第七章
暴走特急
音羽はいつものように墨由の部屋に設置してあるチャイムを鳴らした後にドアの鍵を開けると勝手に中へと入っていく。
「墨由〜、帰ってる?」
中に入るなりそんな言葉を掛けるが返事は返ってこない。
あれ、おかしいわね? 外はすっかり暗くなり、時計の針はすっかり夕食の時間を過ぎている時刻を刻んでいる。だから墨由が部屋に居てもおかしくは無いのだが、部屋の中には不貞腐れて転がっているナベしか居なかった。
「ナベ、墨由は?」
「知らん、未だに帰っておらんのじゃ。せっかくのマグロだというのに、どこをほっつき歩いているんじゃ、あやつは」
「って、ナベも知らないの?」
「儂だって四六時中あやつの傍に居るわけではない。それに怪しい妖気も感じんかったしのう、じゃからこうして待っている訳じゃよ」
「まあ、確かに墨由の血統家宝を狙ってそうな妖怪が居る気配は無いわよね。それともまだ撫子のところなのかな?」
「撫子? あぁ、あやつの恋人じゃったな。一度行ってみたがおらんかったぞ」
「じゃあ墨由はどこに行ったのかしら?」
墨由の不在に首を傾げる音羽。そんな音羽の足元でナベが「マグロ〜、マグロ〜」と呟きながら転がっている。
撫子のところじゃないというと他に何処に? 音羽には墨由が他に行きそうな場所に心当たりはなかった。なにしろ食料品などの日常に必要な物は全て音羽か撫子が買い揃えているし、墨由が買い物といったら自分が欲しい物だけだ。
もし墨由が買い物に行っているとしても、こんなに遅い時間になるはずが無い。今までも短時間で済んでいた。だからナベに要求されたマグロを買いに行ったとしていても、こんなに遅い時間に家を空けているはずが無かった。
だから墨由がこの時間に家に居ない事が音羽には珍しくて胸騒ぎを覚える。
そんな音羽の胸騒ぎを射抜くように突如として感じる力。音羽はすぐに窓の方に振り向き、ナベも既に総毛立って力を感じる方に敵意を向けている。
そしてそれは窓をぶち破る事無く。まるで何も無いように窓を突き抜けてきた。
「鳥?」
「式神じゃな」
頷く音羽。音羽達の前に現れたのは真っ白な鳥だが、ただの鳥ではなく式神で作られた鳥である事をナベは一瞬にして見抜いた。音羽もナベに数秒遅れはしたものの、すぐにその正体が分った。
それから鳥の式神はナベの方へ視線を向けると、まるで喋るように口を動かし、誰かの声を再生するかのように語りかけてきた。
「矢頭君の血統家宝を狙ってる猫ちゃんに告げるの〜。矢頭君を返して欲しかったら私の所にくるの〜、猫ちゃんが狙ってる血統家宝持ちは私が預かってるの〜。だから絶対、絶対、私の所にくるの〜。では、猫ちゃんが来るのを待ってるの〜」
それだけの言葉を発すると鳥の式神はボンっと音と煙を上げると元の紙へと戻ってしまった。あまりにも唐突な出来事に言葉を無くすナベ。その横では音羽が口を開いてきた。
「この声、この喋り方、間違いないわね」
「なんじゃ、心当たりでもあるのか」
「ええ、この式神を作った者は間違いなく……御堂神菜よ」
「みどう、かんな?」
聞き覚えの無い名前にナベはハテナを頭の上に浮かべる。やっぱり餌をくれない人間の名などは覚えているわけが無い。けれどもナベでも御堂という苗字には引っ掛かる物があったようだ。
「というと、そやつは御堂家の人間か?」
「そうよ、御堂神菜は御堂家の姫巫女なのよ」
「姫巫女、という事は正統継承者じゃな」
「そうよ、それだけじゃない。彼女には他にも通り名があるのよ」
「それはなんじゃ」
「詳しい説明は後、今は準備してくるわ。だからナベはここで待ってなさい」
音羽はそれだけを言い残すと墨由の部屋を足早に去って行ってしまった。一人、いや、一匹残されたナベはこんな状態ではしかたないとばかりに、いつもの餌入れにいつもの猫缶を開けてかぶりつく。
「まったく、せっかくのマグロがいつものになってしまってはないか」
