このページは、ムスコの腸重積の記録です。誰かを非難したり中傷したりするものではありません。また個人や団体名、医学的なことについてはお答えできません。あくまでも「うちの場合」の話ですので、そこのところをお汲み取り下さい。赤ちゃんを持つお母さん達の何かの参考にでもなれば幸いです。
「腸重積」という病気について。
著書「育児の百科」の中で、著者の故・松田道雄先生は概ねこのように書いていらっしゃいます(うちにあったのは30年以上も前の古い版です。現在の版では多少変っているかもしれません)。
「この病気は腸が”いれこ”のようになってそこから先の血流が止まってしまい、放置しておくと腸が腐ってしまうものである。最悪の場合は死亡することもある、恐ろしい病気である。症状はイチゴジャム状の下痢や嘔吐等数々あるが、それらが無い場合もある。一番特徴的かつ絶対的なのは、数分置きの発作的な激しい腹痛である。腹痛があまりに激しいため、言葉を話せない赤ちゃんでも体を縮めて激しく泣く。痛みは激しいが、痛みと痛みの間は何ごとも無かったかのようにケロリとしているのが普通である。この時にはぐっすり眠る赤ちゃんもいる。この病気の第一発見者は、殆どの場合母親である。発症してからの30分が鍵を握る。もし腸重積が疑われる場合は、たとえ救急車を呼んででも、一刻も早く小児外科のある病院に運ぶべきである。処置が早ければ高圧浣腸で整腹できる。場合によっては腐った腸を手術で切除する事になる。女児よりも男児に圧倒的に多い。2歳を過ぎると発症件数はぐっと減る。」
私はムスコを産んだ直後といっていい時期にこの本を何気なく読んでいて、上の記述に偶然気付いたのでした。
「男の子に多いのか、ムスコも気を付けなくちゃ。2歳になれば一安心だ。発作的にくり返す腹痛。覚えておこう。」
こんなふうに思ったのを覚えています。
97/3/13(Thu)
3:00AM
寝ていたムスコが突然「うんち!」と飛び起きる。時計を見ると午前3時になったところだった。何だかとても慌てた様子でトイレに駆け込んだ。お尻を拭いてやるためについていったが、すぐに「出なかった。」と布団に戻る。ところがそれから10分程経った頃、再び「うんち!」と泣きながらトイレに駆け込んだ。が、今回も何も出なかったらしい。
(お腹の具合が悪いのか?夕べ、何食べたっけ?)
などと考えていたら、またもや「うんち!」と泣きながらトイレに駆け込んだ。
ムスコは当事4歳9ヶ月で、うんちさえ拭いてやればあとは一人でトイレができた。私のお腹の中には8ヶ月になるムスメがいた。大きなお腹を抱えていつものようにアニメの仕事をし、いつものように2:30AM過ぎ頃に布団に入り、ウトウトしだした頃だったのだ。
トイレに駆け込んだムスコは便器に座ったとたん安心するのか座ったままこっくりこっくりしている。「出なかったの?それじゃあお布団で寝よう。」と声を駆けるとのろのろとトイレから出て、布団に入る。そしてまた数分経つと「うんち!」と泣きながらトイレに走るのだった。
さすがにこれは変だなと思い出した。なにしろほとんどパニックのようにトイレに走るのに、なにも出ないのだ。もしうんちが出たら拭いてやらなければならないため、私も大きなお腹をかばいながらムスコといっしょに布団とトイレを往復した。
3:30AM
ダンナを起こす。私のかわりにムスコとトイレに行ってもらうためだ。お腹の赤ちゃんは結構大きくて、臨月と言っても誰も疑わないくらいだった。そんなお腹で数分置きに立ったり座ったりはかなりきつかった。
ムスコは相変わらず数分置きにトイレに走り、便器に座ったとたんうとうとする。「うんち」と言うが本当にそうなんだろうか?
私が子どもの頃「お腹が痛い。」と言うと、母は「トイレに行っておいで。」と言ったものだった。トイレで出すものを出してしまえば、さっきまでの痛みはうそのように消えた。
だから私もムスコが「お腹が痛い。」と言うたびに、母に言われたようにムスコに言った。そしてやっぱりムスコも、それでさっぱりしていたのだった。
(もしかしてうんちなんじゃなくて、お腹が痛いのか?)
