紅蓮の灯火
第二話
炎に包まれる双葉。紅葉は鉄扇を開くより早く、炎の中から刀が飛び出して、地面から顔を出している怨霊に突き刺さる。
途端にもがき苦しむ怨霊、双葉を包んでいた炎も消えて今は刀だけが炎を身にまとっている。
「悪いけど、火之迦具土神の加護を得ている私には炎は効かないの。だから私を燃やしたかったら、これぐらいしないと!」
一気に炎を舞い上げる双葉の刀。その力は地中にいる怨霊にも伝わり、地中にいるにも関わらずに怨霊を焼き尽くしてしまった。
「大丈夫、双葉」
駆け寄ってくる紅葉に微笑を返す双葉。
「私に炎は効かない。それぐらい知ってるでしょ」
確かに双葉の巫女装束には燃えたあとも、焦げた形跡すらない。
「それは知ってるけど、あまり加護の力を過信するのも良くないわよ」
「大丈夫、分ってる。さっきのは完全に私の油断、どうやらこの村はそう簡単には行かないみたい」
「そうね」
いくら地中からの奇襲でも普段の二人なら、それをすぐさま察知できただろう。だがこの村に入ってから、二人の霊感が鈍っているというか、邪魔をしている物があるようだ。
「でも、これで焼死体の謎は解けたわね」
「そう、この怨霊は触れるだけで相手を燃やす事が出来る。私はともかく、紅葉が喰らったら大変」
「何を言ってるの双葉」
呆れたような目線を向ける紅葉。だが紅葉にはそうさせるだけの理由がある。
「私は天之水分神の加護を得ているのよ。炎は私には効かないわよ」
「……一体どれくらいの加護を得ているのよ」
天之水分神、雨の神、つまり水神である。
だが紅葉が加護を得ているのは天之水分神だけではない。その他にも幾つかの加護を得ているのだから、その防御力は絶大だ。まあ、霊的なものに関してだけだが、物理的な物にはさすがに効果は無いようだ。
だが、相手が炎を使ってくるなら、紅葉は天之水分神の加護で無効化できる。そして双葉は火之迦具土神の加護を得ている。つまり、二人には村人の霊力が発する炎が効かないと言う事だ。
それが分っただけでも大分有利に事を進められる。後は村の異常を突き止めるだけだ。そのため、二人がその場を後にして村の探索を進めようとしたときだった。
突如、再び微弱な霊気を二人は察知する。それは微かな霊気でほとんど力を持っていないことは明らか。つまり、二人に襲い掛かってくるだけの力が無いと言うことだ。
だが霊気を感じる事は確かだ。二人は振り返って先程まで戦闘していた場所に目を向ける。
そこには、地面に小さな霊気の塊があり、徐々に霊気を集めている。
その事に驚きを隠せない二人。
「嘘、なんで?」
紅葉の方に振り向く双葉。だが紅葉も首を横に振ってみせる。
「分らない。ただ、分ってる事は……さっき倒した霊達が復活しようとしている」
「ッ!」
二人の武器には大直日神、つまり浄化の力が宿っており、それで攻撃された者は強制的に成仏する。だが、先程倒した霊達は成仏するどころか霊体として復活しようとしている。
「どういうこと?」
自分達の力が弱まったわけではない。なにか特殊な力が働いているのだろうと、紅葉は復活しようとしている霊達に手をかざしてみる。霊視ではっきりさせようというのだろう。
(……これは、違う! 自らやってることじゃない!)
「双葉!」
驚きを隠せない表情で双葉に振り返る紅葉。
「この村の人達、地縛霊よ」
「いくら地縛霊でも、大直日神の力なら」
「違う、そうじゃないの!」
双葉の言葉を遮り、紅葉は説明を再開する。
「この人達、確かにこの地に縛られている地縛霊だけど、自らの意思で地縛霊になったわけじゃないの」
「というと?」
「誰かは分らないけど、この人達は誰かの力で地縛霊としてこの地に縛り付けられての。しかも……かなり強力な力で」
真剣に語ってくる紅葉の目を見て、この事態が異常な事を察する双葉。
確かに、普通の地縛霊なら私の刀で簡単に霊体の呪縛を切り裂く事が出来るけど、それが出来ないってことは……それ以上の力で縛り付けられているって事?
