2003年 新歓山行 山行記

筆者 Y・W (2年生)


5月10日(土)

 授業終了のチャイムとともに私は2Fの教室を後にした。少し早足で歩いたせいか、集合場所の上石神井駅にはまだだれも来ていなかった。上石神井駅には私の他にN、I、そして新入部員のTで集まり、Kとは拝島駅で、F先生とは川井駅で落ち合う予定だった。

 しばらくしてIとTが、そしてその後すぐ松屋の弁当を手にぶら下げたNが来た。電車の時間にはまだ余裕があり、1本前の電車で行くという提案も出たが、予定通りの電車に乗ることになった。「上石神井ぃ〜、上石神井ぃ〜。」駅員の独特のアナンスとともにホームに電車が駆け込んできた。電車に乗り込むと、すぐにドアはピシャッと音を立ててしまった。13:06、私たちは上石神井駅を出発した。

 電車の中では地図を広げたり、再来週にはやってくる校外活動の話をNとしたりした。13:42、拝島駅到着。次の青梅線への乗り換え時間は4分しかない。私たちは青梅線のホームへ急いだ。青梅線に乗ると、すぐにKを発見、残るメンバーはF先生を残すところとなった。14:04、青梅駅到着。次の電車までの14分間には鉄道通のIは電車の写真を撮りまくっていた。14:18、青梅を出発。Iは撮った写真についての話などをしていたら、あっという間に川井に到着。F先生はすでに川井駅で待っていた。しかし、ここはなんという駅だろう。駅員が1人もいず、キップ入れのポストがぽつんと1つあるだけ。このことはすぐに会話に花を咲かせたが、その花が散るのは早かった。

 駅を出るとすぐに橋を見つけた。この橋を渡っている時に、先生が昔はこの橋がなく別の橋を渡ったのだという話してくれた。

 14:50頃キャンプ場に到着。700円と少し幕営料が高かったが、ゴミの分別所や水場もしっかりした場所でいいところだった。あちこちには大学のサークルの団体とみられる一味がいた。夜は静かに眠るれるのだろうか……、そんな疑問を胸に、私たちはテントを張り終えた。

 食事の準備まで30分弱時間があったので、その時間は自由時間となった。皆が川の方へ走ると、私はトイレを済ませた後、川の方へ行ってみた。すると、みんなは、石を川へ向かって投げていた。「水切り」というやつだ。N3回、K1回、I2回、T2回、3回、4回、……おいおい、Tの石はいったい何回跳ねるんだ。こういう光景をただ見ているだけとは、なんと面白くないことだろう。そこで私もやってみた。が、私の放った石はただ水面に垂直に突き刺さるのだった。「もう食事の時間じゃない。」面白くない私はリーダーのIにこう問いかけた。

 本日の食事はおでんとごはんである。Kの考える料理にはなかなかセンスがあった。それに、Nの炊く飯は一級品だった。準備終了、いただきます。6人で囲む飯はうまかった。少し時間がかかってしまったが、まあ、そんなことはいいだろう。今日は明日に備えて寝るだけだ。




5月11日(日)

 4:00、起床。すぐにシュラフをかたづけ、朝食の準備だ。メニューはスパゲッチー。簡単で、うまい。朝は今後ずっとスパゲッチーでもいいと思った。

 食事がすみ、今度はテントのかたづけに取りかかった。目標は20分以内。開始……、10分前、5分前、4、3……、記録19分59秒(ウソ)。しかし、かなり早く出発の準備ができてしまった。電車が来るまで長かった。この時間をためておけたらさぞかし役に立っただろう。そんなバカなことを考えている内にオレンジ色の鉄の箱が姿を現した。

 5:42、川井駅から奥多摩にかけて出発進行。車窓から眺める空は曇天だった。5:58、奥多摩到着。そして、6:05、バスで深山橋まで。このとき私たちはIの策略によって山梨県では使えないバス共通カードを買わされたのだった。

 そんなこんなで、6:35。深山橋到着。ここからやっとメインの山登りに入る。初めての山行が春合宿だった私にとっては、荷物が軽かったせいか、余裕があった。奥多摩湖の釣り客を横目に私たちは歩き出した。三頭橋を渡り、山道に入るとやはり前半は登りが続いた。面白いくらい足取りが軽かった、などと余裕をかましていたら、途中、おツネノ泣坂で泣いた。1年生のTには内緒だが、少しきつかった。三頭山にはだいぶ早く着いた。

 というか、ここは山なのだろうか。やけに人が多く、顔のパーツがシベリアンハスキーでできている柴犬までいた。そのうえ、眺望が悪かった。こんな山を登らせてTはワンゲルが好きになるのか、とふいに思ってしまった。

 昼食は避難小屋でとることにした。つぶれたホットドックをみんな一生懸命ほおばった。缶づめ1人、1缶はさすがに多かった。そのとき時刻はまだ12時すぎだった。

 この山行も残すところあと下りだけとなった。槇寄山を通って郷原までは、途中、写真を撮るために少し止まったが、ただたんたんと下りていった。Tは初めての山行でさすがに脚にきているようだったが、あっという間に郷原に着いてしまった。

 今回の山行は楽だったと思うほかないが、Tにとっていい山行であったのならば、私たちにとってもこの山行は成功したと言えるだろう。


《「稜線」第25号(2003年度)所載》

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