第三章
大して変わらない日常
翌朝、いつも通りに墨由は目覚ましがなる数秒前に目を覚ますと、目覚ましがその役目を果たす前に止められてしまった。
大きなあくびをする墨由。そんな時だった、突如として叫ぶ声が聞こえてきた。
「さあ、餌じゃ、餌!」
「…………」
まだ目が覚め切っていないのか呆然とする墨由は枕元にちょこんと座っているナベを見詰める。
「……猫が喋ってる」
「突っ込むところはそこか」
さすがにこの反応にはナベも呆れた様子で突っ込むしかなかった。それから墨由は大きく身体を伸ばすと、やっと昨日の出来事を思い出した。
あ〜、そういえばナベは昨日からウチで飼ってるんだっけ。そんな事を思い出している間にもナベは餌をねだって来ている。そんなナベにしかたないと墨由は起き出すとキッチンへと向かい。買い置きしてある猫缶の一つを開けてやると、いつもの餌入れに入れてやり、ナベの前に出してやった。
さっそく餌に喰らい付くナベに墨由は何となくナベを撫でたくなり、手を伸ばそうとしたら玄関チャイムと同時にドアが開かれるのだった。
「墨由〜、生きてる?」
「入るのと同時に真面目に質問しないでくれる」
そんな文句を音羽はサラッと受け流すといつものようにキッチンへと向かった。
どうやらいつもの音羽のようだ。まるで昨日の事が嘘に思える墨由だが、こうしてナベを前にしていると昨日の出来事が嘘では無いと実感する。
それにしても血統家宝とか妖怪とか、突然そんな事に巻き込まれたな〜。……あっ、音羽にしてみれば、いつも僕を守っててくれたんだから、そんな突然でもないのかな。
いつもと変わらない音羽の姿に墨由は実感はあるものの、そんなに驚く事じゃないのかなとあまり動揺はしてなかった。
それもこれもナベを含めて音羽もいつもと変わらないからだろう。そんな一人と一匹の姿に墨由もあまり変わる事無く、いつものように布団を片付けると朝食のためのテーブルを用意して制服に着替えた。
その頃には朝食も出来ており、ナベも餌入れを空にしていた。それからナベは餌入れを見詰めて何かを呟くと、餌入れは自然と宙に舞い上がり、そのままキッチンの流しだしへと入っていった。
「へぇ〜、そんな事も出来るんだ」
まるで超能力を目の当たりにしたかのような光景だが、墨由はそんなに驚いてはいない。まあ、昨日の事に比べればこれぐらい出来ても当然と思えるのだろう。
「その妖描、あっ、ナベか。ナベだってかなり力を持ってる妖描なのよ、それぐらい簡単にやってのけるわよ」
食事の合間に説明をしてくれる音羽。そんな音羽の言葉に墨由はナベに感心してしまった。
「ナベってそんなに凄い妖描なの」
「当たり前じゃ、そこの巫女が結界を破る前に儂が破って入りこんだんじゃからのう」
つまりは昨日の出来事で音羽が散々苦労して破った結界をナベはいとも簡単に破ったという訳だ。
「へぇ〜」
そんな話を聞かされても感心する事しか出来ない墨由。実感はあってもまだ理解が足りないのだろう。
まあ、それも時間の問題かな、と墨由も随分とマイペースな判断を下す。どうやら墨由も相当肝が据わっているのが、それとも鈍いだけなのか、どちらにせよあまり動揺するという事が無かった。
そんな会話をしているうちに朝食は食べ終わり、ナベは何処からか持ち出した猫専用の寝床を勝手に部屋の片隅、それも日当たりが良い場所に設置して寝転んでいた。
「それじゃあ僕達は学校に行くけど、鍵を掛けてもナベは大丈夫かな?」
そんな事をナベに問い掛ける墨由。ナベだって一日中も墨由の部屋でじっとしているなんて耐えられないだろう。だからこそ、そんな問い掛けをしたのだが、ナベの代わりに音羽がその問に答えた。
「さっきの能力を見たでしょ。ナベなら鍵が無くても自由に鍵を開けられるわよ。問題はその後にちゃんと鍵を掛けるかどうかよ」
「そうなんだ、大丈夫?」
音羽にそう答えた後にナベにねんを追う墨由。そんな問答にナベはめんどくさそうに鍵はしっかりと掛けて外出する事を約束した。
ナベとしては墨由の部屋に泥棒が入ろうと構わないのだが、それが原因で餌が貰えなくなるのは問題だ。だからこそ鍵だけは掛けて出かける事を約束したに過ぎない。
「それじゃあ、行くわよ」
「じゃあ、行ってくるね」
わざわざナベにそんな挨拶をしてから学校へと向かう墨由。音羽としてはそこまでしなくて良いと思っているのだが、墨由としてはそこまでやっておきたいのだろう。だから音羽が口を出す事ではないと、今回は何も言わない事にした音羽だった。
