2003年 7月山行 山行記

筆者 T・K (1年生)


7月20日
〈1日目〉

 18日の天気予報で現地の天気を確認し、19日からの山行を延期して20日からに変更になった。20日の雨が一番ひどく、それならば21日の2日目に期待しようという判断であった。だが、この判断によって少し後悔することになるのは、茅野駅からのタクシーに乗って唐沢鉱泉へ向かう車内での運転手さんの言葉を聞いてからであった。「梅雨時の山の天気は変わりやすいからねぇ。」

 集合は八王子駅6:34発の中央本線松本行の先頭車内。と言っても集まったのは4人。先生、OB方を含む残りの5人は、新宿発の特急で茅野駅まで向かった。しかし困ったことに、N先輩が休みということを集合場所で知る。鈍行で茅野駅へ向かう3時間、荷物は重くなるだろうな、白飯だれが炊くのだろう、などと考えていた。

 唐沢鉱泉に着き、そこで昼食をとった。ここから天狗岳を登り、幕営地であるオーレン小屋を目指す。特に問題もなく尾根に乗ることができ、順調かと思ったが、雨が降り始める。雨が降ってきたので雨具を着ると、今度は小降りになり、天気の変わりやすさを知る。林の中の道を登っていくと、Uの足が岩場に挟まって取れなくなる。そのあとは順調に登り、岩場の地帯に入った。辛かった。雨が風に流され横向きに吹いていた。霧で全く景色が見えなかった。寒かった。休憩時間は寒さで震えていた。そしてUの足がまた岩場に挟まった。なかなか取れなかった。先生に任せてもなかなか取れないので、先生も笑っていた。初日なのにひどく疲れ、やっとのことでオーレン小屋に着くことができた。

 だが、この日の夕食が僕にとって大きな試練であった。飯を炊いてくれるN先輩がいない……。しかも、6月山行で飯の炊き方を見ていたということで、なぜか僕がやることになってしまった。OBのU先輩に助けを求めたが、「がんばれ」の一言だった。現地の驚くほど冷たい水で米を洗いといでいたが、不安と緊張感は洗い流せなかった。結局、1つの鍋が成功(TとK先輩が手伝ってくれたおかげだが……)、1つは見事に失敗。最後の方はOBのU先輩にまた助けを求め、手伝ってもらった。夕食のマーボー茄子はおいしかった。この日は悪戦苦闘した日であった。



7月21日
〈2日目〉

 ジャンボエスパースに6人で寝るという僕にとって初めての試みであったが、なんとも起きにくい朝であった。先輩の中では足を組んで寝ないと入らない状態だったらしい。だが、このようなことはこれからの山行でも活きることになるというF先生の助言があったこともあり、これからも経験することであろう。それにしても暑かった。ちなみに誰かがいびきをかいていたという情報もある。

 朝食はいわゆる素うどんであった。うどんをゆで、ついでに餅もゆで、めんつゆでいただくという、とてもシンプルで手っ取り早いものであった。

 ところでこの幕営したオーレン小屋だが、ひとつ衝撃を受けたことがある。……トイレが素晴らしくきれいだ……ということである。しかも水洗……。

 朝の天気は昨日に引き続きおもわしくない。ただ純粋に景色が見たいという願いは届かなかったようだ。とにかくザックのパッキング終了後、I先輩を先頭にオーレン小屋を出発する。硫黄岳を目指す途中にある夏沢峠の山荘の前に来たときに、ついに景色らしい景色を見ることができた。ガスは出ていたものの、少しでも見られたことに感謝したい。そこからは永遠と景色の見えない岩肌を登るだけであった。やはり雨も降った。やはり凍えそうになった。硫黄岳頂上に着いても景色は見えない、といっても他のルートから来た元気あふれるおばさんたちといつまでも一緒にいるわけにもいかないので、さっさと横岳を目指す。

 が、やはりまったく景色が見えない。霧、ガスだけだ。はっきりいってザックトレーニングぐらいにしか思えなかった。しかしそんななか、OBのU先輩からいただいたこんにゃくゼリーの味は忘れない。U先輩、差し入れありがとうございました。

 そして、ここからまたも永遠と赤岳を目指した。時々にしか見えない景色をチラッと眺め、寒さに耐える。だが、聞いた話によると、春合宿は吹雪の中を歩いたという。いったい先輩方はなんなんだとしか思えない。特にF先生は平然としている。現代文の授業では見られない、得体の知れない先生の強さをこのとき知ったのかもしれない。

 ようやく赤岳近くの小屋に着き、中で昼食をとらせていただく。ほかの登山者が食べているおでんに目を奪われながらも、コンビーフ&マヨネーズサンドパンをいただく。このとき小屋の人にいただいた温かいお茶が体に染みた。

 赤岳をピストンで登る。疲労のせいか、僕はフラフラ揺れていた。頂上に着くも、景色は望めない。足早に下り始める。おぼつかない足取りでなんとか下り終えた。

 それから牛首山へ下る計画であったが、天候や部員たちの体調なども考慮し、先生方の判断で地蔵尾根まで戻り、下山することになった。下る道のりも長く感じた。沢に入り、着きそうだが着かない。やっと駐車場に着くと、僕はもうへとへとであった。「やっと帰れる、早く帰ろう。」だれもがそう思ったに違いない。だが、この最後の油断が起こるはずのなかったトラブルを起こしてしまう。

 そのまま大型タクシーに揺られ、茅野駅に到着する。そこで解散式を終え、さあ帰ろうというときに問題が発覚した。「Uのポリタンとポールがない!」……。
 詳しく説明をすると……。実はUの荷物を軽くしようとOBのU先輩が善意でポリタンとポールを持ってくださっていたのだ。それをU先輩が返すために駐車場でそれらを出していたのだが……、見事に現地に忘れてきてしまったのである。

 そこで、F先生にお金をお借りして、一部がタクシーで取りに戻るという事態になってしまったのであった。この事件は、部員にとって大きな反省となり、これから二度と起こらないようにするための手本となったに違いない。U先輩は謝っていましたが、本当に全然気にしないでください。これは部員の責任であります。
 ようやくタクシーで戻ってきたときは、解散してから1時間ほど経ってからであった。

 帰りは鈍行でのんびりどんぶらこっこと帰った。

 そして今回の7月山行は最後に大きな反省点を残し、終了した。

 今回一番残念だったことは、皆やはり景色が見られなかったことであろう。滑落したら即死するような岩場地帯や鎖地帯を登ったにもかかわらず、何も見えないのはやはり残念だ。だが、景色も見えずに、横に降る雨にあたり、寒さに耐えて岩場を登ったということは、これからの山行に向けての良い経験になり、精神力を鍛えたことに間違いない。しかし、やはり、景色は見たかったかな……。そんな気持ちを持ちつつ、次回からの山行へとつなげていきたい。


《「稜線」第25号(2003年度)所載》

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