この日はムスコと私が入っている育児サークルの、年度最後の活動日だった。ムスコはこれでこのサークルを卒業して、4月には幼稚園に入る。2年間お世話になったサークルの最終日という事と、サークルでの友達の様子を撮った写真をみんなに渡したかったのとで、今日はなんとしてもサークルに出たかった。ムスコの他にもサークルを卒業する子は何人かいて、今日を逃せばこの先はまず会う事は無いだろうと思ったから。
4:00AM
ムスコは相変わらずトイレと部屋を往復している。でも、何も出ないのだった。熱は平熱とほとんど変らない。
大分前に病院でもらった浣腸があるのを思い出した。だが説明書には「痛みの強いときはむやみに使用せず、医師に相談する事」というような事が書かれてあるし、第一やっぱり古すぎる。
ファンヒーターとホットカーペットをつけて、布団に入らなくても寒くないようにする。
ムスコが「(お腹が痛いのに)誰も助けてくれない−。」と泣いた。その言葉が胸に突き刺さる。
私はムスコの具合が悪くなると、いつも
「大丈夫、ママがついてるよ。ママが助けてあげるから、一緒にがんばろう。」
と言ってきたのだった。だが、今はなにもしてやれない。
(お腹が痛いとしたら、何だろう?)
この前の年ぐらいか、それともその前だったか、「O-157」が日本中を震撼させた。食中毒?
(いや、それなら下痢をする。嘔吐だってあるはずだ。)
私も食中毒の経験があったが、トイレでうとうとなどできなかった。激しい腹痛と止まらない下痢と嘔吐。やはり食中毒とは違うように思った。
(じゃあ、何だ?)
5:00AM
ダンナがムスコをみてくれている間に、ついウトウトしてしまったらしい。ムスコはやはり数分置きにトイレと布団を往復している。「数分置きに」というのが、とても引っ掛かる。松田先生の本には「発症してからの30分が鍵を握る」と書いてあった。もう2時間経っている。
「あのさ、ちょっと気になる病気があるんだけど……。」
「なんや?」
「“腸重積”っていうんだけど、本で読んだ症状と似てるんだよね。ただその病気、2歳を過ぎるとほとんど起きないんだって。」
「ほんまか?なんやろな?トイレに行ってもなんも出えへんし。さっきちょっと吐いたで。食べたモンは入ってへんかったけど。」
「朝一番にD病院に行こう。悪いけどダンナも一緒に行ってくれる?」
「う〜ん……。ええわ、行ったるわ。」
「もしかしたら入院になるかもしれないから、準備だけしておこうか。」
アニメの仕事がまだ残っていた。今日の昼過ぎまでがんばって出せば、明日の〆切りに間に合うはずだったが、そう言ってもいられない。会社には事情をFAXで連絡し、送り返す準備をする。入院のしたくもとりあえず済んだ。
7:30AM
ダンナと交代で朝食をとった。
ムスコは相変わらず「うんち!」と泣きながらトイレに走る。「お腹が痛い。」とは言わなかった。そして結局何も出ず、ふらふらしながら部屋に戻ってくる。
この早い時間に、迷惑を承知で同じサークル友達のTさんに電話をかける。今日のサークルには出られないだろうから、かわりにみんなに写真を渡してもらおうと思ったからだ。Tさんは快く引き受けてくれた。
8:00AM
ダンナとムスコと私の3人で家を出た。出がけにも吐いた。黄色い胃液だけだった。
姑が心配そうに見送る。それだけのことなのに、なんだか「母親のくせに何もしてやれんのか!?」と姑に責められているようで、ついムスコに
「もう、しっかりしなさいよ。ママも体、辛いんだから!」
と強い調子で言った。泣きながら
「うん。わかった。がんばる……。」
と答えるムスコ。
(ごめん、怒ってるんじゃないんだ。ほんとは心配なんだ。おばあちゃんの手前、思ってもいない事を言ってしまったんだ。かわいそうなことをした……。)
ムスコは苦痛のために自分では歩けず、ダンナにおんぶしてもらう。ダンナの背中でも時折「うんち!」と泣いた。
