまり整備のされていない道をがたがたと進む。大井川に沿って高度を上げていく。窓から始めて見た南アルプスの大自然には感激した。見事なV字谷、3000メートル峰の山々、鬱蒼とした森林……。こんな世界を眺めているうちにスタジオジブリの「もののけ姫」を連想してしまった。宮崎駿はここを参考にしたのでは? 目の前にオッコトヌシが出て来るのではないか、などつまらないことを考えているうちについてしまった。Nが、「結構揺れて恐かったね。落ちるかと思ったよ。」と言っていたが、(あれ、それほど揺れたかな?)と気にならなかった。

 椹島は想像していてよりもずっと大規模なロッジであった。予約を済ませ、部屋に入ると布団に毛布に枕! 素泊まりなのに感激だった。後から気がついたことだが、私達が泊まったのはロッジであって、登山小屋のほうは何もないらしい。夕食は定番のカレー。ワンゲル入って以来、初日の夕食はカレーを食べている。今回は水の量が多く、カレースープのようになってしまった。夏合宿の時は美味くいったのになぁと思いながら夕食を済ませ、就寝。小屋どまり、布団ということもあってぐっすり眠れた。




9月1日
〈2日目〉

 
3:30起床。今日は5時間ほど掛けて上倉沢源頭までいく。朝食のそばを済ませ、出発。今回私はセカンドに入った。新入生歓迎会以来の久々のセカンドだった。少し登って一旦林道に出る。そこから吊り橋を渡り、笊ヶ岳登山口へ。登山口には上級者向けコースなどと書かれた看板があった。地図やガイドブックにも書いてあったがかなり危険なところなのであろう。

 登り始めるといきなり急坂。息が切れる。やはり今まで山行とは違う。苔を纏った大きな倒木や多くのきのこ。しばらく急勾配を登っていくと地図上の1857メートル地点に到着。ここで急登は一段落。樹林帯越しに赤石岳が見えた。いつか登ってみたい。この先は少し開けた場所を進んでいったのでルートファインディングが必要だった。ペンキや赤い紐に導かれながらの道のりだった。踏み跡があまりないところを見ると入山者数が少ないことを物語っていた。事実この山行では一つのパーティーにしか会わなかった。

 トラバース道の手前で昼食にした。開けた草地でトリカブトの群生があった。昼食はコンビーフのサンドイッチと6Pチーズ。このころは皆まだ元気で話が盛り上がった。この昼食でなぜかコンビーフ缶が1個余った。

 少し歩きトラバース道入り口へ。ここからは気持ちを引き締め進んでいく。トラバース道とは尾根伝いではなく、山の斜面を横に進んでいく道である。このトラバース道は整備中で、道が細く、不明瞭な箇所がある。この道では気が抜けない。
 一つ目の沢を渡る。トラバース道では全部で六つの沢を渡る。水の心配だけはない。ここでF先生がトップを歩くことになった。沢渡り、ロープ、丸木橋、梯子、まさにアスレチックだ。途中大きな倒木があり渡るのに苦労した。また崩落した斜面も見られた。もしここが同じように崩れたら……、考えるだけでぞっとした。沢は昨日の台風の影響で水量が増していた。渡るとき足を盗られるのではと心配だった。最後の沢で、一人二発持ってきたポリタンを満タンにした。テントを張る沢が枯れてしまってるかもしれないからである。

 最後の沢から三十分足らずで広いガレに出た。ここが上倉沢源頭でありますようにと願いながら下っていくと案の定上倉沢源頭であった。長いトラバース道もやっと終わりだ。なんと沢が流れている! 昨日よほど降ったのであろう。4リットルの水をボッカしたことになったが水は好きなだけ使える。休む間もなく設営に入る。ここで問題が発生。教員用のテントのポールがなんと違うものだったのだ! 装備係として重大なミスをしてしまった。試行錯誤し何とかテントは張れたが、先生方には大変迷惑を掛けてしまった。

 することもないので早めに食事の用意に取り掛かった。夕食はクリームシチュー。今回はスープにならずにとろみが出た。
 ここは当然正式なテント場ではないので水場やトイレはない。「雉撃ち」をしなくてはならない。ちなみに私は雉撃ち3号だった。

 この日は19時就寝だった。




9月2日
〈3日目〉

 
3時起床。今日で最終日だ。頭の整理がつく前に朝食の準備に取り掛かる。鍋にジフィーズを入れ煮込む。そそくさと朝食を済ませる。今日は昨日よりも歩行時間が長い。果たして昨日歩いたトラバース道を無事下っていけるのか不安だった。

 テントとザックはデポしていきサブザックで笊ヶ岳山頂を目指す。歩き始め、まだ少し薄暗かったためルートファインディングに時間がかかったが、その後は順調に進んだ。

 分岐に出た。時計を見ると1時間半のコースタイムを1時間で歩いている。サブザックだとこれほど違うのかと驚いた。分岐からは尾根を歩くことになる。森林限界を越え、最後の急登を登りきると山頂に着いた。

 南アルプス全体が見える大展望! のはずなのだが、一面真っ白。生憎ガスってしまい展望は望めなかった。しかも小雨が降り始め、寒くなってきたので下山開始。20分ほど下りたところでさっきの分岐に戻ってきた。このまま尾根を進むと伝付峠に下っていく。尾根道を折れ、さっき来た道を引き返す。霧のかかったった幻想的な世界を下る。

 あっという間に上倉沢源頭に戻ってきた。即座にテントをたたみ、パッキングをし、歩き始める。ここでまた気持ちを引き締め滑落に注意する。アップダウンを繰り返しながらも確実に下っていく。

 4本目の沢を越えたところで思わぬ奇襲を受ける。先頭のF先生が声を上げた。続いてYが。蜂だ! 一目散に逃げる。逃げることで必死でザックの重さも気にならなかった。F先生は四箇所、Yは三箇所(耳にまだ針が残っていた!)、Nは三箇所、K先輩も三箇所、K先生も二箇所ほど刺されていた。実は私はF先生とYの間を歩いていたのだがどこも刺されなかったのだ。日ごろの行いがよかったのか(いや、それはない)、蜂に嫌われたのか(たぶんそうだ)、なぜは私だけ無傷であった。蜂はミツバチやジバチだったらしい。スズメバチでなかったのが不幸中の幸いだ。応急処置をし、足早にトラバース道を歩く。

 ふと気がつくと見覚えのある草地についていた。ここでクラッカーと6Pチーズ昼食をとった。F先生は蜂に刺された左手が腫れ上がってきてしまったので一足先に山を下っていかれた。

 ここからはもう只管下りだった。2時間近く急坂を下り、いい加減に飽きてきたころ林道に出た。昨日渡った吊り橋を歩きやっと椹島に戻ってきた。なんと日差しが強く山頂で晴れなかったことが悔やまれた。

 またあの運転手が運転する東海フォレストのバスに乗った。運転手が些細なことでトラブルを起こしたが、全員無事白樺荘まえのバス停に着いた。そこからは路線バスで静岡へ。下界に帰ってきた。

 今回の1年生山行はハードだった。しかも装備係で大変なミスをしてしまった。山では小さなミスが命に関わる事になる事があるので気をつけたい。笊ヶ岳山頂では残念ながら展望を望めなかったのでぜひもう一度登りたいと思う。



《「稜線」第26号(2004年度)所載》

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