黒蝶再び・後編4

「どういうことですか...はたけ上忍.?」

最早この一連の出来事が狂言だとイルカは理解していたが、どうしてこんな馬鹿げた事をしたのか真意を量り兼ねていた。だが、カカシの突飛な行動については暗部で今でも語り草になっているほどだ。考えるだけ無駄な事なのかもしれない、とイルカは小さく溜息を吐いた。惚れた欲目と言うのだろうか、イルカはその噂を知りながらも、まさかここまでとは思ってもみなかった。しかも上忍の中でも常識人として知られるアスマまでこんな茶番に付き合っているとは、正気の沙汰とは思えない。

「全く、猿飛上忍まで....」

冷然とした声音に非難の色をも込めて、イルカは背後のアスマに言葉を投げかけた。その言葉に「すまねえな、」とアスマは小さく苦笑を漏らした。前後から突き付けられる刃に、イルカはアスマの顔を見ることは叶わなかったが、その時のアスマは眉尻を下げて少し情けない顔をしていた。

「どういうことかって、あんたは訊いてるの...?」

カカシは長年焦がれた黒蝶の獣面の上をなぞる様に、その鋭い切先をゆっくりと走らせながら、興奮に酔い痴れた表情を浮かべた。カカシは乾いた上唇をぺろりと舐めると、

「そんなの、決まってるでしょ?」と不敵な笑みを浮かべて、刀を握る手に力を込めた。イルカの獣面に切っ先が僅かに突き刺さり、ビシリと亀裂を走らせる微かな音を立てる。
イルカはその光景を茫然と見つめながら、堪えようのない怒りが沸沸と沸立つのを感じた。

俺の素顔を見るため...?まさか...そんな、そんなことのために狼煙を上げたのか?
俺や火影様や他の皆を謀って...迷惑をかけて...
こんな茶番のために、俺は必死になって....

本当に、心配してたのに。

いよいよ黒蝶の正体が明かに、とカカシの気持ちがこれ以上も無いほど高揚したその瞬間、
フフン、と冷笑に鼻を鳴らす音が聞こえた。途端にヒヤリとした冷気にも似た殺気が、カカシとアスマの体を骨の髄まで凍てつかせた。

「これで俺を捕まえたつもりですか?可愛いものですね。」全てを言い終える前に、イルカは既に動いていた。

忽然と目の前から姿を消したイルカに、カカシとアスマは瞬間お互いの呆けたような馬鹿面を拝み合う事になった。
アスマは咄嗟に目を瞑った。以前の経験から自分の目では黒蝶の動きを追えない事を分かっていた。気配を読んで先手を打たねばやられる。アスマは「ったく、やっぱりこいつのいいことは当った試しがねえ、」と心の中で不平を漏らしながらも、黒蝶と手合わせできる興奮にゾクゾクと体を震わせた。

「カカシ、来るぞ!」

「分かってる!」

まだまだいける、とカカシは写輪眼に意識を集める。すぐに目の端に捕らえた黒蝶は刀を飛ばされた丸腰のままで、手には何も武器を持っていなかった。
しかも、てっきり飛ばされた刀を取りに後退していると思っていた黒蝶の姿は、予想外にカカシの間近にあった。しかしそれを確認した次の瞬間には黒蝶の姿がカカシの視界から消えていた。

何!?

「カカシ!?」とアスマが叫んだ時にはカカシの鳩尾に強烈な一撃が入っていた。ぎしぎしと骨の軋む音に、カカシが信じられない面持ちで自分の腹部に視線を落とすと、黒蝶の右手がめり込んでいた。

見えなかった...!何時の間に間合いを詰めたんだ!?

カカシが辛うじて吹き飛ばされそうになるのを堪えると、既に黒蝶の左上段回し蹴りが、防御の崩れたカカシの頭部を狙っていた。連続技を繰り出す早さにカカシの受身が追いつかなかった。

ヤバ...っ

そう思った時には視界がぶれた。黒蝶の見事な蹴りがまともにカカシの頭部に入ったのだ。
カカシは容赦のない蹴りに遂には吹き飛ばされながら、くそ、もう少しだったのに、と心の中で舌打ちした。カカシは黒蝶を逃がしたくないと焦りながらも、遠のいていく意識を止める事が出来なかった。
その間アスマは目を瞑ったまま、黒蝶との間合いを取っていた。カカシに加勢したかったが、カカシが撃沈するまで僅か十数秒の間の出来事だったので、気配に慣れる事に精一杯で加勢することができなかった。

ああ、いやな予感がしてきたぜ。

そう思いながらもアスマの顔には満足の笑みが浮かんでいた。黒蝶と手合わせする機会はこれが最初で最後かもしれないとアスマにはわかっていたからだ。たまにはカカシの愚行にも感謝しねえとな、と思いながらアスマは素早く動いていた。
目を閉じていると、僅かに風が動くのを肌で感じる。その僅かな風の動きを頼りに、攻めて来る黒蝶の手を右、左、とアスマが辛くもかわしていく。

ちぃ...防戦一本槍だな、これじゃあ...

苦笑を浮かべながらも、この膠着状態の打開策として、誘い込みを機軸に何通りか相手の攻撃を想定してみる。

埒あかねえ...仕方ねえか!

最後は己の忍としての研ぎ澄まされた勘を信じて、アスマは黒蝶を誘い込む為わざと隙を作った。それと知れ無いように僅かに速度を落とし、素早く下段の構えで攻撃を待つ。しかし、がら空きの上段から攻撃が来るとは思わなかった。黒蝶はもっと先を読む。もっとも意外で安全なところから攻めて来る。そう多分...。

「後ろだ!」

アスマはカッと目を見開いて振り向き様腰を落として、手にしたナイフで下から突き上げるようにして、そこにあるべきはずの獣面を両断した。

手応えが、あった。

「お見事。」黒蝶の感嘆したような声と共に、その獣面がパカリと剥がれ落ちる様を目にしながら、アスマは自分の首に綺麗に入った手刀に意識を飛ばしていた。


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