Tさんに写真を預け、タクシーを呼んでもらう。タクシーが来るまで、とても長く感じられた。
受付が始まる8:30AM頃にD病院に着いた。ダンナも公衆電話で会社に休む旨、連絡する。診察の順番はどうやら一番か二番のようだった。
9:00AM
女医のN先生に診てもらう。看護婦さんにあらかじめ症状をかいつまんで話してあったのですぐに診察台に仰向けに寝かせられ、腹部を触診しながらの経過説明となった。浣腸をしようと思ったが結局しなかった事を話すと、
「それじゃあ、してみましょうか。」
とその場ですぐに浣腸をしてくれる。その間もムスコは痛みと恐怖から
「N先生、もうやめて下さい。お願いします。もうやめて下さい。」
と泣いているのだった。
浣腸剤が効いて来る間に先生と話す。
「こんなふうに、数分置きに腹痛をくり返す病気があるんです。ただ、ムスコ君ぐらい大きな子にはまずあんまり……。う〜ん……。」
「先生、実は私もその病気を心配しているんです。」
(もう6時間も経っている……。)
「そうですね……。相当痛いようだし、水も飲めていないようですから、点滴をしながらこのまま病院で様子を見ましょう。お母さん、お腹も大きいですし、個室の方がいいかもしれませんね。」
(え?やっぱり入院?部屋代高いでしょ。いいよ、4人部屋で。)
と思ったが、それを言う前に浣腸剤が効いて来たようだ。看護婦さんもムスコの便を見てくれる。ごく普通の便だった。下痢でも血便でもない。
10:00AM
レントゲン、血液検査、検便、検尿をして、2階の点滴ルームに行く。点滴をしていてもしょっちゅうトイレに走った。もともとのお腹の痛みと浣腸の残りとで、かなり辛かったろうと思う。ふらふらになってルームに戻ると、畳敷きの台の上でうとうと眠っていた。
頻繁なトイレに付いていくのはダンナだった。点滴棒を押してトイレまで走り、入り口でズボンとパンツを脱がせ、個室に一緒に入る。洋式なら抱いて座らせる。浣腸剤の残りでほんの少しだが便が出るので、お尻を拭いてやる。そして親子で手を洗ってパンツとズボンをはかせ、ルームに戻る。たぶんこうなるだろうと思ったからダンナに付いて来てもらったのだが、ダンナも大変だったろう。
0:00PM
点滴剤が“おかわり”になる。時々ほんの少しだが、胃液を吐く。唾液と痰も混じって、少し泡立っていた。
ダンナと交代で売店に行き、軽く昼食をとる。
今のところ、お腹の赤ちゃんの方は大丈夫なようだ。いつものように元気に私のお腹を蹴っている。
(頼むよ。お兄ちゃんが大変だから、いい子でがんばってよ。)
1:00PM
病室が空いたというので、3人で看護婦さんについていく。3階の個室で、付き添い人用に大きなベッドがある部屋だ。4人部屋だと申し訳程度の付き添い用ベッドしか無いから、これはありがたい。冷蔵庫と電話もついている。ただ、一日7,500円の部屋代がかかる。ちょっと辛いがN先生が私の体を気づかってこの部屋にしてくれたのだろうから、黙っていう事をきこう。
病衣に着替え、看護婦さんにちり取りのようなかたちの便器を借りる。お腹が痛くなったらとりあえずこれに用を足して、あとで処理すればいい。トイレに走らなくてもいいと解って、ムスコも少しホッとしたようだ。
病室に落ち着いたのでダンナはいったんうちに戻る事にした。私の仕事を宅急便で出して、準備していた入院用具を持って来てもらうためだ。
「大丈夫だよ、ママと一緒にまたお泊まりしよう。前とおんなじだ。すぐ良くなるよ。」
そんなふうにムスコに言った。
この病院にはそれまでにも2回、入院した事があった。3歳1ヶ月と3歳3ヶ月の時だ。いずれも「ぜんそく」で。
2回とも4人部屋だった。ナースステーションのすぐ近くで、小児科の患者の中でも比較的小さな子が付き添いの母親と一緒に入る部屋だった。小さい子はちょっとした事で、短時間のうちに劇的に症状が悪化する。それを見逃したりしないようにという事だと思うのだが、その4人部屋には個人を仕切るカーテンが無かった。