教室に着くと撫子の姿は無かった。登校中にも出会う事が無く、この時間に学校にいないという事は今日は休みなのだろうと墨由は思っていた。
なにしろ撫子は病弱だ。たびたび学校を休んでいる。だから撫子が居ない事は決して珍しくは無いのだが、居ないだけでも墨由は寂しさを感じていた。
「残念だったな、今日は撫子ちゃんが休みで」
「まあ、しかたないよね〜」
墨由が自分の席に着くと、そんな事を言いながら松居と寺内がやってきた。
「もう分ってると思うけど、撫子ちゃんは今日お休みだって。さっきそんな情報が入ってきたよ」
「そう、やっぱりか」
というか、その情報源はどこからなんでしょう? そんな事を思う墨由だが、あまりに恐ろしくてそんな事は聞けなかった。只でさえ墨由と撫子は注目を浴びており、寺内に変な情報を与えてしまってはどうなるものか分ったものではない。
だからこそ、そんな質問をして寺内を敵に回す事だけはしたくなかったし、情報の出所を聞くのを禁止とされているのはクラス中に限ってでは無いが暗黙の了解だった。
「まあ、寂しいのは分るけどよ親友。こんな時ぐらいは俺達の友情を深めようじゃないか」
そんな事を言ってくる松居を無視して寺内に顔を向ける墨由。
「なあ寺内、俺と松居が親友だという情報はあるのか?」
「まったく無いよ、それどころか敵と認識してもいいぐらいじゃない」
「お前ら二人……それは酷すぎないか」
そんなふざけた会話をしているとホームルームの時間になり、松居と寺内はそれぞれの席に戻って行いった。今日も昨日と変わらない日々が始まっていく。
そんな日々に異変が起きたのは昼休みだった。いつもなら撫子と音羽の三人で昼食を取るのだが、撫子が居ないと音羽と二人っきりで昼食となるのもいつもの事だ。
二人としては撫子が居るからそんな気はまったく無いのだが、周りから見れば二人の関係が怪しいと思う人も出てくるだろう。だから撫子が居ない昼食には時々痛い視線を喰らう事があった。
けれども音羽は墨由を守るという仕事を持っている。だから撫子が居ない時はなるべく墨由の傍に居なければいけなかった。というのをつい先程聞いたばかりだ。
そんな事情を聞いて今までもどうして二人っきりで食事をしていたのかに納得をした墨由は何気なく窓の外に目を向ける。
「ぶっ!」
その途端に口の中に含んでいたジュースを思いっきり噴出してしまった。
「汚いわね〜。いったいなんなのよ」
ハンカチで墨由が噴出した窓を拭く音羽。その姿はまるで何事も無かったように思えるが、墨由にとってはとてつもなく意外な事があった。なにしろ窓の外にある景観を邪魔している木の上にナベの姿があったからだ。
音羽が窓を拭き終わると墨由は誰にも気付かれないようにそっと窓を開けると、窓の外にいるナベに話しかけた。
「ナベ、いったい何をやってるんだ」
「決まっておろう。昨日約束したではないか、守ってやると。じゃからこうして昼寝も兼ねてそなたの傍で守ってやってるわけだ」
「でも、ここは学校だし音羽だっているから」
「そんな事は関係ないわ、儂は儂が約束した事をやっているだけじゃからな、心配する必要はないぞ」
そんな事を言われても。墨由としてはナベの勝手な理由にどう文句をつけようか悩み始めると、音羽が口を出してきた。
「だから言ったでしょ。妖描なんて勝手なものなんだから、いちいち気にしてると心が持たないわよ」
「……自分勝手って、こういうのもそういうんだ」
「そうよ、妖描にこっちの都合なんて関係ないんだから。まあ、自分が妖怪だとばらすような事はしないでしょ。そんな事をして困るのは自分なんだから」
確かに妖怪だと、いや、それ以前に猫が普通に喋ってる時点で大問題になる。それが分っているからこそ、ナベも外では普通の猫になっているのだろう。
「なるほど、これが本当の猫っかぶりか」
「……あっはっはっ」
「ごめんなさい、だから顔がまったく笑ってない笑いはやめてください」
そんなふざけた会話をしていた時だった。突如として強い視線を感じた。それは今までの痛い視線ではなく。もっと強い、まるで何かの意思を秘めたかのような視線だ。
墨由が思わすそちらを振り向くと一人の女子が墨由の事を見詰めていた。どうやらクラスメイトらしいが墨由は彼女の事は良く知らないどころか、名前すら分らなかった。
その女子は墨由の視線に気付くと一気に昼食を食べ尽くすと、大量の本を一気に大きなカバンに詰め込んで教室から出て行ってしまった。
