2002年度 冬季山行 山行記
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筆者 D・K (1年生)
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1月12日(日) 〈1日目〉 快晴
冬季山行は例年12月下旬に行われるものなのだが、予定日に大雪が降ってしまい、急遽、翌年に延期ということになった。
2003年、3学期の始まりを告げる始業式の翌日に冬季山行は実施された。今回は高速バスを使って河口湖へ行くため、新宿のバスターミナルが集合場所となった。部員とは始業式のときに会ってはいたが、それでも新年初の山行ということで、バスの中では終始いろいろな話で盛り上がった。天気にも恵まれ、高速を下りる頃には、富士急ハイランドの背景に雄大な富士山が見えた。
あと数分で終点の駅に着くというところで、引率の先生から40分ほど遅れるという電話が入った。昼食をろくに食べていなかった僕たちは先生が到着するまでの時間、河口湖の湖畔のレストランで時間を潰した。まさか山行で、レストランでのんびり食事ができるとは夢にも思わなかった。
先生の遅れで当初乗る予定だったバスに乗れなかったために、タクシーで直接キャンプ場に向かうことになった。予定時間が大幅に遅れたのではないかと思ったが、バスを使わなかったためか意外と早く到着してしまい、夕食まで自由時間が取れたほどだった。
キャンプ場は西湖の湖畔にあり、夕陽のときは燃えるような赤色が湖全体を照らして、とてもきれいだった。
夕食は、コッヘルでソース焼きそばを作るという斬新的な料理だった。まだワンゲルの経験が浅い僕にとって、コッヘルで本当にあのソース焼きそばが作れるのか疑わしかった。さすがにキャベツを千切りにしようとしていた部員には反発したが……。それでも出来栄えはかなりのものだった。味も普段食べているものと遜色はなかった。
夕食後のミーティングでみんなが致命的なミスを犯したことに気づいた。今回のような雪山の山行で一番重要視されるスパッツをほとんどの部員が忘れてきてしまったのだ。予想外の出来事に先生も呆然としてしまい、しばしみんなテントの中で押し黙ってしまった。
このまま帰ることも考えたが、それは一番楽な選択であったし、みんなも望んではいなかった。先生の判断で最終的に本社ヶ丸に登るのは断念し、初心者でも簡単に登れる三ッ峠に登ることにした。
ミーティングが長引いたせいで就寝時間がかなり遅くなってしまったが、あまり眠くなかった。おそらくほかの部員たちもそうだったと思う。
1月13日(月) 〈2日目〉 快晴
例年に比べて暖かいほうではあったが、それでも朝は身震いするほどの寒さだった。朝日が昇る前に起きた僕たちは、虚ろな目でスパゲティを茹で始めた。意識が朦朧としている部員が、暗いテントの中で、ぐつぐつ煮え立つ鍋を引っ掻き回している様は、なにか闇の儀式でもしている魔女を想像させた。
タクシーに乗ってキャンプ場をあとにした僕たちは、三ッ峠登山口まで送ってもらい、そこから三ッ峠の山頂を目指した。雪は踏み固められていて、スパッツは使わずにすみそうだった。冬休みにごろごろしすぎていたせいか、ザックがずしりと重く感じた。
思ったとおり、ものの30分もしないうちに息が上がり、大粒の汗が全身からにじみ出てきた。体は体力の低下だけでなく、歩くペースも忘れてしまったようだった。こんなんで山頂まで行けるのかと思ったが、予定を変更したため、時間はたくさんあった。あせらずゆっくり行けばいい。そう思ったら、心なしか体が軽くなったような気がした。雪も最初はかなりてこずったが、そのうち慣れてきて転ばないようになっていった。
この日も天気がよかったので、山頂からはすばらしい景色が見渡せた。富士山が眼前に見えるところで僕たちは昼食をとり、そのあとロープウェー駅を目指して下山した。下りは登りよりも滑りやすく、何度も転んでしまった。三ッ峠はそんなに高い山ではないので、下山するのにそう時間はかからなかった。だからロープウェーを使わずに下界まで歩いて下ることにした。
見覚えのある河口湖のバス停に着いて簡単な解散式を行い、解散した
疲労はそんなになかった。これから本社ヶ丸に登るぞと言われても、まだまだ登れそうだった。しかし、帰りのバスに乗ってから、堰を切ったようにどっと疲れが出てきた。今回の山行はいろいろなハプニングが起きた。予想もしなかった状況下で行動をしたため、精神的に疲れたのだろう。
山行では何が起こるかわからない。もちろんそれが事前に防げるのならそれに越したことはないが、万が一、予想外のアクシデントが起きたときに、最善の対処方法を考えられる能力を身につけるということは、とても大切なことだと思う。今回の山行ではそれを痛烈に感じた。
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《「稜線」第24号(2002年度)所載》
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