中編



その晩カカシは上機嫌のままで、飲め飲めとイルカに酒を強要した。強かに飲まされて酩酊状態のイルカの隣で、カカシは涼しい顔をして鼻歌なんて歌ってる。同じ量を飲んだというのに、この人は化け物かと朦朧とした意識の中でイルカは考えた。うわばみにもほどがある。

「カ、カカシせんせえ...お、俺、もうらめです...も、飲めましぇん...」

既に呂律の怪しくなったイルカが、尚も酒を注ごうとするカカシの手を必死で押し止める。

「ん?そうですか。それじゃあ、そろそろ帰るとしますか!」

イルカ先生、立てますか?とこれ以上にない優しい声で、カカシが囁くように言った。
カカシの言葉を聞きながら、う〜ん、どうだろうとイルカはまるで他人事のように思った。試しに頑張って立ち上がってみようとしたら、足に力が入らず、へなへなとその場に座りこんでしまった。しかも視界がぐるぐる回っている。

あ〜、どうすっかなあ。やばいなあ。どうやって帰ろう。明日が休みで良かったなあ。

イルカはそんな事を考えながら、なんだかとても眠くなってきた。突然立ちあがったので、酔いが回ってしまったのかもしれなかった。泥酔したイルカに最早ちゃんとした判断力は残されていなかった。え〜い、寝ちまえ!とばかりにイルカは睡魔に身を委ねた。なるようになるだろう、そう思いながら。イルカ先生、とカカシの呼ぶ声が聞こえたような気がした。



チュンチュンという雀のさえずりと、窓から差しこむ朝日の眩しい光り。

爽やかな朝だなあ〜!

その清々しい心の呟きとは裏腹に、イルカは二日酔いでズキズキする頭を押さえながら、蒼白な顔をしていた。深酒が過ぎて具合が悪かった。折角の休みなのに最悪だ、とイルカは思った。ああ、でも自業自得か。どうして俺はカカシ先生の勧めを断れないんだろうなあ。こんなになるまで飲むなんて、十代の頃に無茶を楽しんでいた時以来だ。イルカは込み上げる嘔吐感に、うぷ、と呻き声を上げてトイレに駆け込んだ。散々吐いてスッキリすると、またベッドに戻ってバフッと身を沈めた。

しかし、俺、ちゃんと帰って来れたんだなあ。

先ほど目覚めた時、ちゃんと自分のうちのベッドの上で眠っている自分に、なんだかとても感動してしまったイルカだった。酔っ払いの帰巣本能ってすごいな、と妙に感心した。

感心しながらもイルカはまたウトウトし始めた。

ああ、もう今日はこのまま、ベッドの上でダラダラ過ごそう...

まどろむイルカの目蓋に、ふとカカシの姿が浮かんだ。

そういえば、カカシ先生はあの後どうしたのだろう、とイルカは急に不安になった。ひょっとすると、ここまでカカシ先生が送ってきてくれたのかもしれない。

そう考える方がイルカにとっては自然だった。というのも、カカシは一緒に飲んだ後、何故か必ず送ってくれるのだ。女の子じゃないのだから、とその度毎に遠慮するのだが、「あなたは自分を分かっていません。」と訳のわからないことをいわれて、強硬に押しきられてしまうのだ。そして、いつもイルカのアパートの前までついて来てくる。アパートの前というか、イルカのうちのドアの前まで。

ありがとうございました、おやすみなさい、カカシ先生。

イルカは必ずドアを開ける前にそう言った。カカシがその場から去るまで、決して鍵を差し込むような事はなかった。どうして、と問われると返答に窮するのだが、なんだかよくない予感がするのだ。いつもカカシに好意的なイルカだが、このドアの前のカカシには、いつも尋常ならざるオーラを感じるのだ。そんなことはカカシに対して失礼だ、思い過ごしだ、と思うのにやはりドアは開けない。これが他の人だったら、ちょっと上がってお茶でも飲んでいきませんか、と気軽に誘うのだが、どうしてだろう、カカシにはただの1度もそんな言葉をかけたことがないイルカだった。

居酒屋で飲んだり、受付所で会ったりする時は、感じないんだけどなー。

そう考えながらも、不安は募る。

昨夜はどうだったんだろう。カカシ先生が送ってきてくれたとして、俺、家の中に上げちゃったのかな。それとも、酔った俺を運び込む際に、勝手に上がったりとかしたのかな。

どちらにしても、不味い気がした。一度この空間を許してしまっては、後は済崩しなんじゃなかろうか。

そんなことを考えていると、バターンという音と共に、突然玄関の扉が開いた。

「ええっ!?」

イルカが驚いて体を起こすと、そこにはニコニコと満面の笑みを浮かべるカカシの姿があった。
何故か背中に大きな風呂敷包みを背負っている。

嫌な予感がした。

イルカは二日酔いの所為ばかりでなく、頭がガンガンと痛むのを感じた。

「カ、カカシ先生、どうしたんですか?こんな休日の朝っぱらから...そ、それに上忍の方にこんなことを言うのもなんですが、あの、他人の家に上がる時は、ノックするとか呼び鈴を押すとかして欲しいんですけど...」

カカシはイルカの言葉をまるで聞いていないようだった。

「昨日ね、約束したでしょう?イルカ先生。手取り足取り教えてあげるって。イルカ先生もお願いしますって、言いましたよね?」

頬を上気させながら捲し立てるカカシに、はあ、と相槌を打ちながら今一つ状況の飲みこめないイルカだった。

「それでね、今日から住込みで教えてあげます。」
善は急げっていうでしょう?昨日イルカ先生をここまで送ってきた後、急いで帰って荷繕いしてきました。
だから、よろしくね?イルカ先生。

え、えええぇぇぇーーーーーーッ!?

イルカは心の中で絶叫した。あまりに急な展開に頭がついていけない。固まったまま、茫然と立ち尽くすだけだ。
断らねばと思う一方で、もう手遅れだと諦める気持ちがイルカを支配する。

だって、俺はいつも断れないし、誤魔化せないんだ、カカシ先生には。だから用心深く注意してたのに...!

そんなイルカの様子に構わず、カカシは風呂敷包みの紐を解いて、勝手にイルカの箪笥に自分の服を仕舞ったり、歯ブラシを洗面所のコップに差したり、荷物の整理をし始めた。その何処かうきうきした様子に、反対にイルカはどんよりと暗くなった。

どうしてこんなことに、とイルカは昨夜の自分の失態を呪った。

俺に彼女できるまで、いるのかな...

この10年いなかった彼女が、すぐに現れる可能性の低さを考えてイルカの心は益々暗くなるのだった。



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