ムスコはしょっちゅう便器にしゃがんでいたから、やはり今回は個室で良かったのかもしれない。
1:30PM
午前診が終わったN先生が様子を見に来てくれる。各検査の結果、盲腸ではない事、腸の様子が悪い事などが解ったそうだ。
N先生はムスコの便を見てくれている。あごに手をやって、何か考えているようだ。
「先生、少し前から便が緩くなってきているようなんです。便の量が少しなのでわかりにくいんですが、なんとなく赤みを帯びてきてもいるようです。」
「う〜ん……。腹痛は治まらないんですね?さっきも言いましたが、ムスコ君ぐらい大きい子にはまず滅多に……。」
「はあ、そうですよねえ……。」
「でも気になるしなあ……。もう少し様子を見ましょう。またあとで来ますが、何かあったらすぐ呼んで下さい。」
ここで気付いたが、先生も私もまだ一度も「腸重積」とは口にしていない。だが、お互いが何の病気を疑っているか、ちゃんと分っているのだった。
もう、10時間半が過ぎていた。
2:30PM
ムスコがそれまでのよりは少し多めの便をする。と言っても五百円硬貨位の大きさだが、その色にドキリとした。赤いのだ。真っ赤というのではなく、深いえんじ色というか、イチゴジャムをもっと濃くしたような色だった。
「先生に言わなくちゃ!」と思ったちょうどそこに、N先生が看護婦さんとやってきた。便を見るなり、
「ああ、やっぱり腸重積だった!お母さん、すぐ処置しましょう!」
そう言って、部屋についていた電話でレントゲン室を空けておいてくれるように指示を出した。
「(ムスコ君は)痛くて歩けないでしょう。お母さんもお腹大変そうだし、私がだっこします!」
言うが早いか、スリムな先生が17キロ程もあったムスコを素早く抱き上げた。
「先生、車椅子を持ってきます。」
と言う看護婦さんに、
「ううん、いいよ。このほう(だっこ)が早いから。お母さん、行きますよ!」
ムスコをだっこしたN先生と点滴棒を押す看護婦さん・そして私の4人は、落ち着いて、でも急いで1階のレントゲン室に降りていった。
3:00PM
レントゲン室では、連絡を受けた放射線科のドクターも待機していてくれた。すぐに処置が始まる。ぴたりと閉じられたレントゲン室の扉の前のベンチに腰掛けた。お腹が張ってくる。
中からはムスコの泣叫ぶ声が聞こえてくる。
「N先生、やめて下さい。お願いですからやめて下さい。」
診察室と同じ事を言っている。時々「きゃーーーっ!」と悲鳴も聞こえた。
腸重積は早いうちだと高圧浣腸で整腹できる。ただどれくらいまでが「早いうち」なのか、解らない。
腸重積を「腸が重なって押しつぶされて詰ってしまう病気」と考える人がいるが、少しニュアンスが違う。イメージとしては、靴下やストッキングを裏返す途中でやめてしまった状態に似ている。どういういきさつでそうなるのか解らないが、腸管が同じ腸管の中に入り込んでしまうのだ。当然そこから先は血が通わなくなる。血が通わなくなると腐ってくる。
(そうなったら開腹手術ってことなのかな?まさかもう手遅れなんてことはないよね……。)
少しして放射線科の先生が、問診のために来た。いつ頃から症状があったか、吐いたかなど、いろいろ聞かれる。話のあとで、先生は
「ああ、やっぱり腸重積だな。」
とつぶやいた。
扉の向こうからは、ムスコの泣き声がまだ聞こえてくる。
(ということは、まだ全身麻酔をかけてないってことだ。今はまだ手術じゃないってことだ。)
ここは手術室ではなくてレントゲン室だから、ここで全身麻酔などかけるわけは当然ないのだが、そう思った。そう思う事で、冷静を保とうとした。
幼稚園の入園式まで、あと1ヶ月を切っていた。
ダンナはまだ来ない。
4:00PM
少し前からムスコの声が聞こえなくなっていた。どうしたんだろう。
レントゲン室からN先生が出てきた。やはり腸重積だったとのこと。レントゲンで確認しながら整腹したが、なんと2ケ所も重積を起こしている所があったそうだ。レントゲン写真を見ながら先生が説明してくれた。
