気持いいコトしよう前編


「いい気になっていられるのも今の内だよ。」

頭上から降って来た悪意のある言葉に、報告書に目を通していたイルカは驚いて顔を上げた。
知らない、顔だった。20歳前後だろうか、まだ少しあどけなさを残した面差しは花の顔(かんばせ)という喩えに相応しい美青年ぶりだった。ただ残念かな、その美しい顔が意地の悪い微笑みに歪んでいた。イルカがぽかんとしていると、その青年は更に続けた。

「あんた、直にカカシに捨てられるよ。あの人は手に入れるまでは熱心だけど、手に入れた途端すぐ飽きるんだ。本当だよ。捨てられた俺が言ってるんだから。カカシのこと、本気にしないほうがいいよ。」

イルカはどう返したらいいのか分からず、固まったままだった。話の流れからすると、この青年は以前カカシと何らかの...深い関わりがあったらしい。どうやら捨てられたらしい。そこまでは理解できるが、どうしてイルカがこんなことを言われねばならないのか。それがちっとも理解できない。青年は勘違いしている。いい気も何も。

「あのー、勘違いなさっているようですが、俺、別にカカシ先生とは....」

何でもありません、とイルカが続けるよりも早く、よく知った間延びした声が先を続けた。

「結婚を誓い合った仲なので、あんたのように捨てられたりはしませ〜ん!」

「カ、カカシ先生っ!?」突然のカカシの出現に大袈裟に驚くイルカを背後から抱き竦めながら、カカシは青年に冷たい一瞥を投げかけた。

「お、俺は本当のことを...!」

カカシの姿に青年も相当動揺しているようだった。しかし青年の声音がどこか媚びるような、甘ったるさを含むものに変化したのをイルカは聞き逃さなかった。

この人、まだカカシ先生のことが好きなんだ。きっと。

こんな奴を、とイルカは自分の背中に背後霊の如くピタリと張り付く男を、嫌悪の目で見遣った。

木の葉が誇る、天才エリート忍者はたけカカシ。ビンゴブックにも名を連ねる凄腕は、今のところイルカに破廉恥な行いをするためだけに無駄に使われている。半ば騙された形でロッカー室に連れこまれて関係を持ってから、カカシは恋人面をして当然のようにイルカの隣にいる。上忍の戯れだと思うのだが、そのお遊びも半年を過ぎた頃から、これは不味いんじゃないかとイルカも焦り始めていた。
「恋人同士ですね、俺達。」という彼の言葉に同意したことは無い。無いけれど、否定したことも無いイルカだった。
カカシを好きかと言えば好きではない。では嫌いかと言えば、嫌いでもない。イルカ自身も曖昧な自分の気持ちに辟易しているところだ。

「あんたがそんな冴えない男に本気だなんてこと、誰も信じちゃいないよ。信じてるのはその男くらいなもんさ!」

青年は勝ち誇ったように高らかに言い放った。

さ、冴えない男って俺のことか?

イルカは正面を切って冴えないと言われてかなりショックだった。分かってはいたが直視したくない現実を、鼻先に突きつけられた感じだ。いい人として平穏に生きてきたイルカは、こんなに激しい悪意を向けられるような事は1度も無かった。

運悪く受付所に居合せてしまった人々は、指先一本すら動かすことも叶わず、皆息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待っていた。

その時受付所の室温が、気のせいでなくスーッと下がるのを感じた。

「それでいいでしょ。」

カカシがニッコリと微笑んで短く言った。殺気がビンビンに込められた凄まじく凶悪な微笑に、皆背筋を凍らせた。

「誰が信じなくてもいいでしょ。イルカ先生が信じてくれるなら、それで。」

そう言ってカカシはイルカの頬にチュッと軽い口付けを落とした。
イルカが目を見開いて振り向くと、三日月の形に眇められた目が、ね?とイルカの同意を求めて語りかけた。


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