「校内での教育研究その1」
昭和51年4月1日に赴任しました。その日は新年度の第1回の職員会がありました。なおその日の夕方新任の先生方の歓迎会がありました。お酒が進み賑やかになった頃、OM先生が私の所へ来て「附属中から来たからと言っていばるな!」と言って、私のネクタイを締めあげました。本当にびっくりしました。そうか皆はそう言う目で私を見ていたのかと思いながらお先生方に酌をして歩きました。8年、9年、10年、15年と長く勤めている先生が多くいました。
後日分かったことですが教職員組合の県から時間内ストの指令がでると、当時中高には小学校18校、中学校6校、計24校がありましたが、その中で本校はストをする先生方が一番多く、郡内でも組合活動が盛んな学校ということでした。しかし、赴任した時から教育研究の改善方法を職員会で提案したのですがそのことについてはいろいろな意見が出されましたが全職員が受け入れてくれました。なお、教職員組合活動についても心に残ることが多くありました。その内容を掲載すれば約10回になりますので機会があったら掲載したいと思います。
私のネクタイを締めたOM先生は体育科係で子どもたちにスキーのアルペンの指導をしていました。当時は職員全員がアルペンかノルデックのどちらかに所属していました。その先生は、生活指導係であった私に「先生は子どもの様子を見に山へ(志賀高原)時々来ればいいよ。」と言ってくれました。また、夏休みのプール当番も私の替わりにOM先生がやってくれましたので校内の研究の仕事や東京教育大学数学教育研究会の隔月集会や夏季集会に心置きなく参加することができました。本当に思いやりのある先生でした。
当時は各学年4学級で全校で約840の児童がいました。職員も約30人いました。 私は「子どもの学力を向上させることだ」と心に決めながら最初担任した5年生男子20名、女子15名計35名の子どもたちに算数の授業を通して学級づくりに力をいれ、35名の学力を向上させることに専念しました。
4月の中頃校長先生(本年度でご退職とのことでした)のところに行き、下高井算数数学同好会の研修を本校で開催することの許可をお願いしました。内容は講師として東京教育大の和田義信先生をお招きして、研究授業、和田義信先生の師範授業、先生の講演等を計画しているとお話しました。先生は目を閉じてしばらく考えておられました。一言「分かりました。」と言われました。私はすぐ研究主任の所へ行き経過を話しました。研究主任も気持ちよく受け入れられ、本校の研究計画に組み入れましょうと言われました。
山ノ内町立東小学校と下高井教育会算数数学教科研究委員会と下高井算数数学同好会の三者共催で、昭和51年10月16日(土)に和田義信先生をお招きして次のような内容で開催したところ、家庭科室(授業会場)に入れ切れないほど多くの先生が参加され充実した研究会でした。
1.3年生での和田義信先生による「余りのある割り算」の指導
2.1年生でのAM先生による「いろいろなかたち」の指導
3.5年生でのTY先生による「かたちともよう(対称図形)の指導
4.和田義信先生による「確かな算数・数学教育を進めるために」の演題での講演
次回は6年生での私の授業を紹介します。