そんな文句を言いながら餌を食べつくしたナベは、餌入れをそのままに音羽が戻ってくるのを待っていると、こちらに向かって駈けて来る足音が聞こえてきた。どうやら音羽が戻って来たようだ。
「お待たせ」
そう言って戻って来た音羽は普段着ではなく、前にも着ていた巫女装束を身に付けており、片手には刀が握られていた。
「さあ、墨由を助けに行くわよ」
「どこにじゃ?」
「御堂神菜の所に決まってるでしょ」
「その御堂神菜はどこにいるんじゃ?」
「…………」
「…………」
「行き先ぐらいちゃんと告げてから消えなさいよね!」
すっかり紙に戻った式神を指差して、そんな突っ込みを入れる音羽。どうやら音羽も墨由が拉致されてすっかり気が動転していたようだ。それに神菜も用件だけを伝えるだけがやっとのようで、自分達の居場所を伝えるのをすっかり忘れていたようだ。
そんな状態に音羽とナベは思いっきり溜息を付いた。その溜息を聞いた音羽はやっと自分が取り乱していた事に気付き、少し気分を落ち着かせると冷静に頭を動かし始める。
「……とにかく、墨由の居場所を確かめるのが最優先よね」
「そうじゃな、どうやらその御堂神菜という輩は儂を敵対視しているようじゃからのう」
「まあ、墨由ほどの血統家宝を持っている近くにあんたみたいな強力な妖怪が居たんじゃ勘違いしてもおかしくは無いでしょうね」
「勘違いじゃと?」
音羽の言葉にナベは首を傾げる。それは普通なら逆だとナベは思っていたからだ。
墨由ほどの強力な血統家宝を持っているからには、近づけはどんな妖怪でも気が付く。そんな墨由の傍にナベのように強力な力を持っている者が居れば逆に手出しがしにくくなる。そうナベは考えたからこそ墨由を飼い主に選んだわけだが、音羽に言わせればその行為が逆効果で今回のような誤解を生んだらしい。
「そう、御堂家についてはナベも知ってるでしょ」
「もちろんじゃよ」
どうやら御堂家についてはナベも覚えているようだ。御堂家が神津家と並ぶ退魔士の一族であり、神津家と同じく人畜無害な妖怪は退治しない事で有名だ。だからこの両家は互いに同じような立場にあると言っても良いだろう。
だから人を襲うような妖怪には両家は恨まれ、夢夜のように人と仲良くしようという妖怪には頼りにされるのだ。
つまりは御堂家も神津家と同じような存在と言える一族だ。けれどもその御堂家の跡取りである御堂神菜にはそれだけではなく、他にも何かしらのワケがあるらしい。
音羽はその事を深刻な顔でナベに話し始めた。
「その御堂家の正統後継者、つまり姫巫女たる御堂神菜にはちょっとした問題があるので有名なのよね」
「ほう、そうじゃったのか」
「うん、まあ、あまり良い話じゃないから退魔士側しか知らない話だけどね」
音羽の話しから察するにナベは、その御堂神菜が御堂家の正統後継者。つまりは現当主の娘に当たる者だと察する。
けれどもその神菜には問題があるらしく。妖怪側にはそういった話が流れてこないのだろう。だからナベも御堂神菜については特に何も知らなかったが退魔士の間では有名なようだ。
「して、その問題とはなんじゃ?」
そんなナベの問い掛けに音羽は真剣な眼差しを向けてきた。
「その問題がさっき言った通り名と関係があるのよ」
「ほう、それでその通り名とは?」
「御堂家姫巫女、御堂神菜。その通り名は……暴走特急」
「なんじゃ、それは?」
あまりにも似つかわしくない言葉にナベは顔をしかめる。まあ、仮にも神菜は御堂家当主の娘だ。それに姫巫女と呼ばれてるぐらいだから正統後継者として扱われているのも確かなのだろう。そもそも姫巫女とは正統後継者の別名でもあるのだから。
けれども、そんな娘に暴走特急などという通り名が付くとはナベですら想像が出来ない事のようだ。
けれども音羽は真面目な顔で神菜が暴走特急と言われる由縁を話し始めた。
