後編1 

火影は部屋に入って来たイルカを一目見るなり、驚愕に目を見開いた。イルカが今まで見た事も無いほど、陰鬱な表情をしていたからだ。なんだかどろどろとした人魂までもが、イルカの背後に漂っているように見えるではないか。老眼もここに極まれり、と火影は思わず目を擦った。イルカの表情が暗いのは先ほどのアスマの話の所為なのだが、そうとは知らない火影は「そんなに暗部の話は嫌なのか」と勝手に誤解して、今日の交渉も決裂に終りそうな予感に顔を曇らせた。

「何のご用ですか、火影様?暗部の話ならお断りです。」

案の定、棘のある声で開口一番に突っぱねられて、火影はむぅ、と唸りながら後方に身を仰け反らせた。

「イルカよ、そんな風にいうものではない。それに今回はお前もそうそう軽口を叩けまい。裏暗部の長がそろそろ世代交代を、と唱えておってな。勿論裏暗部の者達は皆、お前を次期総長にと推しておる。遅かれ早かれ、お前は戻らねばならんことになるじゃろうよ。」

「裏暗部」、それは同じ暗部の部隊でありながら、その仕事内容の性質があまりに異なる故、何時の間にか区別する為につけられた俗称である。どう違うのかと言うと、「暗部」が他国や大名といった外からの依頼に対して動く公的部隊であるのに対し、裏暗部は火影個人の命令で動く、言わば私的部隊であった。常に火影の側に影のように控え、その手となり足となり動く。故に裏暗部は広義な意味で、火影の身辺警護役とも呼ばれていた。暗部の仕事よりも隠密性の高い裏暗部の仕事は、時としてその身分を隠して遂行されることが多く、その為身分を明かす証拠となる暗部の刻印は施されないのが普通だ。火影の秘密を知るという性質上、その人数は少なく誰かが鬼籍に入って空きができぬ限りメンバーの変動がなかった。そしてその存在を知る者は火影とごく一部の里の上層部の者達だけで、更に全体を把握しているのは火影ただ一人と言えた。同じ暗部の者ですら、その存在を知らぬのである。
イルカの両親はこの裏暗部の者だった。表向きは中忍として里に溶け込み、内部に密かに蠢く獅子身中の虫や紛れ込んだ鼠である間者を駆逐するといった、言わば火影の代わりに里を監視する目の役割を担っていた。二人は裏暗部の中でも優秀で、二人の身体能力を受け継ぎ、その英才教育を小さい頃から受けていたイルカは、まさに裏暗部になるために育てられていたも同然だった。
しかし、イルカ本人が裏暗部に入ることに消極的だった。今までも火影の懇願に根負けして、とか、他にその任務を遂行できそうな者が居なくて止むに止まれず、といった感じで突発的に任務を請け負ってきたのだ。
しかし、今まではそれで済んだが、最近は裏暗部のメンバーも世代交代を唱えるような年齢になってきた。イルカを求める声は日増しに高まってきている。火影の権限やイルカの意思とは関係ないところで、話は動き出しているのだ。

イルカは火影の言葉に、ただでさえ暗かった表情を更に暗くさせた。

「火影様...それでも俺は戻りたくありません。」

「そうか...」

今日は説得には日が悪そうだ、と火影は早々に判断した。

「ならば仕方あるまい。今日はもうさがってよい。」

ぺこりと一礼して下がろうとするイルカに、火影はふと独り言のように零していた。

「その実力....勿体無いのう...」

イルカはその言葉に薄く笑った。

火影様、実力があるからですよ。ありすぎるから嫌なんです。

心の中でそう返事をしながら、イルカは火影のもとを後にした。


イルカが裏暗部への誘いを頑なに拒み続けるには訳があった。イルカは強過ぎるのである。
どんな任務についても、対峙してきた敵が弱過ぎて、イルカは自分をひどく残酷な人間のように感じた。
まるで抵抗する術を持たぬ小さな虫の羽を毟ったり、その手足をもいで楽しむ子供のようだと思った。ただ子供はその行為の愚劣さに微塵も気がついていないが、イルカは気が付いていた。せめて、相手がもっと強ければと思う。自分が罪悪のような後ろめたさを感じぬほど、強くあってくれたら。

