2002年 夏合宿 山行記

筆者 R・U (3年生)


 今回の夏合宿は7月29日から始まる。

 しかし、往路に新幹線を使っているような金銭的余裕のない3年生部員約3名は、前日の28日に青春18切符を使いはるばる11時間かけて集合場所である富山駅に向かうのであった。

 それにしても今回ほどトラブル続きの山行は今までになかった。まず出発前々日にM・Kが交通事故に遭い、参加が不可能になった。幸い大事に至らなかったものの、事故の情報を主将であるY・KはW邸に集合するまで知らないという始末。買出しは東小金井のW家近くのスーパーにて行ったのだが、8人の6日分の食料を3人で運ぶという事実に気づかず、ザックを背負い両手にビニール袋を提げて、はるばる富山を目指すことになってしまった。

 東小金井から高尾で中央線に乗り換え、今まで登ってきた大菩薩、奥秩父の山々、そして南アルプスを仰ぎ見ながら小淵沢に着いたとき事件は起こった。なんとザックの肩かけのつけ根が半分以上破けてしまったのである。ただでさえ重い夏合宿の荷物にいつもの倍以上の食料が加われば、それも無理はなかった。もし山中にて完全に肩かけが切れてしまったら……。そう思うと絶望的な気持ちになってきた。富山に着いてすぐ修理屋を探すか……。そんな時間はない。そうこうするうちに、日付も変わった0時01分富山駅に到着した。

 今日はそのまま駅のコンコースの一角で野宿することにした。柱のそばに寝床を確保しなんとか落ち着くと、各自トイレや買い出しにと散っていった。自分は装備袋の裁縫道具でザックを縫うことができるのではないかと考え、おもむろに針と糸を取り出した。しかしこれが間違いだった。針は硬い肩掛けの生地を貫通することができず、逆に指ぬきを貫いて自分の指に刺さってしまった。あわてて抜いたが血は止まらず散々な目に遭ってしまった。

 しかも夜は地元暴走族の爆音と夜中の貨物列車の音でうるさく、蒸し暑くそして蚊が多い。ほとんど寝れないまま朝になってしまった。さらに待合室に移動するも自動販売機からしゃくに触わるというべき音楽が延々とながれ、イライラを通り越しすっかりまいってしまった。まだ合宿は始まっていないのに……。



7月29日
〈1日目〉

 10時30分、先生一行が到着。予定では鉄道とバスで折立まで行くはずだったが、地元の運転手に聞いたところタクシーで一気に行ったほうが安いとのことなので、タクシーで行くことにした。ザックもなんとか持ちこたえるだろうとの判断でこのまま行くことにした。みんなと合流できて安心したのかそれともただの睡眠不足からか、車内では終始夢の中で気づいたら折立に到着していた。

 小屋の中で昼食を摂り、早速テント設営にかかった。午後は各自読書、昼寝、水浴びと合宿ならではののんびりとした時間を過ごした。

 そして食事の準備にとりかかろうとしたときだった。なんと折立の水は飲料禁止らしいのである。これでは料理はなんとか作れるが明日の行動中に水がない。特別措置として小屋前の自販機でお茶類を買って携行するのが許可されたが、明日が不安でしょうがなかった。



7月30日
〈2日目〉

 この日は太郎兵衛小屋まで一気に登る。大学サークルに先陣を許すも上々の滑り出しである。サークルの集団を追い越しつつ高度をあげると、遠くに立山、剣の山々が見え隠れしていた。

 3時間程登ると視界が開け、周囲に花畑が広がる快適な尾根道になった。日差しが強く水の消費が早いことを心配したが、このペースなら大丈夫であった。しかもこの道は歩きやすい。当初の計画では下山に使用することになっていたが、ルートを逆にすることで、急な笠新道を登ることが避けられ整備されたいい道を登ることができた。この判断は的確だったと実感した。