「とにかく御堂神菜は思い込みが激しいのよ。一度思い込んだら人の話は聞かないわ、一方的に攻撃を開始するわ、無駄に建物を壊すわ。数えたらキリが無いほどの暴走を繰り返してるのよ。まあ、私も噂だけしか聞いていなかったから、こんなにも早く動いてくるとは思ってなかったんだけどね」
「なるほどのう。今回もその一つと言う訳じゃな」
「そういう事ね。いちよう釘を刺すように当主様に頼んでおいたんだけど、少し遅かったみたいね。こんな事になるなら神菜の話を聞いたらすぐに当主様に報告するんだった」
奥歯を噛み締め苦い顔をする音羽。神菜の事は音羽も気付いてはいた。だからこそ神津家に顔を出したついでに神菜の事を当主に報告して先に御堂神菜に対して釘を刺しておこうとしたのだったが、そんな神津家よりも神菜の方が早く動き出してしまったようだ。
それに墨由の血統家宝を守るのは神津家の管轄である。それは御堂家も承知しており、そう簡単に管轄を乗り越えて首を突っ込んでくるような事はしないと言う先入観があったのだろう。だからこそ、ここまで後手後手に回る事になってしまったようだ。
「まさか、こんなにも早く人の管轄に首を突っ込んでくるとは思ってもみなかったわ」
そんな事を呟く音羽にナベは首を傾げながら口を開いた。
「それは大問題ではないのか?」
確かに神津家の管轄にある墨由の事に勝手に乗り込んできたのである。それは両家にとって大問題になりかねのだが、そうならないのにはしっかりとした理由があった。
「確かに大問題よ。けど御堂神菜の事は退魔士なら誰でも知ってる事だからしょうがないで済まされちゃうのよ」
「やれやれ、それはそれで問題じゃのう」
「まあ、相手も一応姫巫女だからね。ある程度の事なら大目に見られる事が多いのよ」
「職権乱用じゃな」
「しかも本人にそんな自覚が無いから更に問題なのよ。まあ、ここでそんな愚痴を言ってても始まらないわね」
「そうじゃな、何かしらの手を打たんとマグロを食い逃してしまう」
そういう問題じゃないでしょ。そう突っ込みたかったが今は墨由を連れ戻して、神菜にお灸を据える事が最優先である。だから音羽はナベの発言を無視して畳の上に落ちている神菜の式神だった紙を拾い上げた。
「ナベ、これで発信源や追跡なんて出来ない?」
そんな事を聞く音羽。確かに神菜の式神なら神菜の匂いや力を使っての逆追跡などが出来る妖怪も居る。だからこそ音羽はナベにそんな事を聞いたのだが、ナベは首を横に振った。
「儂は狛犬ほど鼻は良くないしのう。目で追えるものならまだしも力の形跡を追うのは無理じゃな」
「そっか、それじゃあ」
音羽は袂からおもむろに携帯電話を取り出すとアドレス帳を調べる。さすがに退魔士が持っている携帯だけあって、アドレス帳に記載されている番号は人間の物だけでなく妖怪の番号も入っているようだ。
そんな中から音羽は一人の妖怪を選び出すと電話を掛け始めた。
「誰を呼ぶつもりじゃ」
「夢夜よ」
「なるほどのう、あの夜雀に案内させるつもりなんじゃな」
「そうよ、夢夜の能力なら私達を墨由の元へ案内させる事が出来るからね」
夜雀の能力という物は本来なら人を夜道で迷わせる事だ。けれども迷わす事が出来るなら、その逆である人を目的地まで案内するという事も出来るという訳だ。つまりは夜雀は人を目的地に連れて行く能力も兼ね備えている。
式神の形跡を追うのではなく、音羽が向かいたい場所に案内してくれる。そんな夢夜の能力を使えば墨由の元へ行けるのだ。その方法なら式神の形跡などは関係なく墨由と神菜の元へ行く事が出来る。それに夢夜なら墨由の事も知っているからこそ音羽も頼みやすいという事もあるのだろう。
音羽が電話を掛け始めてすぐに夢夜は電話に出たようで、音羽は挨拶をそこそこに現在の状況を夢夜に説明して協力を仰いだが、なかなか色好い返事はもらえないようだ。
なにしろ夢夜は数日前にナベによって酷い目に合わされている。その事で音羽とも知り合いとなったのだが、積極的にナベに協力したり近づきたくは無いのだろう。
