(8)


カカシを、救いたい。

イルカはそんな自分の気持ちに戸惑いを覚えた。だが、それは真実だった。
今となってはカカシが自分に振るった暴力の理由もわかる気がした。

自分が受けた痛みはカカシが心に受けた痛みなのだ、きっと。
吐き出すことのできなかったカカシの苦しみを、今俺は受けているのだ。

だが、現実の問題としてイルカはどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。
その糸口すら掴めない。イルカは途方に暮れたが、きっとできると自分を励ました。カカシが求めているのだから、きっとできる。

だが、そんなイルカの考えは、ただの驕りでしかなかったことをすぐに思い知った。



「俺、長期任務に出ることになっちゃったんだよねえ。」

カカシの言葉にイルカは目を瞬かせた。今カカシは何と言ったのか?
イルカの脳裏にちらと火影の姿が過ぎる。処罰はしないと火影は言ったが、これでは処罰を下したのと同じ事だった。
カカシがイルカの手を離れる。目の届かないところへ行く。
イルカは何とも形容しがたい気持ちになった。自分の気持ちが昇華されないまま、カカシを途中で放ったまま、この件は幕を閉じるのだ。関係のない者の手に幕引きされて。憤りと僅かばかりの安堵と、そしてやるせなさが一瞬イルカを無防備にさせた。
その隙にカカシがイルカにクナイを握らせた。

これで今日は傷つけられるのだろうか。

そんな不吉な予感がイルカの頭を掠めた瞬間、それは起こった。

「あんた、人を殺したことある?」

まさか俺を殺すつもりなのだろうか。イルカが真意を尋ねようと口を開きかけた時、カカシがぐい、とクナイを持つイルカの手を引いた。
次の瞬間。イルカはカカシに導かれるがままに、カカシの身にクナイを突きたてていた。

「ああああぁぁぁ.....っ!」イルカは予想だにしなかった事態に動転した。カカシは逃げようとするイルカの手を押し止め、更に自分の体を切り裂かせた。

血飛沫を受けてイルカの体が赤く染まる。だが、イルカにはそんなことどうでもよかった。
カカシの体から止めど無く鮮血が溢れ出ていた。死んでしまう、早く手当てをしなくちゃ、死んでしまう。
イルカは人を殺めたことがなかった。それどころか傷つけたことも。

お前には忍びとしての才能はあるが、実戦向きではないな。

いつも詰めの甘いイルカを評して、恩師や上司がそう言ったものだ。その度にイルカは忍失格と明言されているようで落胆した。
そしていまその甘さを痛感している。
カカシがそうさせたとはいえ、イルカはカカシを刺してしまった。カカシを傷つけてしまった。
血を流しているのはカカシなのに、自分が耐えられそうになかった。そして思い知ってしまった。

馬鹿だ、俺。
こんな、こんなことくらいで。
こんなことくらいで耐えられない奴が。


カカシを、救えるはずがない。
カカシの心を分かってやれるはずがない。


カカシはもっともっと修羅の世界を生き抜いてきたのだ。もっともっとその身に血を受けてきたのだ。それに耐えてきたのだ。
そんな人に俺みたいな奴が何をできるというのか。何かできると、思っていたのに。

傷の手当てをして欲しいと初めてカカシに縋った。
自分を濡らす血に初めて恐怖を感じた。
血を滴らせながら自分を犯すカカシに初めて赦しを請うた。
泣いた。イルカは泣き喚いた。

カカシはイルカの願いをどれも聞き入れてくれなかった。

カカシが嬉しそうに言った。

俺も。あんたも。これでおんなじだね。おんなじ、真っ赤だね。

カカシの言葉にイルカは胸が詰まった。

あんたの心の叫びが聞こえるのに、あんたは暗くてずっと深いところにいて。
俺の目はあんたが見えないよ。
俺の手はあんたまで届かないよ。
ごめん。
ごめん。

鉄錆の味のする口付けを受けながら、イルカは心の中で何度も謝罪した。


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