禁忌

どこのお祭りにもあるように、田名部祭にも禁忌(タブー)があります。その中からいくつかご紹介しましょう。

今更申し上げるまでもなく、田名部祭は「御神事」です。日本の神道で最も忌み嫌われるものに「穢れ(けがれ)」がありますが、穢れの中でも一番神経質になるのが「人の死」です。
祭の直前に死者が出ると、通夜や火葬場の使用、告別式などのスケジュールを組むのが大変だそうです。今はどうなっているかよく知りませんが、以前は祭の最中は葬式も出せなかったという事でした。昔は今と違って、葬祭は近所の人たちの手伝いでなんとか切り盛りしていたという事情があったでしょうから、みんなが心待ちにしている祭の最中に、葬式の手伝いをさせるわけにはいかないというような遠慮の気持ちも、もしかしたらあったものかもしれません。
山車が死者の出た家の前を通りかかると、その家に住む人は戸をぴたりと閉めて奥にこもり、山車が通り過ぎるのをただひたすら待ったものだそうです。

身内から死者が出ると、基本的に次の祭には参加できなくなります。半纏を着たり、山車を引いたりすることはできませんし、郷社参拝も正面からはできなくなります。一年以内に身内に死者があったのを隠して祭に参加すると、怪我人が出たり、山車の運行が上手く行かなくなったり、山車が壊れたりすると言われています。
このタブーの期間については各組で扱いが違うようで、義勇組に関しては、完璧にその人個人の考え方にまかせる、としているそうです。何が何でも丸一年過ぎるまでは半纏を着ないという人、丸一年経ったわけでは無いけれど新盆は過ぎたから半纏は着ようという人、四十九日が過ぎれば忌明けが済んだとして半纏を着る人、様々なようですね。
また、今回亡くなったのは同居していた親だから半纏は遠慮するとか、亡くなったのは実家の親(つまり、名字が違っている)だから半纏を着ても構わないとか、自分達は子どもだから我慢するけれど孫にあたる自分の子ども達には半纏を着せようとか、それなりにフレキシブルに対応してもいるようです。

ところで私のような祭バカは実家の年寄り達に「祭さかだれなぐなるして、死なねんでね。」(訳:(身内が死んだら)祭に参加できなくなるから(まだ)死なないでね。)などと言ったりします。
「元気で長生きしてね。」なんて、とてもじゃないけどこっぱずかしくて言えませんが、祭にかこつければ同じ意味の事をさらりと言えてしまうから不思議です。

もう一つ、どうしてもこの話になってしまって恐縮なのですが、これは避けられません。「女人禁制」ということです。
山車に乗っていいのは今も男子のみです。小学校低学年くらいまでの子どもなら女の子でも山車の二階の御神体の足元に座る事はできますが、小学校中学年くらいになると、身内の年寄りから「乗ればダメだ。」と言われるようになります。初潮を迎えてしまったら、いよいよいけません。
お囃子を奏でる「乗子(のりこ)」も、山車のかじ取りをしたりかけ声をかけたりする「べんじゃ」も、みな男です。だいたい男でなければ組に入れません。「(おなごが山車に乗れば)神様が怒るから」「昔からそうしてきたから」という理由で今も続いているタブーですが、祭を心から愛する女性の方々には、なんとも無礼千万な話ではありませんか。

ところで実家の父が私にこう言った事があります。
「私が子どもの頃はおなごが半纏を着るなんて、考えられなかった。山車の綱をおなごが引っ張るなんて事もできなかったもんだ。おまえ、(そういうことができるようになった時代に生まれて)良かったなぁ。」

そういえば私もいつだったか組の人に、「“べんじゃ”ばやってみねが?」と声をかけられた事がありました。やってみたいのはやまやまでしたが、やはり遠慮する気持ちが先に働いて、結局しなかったんですよね。もったいないことをしたもんです。
その時聞いた話では過去にたった一人だけ、ほんのわずかな時間ですが「べんじゃ」をやった女性がいたという事でした。
山車の神様の足下に座る子どもも、義勇組が他の山車に先駆けて女子も許した、という話も聞きました。
時代とともに私達の日々の営みも、少しづつ少しづつ変わっていきます。私のひ孫くらいの代には、女の「乗子」が「ヤマヤレ」を奏でているかもしれません。私はひ孫の更にひ孫にでも生まれかわって、女性初の組頭を目指す事にします(←結構本気)。

あ、もう一つ、「山車を二階から見てはいけない」というのがあります。「神様を上から見下ろしてはいけない」からです。そういった意味を知っている方達は家の二階から降りてきて山車を見ますが、知らない皆さんは平気で二階、三階の窓から身を乗り出して見ています。さすがにそれはあまりいい気分はしませんが、でも入院している病院の六階・七階の窓から、カーテンに隠れるようにしてそっと遠慮がちに見ている患者さん達を見ると、「いいんだ、いいんだよ、そこから見でも。早ぐよぐなって、また思う存分見でけさまい(訳:見て下さい)。」と思ったりします。昔の人達は、お城以外の建物でまさか四階建て五階建て、いえそれ以上の建物が建つなんて想像もできなかった事でしょうし。

「いい」とか「悪い」とかではなく、「そういうもの」として長い間受け継がれてきた「タブー」。とはいえ、やはりタブーも私達の生活とともに、ゆっくりゆっくり、少しづつ変わっていくものなのかもしれません。