それでも今の状況では夢夜しか頼る者は居ないと説得する音羽。そんな音羽が持っている携帯の向こうから溜息が聞こえると承諾の返事が返ってきた。それから今からこちらに向かうとだけ言い残して電話を切る夢夜。そして音羽も携帯電話を再び袂に戻した。
「して首尾は?」
「大丈夫よ、これで夢夜に墨由の所まで案内してもらえるわ」
その事を聞いて大きく息を吐くナベ。どうやらナベとしても一安心したようだ。まあ、ナベとしては墨由の身を案じたというより、これでマグロにありつけるという事が大事だったのだが、決してその事だけは音羽に漏らすような事はしないナベだった。
それからあまり時間が経たないうちに玄関のチャイムが鳴り響き、音羽は急いで玄関を開けるとそこにはあからさまに嫌な顔をしている夢夜の姿があった。
「約束どおりに着たわよ」
嫌な顔から笑顔に変わり音羽にそんな言葉を向ける夢夜だが、ナベが視界に入ると再び嫌な顔つきに戻り。手を振って近寄るなと示している。
そんな夢夜の態度にナベは苦い顔をするが、墨由……ではなくマグロには代えられないのだろう。素直に夢夜から遠ざくナベ。そんなナベの行動に夢夜は勝ち誇ったような顔をする。
それもしかたない事だろう。こんな状況でもなければナベが夢夜に頼るような事はないのだから。そんな夢夜に音羽は口早に話をする。
「来てくれてありがとう。早速で悪いけど墨由の元へ案内してくれない。事態は一刻を争っている状態なのよ」
そうか? と首を傾げるナベ。まあ、ナベにしてみればそんなに焦る状況では無いと思っているのだろうが音羽は違っていた。なにしろ音羽は御堂神菜という人物がどれだけ噂になっているかを知っているからだ。
だから暴走特急と呼ばれる神菜が墨由に何をするのか分ったものではない。そう考えているからこそ音羽は一刻も早く墨由の居る場所に行かないと夢夜を急かしたのだ。
「はいはい、分ったわよ。音羽の頼みだからね。それからそこの猫! こっちには近づくな」
音羽に急かされながらもしっかりとナベに近づかないように言い付ける夢夜。まあ、夢夜としてはナベに近づかれるだけでも文字通りに鳥肌が立つのだろう。
そんな注意をされてもマグロの為と言いたい事を我慢するしかないナベは黙り込んだままでいると音羽は早速出発しようと玄関の扉を開けた。
「さあ、行くわよ」
頷くナベと夢夜。音羽は玄関の扉を開けたままそこから動かない。どうやら夢夜とナベに先に出ろという事だろう。
そんな音羽の行動に真っ先に動いたのは夢夜だ。夢夜は玄関を通り抜けると軽く飛び上がり、そのまま空中で羽を羽ばたかせて何かを見渡しているようだ。その後に続いてナベも玄関を出ると最後に音羽が出てしっかりと施錠する。
そこまでするからこそ音羽は墨由の護衛役という役目でなく墨由の父親からも世話を頼まれる原因となったのだろう。
鍵がかかった事を確認した音羽。すぐさま夢夜に目を向けると、夢夜は空中に羽ばたきながらある方向を指差した。
「あっちよ」
それだけを言い残して飛び立つ夢夜。その後を追って音羽とナベは駆け出していった。
そして夢夜の案内で走っている最中。ナベはこんな事を言い出してきた。
「それにしてもお主も大変じゃのう」
「なにがよ?」
ナベの問い掛けに答えながらも音羽は走るスピードを落とす事は無かった。だから走りながらナベの方に顔を向ける音羽はナベが少し意地悪な笑みを浮かべながら走っているのを目にする。
「いやいや、認識阻害の結界を展開してないと移動も出来ないとはのう。それで大変じゃと言った訳じゃよ」
「しょうがないじゃない。この格好で街中を走り回る分けないはいかないでしょ」
「くくくっ、じゃから大変じゃと言ったんじゃよ」
このっ! ナベの嫌味に音羽は思わずナベを殴りたい衝動に駆られるが今はそんな時では無いと、なんとか平常心を保つ。
そして音羽は改めて自分と夢夜が張っている認識阻害の結界に緩みが無い事を確認した。
