[教育研究等について]
昭和51年4月1日に赴任して昭和60年3月31日に学校を去るまでの9年間が教師として歩んで来た私にとって最も生きがいのある9年間でした。大別すると三つに分けられます。第1は校内での研究、第2は下高井算数・数学教育研究会(同好会)、第3は信濃教育会での研究でした。そこで私が関わった教育研究の概略について述べます。
研究のことについて掲載する前に、研究に関係がある現在の筑波大学(1979年に新設)の前身の東京教育大学に昭和31年和田義信先生(教育学部教授)が設立された東京教育大学数学教育研究会につて概略を説明致します。先生はその会の主宰者として平成8年1月21日にご逝去(84歳)。永眠されるまで継続して指導に当たられ、数学教育の発展に大いに貢献されました。
私が先輩の数学の先生に進められ入会したのは,教員になって中野市立南宮中学校に異動した1年目つまり教員になって4年目の8月でした。私が入会したときには会員の先生方はは南は沖縄県、北は北海道までの全国的な規模の研究会でした。長野県でも南信から北信までの多くの先生方が入会され研修に励んでおられました。
研修は、東京で開催される公開授業を中心とした隔月に1回で年6回の研修と夏休みに開催される公開授業を中心とした夏季集会がありました。各都道府県が順番に会場を引く受け、多いときには全国から約200人以上の小中の先生方や約10校の大学の教授や助教授の先生方、大学院生が参加され一週間研修しました。
長野県では下伊那、戸隠、志賀高原、木島平村等で夏季集会が開催されました。私は入会してから教諭の時は必ず隔月集会と夏季集会に参加していました。
算数・数学の指導主事のとき数学の本質に結びついた指導ができたのも和田義信先生からの教えと、この会の多くの先生方に指導を受けて身に付いたことが支えとなっていたことを今でも実感します。
次回は、「校内外での教育研究その1」とそれにまつわる心に残ったことを掲載します。