普通に考えてもありえない。だって私達の力は大直日神の力を宿してる。神の力でも切り裂け無いほどの呪縛で霊達をこの地に留めているって事。
正直、信じられないという顔を向け合う双葉と紅葉。だが、すぐにそれが不可思議でない事に気付いた。
「もしかして……」
「その可能性が大きいわね。たぶんだけど、これは儀式で作り出された現象だと思う」
「それに村を焼き尽くす行為をしたと言う事は、暴走した可能性が高い」
「そうね、まずそれに間違いないと思う。それに、儀式も回数を重ねれば神格化するから、そうなっちゃうと大直日神の力も届きにくい」
「どっちにしても、かなりやっかいな者がいるのは確か」
頷く紅葉。二人の武器で最大の特徴である大直日神の力が使えないと言う事は、かなりやっかいだ。なにしろ、霊体と言うのは倒しても浄化しないとこの世からは消え去りはしない。
だが二人の武器には常に大直日神の力が宿っているため、一回倒すだけで成仏させる事が出来る。それ故に、最低限の戦闘回数で済ますことが出来たのだが、今回のケースはかなり違ってくる。
一回倒した霊体も浄化できない以上、時間が経てば復活する。そうなると再び戦わなくてはならない。しかも、そこで倒してもまた復活する。嫌な循環が続くと言うわけだ。
それに二人の体力も霊力も限界がある。何度も復活する相手をいちいち相手にしていられない。そうなると大元を早急に倒さないといけない。
つまり、村人の霊体をこの地に縛り付けている何かをだ。
「それで、どうする双葉」
これからの方針を聞いてくる紅葉。この二人がコンビで行動する場合は双葉が行動の決定権を持っていることが多いようだ。なにしろ、双葉は幼い頃からこういう経験を積んでいるため、紅葉とは場数が違う。だからこそ、紅葉もこういう時には双葉に判断を任せるようだ。
……いつもどおりに力押しは効かない。いくら戦ってもこちらが消耗するだけ、そうなると……村が焼き尽くされた原因を調べるのが一番手っ取り早い。どちらにしても、私達は裏で手招きしている大元を倒さないと、この村から出ることが出来ない。
「とにかく情報を集めよう。焼け残った民家から何かしらの情報が出てくるかもしれない。後はその情報を手がかりにこの人達を縛り付けている大元を倒す」
「分ったわ」
紅葉が返事を返すと二人は門を後ろにその場を後にする。
そして少し歩いたところに、かなりしっかりと建っている家を発見した。三分の一は焼け落ちているようだが、村の端にあるため被害が少なかったのだろう。
「どうするの?」
この家に入るかどうかを聞いてるのだろう。そんな紅葉に双葉は振り返る。
「家の中はどうなってる」
「う〜ん、特にこれと言った者は感じないわね。まあ、潜伏してる可能性もあるけど、さっきのように」
妙に最後だけ強調する紅葉。どうやら先程、双葉が油断してやられた事をからかっているのだろうが、双葉は内心思っている事を表に出さずに家へと向かう。
確かにさっきのは完全に油断。だから、これかは気を引き締めないと。
最近、楽な仕事ばかりだったから双葉も今回の仕事を軽く見ていたのだろう。だが、先程の事が双葉の気を引き締める。
一方の紅葉は双葉の反応につまらなそうな態度を示すと、双葉に続いて家へと向かう。
そして二人は家の前に辿り着くと、双葉は紅葉に向かって手を差し出す。その手を紅葉はしっかりと握り、もう片方の手を家へと宛てる。
「……ダメ、何も見えてこないわ」
「そう、でも、とりあえず中に入ってみよう。何かしらの手がかりが見つかるかもしれない」
「そうね」
長い時間を得て、しかも三分の一は焼け落ちていると言うのに、家の扉はすんなりと開いた。
そして土間と言うのだろうか。部屋の中央には囲炉裏があり、昔の家をそのまま絵に描いたような光景が広がっている。
家の右側は焼け落ちてていけないか。
入り口から辺りを見渡す双葉。確かに家の右側は焼け落ちており、梁や柱が落ちて道を塞いでいる。更に扉と言うものも、その存在をなくしている。
更に辺りを見回す双葉。
行ける場所は、家の奥と左側だけか。まあ、右側が村の中心地に向いてるから被害が大きかったみたい。
「行ける場所は家の左側と奥か、双葉、どっちに行ってみる?」
どちらに行くか尋ねてくる紅葉。だが双葉は逆に紅葉に尋ねてる。
「どっちからか、何か感じる?」
「どちらからも全然、やっぱり家自体に何かがあるわけじゃないみたいよ」
「……じゃあ、奥に行ってみよう」
双葉が奥を選択したのにはちゃんとした理由がある。この手の家は必ず奥に住んでいる者の住居スペースがあり、手前には客間とか、炊事場があるからだ。
だから、情報が欲しい双葉が選択したのは奥。そこなら居住者の何かが残っていてもおかしくは無いからだ。