この認識阻害の結界は退魔士のみでは無く、妖怪も用いる事が多い結界の一つだ。その効果は他人に見られても認識させない。つまりそこには誰も居ないと錯覚させる結界だ。
夢夜のように妖怪がこのような結界を使う理由は大体の察しが付くと思うが、退魔士までもがこの結界を使うには一つの理由があるからだ。それは音羽の格好を見ればよく分かる。
現在の音羽は普段着ではなく仕事着である巫女服を着ている。そのうえ手には刀まで持っているのだから、誰かに見られれば変な目で見られるし、警察関係者ならその場で事情聴取となっても無理は無い状態だ。
だからこそ退魔士も仕事で移動する時はこの認識阻害の結界を多用する場合が多いのである。
そんな退魔士や夢夜とは違ってナベの外見は普通の猫である。だからナベの姿を見ても猫が走っているとしか思う人がほとんどであり、退魔士や妖怪で無い限りナベに不信感を抱く事は無いだろう。だからナベが認識阻害の結界を張る必要は無かった
つまりはナベ一匹だけ楽して移動しているという訳だ。先程のナベの言葉はそんな二人への嫌味であり、マグロを食い損ねて不機嫌になりつつある証拠でもあった。
そんなナベの雰囲気を感じつつも音羽は何も言わずに走っている。今はナベを刺激しない方が良いと判断したのだろう。なにしろ妖描は気まぐれ、そのうえナベは不機嫌になりつつある。そんな状態でナベを刺激したらいつ爆発してもおかしくは無い。
そんな事になれば墨由を助ける前にナベを退治しなくてはいけなくなる。音羽は自分の力でナベを退治できるとは思っているが、当主がナベに協力しろと言ったからにはナベを怒らせるような事は出来ない。
それに墨由が神菜の手に有るからには墨由を救出する方が優先である。だからこそ音羽とナベは黙って飛んでいる夢夜の後を追っているのだった。
「って、ここって……学校じゃない」
夢夜の案内で音羽達が到着した場所はまぎれもなく、墨由達が通っている翠逸高校だった。見慣れた校門の前に立って音羽がそんな言葉を呟くと夢夜が隣に降りてきた。
「けどここが音羽が向かっていた目標地点なのは間違いないわよ」
夢夜がそう言うからにはここに墨由が居る事は間違いないのだろう。なにしろ夢夜は音羽が向かいたい先を案内していたのだから。それこそが夜雀の能力であるからには音羽がここを目指していたのは間違いないのは確かだ。
「じゃあ、ここに墨由が?」
「さあ、そこまでは分らないわよ。私は音羽が向かいたい先に案内してただけなんだから」
「なら墨由がここに居るのは間違いないわね」
確信を持ってそういう音羽。なにしろ音羽は墨由を探していたのであって、決して他の場所や神菜の場所に行こうとは思わなかったからだ。それに夢夜がそう言い切るのなら、ここに墨由が居るのは間違いないと音羽は考えた。
「とにかく墨由を探しに行きましょう」
「ちょっと待つんじゃな」
歩き出そうとした音羽をナベは止める。そんなナベの言葉に思わず足を止める音羽は足元に居るナベに目を向けた。
「いったいどうしたのよ?」
ナベが何で止めたか分らない音羽はそんな事を尋ね。ナベは前足で器用に校門を指し示した。
「侵入者感知の結界が張っておるのが分らんのか」
ナベに言われて音羽も精神を集中させて校門を見ると、そこには確かに結界が存在していた。
「まったく修行が足らん証拠じゃのう」
「墨由の事で気が焦ってただけよ」
ナベの嫌味を音羽は軽く流すと校門に張られている結界の意味を探る。それから音羽は辺りを見回すと人払いの結界が張られている事に気付いた。どうやら人払いの結界は学校の周りに張り巡らしてあるようで、誰一人としてこの場に近づけさせないように神菜が仕込んだ結界なのかもしれないと音羽は推測した。
「人払いの結界に侵入者察知の結界。これは間違いなく御堂神菜の仕業ね」
「そうじゃろうな。そうなると墨由はその神菜という姫巫女と一緒に居ると考えてよいじゃろ」
頷く音羽。そしてこれからの展開についても音羽なりに推測を立てて、それを口にしてナベに伝える。