 太郎兵衛小屋を通過し15分程下るとテント場に着いた。ここで待ち望んでいた水をゲットし、やっと一息つけた。

 ところがこの日の天気は下り坂。薬師の山頂は厚い雲に覆われていた。雷の恐れもあるため、K先生と協議した結果、薬師へのピストンは中止になった。

 この日の夕食はカレー。もう東京を出発してから3日も経つのかと思うと、なんだか時間が経つのが早く感じられた。食事中の会話も弾み、どうやら皆疲れはないようだ。明日に備えて早めに寝ることにした。



7月31日
〈3日目〉

 今日は黒部五郎小舎までダイヤモンドコースと呼ばれる大展望と花畑の中の縦走である。

 昨日の大学サークルに加え高校山岳部の一隊が幕を張っており、皆すべて黒部五郎を目指すようだった。昨日の撤収の遅さを反省し、今日は3隊で一番早く出発することができた。朝焼けの眩しさの中を一路南下していく。背後に薬師が見え、水晶や鷲羽も見ることができた。

 北ノ俣岳、赤木岳のピークを通過し中俣乗越で昼食を摂ってる最中にまたも事件は起こったのである。なんと部員のIがウ○コを踏んでしまったのだ。騒ぎのたまうIに対し、皆から「臭い」「汚い」といった罵声が。近づくIに、W先生は「こっちに来るな!」の一言……。しかしウ○コを踏むのは勝手だが、後ろを歩く人の身にもなってほしい。このままではI=ウ○コという方程式が完成してしまう。

 いろいろあったが、なんとか黒部五郎岳に着いた。カールの奥には目的地である小屋も見える。残雪で雪合戦も楽しみ、曇り空の中、カールの中を下っていった。1時間半程で小屋のテント場に到着した。一番に出発できたこともありいいテント場を確保することができた。後から来た大学生はテント場がなく困っていたくらいだから、早発ちして正解だった。合宿も折り返し地点にさしかかったことをしみじみ感じながら、日は暮れていくのだった。



筆者 Y・K (3年生)


8月1日 〈4日目〉

 黒部五郎小屋を出発する。先日も思ったが、すごい残雪である。先日転んでペンキがつき、赤くなったところが妙に痛々しい。今年はほんとに寒かったんだな、と妙な感心をしつつ歩く。去年の行程と大抵同じようなコースに安心して、ずんずんと進む。それにしても三俣山荘のあたりはどうしてこう、わかりにくいのだろうか。キャンプ場が変な風に広がっているため少し悩む。迷うワケはないがすっきりしない。

 そして迎えるは4日目最大の山場(これしかないのだが)鷲羽のピストンである。いつも通りW先生が休憩している間に脱兎の如く駆け出す。ザックを置いたらとたんにうれしくなるのは若い証拠。それを追うK先生、1年生のことをおいていかんばかりの勢いである。実際にK先生はおいて行ってしまったが。駄目なリーダーである。3年生もW、U脱落。でも、どちらかというと遊んで遅れている節があるので容赦はしない。

 コースタイムを若干縮めて山頂に到着。K先生の到着を待つため休憩時間を大幅にとる。残念なのはその間中ほとんど晴れなかったこと。完全にガスってしまっていて、苦労して登って展望がまったくなかった。悔しい限りである。だがもっと悔しいのは、下りてから急に晴れたこと。いつかもう一度行ってやると心に誓う。

 その後、「鷲羽に登ったからいいか」という理由で双六岳を登らずに双六小屋へ。あれは、頂上が広がっていて、とてもいい山なので1年生は機会があったら行ってみると良い。私は大好きである。双六小屋は相変わらずきれいな小屋である。1年生感動である。さらに便所のあたりが改築されていてさらにきれいになっている。3年生感動である。池、水、土地と良いキャンプ場の3大条件(独断と偏見に基づく)に恵まれたここで一晩を明かす。



8月2日 〈5日目〉

 双六小屋を出るときに嫌な予感はしてたのである。朝はガスが出るものなのだが、まったく晴れる様子もない。別に「2メートル先は……」の世界ではないのでそこまで心配はしなかったのだが。朝ごはんを食べても、テントをたたんでも晴れる気配はなく、なんとなく気落ちしたままで出発する。

