2001年 夏合宿 山行記

筆者 R・U (2年生)

7月26日 〈1日目〉

 朝、6時20分、僕らは朝のラッシュの始まる前の静かな新宿駅の5番線ホームに集まった。隣のスーパーあずさに比べ、僕らの乗る臨時のあずさはガラガラであった。発車前、僕は、パンとコーヒーを買いにホームに出たが、混んでいたため、ベルが鳴るギリギリで列車へと飛び乗った。一人でかなりヒヤヒヤしていたが、こんなことは、この後明らかになる衝撃的な事実に比べたら、取るに足らないものであった。

 10時過ぎに松本駅に到着した。すると、僕たちを待っていたのは、幼稚園バスくらいの大きさのタクシーだった。僕はてっきりワゴンタクシーくらいのものを想像していたから、少しびっくりであった。

 タクシーの中では、ラジオを聴く者、本を読む者、その他寝たり、昼食を食べたりと、思い思いに時間を過ごした。間もなく、タクシーはトンネルをくぐり、大正池を望みつつ、上高地に到着した。

 この日の天気は快晴とは言えなかったが、目の前に梓川の清流、その後ろに穂高岳が見えるなど、素晴らしい景色にちょっと感動していたが、みんなは食事に夢中で関心がないようだ。

 休憩の後、パーティは横尾へと出発するのであった。出発直後、どこかの女子高のパーティであろうか、7、8人の女子のパーティを三つ追い抜いた。ずいぶん部員が多いんだなぁと思いつつ、その彼女たちの姿に心を癒されていたが、Y・Kは「あいつらに負けてたまるか」とばかりにペースを速めていくのであった。おかげで、明神には20分ほど早く到着できた。

 僕らは、その女子高パーティより一足早く徳沢目指して歩き始めた。やはり、この辺りまで来ると観光客の姿は稀になり、いよいよ「山」の雰囲気が強くなってきた。小さなアップダウンを繰り返しながら、林を抜けると、徳沢に着いた。ここで10分ほど休憩を取るも、あの女子パーティはやってこなかった。ちょっと残念。徳沢を出発して約50分、我々は横尾へと到着するのであった。

 僕は会計なので、先にテント代を支払い、テント場に向かった。ここで僕らは気づいてしまった。この夏合宿史上最大の過ち、いや、ワンゲル山行史上最大の(?)過ちを犯していたことに。教員テントを見ると、本体とおぼしき物体が二つ……、フライがない。部員、教員の間に激震が走ったのは言うまでもない。はっきり言って、装備係でもある僕はかなりヘコんだ。まさか、本体とフライを間違えるとは。



7月27日
〈2日目〉

 とうとう昨日のショックもさめやらぬまま、僕らは殺生ヒュッテ目指して出発した。この日は今合宿最大の登りとなる。しかも、かなりきついらしい。

 1本目は沢づたいに緩やかな道を進んでいった。道の左には沢が流れ、涼しげな風景が広がり、右側には林の中に小さな沼が広がる、なんだか幻想的な景色の中を歩いていった。1本目の休憩のときには、遠くに立派な姿の槍の雄姿を見ることができた。緩やかな道も、槍沢キャンプ地を通過した辺りから徐々にきつくなっていった。間もなく、森林限界を通り、いよいよ「合宿なんだ」という気持ちが湧いてきた。左側の沢が伏流になっていて一旦消えると、大曲りというところに着いた。ここで今日の行程の半分となったが、ここで昼食を食べるかどうか話し合ったものの、次でとることにあっさりと決定。ここからは残雪をところどころ眺めながらの何とも涼しげな歩行となった。

 南岳への分岐にて昼食をとった。昼食はハム&チーズのサンドウィッチだった。豪華にもケチャップとマスタードもついて、昼食としてはリッチである。2日目からこれで大丈夫なのか。