「まず、直腸に向かって大腸が下降する所があります。ここが一番腸重積を起こしやすいんですが、ここに一つ。それから小腸から大腸に出る所、ここにも一つ。かなり辛かったと思いますよ。ときどき強く泣いたのが聞こえたと思いますが、ちょうど薬剤が重積を起こしている所をとおった時です。途中から声が聞こえなくなりましたね。腸が整腹されて、痛みが無くなったんです。
発症して12時間以上たつと、高圧浣腸ではもし腸に腐ってる所があるとかえって危ないので、開腹手術になることが多いんです。ムスコ君、ギリギリでしたね。今、中で着替えをさせてます。浣腸剤のせいで、このへんがもう大変なんで……。」
そう言って先生は笑いながら自分のお腹や腰の辺りをさすった。
力が抜けた。お腹の張りが取れ、赤ちゃんがまたぼこぼこ動き始めた。
5:00PM
ムスコが部屋に車椅子で戻ったか、ストレッチャーで戻ったか、それとも私が抱いたか看護婦さんが抱いたか、それとも自分で歩いてか、どうやって戻ったのか全く覚えていない。その時はとにかく腹痛が治まったことを、何度も何度もムスコの顔を見て確かめていた。
「しばらくは絶飲食です。水もダメです。お腹がちゃんと動いてるのを確認してからになりますよ。ちょっと辛いけど、がんばって。」
N先生が言った。
当事ムスコは毎日飲まなきゃいけない「ザジテン」という薬があった。アレルギーの症状が出ないように、ぜんそくの症状が出ていなくても毎日2回飲まなくてはいけなかった。その他ぜんそくの症状に合わせて「ベネトリン」「テオドール」それに抗生剤をあわせて飲んでいた。
「先生、ぜんそくの薬の方は、どうしましょう?」
一緒に診に来てくれていた女医のI先生が笑って言った。
「まあまあお母さん、ここは病院やから点滴も吸入もありますから。ぜんそくの心配は今はせんでもよろしいです。(私達)みんないてますから。」
そうだった。私とした事が、気が急いてしまった。
「回復が良ければ、明後日退院ですよ。」
N先生が言う。
(ホントにそんなに早く退院できるの?まだ血便が出てるよ。)
ダンナが入院用具を持って来てくれる。処置の様子や今後の注意などを伝えた。
6:00PM
食事の時間。当然ムスコはまだ食べられない。付き添い人用の食事は出るのでムスコの目につかない所に置かなくてはいけない。腹痛が治まったムスコはしきりに何か食べたがるし、のどが乾いて辛そうだ。ダンナにムスコを見てもらって、病室の向いにあるプレイルームで食事をとる。これが4人部屋だったら同室の子が食べるのを見なくてはいけないから、ムスコによけいに辛い思いをさせなくてはいけなかっただろう。やはり個室で良かった。
腸重積は治ったが、腸に残っている薬剤のせいで下痢はまだしょっちゅうある。これはこれで可哀想だし、そのたびにベッドからおろして排便の世話をするのも骨が折れた。
8:00PM
面会時間が終わったので、ダンナだけ帰る。舅と姑に説明しておいてくれるように頼む。ムスコ、寂しそう。
ムスコ、熱が出る。38度。
のどが乾いてあまり辛そうなので、水で唇を湿らせてやる。
夕べほとんど寝ていないのと腹痛が治まったのとで、9:00PMの消灯時間を待たずにムスコは寝てしまった。私も部屋の洗面台で顔を洗って、やっと今日のことを振り返る余裕が出た。
一ケ所でも大変な重積が二ケ所あったなんて、ムスコはどれだけ辛かったろう。
高圧浣腸のタイムリミットぎりぎりで、危なかったのかもしれない。この病気のことを知っていて「気を付けよう」と思っていたのに、なぜ救急車を呼ばなかったのか。2歳を過ぎるとほとんど発症しなくなるという病気が、なぜ4歳9ヶ月にもなった子に起きたのか。この事は、その後もずっと私の心の奥に重く居座る事になる。
それにしても長い一日だった。お腹の赤ちゃんにも何ごともなくて良かった。明日は何かムスコに食べさせてやれるだろうか?
