暁と鏡は猫の道
第三話
葵夢幻

 まったくもって耳障りだ。この由緒正しい猫である我輩、ハクヨルカルガツ=ヨーデンホルトはとっても不愉快だ。

 今、我輩が居るのは何かの研究所を取り囲む塀の上だ。なに? なんの研究所だと、そんな事は知った事か。人間が何を研究し、何を作ろうとしているかなど、高貴な猫である我輩にはまったく関係が無い事だ。よって、そんな無意味で時間の浪費にしかならない事などに我輩の頭を使う必要などは無いのだ。

 それよりも我輩が不愉快な事が最も重要なのだ。高貴であり、品格もあり、崇高たる我輩だからこそ、不愉快になる事はそうそう無いのだが、こればかりは我慢がならん。なにしろ、研究所の窓が開いており、そこから部下を叱る怒鳴り声が我輩の耳に入っているからだ。

 まったく、ここの塀は高く、日当たりも最高な我輩の所有地であるのに、こんな耳障りな怒鳴り声を聞かされるとは、だから人間は品が無いと言えるのだ。しかも、その内容が実にくだらない。そのくだらなさが更に我輩を不愉快にさせているのだ。

 なにしろ、先程から怒鳴っている上司は散々と「お前が失敗した所為だ」と言っているのだからな。そのうえ、期日がどうとか、期間が無いとか、実にくだらん。やれやれ、どうして人間は時間内の成果にこだわるのかが理解が出来ないな。

 そのうえ、上司は失敗した事に怒鳴り散らしているのが更に理解が出来ん。確かに、寛容である我輩も家臣の猫が何度も失敗をしたら怒りもするだろう。だが、それは同じ失敗を繰り返し、失敗から何も学ばない事を怒っているのだ。

 だが、この上司は期限が近いから失敗できないと、たった一度の、しかも最初の失敗に対して怒っているのだ。まったく、ここまで来ると理解をしようとする気持ちすら持てないというものだ。実にくだらなく、エネルギーと時間の消費に過ぎないという事が分からないのか。そもそも時間が無いのなら、尚更、建設的に動くべきだろう。ここで部下を叱っている時間があると思っている事が実にくだらん。

 そもそも人間は失敗する事が悪い事だと思っているのだから、実に効率が悪い考えを持っていると我輩は常日頃に思っていたところだ。失敗は悪い事だとか、勝たなければ意味が無いとか、実にくだらない事だな。人間は、その辺の本質が見えていないからこそ、本当の失敗をするというのが分からんらしい。

 確かに、失敗が許されない時はある。だが、実際には人間が思っているほど、本当に失敗が許されない時は少ないのだ。いや、ほぼ無いと言っても良いだろう。まったくして愚かしい事だな。そもそも、そのほとんどが失敗しても後で収拾が付けられるものだ。本当に失敗が許されないというものは、後になっても収拾が付けられず、それが元で滅んで行く失敗の事を示すのだ。

 つまり、失敗が死に繋がる、それが本当に許されない失敗と言えるだろう。だが、今の人間達はどうだ。失敗したら、確かに損はするだろう。だが、その後はいくらでも挽回が出来る。それなのに、責任がどうとうか、自分の立場がどうとか、会社の立場とか体面とか、それらがどうとか。そんな事は後で、どうとでもなるではないか。

 それなのに、いちいち細かい失敗で怒り散らすなど、無駄としかいえないな。そもそも、小さな失敗ぐらいは受け入れて、それを挽回するだけの器量を持っている者が少な過ぎる。まったく、どうして人間というのは、ここまで器が小さいんだか。我輩には、まったくもって分からんな。

 我輩に言わせれば前提が間違っているのだ。失敗はしてはいけないものではない、して当然なものなのだ。そして重要なのは失敗から学ぶ事、失敗こそが最高の手本なのだ。それは自分の失敗も他者の失敗も同様。失敗をし、失敗を見るからこそ、学ぶ事が出来るのだ。