 ここからは2時間ほどで着く予定であった。しかし、ここからがまるで地獄のような登りだったのである。急な登りに加え、強い日射し。もちろん、遮るものはないから体のだるさは増す一方だった。やっとのことで殺生ヒュッテに到着。がしかし、3人(自分も含めて)がダウンという状況であった。2日目でこの状態では先が思いやられるが、そんなことを言っている場合ではなかった。さらに追い打ちをかけるかのように、殺生には飲み水がないときた。おかげで、往復50分の水場まで行かなければならない。にもかかわらず、我らがリーダーY・KとWが水を汲みに行くことになった。彼らに感謝しつつ、他の3人は眠りにつくのであった。このとき、Y・Kは神に見えた。この雄姿は、ワンゲル史の中で永遠に語り続けるに値するものだろうと僕は思う。



7月28日
〈3日目〉

 この日は朝から雲が出ており、槍の頂上での眺望が望めないのではないかという懸念もあったが、槍ヶ岳山荘に着く頃までには晴れてきたため、合宿メイン日にして最高の天気となったのであった。山荘に着くと、やや雲が出てきたので、K先生の指示で20分ほど停滞することにした。メインザックを下ろし、サブザックに換えると、僕らは目の前の崖目指して出発した。

 槍ヶ岳は、登山道が整備されているといっても、急な岩場やいくつもの鎖場・梯子を越えていくので、なかなかスリルのある登りであった。けれど、山頂の眺望は素晴らしかった。東には常念、南に穂高、西には黒部五郎、立山、遠く剣岳も見えた。北には、双六、水晶など、これから登る山々が見えた。山頂では見事に晴れ渡り、快晴だった。けれど、浮かれる部員の中に1人物静かな人が……。高所恐怖症なのね、Y・Kさん。リーダーの思わぬ一面が見られたところで、また急な崖を下り始めた。

 再びサブザックからメインザックに切り換え、ここからは今日の宿泊地、双六小屋を目指すことになった。西鎌尾根をひたすらアップダウンを繰り返しながら進むのだが、ここは結構つらい道だった。何より、ピークが三つあるので、その度に急な登りだったので、かなり体力を消耗した。しかも、硫黄乗越を樅沢岳と勘違いしていたので、もう一つ登りがあるのが見えたときには、さすがにショックで倒れそうになった。けれど、何とか登り終えると、眼下に双六小屋が見えてきた。このときはかなり感動した。

 テント場は広くて、石もなかったので、非常に快適な睡眠が望めそうだった。しかも天気は快晴で、日光浴にはちょうどいい天気だった。(というか、やったし。)今日で合宿前半が終わったわけだが、何より天候に恵まれたのはよいことであった。



筆者 Y・K (2年生)

7月29日 〈4日目〉

 今日から記録者はY・Kになる。

 朝、近くの池で水浴びする夢を後に、出発する。多少急ながらも2,30分もすると坂が終わる。やけに早いなと思ったら、双六岳の頂上はそこからはるか遠くに見え、高低差はあまりないものの、だらだらと1時間近く歩くことになる。少し気が滅入ってしまったが、頂上からの展望は開けていてとてもよかった。

 三俣蓮華岳、三俣山荘を経由して、黒部源流に向かう。この辺りは緑が特に多く、水がきれいなのでとても気分が良かった、あの坂がなければ。黒部源流標を過ぎたところに急坂があり、その坂がとてもつらい。そして更にY・Kが自分達を抜かした2人組の男性に対し対抗心を燃やしペースを上げてしまったのが、特に疲れた理由であるかもしれない。プラスに考えるのならば、そんなペースにもついてこられるほど強くなったということである。ワンゲルの質は高まっているのではないか。

 まだ残雪のある日本庭園を抜け、雲ノ平に向かう。しかし、ここに来てまで私は失敗する。メンバーの「こっちにも道がある」という発言に惑わされ、道を間違えてしまった。これはリーダーとして反省すべきところである。メンバーの意見を聞くのはいいが、鵜呑みにしてはいけない。

 雲ノ平は日本最後の秘境といわれている。それはさぞかし素晴らしいのだろうと期待していたのだが、雲ノ平キャンプ場は、外れた。水場には昆虫が群がり、トイレには行く気すら起きない。なんとなく疲れて、テントを立てるとすぐに寝てしまった。唯一人元気だったWがスイス庭園まで行き、「スゲェ」の一言を残してくれた。素晴らしい景色だったらしい。以後、もし雲ノ平まで行くときがあれば、そこまで行った方がよいだろう。



