(7)


その日の酒肴の席は、最悪のものになった。





「好きな人....」イルカの言葉を受けて、カカシは呆然と呟いた。

「はぁ、そうです....」

早くもイルカは自分の不用意な言葉を後悔し始めていた。カカシの顔をまともに見ることができない。イルカの顔が自然と俯いた。

「それは、俺じゃないんですよね?」

「は、はい...」

「俺に似た、誰か別の人...」

「はぁ、」

「ということは、それは男ですか?」

カカシの声に僅かに苛立ちの色が混じっていた。

「え...あの、」

カカシの刺すような視線に気付いて、イルカは言い淀んだ。軽蔑される、と思った。同性に思いを寄せている自分、それが今カカシの手によって暴かれ糾弾されようとしている。戦場での性欲処理の手段としての男色は公然と認められていたが、女性が足りている里の中では、それはあまり普通のことではなかった。勿論皆無とは言わないが、少数派なのだ。きっとカカシは不快に思うに違いない。
だが、ここで「女です」と答えてもそれはそれでかなり失礼だ。第一今更白々しい。

イルカが返答に窮して黙っていると、カカシが尚も執拗に続けた。

「男、なんですね。」

カカシの凄まじい気迫に押し負かされて、イルカは声もなくブンブンと頭を縦に振った。
カカシはそれを見ると、手にした銚子から直に酒を呷った。一気に喉に流し込む。驚いたイルカがお猪口をカカシに差し出したが、カカシは無言のまま、それを押し返した。むっつり黙ったまま銚子をぐいぐい空けていくカカシに、イルカは如何したらよいのか分らず、おろおろと見守るばかりだった。

カカシ先生の気分を害してしまったみたいだな。

自分で蒔いた種ながら、イルカは悲しい気持ちになった。カカシに酷くされると、あの男に酷くされてるようだ。これ以上ここにいても益々カカシを不快にさせるだけだった。暇乞いをしよう。それがいい。イルカが腰を上げかけた時、カカシが突然口を開いた。

「ねえ。そいつ、イルカ先生の恋人ですか?」

虚を衝かれたような形で繰り出された問いに、一瞬イルカはぽかんとし、それから困ったような顔をした。どうしてそんな事まで答えなくてはいけないんだという思いと、自分のせいで嫌な思いをさせたのだから、答えたほうがいいのかという思いが綯交ぜになる。

「ち、違います。俺の一方的なもので、そのぅ...絶対叶わない相手なんで。」

さすがに夢の中の架空の人物なんで、とは言えずにイルカは曖昧に答えた。

「絶対ってことはないでしょ。」カカシが唇を尖らせる。

「いえ、絶対です。」

そう、絶対に叶わない。
わかっていたことなのに。
こうして現実に言の葉に乗せてみると、なんて辛いことか。
あの男は現実ではないのだ。
イルカが創り出した、虚構の世界の住人。
イルカの心の中には確かに存在するのに、この世界にはいない人。

「この世にいない人なんです。」そう、この世にいない。カカシがどう取るかは知らないが、間違ってはいなかった。

カカシとイルカの間に暫し沈黙が落ちた。カカシが何か言おうと逡巡しているうちに、イルカは暇乞いを告げてサッサと部屋を出てしまった。イルカ先生、と慌ててカカシが追いかけてきた。

「怒ったんですか?」

イルカの腕を捕らえてカカシが訊く。

「いいえ。」本心だった。ただ、自分の不毛な気持ちに気が滅入っただけだ。

「カカシ先生こそ、俺のこと気持ち悪いんじゃないですか」イルカがそう尋ねれば、今度はにカカシが驚いたように首を横に振った。

「なんでそんなこと。そんなわけないでしょう。俺も一緒に帰ります。送っていきます。」

何遍断ってもカカシは結局イルカについてきた。なんとなく気まずい気持ちを引き摺ったまま、二人は黙々と歩いた。そうしてイルカの家の前まで辿り着くと、別れ際にカカシが言った。

「また、誘ってもいいですか。」

社交辞令かな、とイルカは思った。今日の態度を悪かったとカカシなりに反省して、嫌悪を感じた俺に誠意を見せている。常識ある大人の態度だ。
多分もう誘われないだろうな、と頭の端で考えながら、イルカも良識ある態度で答えた。

「ええ。勿論ですよ。また誘ってください、カカシ先生。」



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