 その原因を、その対応を、それらを学び取るからこそ成長するのだ。それだけはない、一つの失敗から幾つもの可能性が見えて来るものだ。つまり、失敗の原因を究明し、その対策をしっかりと考案する。すると、他の可能性。原因が似ているのなら、同じような事が起こり得る。考えた対策が他のケースにも当てはまる。そうした可能性が生まれるのも確かなのだ。

 そもそも、人間の歴史も猫の歴史も同じようなものだ。失敗を繰り返し、または他者の失敗を見て、そこから学んだ事を利用する。それらを繰り返してきたからこそ、今の繁栄があり、高度な文明になったのだ。

 もっとも、猫は本能的に発展よりも安定を選んだからな。よって、より良い安定のために人間との共存、そして人間の利用へと発展して行ったのだ。だからこそ、我輩のような高貴な猫が存在しているのだ。そんな事も分からんとはな、まったくもって愚かな。

 そして愚かな人間同士だと、更なる愚行に発展する。それは、同じ失敗を繰り返し。これほど愚かな事はないだろう。なにしろ失敗から何も学ばない、学ばせない、学ぼうとしない。故に人間のほとんどが凡人なのだ。

 そうした意味では、失敗の本質を理解している者は人間の中でも一握りだろう。やれやれ、それを考えると、人間は本当に愚かで、見ているのも飽きてくる。そのうえ、人間の中には失敗の本質を理解して「失敗は成功の母」との名言を残した者も居るのに、人間はそれを理解しようとしない。何のために存在している名言なのかが分からんな。名言は残すために存在しているのではない、学ぶために存在しているというのに。

 こういう人間を見ていると、人間の教育が過程というのが良く分かるというものだ。形や存在は教えるが、本質は教えない。まったくもって愚かだな。だからこそ、人間は更なる愚行に走るのだろう。人間を見ていると、それが良く分かる。

 その代表的なのが「勝ちにこだわる」という愚行だろう。まあ、言葉だけを聞いていれば悪いとは思えないがな。確かに争うのだから勝つ事に意義があるだろう。だが、行き過ぎて本質を見失っている人間が多いのも確かだから愚かだと言える。

 なら、本質とは何なのか? それは争う事によって違ってくるだろう。上から下まで様々な本質というものがあるのだ。一番上を示すのなら、争う事を生業とし、仕事としている者達だろうう。我輩には良く分からんが、今の時勢で言うのならスポーツが代表的と言えるのだろうな。

 プロと呼ばれる者達は常に勝つ事を求められる。だからこそ、一つの小さな失敗が過大に見られるのは当然の事だろう。その他にも、他者と争う事を仕事としているプロならば、それらは必ずしも求められるものだろう。だからこそ、失敗をしないために幾多の練習と修練を欠かすことが出来ない。それは当然の事だ。

 猫の世界でも自身の縄張りを主張し、他の猫と争うのも当然の事。だからこそ、絶対に勝つ事が求められる。もっとも、我輩のように高貴で器も大きく寛容な猫には、他の猫が勝手に付いてきて我輩に勝利を献上するものだからな。だからこそ、我輩は勝った猫を賞賛し、勝てない猫を叱咤する。それは当然の事だ。それが争う事を生業としている猫なのだから。

 だから上が勝ちにこだわるのは当然と言えるだろう、問題なのは下だ。こちらは簡単に言ってしまえば遊びだ、猫がじゃれるのと同じだ。負けたからと言って失うものも無い、損をする事も無い、そして死ぬ事もないのだ。それなのに勝ちにこだわる、まったくもって我輩には分からない事だな。

 人間はゲームと言うのだったな。ゲームは遊びだ、だから熱中するのは悪くは無い。だが、そこで勝ちにこだわる理由がどこにある? 負けるのが悔しい、それだけか? それだったら、それほど愚かな事はないだろう。

 負けるのも失敗と同じだ。次に負けたくないのなら、負けた原因を追究し、勝つための対策を立てれば良い、それだけの事だ。それなのに怒って、喚き散らして、何になるというのだ? それだったら建設的に次の事を考えた方がよっぽど勝てるではないか。それなのに一つの負けにこだわり、無駄な争いを生む。これほど愚かな事はないだろう。