「ねえ、音羽。さっき出て行った子だけど」
「あぁ、彼女。名前は御堂神菜。かなりの恥かしがり屋で人見知りが激しいのよ。だから誰が話しかけてもすぐ逃げるので有名なのよ。けど結構可愛いからって狙ってる人もいるみたいね。だけどそんなに気にしなくて大丈夫よ」
「…………」
まさか音羽からここまで詳しく聞けると思ってなかった墨由は言葉を無くしてしまった。そんな墨由を無視して昼食を済ませた音羽は肘を机につけて手に顎を乗せて外に居るナベを見ている。
音羽としてもまだ完全にナベを信用したようではなさそうだ。少なくとも墨由は音羽がそんな風に思っているように思えた。
それでもいつまでも見ている訳には行かないのだろう。音羽は突然立ち上がると、そのまま自分の席へ戻って行ってしまった。
音羽が居なくなってすっきりした机の上に突っ伏す墨由。その墨由も音羽の真似をしてナベを見てみるが、ナベは呑気にあくびをした後に首を掻いてから再び木の上で器用に寝そべっている。
どっからどう見ても普通の猫だよね? 今更ながらそんな感想を抱く墨由。それだけナベが普通の猫として振舞っている証拠と言えるだろう。まあ、ただ本能のおもむくままに行動しているだけと言い切れなくも無い。
そんな風に呆然とナベを見ていたら、誰も墨由の傍に居ない事を確認してから松居と寺内は墨由の元のやってきた。
どうやら墨由と音羽の間にもなかなか入りにくい雰囲気があるのだろう。だから音羽が離れたのをわざわざ確認してから来たのだろう。
「しかしお前もあれだな、いったいどんな呪いが掛かったらそんな風に女の子がよってくるんだ」
突然そんな事を言い出す松居。やはり撫子が居なくても音羽が墨由の傍を離れていない事がそんなに悔しいのかもしれない。
まあ、当人達にそんな自覚どころかそのような関係でないのは良く分ってる。なにしろ音羽は窓の外でくつろいでいるような存在。それも墨由を限定して狙ってくる妖怪を退治するのが仕事なのだから。
音羽としては墨由の事を護衛対象ぐらいにか思っていないのかもしれない。そう考えるとやっぱり少し寂しい気持ちになる墨由。けれども昔から築き上げた一緒の時間は本物だと自分自身に言い聞かせて憂鬱になった気持ちを晴らした。
「だからいつも言っているように撫子も音羽も幼馴染だっただけだよ。別に子供頃からずっと好きだったという訳じゃないよ」
「へぇ〜、というと撫子ちゃんの方が積極的なんだ」
墨由の言葉をメモするかのようにどこから取り出した手帳に墨由の言葉を書き記す寺内。あれが有名な寺内のデータベース手帳なのだろう。
少しだけ見てみたい気もするが今後の事を考えると、とても覗き見しようとう気にはなれなかった。もしそんな事をしたら墨由と撫子の事でどんな噂が広まるか分ったものじゃない。なにしろ寺内に掛かれば嘘の話ですら数時間で学校中に知れ渡ると言われているのだから。
そんな寺内の行動を呆然と眺めている墨由は先程の事を思い出した。
「そういえば寺内」
「んっ、なに?」
「御堂神菜さんってどんな人だか知ってる?」
やはり先程見詰められていたのが気に掛かったのだろう。墨由は神菜のことについては良く知らなかった。先程の音羽が話してくれた内容では凄く人見知りというだけで、それ以外の事はまったくと言って良いほど知らなかった。
別にクラスメイトに興味が無いわけではないのだが、神菜の方が積極的にクラスに溶け込めなかっただけだろう。
だから神菜について知っているのは寺内ぐらいだと思っていた墨由だが、意外な事に松居が神菜の事について絡んできた。
「ほほぉ〜、撫子ちゃんという彼女を持ち、音羽ちゃんにもいろいろとしてもらって、未だに他の美少女に興味がおありですか」
「くっ、首を絞めるな」
どうやら神菜もそれなり人気があるらしく。松居の目は少し本気で手は墨由の首を絞めていた。
そんな状況にギブアップした墨由が暴れると松居はやっと解放してくれた。
「別に興味があるわけじゃないよ。ただ……さっき見詰められてた。いや、正確には見られてたかな? そんな感じがしたから気になっただけだよ」
「……やっぱり呪われてやがる。いや、俺が別の呪いを掛けてやる」
壁に向かってそんな事を呟く松居。これは完全に勘違いをしているのだろうと墨由は思っているが、否定する要素が無いからには放っておくのが無難だろうとそのまま寺内の方に顔を向けると既に先程の手帳からとあるページを開いている。どうやら二人の会話が終わるまでまってたらしい。