弱い者いじめは性に合わないんだよなー。その点、教師はいいよな。正義の味方っぽいもんな。

イルカはそんな呑気なことを考えながら、それもいつまで続けられるのか、と自分の将来を憂えて深い溜息をついた。





「なんの手がかりも掴めないってどういうこと?あああ〜鬚なんかに頼った俺が馬鹿だった!本当に使えないねぇ〜。」

上忍待機所でカカシが銀の髪を掻き毟りながら、アスマに当り散らしていた。アスマはそんなカカシの態度には慣れたもので、気にすることもなく煙草を胸のポケットから1本取り出すと、口に咥えてゆっくりと火をつけた。苛々とした様子で、右へ左へ行ったり来りを繰り返すカカシを煽る様に、アスマはわざとドーナツ型の煙を吐き出して見せた。

「何遊んでるの!?俺の話、ちゃんと聞いてる?」

そのお遊びにすぐに食らいついて息巻くカカシに、アスマはやれやれといった感じに苦笑を洩らした。

「聞いてるぜ。仕方ねえだろ、カカシ?かなり手をつくしたが、その...黒蝶とやらについての行方は全くわからねえ。はっきり言ってお手上げだ。」すまねえな、と潔く謝るアスマに、カカシは一瞬驚いたような顔をして、その後すぐ落胆に肩を落とした。

「簡単に匙投げないでよ...へこむデショ、俺が。」

言いながらカカシはアスマが座っている長椅子に自分も腰を下ろした。そして長椅子の背中に体を預けて、はあ〜っと一際大きい溜息をつく。
そんなカカシを横目で見ながら、アスマは何か言いたげに口を開きかけた。しかしアスマは言おうか言うまいか決めかねている様子で、開きかけた口をすぐにまた閉じてしまった。

「何?アスマ。何かあるの?」

アスマの様子に、勘の鋭いカカシは何か閃くものがあった。アスマは少し顔を顰めて、眉唾な話だ、と断りを入れて話し出した。

「裏がとれてる訳でもねぇし、信憑性の無ぇ話だから黙っておこうと思ってたんだけどよ。...カカシお前、裏暗部って聞いた事があるか?」

「う、うらあんぶぅ〜!?」

アスマの思い掛けない言葉に、カカシは「はあ?」といった間の抜けた調子で返してしまった。そのあんまりな反応に、アスマは言うんじゃなかったと早くも後悔している様子だった。渋る表情を浮かべたアスマに、カカシは慌てて先を促した。突拍子も無い話の展開だからと一笑に付すことはできなかった。何せ藁にも縋る気持ちなのだ。

「いいや、今はじめて聞いた...何ソレ?」

「暗部の中に裏暗部って呼ばれる組織があるらしいぜ...情報を集める中で、暗部の服を着ているのに腕に暗部の刺青の無ぇ奴に助けられたっていう奴が、意外にいてよ...」

「こ、黒蝶に...!?」

「いや、それがそうじゃねえ。特徴を聞くと年齢から背格好から全く違う...。つまり腕に刺青の無い暗部は黒蝶の他にもいるって事だ。そこから考えられることはなんだ?カカシ。」

「....部隊があるな....確かに。暗部の格好をしているのに暗部じゃない...何か別の...それが裏暗部?」

「それが分からねぇ。裏暗部の話は実しやかに流れる流言蜚語の類だ..。風の如く跡を残さぬ、影のような組織があるっていう...な。だが、俺にはどうも黒蝶と裏暗部の話が無関係には思えねぇ。」

アスマの言葉にカカシは全ての事柄があるべきところに収まった気がした。なるほど、そうだったのか、とカカシはまだ漠然としたその情報に胸を躍らせた。

「ありがと〜ね、アスマ。俺も何となくわかっちゃった...アスマの言う通り無関係じゃないね、絶対。」

ふ〜ん、へえ、流石アスマ、すごいねぇ、と手放しで無邪気に喜ぶカカシにアスマは何かよくないものを感じた。

「おい?まだ本当かどうかも分からねぇ話だからな?」アスマは不安になって念を押した。

だが既に手遅れなことを1秒後に知ることとなる。

「俺さ、いいこと考えちゃった。」

アスマ手伝ってよ、と凶悪な笑顔でカカシが強請る「いいこと」が、ちっともいいことではないことを、アスマは聞く前からわかっていた。


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