 いやはや、ここまで来ると我輩には理解不能だな。

 まあ、先程から聞こえる耳障りな怒鳴り声と良い、理解不能な部分と良い、人は感情に支配されすぎる。もう少し、自分を律するという事が出来ないのだろうか。それが出来れば、しっかりと本質を見る事が出来て、すこしはマシなると我輩は思うのだがな。それが出来ない人間はなんとも愚かな事なのか。少しは猫を見習ってほしいものだな、まったく。

 ……おや、静かになったな。どうやら無駄な時間は終わったようだ。まったくもって我輩にとっても迷惑な時間だったな。これでやっと静かに落ち着けるというものだ。人間も、このように穏やかな空気と日差し、静かな風を感じれるようになれば少しは変わると思うのだがな。まあ、それは人間の問題だ、猫である我輩には関係の無い事だな。だから我輩は今をしっかりと感じる事にしよう。

 ……それにしても、人間はいつになったら気付くのだろうか。人間が悪いと認識している中にこそ、本当に見なければいけない本質があるという事に。

 

 

後書き

 

 

 はい、そんな訳で……相変わらず偉そうなハクでしたね。まあ、猫から見れば、人間がこんな風に見える……と思います……だったら良いな(汗)

 何にしても、気が向いたので久しぶりに書いてみたアカネコ(タイトルが長いので、勝手に略式名を思い付きで書いてみました)ですが、前回の更新から……三年が経ってますね。うん、本当に久しぶり、というか、すっかり忘れられてたのを掘り起こした感じですね(笑) という感じで書いてみました〜。

 さてさて、今回のテーマとしては、失敗と負ける、という事ですかね。まあ、どちらとも……過敏に怒る人って居るよね。まあ、本文でも書きましたけど、同じ失敗を繰り返す人には私も怒った事はあります。……いや、だって、失敗したら二度と失敗しないように努力する事が一番重要じゃない? それをしない事に思いっきり腹が立ちました。

 まあ、そうした努力が見える人は良いんですけど、まったく努力が見えない人には私も怒りますよ。けど……さすがに最初の一回とか二回とか、慣れてない時は怒らないですし、そこから学ぼうとしていれば怒る理由は無いと思うんですけどね〜。

 性格的な事もあるんでしょうけど……器が小さいって思ってしまうのも確かです。まあ、そんな風に考えている私ですが、一番嫌だなって思うのが……ネトゲの団体戦で負けた後に本気になって怒って、いろいろな事を強制してくる人。

 いや、ネトゲって遊びだから、ゲームだから、楽しむ事が一番重大な本質だと私は思っているんですよね〜。まあ、だから、勝ち負けは二の次、というか……さすがにやり込んでる人には、そうそう勝てないですよ(笑) まあ、私はそこまでやり込まない性質なので、だからやり込んでる人が本気になると勝てるとは思ってません(笑)

 まあ、だから本質を見失って、失敗や負ける事に怒る人は、私的には、どうかな〜、とか思ってしまうのですよ、これが。というか、失敗する事や負ける事が、そんなに悪い事ですか? 別に命を賭けて戦争をしているワケじゃないんだし、小さな失敗や負けで会社が倒産したり、国が崩壊するワケじゃないでしょ。

 だから事故に繋がるとか、人命に関わる人達とか、そういう事や人達は小さな失敗が大事になる事もありますよ。けど……それ以外で後でどうとでもなる事で怒ってる人は、どうかと思ってしまうワケですよ。むしろ、逆に失敗させて学ばせた方が建設的だと私は考えますね。

 ……いや、私がそうしてきたから、そんな風に考えてしまうのかもしれませんね。けどけど、私はいつでも本質だけは見ていたつもりですよ。だから、怒る事に値しない事で怒られる事に対しては不満を抱くんでしょうね。

 という事で、なんか長くなってきたので、そろそろ締めますね。

 ではでは、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。そして、他の作品もよろしくお願いします。更に、掲示板への感想もお待ちしております。

 以上、偉人ほど失敗から多くを学んだ人が多いから、そんなもんなのかな〜、とか思ってしまった葵夢幻でした。