7月30日
〈5日目〉

 朝(編注:正しくは「前夜のミーティングで」)、先生方から絶望的な提案が出される。「今日(編注:正しくは「明日」)は、野口五郎小屋ではなく、烏帽子小屋まで行こう。」

 ちなみにこの日は部員皆が疲れ切っている5日目であり、どちらかというとコースを縮めたいくらいであったのだが。結局、時間と様子を見て考えるという結論が出たが、もう半ば行くものと観念していた。重い足取りで昨日来た道を戻り始めた。

 祖父岳でケルン群に囲まれながら1本入れ、岩苔乗越を越える。ここがこの日最後の水場であったが、水場が分岐から20分もあり、水も4人が満タンだったので、水を汲むことはやめる。これがつらい結果を生むとは誰も思わなかった。

 見るからに「小」屋らしい水晶小屋にザックを置き、水晶岳のピストンを開始する。水晶岳は岩山である。岩山。当然ロープとかを使って登るところが多い。先日の槍に比べれば梯子がない分登りやすいが、それでも困難である。しかし、頂上からの景色は素晴らしいものがある。岩山ゆえの特徴か、開けていて360度一望でき、北アルプス中の山を見ることができる。天気も素晴らしく絶景であった。下山中に雷鳥を見ることができた。もっとも岩山でこの私にそんな余裕があるはずはなく、よく見ていられなかったのは残念である。

 天気がよいということは、決してよいわけではない。水晶小屋からの下りは、坂が急で道も細く、ザレて滑る。そして極めつけに水がない。久しぶりの水飲料量制限である。ただだらだらと歩くことに疲れ、昼食を入れるも、バターロールのみ。当たり前だが、潰れている。M・Kの分を食べてしまう奴もいて、なんとなく雰囲気がまずい。みんな仲良くしましょう。頼むから。

 真砂岳を越えた辺りから、空が曇り始める。幸運なのか。そうではない。こうなると雨の心配が出てきて、自然とペースが上がる。野口五郎岳の頂上も、最早何の感動ももたらさない。だんだん自分も気分が悪くなってきて、鬼のようなペースで下り出す。野口五郎小屋で水を確保し、当然のごとく歩き出す。

 烏帽子小屋までの道は特に変哲もなく、ただただ歩く。烏帽子小屋に着いた頃には、全員疲れ果てていた。翌日が合宿最終日でなく下山しなかったら、心から停滞を望んでいただろう。そのくらい疲れたのである。



7月31日
〈6日目〉

 奇跡ってものはあるのだと思った夏合宿。結局テントのフライがあんなものだったにも拘わらず、雨が1日も降っていない。最後の1日ということもあって、実に爽やかな朝を迎える。しかし、それも束の間、自分の前に出された飯の山を見てとたんにやる気をなくす。朝食のメニューは茶漬け。私は全く食べられず、気分が悪くなり、テントから逃げ出したが、残る皆はあの白い山をどう処分したのだろうか。

 本日の歩行は、最終日で前日の成果も実を結んで4時間弱しかなく、その内の1時間はピストンなので、全員心は「楽勝」の二文字を抱いていた。「烏帽子岳は岩場だ」ということを知る前は。その事実に愕然とするメンバー達(というかG組2人)。景色は素晴らしいものであった気がするが、私は鎖とロープの記憶しかない。今考えてみると、生きている喜びを実感する。

 下りの道は今までと比べると、比較的楽であった。気持ちがはやってか、ズンズンと進んでしまう。今思えば、それが全ての原因だったのかもしれない。足場も木が崩れたりしていて悪かったことが災いし、Uが落ちた。幸いにも大して落ちずに済んだ。烏帽子小屋―高瀬ダム間は呪われているのでは? と考えるほど、ワンゲル部員が落ちた話を聞く。気を付けよう。

 ダムに着く。皆は気付いていたのだろうか。タクシーを奪うため、スピードを上げて、わざと前の人々を抜かしたことを(計2名)。その人達もいい人で、気前よく譲ってくれてしまったが。そして一同、解散式をよそに、帰宅(温泉)の道を急ぐのであった。



《「稜線」第23号(2001年度)所載》

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