「そうなると……これから先は罠だらけって事かしら」
「たぶん、そうじゃろうな」
そんな会話をしていると夢夜が二人の間に割って入ってナベを遠ざける。
「ねえ音羽、私はそろそろ帰ってもいい。ほら、私って戦闘向きじゃないし」
「あっ、そうね。ここまでの道案内ありがとうね」
「この程度ならいつでも呼んでよ。その方がこっちがお願いする時もありがたいし。それじゃあね〜」
夢夜はそれだけを言い残すと再び夜空に舞い上がり、そのまま空の彼方へと飛び去っていった。そんな夢夜を見送った音羽は再び学校に目を向ける。
「侵入者感知の結界は学校中に張り巡らせてある。つまりは私達がどこから入ろうと神菜に悟られると訳ね」
「そういう事じゃな。じゃったら正面から堂々と入って行っても同じじゃろ。それにその方が牽制になるかもしれんからのう」
「そうね」
音羽は短く答えると手にしている刀を鞘から抜き去り、鞘を腰に刺していつでも戦える準備に入った。
一歩でも学校に入れば神菜が待っているのは間違いないだろう。だからこそ正面から堂々と入って臆していないという証拠を見せ付ければ神菜の方がうろたえる可能性がある。
それに神菜がうろたえた方が音羽としてもありがたかった。神菜は暴走特急という汚名があるが、その力は本物である。なにしろ御堂家の姫巫女なのだから退魔士としては相当な力を宿している。まあ、それが正しく使われていないから暴走特急と呼ばれるハメになってしまっているのだが、その神菜を相手にするからには音羽としても少しでも有利な条件で戦いに望まなければいけなかった。
まあ音羽としては戦わずに話し合いだけで墨由を返して欲しいとも思っていたが、なにしろ相手は暴走特急の御堂神菜である。普通の話し合いが出来るわけが無いと音羽も思ってはいない。
だからこそ戦う準備を入念に行ってナベに目を向ける音羽。そんな音羽の視線を見てナベも頷いて見せた。どうやらナベも準備は出来ているようだ。
「じゃあ行くわよ」
「うむ、なんとしても明日はマグロを出してもらわんといかんからのう」
「あんたも拘るわね」
ナベの言葉に溜息を付いた音羽は校門に向かって歩き始める。
校門の向こうには広い校庭が広がっており、その奥には校舎がそびえ立っている。墨由が何処にいるか分らないが学校内に居る事は確かだ。だからこそ音羽とナベは堂々と校門の結界を潜り抜けると世界の色が一変したかのような結界内へと足を踏み入れた。
「隔離結界ね」
「準備の良い事じゃのう」
隔離結界とはその名の通り現実から隔離して現実には影響を及ぼさない結界を作り出す結界であり、その結界内で起こった出来事は一切現実世界、つまりは日常に累を及ぼさない結界の事を指し示す。
つまりはこの結界の内ならどれだけ暴れても大丈夫ということだ。それはつまり、それだけの準備を神菜は用意しているという事なのだろう。
結界の内側は色は変わっているが翠逸高校そのままで、夜だというのに昼間のように明るくなっている。だからこそ見通しが良く、音羽達にとっても戦いやすい状況といえる。
そんな結界の内側で音羽は遠くに目をやると声を上げた。
「墨由!」
そこは校舎の少し手前にある校庭と校舎を分けるかのように存在している高台。墨由はその高台の真ん中で両手を縛られている状態で宙吊りにされていた。それに気を失っているらしく。首をうな垂れて、音羽の言葉にも返事を返さない。
「墨由」
「待つんじゃ」
墨由を見つけた事に音羽はその場から駆け出そうとするが、ナベがそんな音羽の行動を止めようとするが少し遅かった。
音羽が足を踏み出して数歩駈けると、地面が光り輝き無数の魔法陣が展開される。その魔法陣から子鬼と呼ばれる鬼の眷属が呼び出された。
そんな状況に音羽はすぐにナベの元まで退がると現れた子鬼達を見て回す。なにしろ校庭中に無数に展開された魔法陣からワラワラと子鬼が群て出現したのだ。そんな子鬼達で校庭が一杯になっているのである。