そんな事を考えながら点滴が落ちるのを見ているうちに、私も少し眠ったらしい。気付くと11:00PMを過ぎていた。ムスコは時々うなされはするが、よく眠っている。
夜半、熱が39度になる。解熱剤を入れてもらう。
97/3/14(Fry)
AM
6時頃目覚める。夜中に何度か起きて様子をみたが、ムスコはよく眠ったようだ。便意の無いときはさっぱりした顔をして、しきりに空腹とのどの乾きを訴える。
「お腹がちゃんと動いてないと、ご飯食べたらまたお腹痛くなっちゃうから、先生に聞いてからにしようね。」
何度言っただろう。
それでも処置から時間も経ってる事だし、看護婦さんに聞いてみた。聴診器でお腹の音を聞いてからすぐに先生に確認をとってくれたらしく、りんごジュースを人肌に暖めたものを少しづつなら飲ませてもいいとのこと。助かる。昨日買っておいたりんごジュースを、給茶器から汲んできた熱いお茶の中に缶ごと浸けて暖めて飲ませた。ぬる燗のりんごジュースってどんな味なんだろう。それでもムスコにはまさしく甘露だったに違いない。もっともっとと欲しがるのを、ようやくなだめた。
食事も今朝から出るらしい。ムスコ、大喜び。
部屋の電話でダンナと話す。今日は出社するが何かあったらすぐ連絡をくれとのこと。
食事は薄いお粥から始まった。お腹の病気だからあたりまえと言えばあたりまえ。海苔の佃煮と暖かいりんごジュースもついている。いきなりこんなに食べて大丈夫かな?と思うほど、ゆっくりだが食べた。
8時半の回診で、先生達が口々に
「ムスコ君、腸重積だったんだって?大変やったねー、痛かったねー。」
と声をかけてくれる。この病院は朝の回診には、急患でもない限りちゃんと全員で回ってくれる。
「お母さんも大きいお腹で大変でしたなあ。」
親へのねぎらいも忘れない。
便の回数は相変わらず7分おきと頻繁で、しかも水様便だが、色が少しずつ落ち着いてきた。その中に、昨日腸の中で出血してまだ残ってた血が、黒い粒になって混じっている。なんだかハムスターの糞みたいに見える粒だ。
PM
昼食は朝より濃いお粥だった。カレイの煮付けと麩のみそ汁、缶詰めのフルーツ付き。全部ではないが結構食べた。病院の給食は退院後の食事の参考になる。給食で出た食材と調理法を使えば、まず間違いはない。
ムスコは食事中でも便意を催すので、その面から見ても個室で良かったと思う。
少しづつ便の感覚があいてきたようだ。はじめはプレイルームから絵本を借りてきて読んでやっていたが、だんだん動きたくなってきたらしい。プレイルームに入って、大好きな電車のおもちゃで遊ぶ。
昼寝の時、付き添い人用のベッドで私と一緒に寝たがる。普段から同じ布団で寝ているので、一人で寝るのは心細いらしい。一緒に寝ていたら点滴のおかわりを持ってきた看護婦さんが、私達を見て微笑んだ。
おやつはヨーグルトゼリー。やはり暖めて食べさせる。ふと「溶けるかな?」と思ったが、意外に溶けないものだ。
夕食は軟らかめだが普通の白飯だったと思う。白身魚と野菜の煮物、卵料理、豆腐のみそ汁だったか。食が進むようだ。
8:00PM以降、下痢が止まっている。このまま落ち着いてくれればいいが。
夜も私のベッドで一緒に寝る。
97/3/15(Sat)
AM
体の動きが大分良くなって、自分のベッドと私のベッドを行ったり来たりしている。
朝食はバターロール、ジャム、りんごゼリー、暖かいりんごジュース。普通食なら牛乳が出るのだが、ミルクアレルギーの子やムスコのように消化器官の病気の子には、このジュースが出る。さすがに飽きてきたようだ。冷たいのを欲しがるが、それはまだ我慢させた。
ダンナが来る。朝の回診に間に合うように来てくれたのだ。すぐに回診が始まった。
「ムスコ君、今日、退院しよう。」
N先生が言った。
「今やってる点滴が終わって抗生剤の点滴も終わったら、(針を)はずそうね。」
9:00AM頃、13時間ぶりに便が出る。少し硬さが出てきたようだ。中に夕べのおかずの野菜がそのまま出ていた。
昼食を済ませてから帰る事にする。また仕事を送ってくれるように、病室から会社に電話をした。
PM
昼食後、退院後の指事が出る。お風呂は明日から。食事は次の受診までお粥にする事。退院後の受診は18日火曜日(N先生が担当)。
点滴が終わるのを待って退院。本当に退院できた。一昨日の今頃の大変だった事を思うと、喜びもひとしおだ。
97/3/18(Tue)
私の妊婦検診の後、ムスコ退院後初の受診。異常無し。ところが一つ、困った問題があった。
