紅先生の嘆き前編
絶対におかしい。
上忍夕日紅は窓辺に凭れ掛かりながら外を見遣って、麗しい眉を顰めた。
窓の下には銀髪の男の姿が見えた。
いつもは猫背のその男の背中がシャンと伸びていた。
おかしいって!こんなの変よ!どうして誰も気がつかないの!?
「ねえ、カカシってこの頃変じゃない?」紅は同意を求めて、ソファーに座るアスマを振り返った。
「あぁ?別に普通だろ。」面倒臭そうに答えるアスマに紅は戸惑った。
そう...そうなのよね。変というか、むしろ普通なのよね、今のカカシは。ああ、何か的確な表現は無いかしら...
紅はしばし思案すると、突然ポンと手を打った。
「最近カカシ、垢抜けたよね?」
今度もアスマは即答だった。「あぁ、違いねぇ。」
やっぱり!
賛同者を得て紅は内心得意がった。
天才エリート忍者はたけカカシ。その名を近隣諸国にまで轟かせる、比肩する者無き実力。
しかもその口布の下に隠された、端正な甘いマスクのおまけ付き。
その華麗なる横顔とは裏腹に、忍でない素のカカシは、超がつくほどお粗末なものだった。
はっきり言って、ダサイ。
全てにおいてセンスの欠片も無い。
全くの無趣味で、休日は家でゴロゴロ。服装の基本は安物のスウェット上下に突っ掛けサンダル。
上忍仲間と初めてカカシの家に遊びに行った時は本当に驚いたものだ。家のボロさと狭さも然る事ながら、度肝を抜くようなインテリアセンスにもだ。根性と書いた提灯や、富士山の額縁、木彫りの熊の置物....。土産物屋で見たことはあるが、こんなの買う人いるのかなあと不思議に思っていた品々が、カカシの部屋の中に集結していた。洒落なのかと思って、「おもしろグッズを集めるのが趣味なの?」と訊いてみると「おもしろグッズって...?」とカカシは首を傾げた。そう、マジなのだから笑えない。更に電話の下のミニ座布団やら机の上のぬいぐるみ付ティッシュケースを発見するに至っては、紅は軽い眩暈を覚えた。思わずガクリと膝をつくと、「どうしたの?」とカカシが近寄った。カカシの着ているスウェットの、伸びた首まわりにも哀愁を感じた紅だったが、至近距離で見ると、なんとその裾にご飯粒が一粒ついていた。その少し固くなった米を見ていると紅の哀愁はいや増すのだった。
紅は上忍の付き合いの中で、カカシと二人で食事するような機会もあった。するとカカシは何の躊躇いも無く、紅を立ち食いソバに連れていった。そんな男が生息しているなんて、紅には信じられなかった。仮にも私はうら若き乙女だっつーの!と立ち食いを拒むと、次にカカシが連れていったのは男しかいないような定食屋だった。首にタオルをかけた筋骨隆々な野郎どもの好奇の目を受けながら、紅は破けてスポンジが飛び出している丸椅子に涙ながらに腰掛けたものだ。それだけならまだしも、二人で対面で座っているのに会話らしい会話もなかった。そうなのだ。カカシはつまらない男なのだ。喋らないという訳ではないのだが、その内容が実に無味乾燥で面白みが無い。
「カカシ、昨日の任務はどうだった?」
「別に。普通だったよ。」
「....普通って?」
「ん〜いつも通りって事。」
そんなの言われなくてもわかる!と紅は心の中で叫んだ。
なんだかなあ。
紅はカカシの顔をまじまじと見つめた。紅はカカシを可哀想だと思った。なまじ腕が立って見目が良いばかりに、彼の実像を知った時の衝撃は一入だ。まともな彼女もできまい。
紅の見識通り、カカシは非常にもてたが、付き合ってはすぐに振られた。紅のくのいち友達にもカカシと付き合ったことのある人はかなりいた。彼女らに会うとカカシの悪口大会だった。彼女らの話によるとカカシはあっちの方も駄目らしい。ものはいいものを持っているらしいが、自分は動かないらしい。女を気持ち良くさせる、という意欲に欠けているらしい。
そんなカカシが。ださいカカシが。
最近変わったのである。
垢抜けた。そう、格好良くなったのである。
その変化に最初に気付いたのは、あの伸ばすがままに任せたすごいボリュームだった銀髪が、髪型的には変わらないのだが、コンパクト且つお洒落なシャギーになった時だった。
そうよ。絶対。
「女がいるわ!」紅は独り言にしては大きい声を上げた。隣でアスマは眉を顰めた。
「いいだろ、別にカカシに女がいたって。」お前、カカシに惚れてたのか。
アスマの言葉に紅は鮮烈なアッパーで返した。「んなわけないでしょ!?」
そうではない。そうではないけど、ちょっぴり焦ってしまう紅だった。
というのも、紅ももう27歳。結婚適齢期を微妙に過ぎていた。それなのに、彼女の周りには男っ気がなかった。端的に言うと彼氏がいないのだ。しかも彼氏と呼べるほど長く付き合った男もいない紅だった。
どうしてなのか、と紅は悩んだ。
容姿には自信があった。というか、実際ミス木の葉に選ばれたこともある。それなのにカカシと同じで、もてるのにすぐ捨てられてしまうのだ。付き合った男達が最後に言う台詞は、いつも同じだった。「君は強い人だ。僕なんかがいなくても、一人で生きていけるよ...」
確かに強いけど!
自分で突っ込みをいれながら、紅はフルフルと首を振った。
カカシの存在は紅の心を慰める、唯一の存在だった。カカシよりはマシだ、と自分を励ましていた。
それなのに。
あのだっさいカカシを変えるほどの、彼女ができたらしいとは。
しかもなんだか長続きしている風ではないか。
私はカカシ以下?カカシ以下なの!?
見縊っていた男が自分より先に幸せになるのは許せない。
カカシの女の顔を拝んでやりたい。
あわよくば邪魔さえも。
歪んだ嫉妬と焦燥に胸を焦がす、夕日紅27歳(独身)なのであった。
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