 なんとなく気落ちしていたのだが、一本目の休みでそんな気持ちも吹き飛ぶ。雷鳥である。それだけでこんなに元気になってしまうのは単純だとは思うが、奴らはそれだけ、いい奴なのである。現れると「おおぅ」と思ってしまうのだから仕方がない。

 だが、天候はどんどん悪化していく。10メートルとはいわないが、あそこまで行こう、という目標がまったく見通せないくらいにガスが出てしまった。寒がりの人は雨具まで着るくらいである。そんな状態の中、恐ろしい提案がなされる。抜戸岳を越えた分岐で休憩中それはなされた。

 Y・K「うる〜(Uの愛称)。今日がんばって歩いてわさび平小屋までいけば、明日1時間で帰れるよ?」
 U「え、マジで?」

 馬鹿二人である。だが、5日目くらいにもなると家が恋しくなるのか、それに追随する馬鹿多数。結局、天候不順とあまりにも馬鹿なので却下された。当たり前である。

 結局笠ヶ岳山荘で泊まることとなった。テントを立て終えたころにぽつぽつと雨が降り始める。ファスナーの壊れたジャンボエスパースと格闘しつつ、気付いたら豪雨。これで、「Y・Kは雨を降らさない」伝説崩壊である。今年の1年生は凄い雨男がいるに違いない、と逆恨みしつつこの日は終わる。



8月3日
〈6日目〉

 合宿最終日である。天候は晴れ。昨日の大雨が嘘のようである。最終日が晴れてうれしい反面、どうせなら5日目も晴れて欲しかったと思う気持ちもあった。とかく事故が起こりやすい最終日。下りメインのコースで昨日の雨。足場はかなり悪いであろう。今年はいったい何人が犠牲になるのか。誰も怪我をしないことを祈るばかりである。

 朝、まず笠ヶ岳に登る。行程というよりはハイキング的な勢いで登る。頂上でご来光と行きたかったが、あえなく失敗。笠ヶ岳付近でご来光を拝む。その後山頂へ。最終日で行程も短めということもあり、のんびりとすごす。眼下に広がる雲海に馬鹿みたいにはしゃぐ。最終日でハイになっているだけかもしれないが、それほど気分のいい景色であった。

 笠ヶ岳山荘を出て北上。抜戸岳付近の分岐点まで行き、1本入れる。昨日はまったくなかった周りの風景にうれしくなる。そこから杓子平への道は、傾斜こそ急な道だが、歩きやすく眺めもよく気分のいい道だった。杓子平で少し早いが1本。ここも、休みを入れたくなるくらい良いところなのである。このくらいの時間になると笠ヶ岳に雲が出始めた。朝出ていなくて本当によかったと感じる。

 そこからの道はひたすら下った。最終日の掟、樹海の中を延々と歩く。あたり一面木である。ほかには岩しかない。そこをひたすら下る。コースタイム3時間を休憩1本で下る。1本目は普通に1時間程度で入れたが、そこから1時間30分程度ひたすら歩き続ける。休憩に向いた場所が無かったということもあるが、それ以上にリーダーの「もう少しっぽい」という判断のもと歩き続ける。1年生はかなり疲れていた。当たり前である。こんな悪い先輩になってはいけない。先生方はもっとお疲れのご様子である。若干、罪悪感を覚えつつ林道を歩く。ここまでくると生徒は馬鹿みたいに元気を取り戻す。そして車が入ってこられるゲート付近まで下って解散。みんな生きて帰ってこられた。素晴らしい。

 これから各自解散後、ご飯を食べたりお風呂に入ったりいろいろだろう。みんな、怪我がなく済ますことが出来、1年生もつらかったろうが、無事に帰ってくることが出来た。これで合宿は終わりである。そう、久々の我が家が待っているのである。ゆっくりと、帰ろう。今度は特急で。


《「稜線」第24号(2002年度)所載》


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