画家 牧島要一
生年月日 1897(明治30)年11月20日生まれ
太田中学大正2年卒 東京芸術大学洋画科岡田三郎助教室を大正10年卒 昭和3年第9回帝国美術展に「初秋」が入選。
昭和16年結成の群馬美術教会会員。
昭和13年から桐生工業中学校教諭として勤務し、桐生工業高等校になってからも勤続し昭和39年に退職。
群馬大学工業短期大学部の非常勤講師となって昭和35年から昭和38年まで「色彩および図案」の授業を受け持った。
桐生倶楽部の歴代理事長と地元の名士達の肖像画を数多く制作し、西田校長のものなど優れている。風景や人物の達筆な優れた作品もかなり残っている。
老 人 | 紫 陽 花 | 婦 人 |
葡萄と壺 | 桐生倶楽部美術部 | 菊と壺 |
牧島先生から東京芸術大学の学生時代の聞いた話を記したい
★入学して岡田三郎助の教室を希望して入った生徒は、その年2名だけで他はすべて人気絶大だった黒田清輝の教室に押しかけてしまったのだそうだ。
岡田三郎助は2人の生徒を大事にしてくれて、学校へは通わずに先生の私邸へ赴き、書生としてのかたちで、先生の自宅で授業を受け、冬はこたつで講義を受けたそうだ。当時芸大の生徒は袴をはいていたそうだが、岡田は2人に洋服を与えて着せ、月謝(授業料)を学校へ納めに行ったら、先生が支払ってあったそうで。驚いたと言う。
桐生高専 西田校長 | 相生の松 | 天利和尚 |
T・H氏の肖像 | 馬のいる田舎 | 風 景 |
★牧島先生は私に石膏デッサンを勧めて教えたが、時おり手を握って線の運びと形のとり方を教えてくれた。また常にマリー・ロウランサンや若いときのピカソ・マチスの木炭デッサンの複製を脇において比較しながら表出方法を示唆してくれた。
表紙へ戻る | 始めに戻る | 次の頁 |