黒蝶再び・後編5

その後病院のベッドの上で目覚めたカカシとアスマの二人を待っていたのは、事の顛末を知った火影の大目玉であった。

「この痴れ者が!お前達は一体忍を何だと思っているんじゃ!?」

大気を震わせる火影の怒声に、アスマは然も反省しているかのように首を垂れながら、「やはりこうなったか。」とこの先の処分を案じて諦念の溜息を漏らした。
カカシはといえば黒蝶に折られた肋骨の上を擦りながら、「うう〜。後もうちょっとだったのに....黒蝶がっ...」とスンスンと鼻を鳴らすばかりで、全く火影の話を聞いていなかった。

「聞いておるのか、カカシ?!」

そんなカカシの態度に火影の雷が落ちる。カカシはようやく火影に視線を向けると、ハイハイ、聞いてますよ〜とどうでもよさげに返した。その態度が更なる火影の怒りを煽る。アスマはハラハラとその様子を見守りながら、自分にとばっちりが来る事を怖れて、先んじて謝罪の言葉を述べた。

「すみません、火影様...俺も止めたんですが力が及ばなくて。」

アスマの殊勝な言葉に、「片棒担いでいた輩が何をぬかす?」と火影がぎろりとアスマを睨みつける。
暫く火影は怒りに米噛をピクピクとさせていたが、突然フーと長い溜息を吐いたかと思うと、急に真顔になって言った。

「あまり色々と私見で動くものではない...知ってはならぬ事もあるのじゃ。」

含みのあるその物言いに、アスマとカカシの顔を真剣なものになった。

「火影様、それは一体...」とアスマは言いかけて口を噤んだ。里の最高権力者ともあろう者が、おいそれと極秘事項を漏洩する事は万に一つもないからだ。訊くだけ無駄か、とアスマが肩を竦めると、カカシも同じ気持ちだったらしく、不貞腐れたようにそっぽを向いていた。
火影はそんな二人の様子に、まあ、よい、と言葉を続けた。

「馬鹿な事をしおって...。今回の件におけるお前達の処分が決まった。この先3ヶ月間、一時的にお前達を中忍に降格する。その間は報酬も無支給じゃ。もう一度中忍として身を粉にして働き、その腐った性根を叩き直してくるがよい!」

高らかに響き渡る火影の言葉に、瞬間アスマは色を失った。

ちゅ、中忍...って...


今までにない屈辱的且つ重い処罰に、アスマは「く、紅に何て言ったらいいんだ...?」と恋人へのいい訳を考えながらも茫然と立ち尽くしていた。カカシは相変わらず聞いていないのか、それとも聞いているけどどうでもいいのか、明後日の方向を見つめながら黒蝶〜と未練がましく呟いていた。


「火影様も何考えてるんだか...」
「中忍に降格したから扱き使ってくれと言われても、あの二人じゃな...。」
「何も頼めないよな...さっきから凄い迫力だし...」

受付所勤務の中忍たちが困惑気味に、部屋の隅に集まってヒソヒソ声で言葉を交す。皆がちらりと視線を送った先には、不遜な面構えをした大迫力の鬚男と、何処か人を寄せつけない冷淡な雰囲気をした、愛想笑いの一つもしない銀髪の男が、受付を占拠していた。

「これから3ヶ月間もはたけ上忍と猿飛上忍と一緒に働くのかと思うと、俺、今から胃が痛いよ...」

追加戦力と言うよりも、余計な悩みの種になりそうな二人の存在に、受付所勤務の者達は皆一様にどんよりと顔を曇らせていた。ただ一人を除いては。

「何言ってんだよ、皆?あの人達は今、俺達と同じ中忍なんだぜ?しかも火影様直々に扱き使うように言われてるんだから、遠慮する事はないんだ。俺に任せておけ。」

イルカは肩を落とす同僚達に爽やかな笑顔で宣言すると、早速その言葉通り、受付で威嚇するような態度をしている二人を怒鳴りつけた。

「なんですか?カカシ先生もアスマ先生も、だらしのない座り方をして!ちゃんと背筋を伸ばしなさい!それにその態度!受付で殺気放ってどうするんですか!?まずは今日はって、笑顔で挨拶してください。」

イルカは手にした定規でカカシとアスマの背中を情け容赦なくビシリと叩いた。その光景に受付所に居合わせた誰もが思わず「ヒッ!」と声を上げてしまったほどだ。

「い、痛いです〜イルカ先生〜酷いですよ〜!」情けなく眉尻を下げるカカシの顔が、以前はくらりとするほど魅力的に映っていたのに、まだ騙された怒りの冷め遣らぬイルカにとってはムカツク材料でしかない。もっとびしびしやってやる!とイルカは内心息巻きながらも、一方では言い様の無い切ない感情に胸を塞がれた。

こんな人なのに、好きなんだよな...畜生!
それなのにカカシ先生は他の誰かが好きなんだ...やってられないよなあ...
諦めなくちゃいけないのかな...カカシ先生の好きな人って誰なんだろう....

最近はそんな事ばかりを繰り返し悩んでばかりで、なかなか夜もよく眠る事が出来ない。

馬鹿だよな...ほんと。

イルカはややもすれば沈下しそうになる気持ちを怒りで奮い立たせて、厳しい口調でカカシを叱り付けた。

「こんなのちっとも酷くありません!酷いのはあなたがたの礼儀作法ですよ、常識ってものが欠けてます!俺が一から教えてさしあげますから、覚悟してください。」

イルカはにっこりと不敵な笑みを浮かべた。
その久し振りの笑顔にじんじんと痛む背中を擦りながら、カカシはポーッと見惚れてしまった。やはりイルカ先生の笑顔はいい、とカカシは怒られていながらも顔を緩ませた。黒蝶に逃げられて、しかもこてんぱんにやられてしまって、さっきまでこの世の終りのように感じていたが、イルカが笑ってくれるだけで、その気分が上昇していくのを感じる。
しかし、その笑顔が何処かやつれているような気がして、カカシは少し心配になった。

俺が黒蝶に夢中になっている間に、イルカ先生に何かあったんだろうか...
ど、どうしたんです!?イルカ先生、一体あなたに何が...?気になる...!
でも俺にそれを訊く資格があるのか...!?

黒蝶とイルカ先生...俺はどっちを取るつもりなんだ!?

答えが出ない事を知りながらカカシは心の中で自問して、己の不甲斐無さに思わず眉尻を下げた。


アスマはイルカに定規で叩かれた事も気にならないくらい、別の事で頭が一杯だった。
厳しい口調で不敵な笑顔を浮かべるイルカを見ていたら、突如として既視感を覚えた。
意識を飛ばす瞬間に、確かにアスマの両の目が捉えた、獣面の下から現われた黒蝶の素顔。朧げながらその輪郭が、イルカの輪郭にだぶって見える。

あの時黒蝶も、お見事、と言いながら不敵な笑顔を浮かべていたのではないか?

イルカを見つめながら、アスマは微かな記憶を手繰り寄せようとして、しかしすぐに諦めた。

幾ら必死になっても、思い出せないもんは仕方ねぇ。

アスマは傍らでカカシをびしびし扱くイルカの姿をぼんやりと見つめながら、首を横に振って苦笑を浮かべた。

「まさか...な。」と小さく独り言ちながら。


終り
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