この数日後に、ムスコの1歳になるいとこと舅の合同誕生会を、うちでする事になっていた。車で数十分の所に住むいとこ達のイベントは、ほとんどいつもうちで行っていた。それはそれでいいのだが、問題はバースデーケーキだった。
消化器官の疾患だから、クリーム類は御法度なのは誰でも知っている。だが目の前のケーキをみんなが楽しく食べているのに自分だけ我慢して食べないなどということは、4歳の子どもにできるはずもない。かといってみんながケーキを食べる時に別の部屋にムスコを移したりするのは異様なことだし、病後でまだ本調子でないときにおじいちゃんといとこのためにそこまでするのはあまりにムスコが不憫だと、親として思った。
姑は
「ごめんな。ムスコは食べられへんな。かわいそうやな。目ぇの前にケーキがあんのにな。」
とは言うのだが、
「だから今年は、おじいちゃんと一緒にいとこの家に行って誕生日してくるわ。」
という発想はできないようだった。
舅も姑もいい人だ。世間で言う「嫁いびり」というものを、私は受けたことがない。子どものことも可愛がってくれる。本当にありがたいことだと思う。
しかし残念なことに、肝心なときの良識と配慮に欠けた人達だとは思う。しかも本人達には全く悪気が無い。舅達の言動でこちらの心身がどれだけ傷ついても舅達に悪気が無いことが解っているので、舅達を恨んだり憎んだり怒ったりすることで自分の気持ちを慰めるということすらできない。むしろ、悪気がない相手のことをこんなに悪く思うのは自分の心が貧しく良くないからだと、ただでさえ傷ついているのに更に自分で自分を責めてしまうことになる。
悪意があるのはもちろん良くないことだが、かといって悪意がなければいいのかというと決してそうとばかりも限らない、もしかすると悪意がない方が始末が悪いのではないかと思うことも、多々ある。
人と人との付き合いだから、多少の誤解や気持ちのすれ違いは普通にあるだろう。だがそれを差し引いても、舅たちの言動に深い失望を感じたことは何度もあり、またこの入院の半年ほど前には、
「こんな配慮に欠けた仕打ちを笑いながらする人が、人の親なのだろうか?」
と思わざるを得ない決定的な事件があり、それで私は良識や配慮というものを舅達に求めることは、とうにやめてしまっていた。
N先生にその事を相談すると、案の定渋い顔をした。
「困りましたね。退院したと言っても、腸の中はまだいつもどおりじゃないんです。病み上がりで消化管の安静が必要なんです。うーん、ケーキですか……。」
「はあ……。」
「生クリームやバタークリームは絶対ダメです。乳脂肪がだめなんです。スポンジなら、少しぐらいならいいですが。」
「スポンジならいいんですか!?」
「クリームを使わないで、油分の少ないスポンジと、缶詰めのフルーツと、お砂糖と、それぐらいならいいですよ。」
先生が「いい」と言った材料で、ムスコ用にケーキを作る事にした。
「この病気はたまに再発する事があります。しばらく気をつけてあげて下さいね。」
と言われた。もし今度こんな事があったら、迷わず救急車を呼ぼうと思った。
病院の近くのスーパーで、おやつにマフィンケーキを買って帰った。
97/3/20(Thu)
いとことおじいちゃんの合同誕生会。私はといえば仕事の〆切りがきつくて2、3時間しか眠れない日が続いていた。空いた時間があればお腹の赤ちゃんのためにも横になって休みたかったが、ムスコのことを考えるとそう言ってもいられない。市販の丸いスポンジケーキに粉砂糖を水で溶いたものを薄くかけ、缶詰めの桃やぶどうやチェリーで飾り付けした特製ケーキを作った。美味しそうに食べるムスコの顔を見て、体の辛さはどこかに吹っ飛んだ。
もうすぐ入園式だ。
97/4/22(Tue)
お産のために、前日実家に戻った。お産をするM総合病院の小児科に、ムスコのぜんそくの紹介状を持っていく。担当のT先生に腸重積のことを話すと、
「腸重積になる前に、風邪をひいていましたか?」
と聞かれた。
「?」
「実は学会で、風邪の時なんかに飲むある種の抗生剤と腸重積の関係が、数例、それでも2例くらいだったかな、報告されてるんです。」
それで思い出した。腸重積が発症する4日前の9日の夜中に、今年初めての熱を出したのだった。10日になって37度5分から38度くらいに落ち着き、他に症状もなく元気だったので家で様子を見ていた。ぜんそくの薬は十分あったので、熱くらいだったら慌てて受診しなくてよかったのだ。
