中学3年とき男子は21人でした。女子もそうですが今では想像もつかないほど、どの生徒も両親のいうことをよく聞いて、成長していました。成績のことはさておき、どの生徒もぬくもりのある人間にそだっているのです。たぶんこの生徒たちの両親は人が困っているときには自分のことのように、ほうっておけない気持ちがある人たちだとおもいます。教員経験の浅い私が3年間苦情を言われたことがありませんでした。
 また、50才を過ぎた彼らはみんな親を大事にしていることに頭が下がります。世の中は変化していますが、不易な心があります。中学時代のとき皆さんが親から教えられた生き方を自分の子どもにしっかりと伝えてほしいと思います。 生きていればこそ、喜びや悲しなどが味わえるのです。健康が第一です。一年に一回は健康診断をしましょう。
長野市立西部中学校での歩み(その7) 「心に残ったこと」(その4)
生きがいNO:10

平成20年12月7日(日)

  42人のことをすべて述べればよいのですが、個人情報の秘密を守ることがあたりまえになってきた時代ですので、個人に関する情報は全て処分しました。今書いているのは私の記憶にあることを思いだしながら書いております。全部詳しく書いていると次の学校へ進みませんので、思い出すままに原稿なしに書いていますので間違いなどがあるかもしれまんがお許しくさい。

 私に自分の子どものことについて話してくれた者が何人かいました。彼らの話を聞きながら、皆しっかりと子育てしていると思います。
 それらの話の中で私の心を動かしたのはMS君の話です。会うたびに子どもの話をしてくれます。確か、男の子が一人と女の子が二人だったと記憶しています。その中の男の子と女の子一人が高校時代にちょっと横道に逸れたそうです。夫婦で心配していたと思いますが、私に事実を話す時は深刻な様子が見られず淡々と話すのです。
 親が過度に心配したり注意すると却って反抗するものです。彼は子どもの不祥事の後始末をして黙って見守っていたそうです。あることが切っ掛けで正常な状態に戻り、今は親に迷惑をかけることなく自分が生きるべき道を悟り、つまりよりよい目標を求めながら真剣に働いているそうです。人生80年、彼らはこれから一日一日を大切に生きていくことと思います。元教師として彼の子育てには頭が下がります。
 また、MSk君は癌で早く母親を亡くしましたが父親は元気でカラオケなどに熱中しているとのこと。そんな父親を家族で温かく見守っていると言っていました。温もりのある家庭づくりが大事ですね。

 右の写真は、私が11月10日に信大の有志の同窓会に出席すると知らせたら、東京都とその近辺にいる初めて先生になって担任した教え子が、6人急きょ集まり銀座で同級会をしてくれた写真でです。私が教えた時はバスも通っていない僻地でした。単級の36名でした。高校に進学したのは17人でそのうち大学へ進学したのは確か3人だったと思います。市川村に残っているのは6人です。あとは皆東京や名古屋方面で就職し、来年定年を迎えようとしています。中学時代のことに話題が盛り上がり楽しいひと時でした。元気な姿を見て心が和みました。

 親孝行な生徒といえば、MK君が思い出します。ご両親は洋服の仕立て屋さんをやっておられました。姉と彼の二人きょうだいです。姉はよく勉強したのですが彼は勉強よりも運動が好きで、特にバスケットボールのうまさは抜群でした。小学校の連絡票の運動能欄には無記入でした。おかしな担任ですね。家庭訪問をしてご両親の前でもっと勉強に力を入れるようにいうと、ニコッとしてハイと返事をしますがあまり変わりがありませんでした。しかし、心根の温かい生徒でした。ご両親は家の仕事を継いでと願っていましたが、彼は公務員になるkとを希望していました。彼は希望通りに公務員になりました。
 彼は誰にもできない生き方をしています。私は長男だから高い地位につくことよりも両親の面倒を見なければいけないといって、長野市から通勤できる範囲で異動しています。また、結構好きな酒を友達と飲んだりして楽しんでいます。皆さんも定年になれば分かると思いますが、お金が沢山あったり高い地位についていても、老後が生きがいのある生活が送れるという保証はありません。私たちの教員仲間でも定年後まもなく身罷った人が目立ちます。また、定年後70才過ぎまで市役所などで嘱託として働いている人も多くいます。勤めていると束縛され自分のやりたいことが自由にやれる時間がないのです。私の同窓生でも他界した人が多くいます。人間健康でいて旅行したり、自分の好きなことことができることが最も幸せなのではないでしょうか。MK君はきっと老後を充実した生活にすると思います。

11月9日(日)市川中学校での教え子(59才)の東京銀座での同級会の写真の一部