2000年 秋季第1回山行 山行記

筆者 M・K (1年生)

 前日、Wが不参加になる事で団装が増え、ショックが走った。

10月8日

 集合にいつものように早く来た私は電車の席を確保した。JとUも来たがY・Kがいない。どうしたことかとおもったが、ま、発車までには来るだろと思いながらもいちおうF先生には報告する。結局発車に間に合わず、後で来る彼の為にタクシー等の準備をとりあえず電車内でやっておく。

 寝ているうちに到着した茅野駅で彼を待つ。待つ。来ない。来ない。しかたなくタクシーをキャンセルする。あまりに来ないので彼の家に電話をする。電話をしているUが笑ってるのを見て、何かあったのはわかったが……。Y・Kは家にいた。団装と食料の問題、行動とリーダーの問題、どうなることかと思われた。

 だが、それらの問題をその場で解決し、我々はオーレン小屋に向かう時間を短くするためタクシーで入る場所を変えた。そのためこの日の歩行は1時間10分。団装のない私にはなんてことなかったが、F先生は体調が悪いらしく苦しんでいた。

 小屋には早く着いたため、2時間ほど皆昼寝した後食事となった。夕食は牛丼、鳥の空揚げ、鮭とまあ豪華なものだ。私とUは風呂に入ってから、他の人はあっさりと就寝した。



10月9日


 今日は歩行が長い。体調の悪いF先生を2番にして5時半に出発。

 始めはなんてことないが、独立峰の辛さがだんだんとわかって来た。風がすごい。硫黄岳からは皆が吹き飛びそうになっていた。一歩踏み出すたび風に足がすくわれる。Uが吹き飛びかけていたらしい。ロープにひっかかっているUを見た時はどうなることかと思ったが。しかも展望がない。最大の目的の展望がないのは痛い。無心で岩場を登っているうちに、私のペースは破滅していた。息の乱れたF先生が全てを語っていた。

 途中、小屋(赤岳天望荘)でのんびり昼食にする。風が強いため、外ではどうなっていたことか。

 その後も風の強い、展望のない岩場が続く。時間もあるので、阿弥陀岳へ登ってから御小屋尾根を下る。私は元気があり余り、驚異的ペースで下った。反省会の話題を作ってしまった、と林道を下りながら思った。

 まったく、肉体・精神が鍛えられた山行であった。そして私にはリーダーとしての資質はあるのか、と疑問を持つ山行でもあった。

(〔付記〕事前の計画では、1日目は、渋ノ湯から東天狗岳を越えてオーレン小屋で幕営することにしていたが、山行記に記されているような事情によって、計画を大幅に変更した。)


《「稜線」第23号(2001年度)所載》

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