軽井沢町立軽井沢東部小学校での歩み

NO1:今でも脳裏に浮かぶこと←ここをクリック

 松本教育事務所から教頭として異動し、昭和63年4月1日から平成3年3月31日の3年3年間お世話になりました。私の教員としての歩みの中で、前に述べた長野市立西部中学校、山ノ内町立東小学校と後日述べる中野市立中野小学校と平野小学校と軽井沢東部小学校の3年間の内2年間が脳裏に浮かびます。各学校の研究等を大切に保存しています。今でも当時のことを思い出すと心が弾んできます。


 昭和63年3月30日(日)に松本の美須々にある県の住宅を9時ごろ出発し昼過ぎに軽井沢に着きました。碓氷トンネルの出口に軽井沢町の新しい教員住宅が2棟ありました。私は道路に面した10日前に完成したばかりの2棟目の一つに荷物を入れました。教務主任と若い先生方が手伝ったくれました。

 標高が約800mあり数日前に上雪が降ったために畳と床が凍っていました。先生方が帰られてから家内と子供と私で畳と床を拭き取り、すぐ町へ石油ストーブを買いに出かけ、2台買ってきて部屋を暖めました。

 日曜日でしたので学校のグランドに面している住宅に居るAR校長先生は更埴の自宅に帰省していて留守でした。31日に学校に居られたので挨拶に行きました。「ご苦労さん」と言われました。校長になって異動された前教頭先生がこられ引継ぎをしました。

 4月1日は新年度の準備職員会です。私は7時に出勤し校舎の戸を開け、校長先生やを先生方を迎えました。校長先生は8時頃出勤されたので校長室に行き「ご指導をよろしくお願いします。」と挨拶しました。校長先生は「先生は指導主事だったのですから、自分の思うようにやってください。」と言われました。2年間お使えしました。その後初対面の時に言われたように学校経営やスケートクラブの練習や大会等に出場する時の対応等全てに関することをまかされました。

 
特に校長先生の配慮や先生方の熱意によって教育課程の改善に成果を上げました。次回はこの教育課程改善についてのべます。