長い間、放置されててたため、埃や灰などが囲炉裏場には溜まっており。そのため、土足で上がる二人。まあ、この場合はしょうがないだろう。それに普段吐きなれいる下駄の方が緊急事態に対処しやすい。
二人が下駄を履いているのには幾つか理由がある。一つに天城神社が伝統を重んじてる事。天城神社は古くからの神社であり、退魔士は動きやすい草履より、術が仕込みやすい下駄を重宝したため、今でも天城神社の退魔士は下駄を履く事になっている。
その二に、バランス感覚を養う事。下駄は草履に比べて不安定であり、結構歩き難かったりもするが、それでも慣れればバランス感覚が養われ、更に熟知すれば、草履よりも足の力が一点に集中する分、初動から一気に自分の間合いに持っていける。
そんな事もあり、二人は下駄を履いているわけだ。そして独特の足音を立てながら、二人は奥へと続く細い通路を進んでいく。
家自体からは何も力を感じない事から、この家に何かしらの霊的な物が設置されているわけではない事は先程の霊視で分っている。となると、残るは潜んでいるかもしれない霊体だ。
こればかりは接近してこないと分りはしない。
だが幸いな事に、二人は何事も無く家の奥へとでた。そこは裏庭と裏口だろうか、広い庭の向こうに、竹で作られた柵と簡単な門が設置されている。
そうなると、この辺が居住者の部屋になるのかな。
そう推測した双葉は紅葉と一緒に一つの部屋に入ってみる。そこはかなり広い部屋、というか、襖が全て無いため、かなり広く感じるが、一部屋自体はそんなに広くないようだ。
「ここは?」
紅葉が尋ねてくると双葉は少し考えてから答えを出す。
「たぶんだけど、居間と寝室だと思う。それぞれの部屋を区切っていた襖が焼け落ちたから、広くなったと思う」
「……そうみたいね」
紅葉も辺りを見回してそうだと思った。何しろ部屋には大きなテーブルと奥の方には、それぞれ押入れがある。たぶん、あの中に布団がしまってあるのだろう。
そして更に奥へ目を向ける紅葉、やはりそこには壁があり、その一番左側には襖があったのだろう。襖一枚分のスペースが開いていた。たぶん、そこにあったであろう襖も焼け落ちたのだろう。だが襖があったと言うことは部屋があるようだ。
「双葉、あそこ」
奥の部屋を指差す紅葉。双葉も奥の部屋に気付きそちらに目を向ける。
「あの部屋から何か感じる?」
頭を横に振る紅葉。どうやら奥の部屋にも霊は居ないようだ。そうなると行ってみるのが手っ取り早い。二人は奥の部屋へと歩みを進めた。
そこは四畳位の狭い部屋ではあるが、小さな机や鏡台、それに本棚の小さい物が置いてあった。どう見ても誰かの私室だろう。
だが、これだけの物があれば何か発見できるかもしれない、二人は部屋を捜索する。いくら亡くなった人の部屋と言っても勝手に物色するのは気が引けたが、この村の事態を考えるとそうも言ってはいられない。
さすがに四畳の部屋に二人もいればかなり狭いが、それでも捜索をし続ける二人。そして双葉は足の低い小さな机の上に何かを発見する。
……本?
確かにそれは本の形をしているが表紙には何も書いてないうえ、埃まで積もっている。しかたなく埃を手で払う双葉。紅葉に窓を開けてからやってと文句を言われながらも、それは正体を現してきた。
これは、日……記帳?
中を見てみる双葉、それは日付は書いてないが確かに日記帳のようだ。
「紅葉」
すぐ後ろに居る紅葉を呼んで日記帳を差し出す双葉。紅葉もその日記帳を手に取って見る。
「日記帳か。この手の類には結構その人の念が入ってる場合が多いから、何か見えるかもしれないわね」
「じゃあ、お願い」
そう言って手を出してくる双葉、紅葉も空いている手で双葉の手を取ると、紅葉は日記帳の霊視を開始する。
そして世界は一変してセピア色に染まり、二人の前をある女性が炎の中を走り回っている。そして女性が動くにつれて、二人が見ている光景も女性に合わせてどんどん代わる。
この人が日記帳の持ち主か。
そう判断する双葉。日記帳などのプライベートな物にはその人の念が入りやすい。逆言えば他人の念が入ることは絶対に無い。だから目の前を走っている女性こそが、この日記帳の持ち主である事が分るわけだ。
その女性はまだ若く、たぶん二十代だろう。それなりの若さを保った女性だが、村を焼いている炎の中で必死に叫びながら、何かを探しているようだ。
「茉莉! どこ行ったの茉莉!」
誰かの名前だろうか、その名を必死に叫びながら、逃げ惑う村人の中を逆走して村中を探し回る。
だが、その必死の叫びも、村人の阿鼻叫喚と炎が燃える音で消されて行くだけだ。それでも女性は炎の中を探し回る。
「茉莉! お母さんここに居るから! 茉莉!」
お母さん、若っ!
