話の舞台
百人一首にある天智天皇の歌
「秋の田の 刈穂の庵の 苫を粗み 我が衣手は 露に濡れつつ」
そのまま解釈すれれば、稲刈りのための仮小屋は隙間が多いため、私の服は夜露に濡れてしまったという、農民の気持ちを歌ったもので、天智天皇は何と優しい心の持ち主であろうかと、一同拍手喝采である。
絵について
乙巳の変(645年)で宮廷を牛耳っていた蘇我氏を滅ぼし、その後大化の改新を行い、初めて天皇中心の国家を作り上げたと言われる中大兄皇子(後の天智天皇)。その生涯で大きな出来事と言えば、663年に白村江の戦で大敗を喫したことも挙げられる。朝鮮半島の同盟国であった百済が新羅に侵略された時に援軍を派遣したが、逆に唐と新羅の連合軍に返り討ちにあった。
唐や新羅の報復を恐れた中大兄皇子は北九州の防衛を強化。そして667年に都を近江の大津京に遷都した。目的はもちろん防衛のためだ。
対外戦争に防衛強化に遷都。国民の負担は増すばかりだ。百人一首の歌が農民の心を歌ったものだと言えなくもないが、果たして優しい大王(おおきみ)だったか? 「苫を荒み」は「宮殿の守りが手薄だ」としか思えない。
ある日、天智天皇の所に皇后がやって来た。突然の訪問に刺客かと殺気立つ側近たち。天智天皇に心休まる日などなかっただろう。 |