2003年 春合宿 山行記
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筆者 T・N (2年生)
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4月3日 〈1日目〉
まず、新宿駅小田急線乗り場に僕、K、Wの3人が集合し、出発した。途中駅でIとK先生が乗ってきた。ここまでは順調だった……。だが、いきなり電車が止まってしまった。どうやら人身事故の影響で運転をやめているらしい。やれやれだ。線路の上でとまっていたが、駅までは行き、そこでもずっと止まっていた。長い時間が過ぎ、ようやく電車は動きだした。
1時間30分近く遅れてしまい、秦野に着いたのも予定の時刻より大幅にズレてしまった。もう、ヤビツ峠行きのバスには乗れなかったので、急遽タクシーで行くことになり、タクシーは富士見小屋まで走った。そこでポリタンに水を汲み、昼飯を食べて、準備体操を行い、出発となった。
最初の1本で二ノ塔まで行き、次の1本で三ノ塔まで行った。時間的にはニノ塔〜三ノ塔間はかからなかったのだが、ここでは塔ノ岳や尊仏山荘などがよく見渡せたので、また休憩を入れた。
そこからは、烏尾山を越え、行者岳で1本入れて、新大日でまた1本入れた。ここまで来たならあともう1本で行けそうだが16時までに尊仏山荘に着く(Iの天気図のため)のは少し困難なことのように思われた。やはり16時までには間に合わず、Iは塔ノ岳の手前で天気図を取ることとなった。ここでF先生がIの付き添いについたので、僕、K、W、K先生の4人で塔ノ岳までとてもゆっくりとしたペースで行った。そして、やっと塔ノ岳と尊仏山荘に着いた。
すぐ3人で水場へ行きポリタンに水を汲んで帰ってきたが、これは1人でもできたことだと後で気づいた。サブザックを使えば良かったのだ。そして、僕1人もう1回行くこととなった。
帰ってきた時、夕食の準備は始まっていた。今日の夕食はきりたんぽらしい。僕も途中から手伝い、きりたんぽが完成した。とてもうまかった。
夜の塔ノ岳山頂から夜景がとても綺麗に見えた。夜は布団の中で寝た。気持ちよく眠れ、僕は素泊まりの良さを知った。
4月4日 〈2日目〉
今日はこの春合宿での山場となる日だ。
朝食は昨日のきりたんぼ汁を使ったうどんだった。身支度をすませ、出発した。
とても晴れていて遠くの山まで一望できた。道は一部凍結しているところがあり、アイゼンをつけていても歩きづらかった。1本で丹沢山まで行った。頂上の展望はあまりよくはなかったが、周りは雪で、気持ちのいい場所だった。
そこで少し長めの休憩をとり、次の1本で不動ノ峰手前まで行った。「水場に行く者はいないか」とF先生は言ったが、僕(他の人もそうだったであろう)はとても疲れていて、F先生が水場に行くこととなった。水場への雪道が急で少し危なかったため、僕たちでは行けなかったかもしれない。
次の1本で蛭ヶ岳まで行くことになったが、僕はリーダーであったというのにバテてしまった。そこまでつらい登りではなかったのだが、ザックがとても重く、辛かった。そのため、頂上までのペースは落ち、頂上に着いてからも、昼食の準備にすぐに取り掛かれなかったということになってしまった。蛭ヶ岳からの風景はとても良かった。
そこから、姫次を越え、風巻ノ頭で休憩を入れたが、ペースは相変わらずあまり速くなかったので、下りは速めのペースで行き、コースタイムより短い時間で林道に下りていくことができた。そこから神ノ川ヒュッテまでは15分くらいで着いた。
ヒュッテには人がいなかったため、さっそくテントを立てた。立て終わってから食事作りに取り掛かり、時間はかかってしまったが、カレーを作った。ミーティングの天気予報では明日は雨だという予報になった。大したことがなければ大群山に登るということになったが……、とりあえず今日は寝た。
4月5日 〈3日目〉
朝食を作り、撤収を開始し始めるときには、雨が雪になっていた。まだ本降りではなくこれくらいなら大丈夫かなと思っていた。テントやフライが雨を吸ってとても重く、荷物は重いままだった。
出発したが、雪は登れば登るほど深くなっていくばかりであった。犬越路の手前では、道が雪に埋もれていて、どこが道なのか全くわからなかった。また、ひどく寒かった。道らしきところを少し行くと目印が見えてきた。どうやらやはりここは道らしかった。
そこから犬越路避難小屋まではすぐで、大群山に登るかどうかを決めることとなった。僕は流石に無理だと思った。こんなに雪が吹雪いていて、少なくとも40cmの積雪。またひどく寒く、体力的にもあまり余裕がなかったためだ。しかも新雪の中を歩くという経験をしたことがない。F先生は僕たちに経験を積ませたかったようだが、他の人たちも行きたがらなかったので、大群山へは行かないこととなった。
昼食を小屋の中で取り、出発した。木に雪が積もり道をふさいでいたため、ルートファインディングが難しかったが、道は急でなかったので、F先生が先頭になることでサクサクと下りることができた。林道に出てからは、バスに乗れるようにペースを上げた。
西丹沢自然教室に無事に着き、バスで新松田駅まで行き、そこで解散となった。この山行で本当にいろいろな経験も失敗もした。これを次に活かしていきたいと思った。
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《「稜線」第25号(2003年度)所載》
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