変なところで驚く双葉。だが冷静に考えるとこれぐらいの時代なら、もう結婚して子供が居てもおかしくは無い。というか、その女性が双葉とあまり歳が離れていないと感じたからこそ、より一層驚いたのだろう。
そんな事を双葉が思ってるうちにも、女性は自分の子供を探し回り、燃え続ける村を駆け回る。
だが、よほど子供の事しか頭に無かったのだろう。足元の段差につまづき、そのまま転んでしまった。だが子供が炎の中にいると思うとこんな所で立ち止まるわけには行かないのだろう。女性は立ち上がろうとするが、途中で動作を止めてゆっくりと二人の方へと振り返る。
別に双葉と紅葉が見えているワケではない。二人の後ろに居る物を恐怖におののいた顔で見ているだけだ。
その事に気付いた双葉と紅葉も振り返る。
……なに、これ?
それは巨大な紅蓮の炎。それが地上から数センチ浮いたところで女性を見下ろすように立っていた。
……この炎、見たことがある。菫さんの霊視で巫女姿をした女性の後ろにあった炎だ。けど、なんでこんな所に。
その時は双葉も篝火か何かと思っていたが、こうして目の前で見ると明らかに違う。
この紅蓮の炎……危険だ。それも相当の力を持っている。
直感でそう感じる双葉。理由なんて無い、ただ、双葉の今まで戦ってきた巫女の力がそう教えてくるだけだ。
そしてそれを示すかのように女性も腰が抜けたように、その場に座り込み全身が震えている。
そこから女性は懇願するように紅蓮の炎に向かって叫ぶ。
「しかたなかったのよ! こうするしか村は救えなかった! もちろん、悪いことだって分ってる。それでも! こうするしかなかったの。だから、お願い、灯形さん」
灯形って誰?
そのことまで喋ってもらいたかったのだが、その前に紅蓮の炎が動き出した。二人を通り越して女性へと迫る。
そんな状態でも、女性は紅蓮の炎に向かって懇願する。
「お願い灯形さん。茉莉だけは、茉莉だけは助けてあげて」
すでに自分の死は覚悟しているのだろう。それでも、女性は紅蓮の炎に懇願する。子供を救うためだけに。
だが、紅蓮の炎はそんな懇願を無視して更に女性に迫り、目の前で止まった。
その場でいくら逃げ出そうとしても、すでに恐怖で体が思うように動かないのだろう。女性は涙と口から途切れ途切れに出てくる嗚咽を出しながら、どうすることも出来ずにその時を強制的に待ち続ける。
そして紅蓮の炎は動き出す。いや、正確には炎の中から幾つもの白い手がゆっくりと出てきた。たぶん、全部女性の手だろう。どの手も細くて白い。
そのことに後ずさる女性、たぶんそれが精一杯なのだろう。そして幾つもの白い手が女性に向かって伸びて行き、一斉に掴む。
次の瞬間、女性は一気に燃え出して、霊視も途切れた。
……なるほど、触れただけで燃えるというのは、あの紅蓮の炎で殺されたから影響を受けちゃったのか。となると、あの紅蓮の炎さえどうにかすればいいのかな。
「紅葉」
紅葉にも意見を聞きたかったが、紅葉は日記帳を調べているようだ。
「紅葉?」
再び紅葉を呼びかける双葉、そして紅葉は日記帳の裏を指し示して双葉に見せてきた。
「ち、かげ?」
「そう、慶夏。霊視で見た女性の名前よ」
それじゃあ、お母さんの名前が慶夏で、その子供が茉莉って言う名前か。う〜ん、茉莉ちゃんはわからないけど、慶夏さんは完全に怨霊と化していてもおかしくない。
なにしろ、あの紅蓮の炎で燃やされたのだから、他の村人同様に触れただけで相手を燃やせる力を持っていてもおかしくは無い。
それにしても、あの紅蓮の炎……なんだったんだろう。菫さんの霊視でも見たけど……ただの炎が一人歩きするわけないし、かと言って今の霊視じゃ詳しいことは分からなかった。
どちらにしてもただの炎ではない事は確かであり、かなり危険な物には違いないようだ。
「双葉、他には何もなさそうよ」
双葉が考え事をしているうちに紅葉は部屋の捜索をしていたのだろう。だがめぼしい物は何一つとして出て来なかった。