こんな状況になっても音羽とナベは取り乱す事無く、冷静に出現した子鬼達に関して話し始めた。
「どうやら式神のようじゃな」
「御堂家の姫巫女なら鬼の眷属ぐらい簡単に式神に出来るんでしょ」
「確かにのう。じゃがこれだけの数じゃ。墨由の元へ行くには相当の数を倒さんと辿り着けんぞ」
「どうやらそれしかないみたいね」
校庭中にあふれ出した子鬼達に音羽は刀を構えて臨戦体勢に入り、ナベも妖気を放出していつでも戦える状態に入った。そんな時だ、突如として随分と間延びした声が校庭中に響き渡った。
「猫ちゃんやっと来たの〜、随分と待ちくたびれたの〜」
そんな声と共に墨由の傍に立ち上がった人影。その人物を見て音羽は叫ぶ。
「御堂神菜!」
神菜の姿を見て、その名を叫ぶ音羽。だが肝心の神菜は音羽を見て首を傾げるのだった。
「……えっとなの〜、あなたは誰なの〜?」
そんな神菜の言葉に音羽は呆然と立ちつくし、我を忘れたかのように呆れた顔をした。けれどもすぐに首を振って気を取り直すと刀を神菜に向けた。
「私は神津家の巫女、水山音羽。御堂神菜! 今回のあなたが引き起こした行動は両家にとって衝突の引き金になりかねない行動です! すぐさま墨由を解放して、この場から去りなさい! というか、クラスメイトの顔と名前ぐらい覚えてないさいよね!」
最後にちょっとだけ私情を挟んだものの自ら名乗りを上げた音羽に神菜は少し考えるような仕草をすると手を叩いた。
「思い出したの〜、同じクラスで神津家の巫女の水山さんなの〜」
「いや、ついさっき名乗ったばかりだから」
すっかり神菜のスローペースに乗せられた音羽は思わず、そんな突っ込みを入れるが神菜は首を傾げるばかりだ。どうやら音羽がなんで呆れたように突っ込みを入れてきたのか分っていないようだ。
けれども音羽は気を取り直すと音羽を思いっきり指差した。
「それからもう一つ思い出したの〜、今回の原因は全部あなたの所為なの〜」
「はぁ、なんで私が原因って言われなきゃいけないのよ!」
あまりにも突然の言葉に音羽は声を荒げて抗議する。まあ、いきなりこんな状況になった原因が自分にあると言われれば音羽でなくても怒りはするだろう。
そんな音羽とは打って変わって神菜は自らが正かのように胸を張って話を続けてきた。
「だってなの〜。強力な血統家宝を持っている矢頭君の傍に強力な妖力を持つ猫ちゃんを放置してたのはいけない事なの〜。矢頭君を守る巫女なら猫ちゃんを退治しないといけないの〜」
「そんな事をあなたに言われる筋合いは無いわよ! 第一、ナベの処遇は神津家当主様が自ら決めた事であって、御堂家のあなたが口出しする事じゃないのよ。それに墨由の血統家宝を管理するのも神津家の役目なのよ。それなのに勝手な事をしないでよね!」
あまりにも不条理な神菜の言葉に音羽も思わず声を荒げて抗議する。それもしかたない事だろう。第一、墨由の血統家宝に関する事は全て神津家が管轄している。そこに御堂家の者が勝手に口出ししてきたのだから音羽が怒るのも当然と言えるだろう。なにしろ自分の管轄に勝手に上がってきて、やりたい放題やっているのだから。
そんな音羽の上げた声に神菜は思わず身じろぐ。
「そんなに怒らないで欲しいの〜。そんなに怒ると怖いの〜」
「って! いや、そう言われてもね」
音羽の迫力に神菜は思わず気を失っている墨由の影に隠れると顔を半分だけ出してそんな事を言ってきた。そんな神菜に音羽も思わず毒気を抜かれてしまう。
未だに墨由の影に隠れている神菜を見て音羽は思わず溜息を付いた。
「とにかく、この妖描に関する事や墨由の事は私の管轄であって、あなたが口出しする事じゃないの。それは分ってるわよね」
「そんな事ぐらい分ってるの〜」
「だったら今すぐに墨由を返しなさい」
「それはダメなの〜」
「なんでよ!」
どうしても墨由を返そうとしない神菜に音羽の怒りゲージは再び上がっていく。
「矢頭君の血統家宝を狙っている猫ちゃんをこのままには出来ないの〜。それで神津家が動かないから私がやるって決めたの〜」
