(6)


血が、落ちない....?

イルカは思わずカカシの手を覗き込んだ。イルカの目には、別に汚れていないように見える。
しかしカカシの鬼気迫る様子に、それがカカシにとって偽らざる真実だと知る。
イルカの視線がカカシの顔とその手の間を行ったり来たり彷徨った。
そういえば、とイルカはその時ふと思い当たった。

カカシと初めて出会った時。あの時も。カカシは手を洗っていなかったか。
そしてあの時俺はこの男に何と言ったのか。

確か。真っ赤だね、と。
それは紅葉の事だったけど。確かにそう言った。
夕陽に赤く照れる紅葉が、とても綺麗だったことを今でも覚えている。
その瞬間、この男は身を震わせてはいなかったか。
あの時は秋の夕暮れの肌寒さが、この男を震わせているのだと思った。
だけど。

多分、それは俺の言葉が。

そう考え至って、イルカはぎゅっと目を瞑った。鈍い痛みが胸を走る。
カカシを見ていたくなかった。

いつからあそこにいたのだろう。一体どれくらいの間、その手を水に晒していたのか。

イルカの肌を辿る指先が、いつも氷のように冷たかった理由はこれだったのだ。
いつもカカシはこうして洗い流しているのだ。
カカシにしか見えない血を。
そしてそれは、どんなに洗おうとも。
落ちることがないのだ。カカシの手から。

イルカには分かってしまった。カカシ本人ですら気付いていないことを。
カカシが洗い流そうとしているのは、血ではなかった。
カカシが洗い流そうとしているのは、その手の犯した罪なのだと。

人だ、とイルカは初めて感じた。俺の目の前にいる男は、人なんだ。

痛ましい気持ちになって、イルカは乱暴に蛇口を閉めるとカカシへ向けて怒鳴った。

「やめろよ!何処も汚れてないだろ!よく見ろよ!?」カカシの手を取って目の前に突き付ける。

何処か虚ろなカカシの目が自分の手を映した瞬間、カカシはクッと歪んだ笑みを浮かべた。

「何言ってるの?こんなに真っ赤じゃない。あんた、見えないの?」見えてるでしょう。血に濡れた、俺の手が。

そう言って再び栓をひねるカカシを、為す術もなくイルカはただ見ているしかなかった。


しかしそんなカカシの姿を見たのはその1度きりだった。
次にやって来た時にはカカシはいつものカカシに戻っていて、また人とは思われない振る舞いでイルカを苦しめた。
カカシは人なのだと知ってしまった後では、イルカの苦しみは益々深まった。
自分が身に受ける苦痛とはまた別の、心が締めつけられるような苦しみ。
それはまだ漠然としていて、イルカ自身もその正体を掴めないでいた。


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