その事にもうこの部屋には手がかりが無い事を察する双葉。なにしろ霊感は紅葉の方が上だ。その紅葉がなにも無いと行っているのだから、これ以上は捜索しても無駄だろう。
「それじゃあ、他のへ……ッ!」
言葉をとぎらせ霊気を察知する二人。さっきの村人より強い霊気を発しながらこちらに向かってくる霊体を察する。
急いで部屋を出る二人。さすがにこんなに狭い部屋では戦いようが無い。それに相手が浄化できない以上は無駄な戦闘を避けたいのも確かだ。
「双葉、あれ」
紅葉が指し示したのは屏風で、しかも何枚もある。確かにこれで四方を囲んで気配を消せば霊に見つかる事は無いだろう。
すぐに準備する二人。そして四方を屏風で多い、更に自らが自然に発している霊気と気配を完全に消し去る。
普通に生きている人間が見れば、それは不自然な光景に見えるだろうが、相手は霊体だ。
霊体と言う者は、怨念の元になるものか、人の気配や霊気で物事を見ている。だから不自然なぐらい、広い部屋に屏風があっても不思議とも何とも思わないものだ。それが分っているからこそ、二人は屏風の中で体勢を低くして、なるべく気配を悟られないようにする。
そしてこちらに向かってくる霊体は徐々にその気配を強くする。
「……り、……ま……」
んっ? 何かを呟いているのかな?
屏風の中で霊体が何かを呟いていることに気が付く双葉。目線を紅葉に送り、紅葉も頷いてみせる。どうやら紅葉もそのことには気付いているようだ。
そして霊体はどんどん近づき、遂には先程二人が通ってきた道筋でこの大部屋に辿り着いた。
「茉莉、茉莉」
茉莉? ということはこの人、慶夏さん?
思わず紅葉が持っている日記帳に目線を向ける双葉。それは紅葉も同じようだ。それ以外に今の二人には茉莉と言うキーワードを念としている人物は思いつかない。
そして慶夏は大部屋へと足を踏み入れる。
更に霊気と気配を殺す双葉と紅葉。その中で双葉は意外な事に恐怖を感じていた。
いつもは戦っている相手だけど……それから隠れ続ける事がこんなに怖いなんて思わなかった。
たぶん、二人が敵から身を隠す事は初めてなのだろう。戦う事は結構簡単だ。だが、隠密行動をしなくてはいけなくなると、普段から戦いなれている相手でも結構怖いものだ。
見つからない事を願いながら、双葉は高ぶる心臓の鼓動とは反対に霊気と気配を抑える。
「茉莉、茉莉どこ?」
屏風の横を通り過ぎる慶夏。双葉は思わず刀を抜きたくなる衝動に駆られるが、ここで殺気を出しては気配を気取られる。そうなれば戦闘は必至。無駄な戦闘だけは控えたい双葉にとってはここは正念場とも言えよう。
そして慶夏は二人がいることに気が付くことなく。その部屋を通り過ぎて奥の部屋へと向かっていった。
「紅葉」
小声で紅葉に声をかける双葉。紅葉も双葉の意図を察して目をつぶり精神を集中させる。それから少ししてから、紅葉は目を開ける。
「大丈夫、もうこの付近には居ないみたい」
「よかった」
安堵の息を付く双葉。その事に紅葉は意地悪な笑みを向ける。
「なに、双葉は怖かったの」
「正直ね」
すんなりと本音を言った双葉に紅葉は驚きの表情を隠せなかった。それから双葉は更に言葉を紡ぐ。
「慶夏さんの霊が怖かったわけじゃない。ただ、戦えない自分が怖かった。戦えない事がこんなにも怖いとは思わなかった」
「ふ〜ん」
生返事を返す紅葉。たぶん、紅葉には双葉の気持ちが分らないのだろう。
普段から戦闘を得意としている双葉が、その戦闘を禁じられたら霊達に対してどう対処したらいいか。その不安が恐怖となり、双葉に襲い掛かったようだ。
そんな双葉を気を紛らわせるため、紅葉は自分達を囲っている屏風を取り去ると、明るい場所へと移動する。そして双葉に手招き。
首を傾げながら紅葉の元へ移動する双葉。そして紅葉が双葉に見せたのは慶夏の日記帳だった。
「この日記帳、まだ中は見てないんでしょ。だったら、この中に何か書いてあるかもしれないでしょ」
「そういえば、まだ見てなかった」
死んでしまえばプライベートもなにも無いということだろう。二人はためらう事無く、慶夏の日記帳を開いた。