そんな神菜の言葉に音羽は思いっきり溜息を付いた。どうやらそろそろ嫌気が刺してきたようだ。だから音羽は頭を軽く掻きながら応答する。
「だから、この妖描に対する処遇は神津家当主様が決めたことであって、私のような一介の巫女にはどうする事も出来ないの。それは御堂家も同じ、神津家当主様の意見を無視するつもりなの」
「それは嘘なの〜、神津家の当主がそんな判断をするわけが無いの〜」
「って! それって私が嘘を言っているって事!」
「そうなの〜。だからそんなに怒らないで欲しいの!」
「これが怒らずにいられる訳が無いでしょ!」
自分が言っている事を真正面から嘘と決め付けられて怒らない者など居ないだろう。それに音羽の言っている事は確かであって、少し調べればすぐに分る事だ。なにしろ神津家当主からのナベに関する報告が御堂家へ届いていてもおかしくは無いからだ。
それなのに神菜は自分の主張を変えようともせずに音羽の言っている事を嘘と決めてつけている。そんな事態に音羽の怒りゲージは溜まるばかりだ。そんな音羽の足元にいるナベがここに来てから初めて口を開いた。
「なるほどのう、暴走特急という通り名がどういう意味かがやっとわかったのう」
「……私もこれ程とは思って無かったわ」
ナベの言葉に平静を取り戻した音羽はそんな言葉を口にする。神菜の噂は知ってはいたものの実際に体験するのはこれが始めてだ。だからこそ音羽は神菜が通り名どおりの人物である事を再確認せざる得なかった。
そんな神菜に対して音羽は思いっきり溜息を付くと、今度は足元にいるナベが数歩前に出て神菜に向かって口を開いた。
「御堂神菜……といったかのう」
「さあ、猫ちゃん、覚悟です!」
ナベが出てきたことで決戦を挑もうとする神菜に対してナベは軽く笑って見せる。
「くくくっ、ところで御堂の者よ。儂が墨由の傍から手を引くと言ったらどうする」
「ナベ?」
突然、そんな事を言い出したナベに音羽は疑問を投げ掛け、神菜は予想外の言葉にたじろぎながら返答する。
「そ、そんなの信じられないの〜」
「くくくっ、まあ、そうじゃのう。じゃが、その言葉が真実だとしたらどうする?」
「そ、それはなの〜」
まさかナベがそんな事を言い出すとは思っていなかった神菜は思いっきり混乱しているようだ。そんな神菜をあざ笑うかのようにナベは楽しそうに神菜を観察していた。そして神菜は答えを出したのだろう。ナベを思いっきり指差した。
「私を騙そうとするとは卑怯なの〜、やっぱりその猫ちゃんは卑劣なの〜。だからここで退治するの〜」
やっぱりそんな結論に達した神菜に音羽はもう一度溜息を付き、ナベは面白そうに笑って音羽に顔を向けてきた。
「どうやら話すだけ時間の無駄だったようじゃのう」
「……そうね。まあ、あんたの話し方にも充分に問題があったけどね。」
ナベの言葉に同意しながらも、そんな言葉を付け加える音羽。まさかここまで神菜の暴走ぶりが酷い物とは思ってもいなかったのだろう。そしてそんな神菜で遊ぶかのような言動を発したナベに対しても音羽は呆れるしかなかった。
けれども今は墨由を奪還する事が最重要と音羽は気を引き締め直すと辺りを見回しながらナベに話しかける。
「かなりの数が居るわよナベ」
「なに、所詮は鬼の眷属じゃ、どれだけの数を揃えようと儂を阻む事は出来ん」
「それは頼もしいわね」
そう、話し合いが出来ないとなると力技で墨由を奪還するしかない。そう決めた音羽とナベは臨戦態勢へと入る。そんな二人を見た音羽も墨由の影から出ると音羽に向かって言葉を投げ掛ける。
「神津家の巫女のくせに妖描に味方するの〜、それはいけないことなの〜」
そんな神菜の言葉に音羽は再び溜息をついた後、気を引き締めて刀を神菜に向けた。
「神津家巫女、水山音羽。神津家当主の命により妖描ナベに協力して矢頭墨由の身を守護します! だから墨由は返してもらうわよ御堂神菜!」