翌11日には熱も下がった。ほら、大丈夫だった、私の方がのどが痛いくらいだ、なんて思っていた。
ところが翌12日、昼過ぎにムスコが二度、下痢をした。あれ、おとといの熱のせいかな、そう思って夕食はお粥にした。食欲は無かった。大好きなポテトサラダもあまり食べなかった。
そうして翌13日未明に、腸重積が発症した。
T先生に9日からの熱のこと、12日の下痢のこと、普段飲んでる薬、その中に抗生剤があったこと、ぜんそくや熱の症状に合わせて、それらの薬を飲んでいた事、風邪で熱があるとぜんそくが起きやすくなるので、熱が出た時に抗生剤を飲ませていたかもしれないこと等話す。
「数例報告があるというだけで、まだはっきり因果関係があるとわかってるわけじゃ無いんです。ただ、ムスコ君はもう大きいので、そういうことも(関係)あるのかなあ、と思いまして。」
あの時の抗生剤は、ぜんそくの発作を予防するためにも必要なものだったと思っている。風邪で抗生剤を使えば必ず腸重積になると決まったものでも無い。だが、このことは覚えておかなければいけないと思った。
98/6/18
1歳0ヶ月になったムスメが入院した。ムスコが腸重積で入院したD病院だ。その時久しぶりにM先生に会った。ムスコがぜんそくで入院した時お世話になったが、腸重積の時は新生児医療を勉強したいという事で他の医療機関に行っていて留守だった先生だ。
「ムスコ君、どうしてますか?」
と聞かれ、ぜんそくは時々出るが、以前にくらべるとましになってきた事、幼稚園に元気に通っている事、以前この病院にいたI先生がうちの近くに開業されたので、親子でそちらにお世話になっている事など話す。ふと思い立って腸重積のことを聞いてみた。
「どうしてあんなに大きくなってから起きたのか、解らないでいます。」
と言うと、M先生は、
「うーん、病気ってなんでも“例外”があるからねえ(ほんとに、解らないものだよねえ)。」
と答えた。
そうか、そうなんだ、病気も“例外なく”、“例外がある”のだ。M先生の答えでなんだかモヤが晴れたような気がする。妙に納得してしまう答えだった。
“例外”があると思えば、「大きな子には腸重積は起きない」などとは言えない。「起きるかもしれない」ことだ。それだからN先生も最初から腸重積を疑い、入院させて様子を見ていてくれたのだった。M先生の言葉は、医者として常にそういう事を考えて患者と向き合っていることがうかがえて、頼もしく思えた。
これで腸重積の話は終わりです。ムスコは今の所再発も無く、元気に学校に通っています。
「こんな大事な事書き忘れちゃった。」ってことがあったら「ここだけの話なんだけどね」のほうに書きますね。
こんな長い話に最後までつきあって下さった方、ありがとうございました。
と思いましたが、やはりこちらに続けて書こうと思います。
実は年が明けてすぐに、このページをお読みになったという方からメールをいただきました。去年の12月始め、その方の当時4歳6ヶ月になるお嬢ちゃんが、やはり腸重積になったというのです。二度にわたるその方からのメールにはお嬢ちゃんの苦しむ様子や医者の無神経な対応などが綴られており、同じ病を患った子を持つ親として非常に胸が痛みました。
ところでこのメールで思い出した事があるので書いておこうと思います。
腸重積の原因として私は本文で抗生剤の可能性をあげましたが、実はもっとはっきりした原因があるらしいことを思い出したのです。
ムスコの退院後の初受診の際、N先生から次のようなお話がありました。
「憩室(“けいしつ”=腸壁がなんらかの原因で袋状になった部分を言う。年齢が若いうちは、腸内の圧力が高まって起こる事が多いらしい)はどうやら無いようです。ただムスコ君は大きくなってから発症したので、もしかすると生まれつき腸に何か異常があるのかもしれません。ただ、今すぐに検査をしなきゃいけないようなものでもありません。もし再発するようならその時詳しい検査をして、何か異常が見つかったら、例えばポリープとかですね、そうしたらその時対処しましょう。」
当時学会でも数例の報告しかなかった抗生剤の可能性よりは、おそらくこの「腸そのものの異常」の方が、原因としては大きな部分を占めていると思われます。
こういう大事な事をすっかり忘れたままWEBサイトにアップしてしまうんですから私も相当なおポンチですが、今のところムスコは再発する事もなく元気にしております。
メールを下さった方のお嬢ちゃんもムスコと同じように元気にされていることを願っております。