だから松居が壁に何かを呟き続けながらも寺内は御堂神菜について説明し始めた。
「御堂神菜。御堂家っている古い旧家のお嬢さまで今でも御堂家はそれなりの権力を持ってるみたいだよ。つまりはお嬢様だね」
「そんなお嬢様がどうしてこんな高校なんかにいるんだ」
随分と学校側にとっては失礼な言い方だが、確かにそれだけのお嬢様なら私立の有名な高校に行ってもおかしくは無い。
しかもこの翠逸高校は進学校ってワケでも無い。だからそんなに有名でも厳しくは無い。だからそんな学校にお嬢様と呼ばれている神菜が居るのが墨由は不思議でならなかったのだろう。
けれども先程音羽が言った通りのようで、神菜は人見知りが激しいらしく、さすがにそこまでは寺内にも調べられなかったようだ。
「なにしろ話しが聞けなかったからね。彼女の情報は少ないんだ。でも見て分るとおりの美少女といってもいいでしょ」
「まあ、それは確かに認めるが」
少し見ただけだが、長い黒髪に整った容姿。更には少し弱気な瞳と彼女の雰囲気から守ってあげたいという思いが男子には込み上げてくるのだろう。墨由には良く分からないが寺内が言うにはそういう所が彼女の長所でもあり短所でもあるそうだ。
「なにしろ極端な人見知りだからね。この学校でもまともに話せる人は誰も居ないんじゃないのかな」
「いや、誰もって」
「だって、彼女は誰かに話しかけられた時点ですぐに逃げ出すんだよ。相手が誰かも確かめずに。そんな彼女を相手に取材なんてとても出来ないよ」
というか、お前は取材までやって情報収集してるのか。
「だから何も知らない人から見れば結構な人気があるんだよね〜」
まあ、確かに傍目に見ていれば、かなりの美少女だ。見ている分には申し分はないのだろう。けれどもその性格には充分過ぎるほど問題がありそうだと 墨由はそんな失礼な事を思っていた。
でも……そんな彼女がどうして僕を? あの時の神菜は確かに墨由を見ていた。それは彼女を知る人にとってはっても怪奇であり、知らない墨由にとっても不思議な事だ。
墨由はその事がよほど気になったのか、神菜の席を見てみるが彼女はまだ戻って着ては居なかった。そんな神菜が戻ってきたのは昼休みが終わり五時限目が始まる直前だった。
「へぇ〜、神菜さんがすー君を見てたの?」
そんな事を言ったのは撫子だ。
学校が終わり音羽は仕事があるからと言って、さっさと帰ってしまった。どうやらナベの事でいろいろとやらなければいけない事があるらしい。後で顔を出すとは言っていたが、その間は暇なので、という理由を付けて墨由は撫子のお見舞いに来ていた。
さすがに幼馴染だけあって墨由と撫子の家は近い。もちろん音羽の家とも近かった。だから互いに幼馴染になったのだが、さすがにこの歳になると撫子の家には行き辛かった。
年齢が年齢だけに墨由は撫子の父親とは顔を合わせたくないし、もちろん付き合っているなどと言えるはずがなかった。もしかしたら撫子の口から聞いているかもしれないが、その事を聞く勇気を墨由は持ち合わせていなかった。
撫子の母親はそれなりに理解を示してくれたのは正直に言うと助かっている。だからこそ、父親が居ない時間はこうやって撫子の部屋でお見舞いが出来るというわけだ。
撫子はベットに腰を掛けて膝まで布団を掛けていた。墨由が来るまでは寝ていたからだ。そして墨由の姿をみるなり、起き上がるとパジャマ姿に上着だけを掛けて、今はこうやって学校での出来事を話しているという訳だ。
そして墨由は撫子のお見舞いに来るたびにドキッとしてしまう。さすがに撫子の姿は見慣れているとはいえ、パジャマ姿だけは何度見ても慣れないようだ。この辺が二人の仲が進展しない理由なのかもしれないが、墨由してはそんな撫子の姿が見れただけでも充分に役得だった。
なんとか顔がニヤつくのを抑えながら墨由は撫子と神菜について話していたのだった。
「撫子は御堂さんの事を良く知ってるの?」
「名前だけなら知ってるよ。でも、私も話しかけようとしたら逃げられちゃったんだよね」
「あぁ、やっぱり」
撫子としてはやっぱり神菜とも友達になりたかったのだろう。けれども逃げられてしまったのだから撫子はがっかりと肩を落とした。
さすがの撫子でも人見知りが激しい神菜とはそう簡単に仲良くはなれなかったらしい。だから撫子がその事で気を落とす気持ちも分からなくは無い。なにしろ御堂神菜は極端な人見知りで話し掛けただけで逃げ出すほどだ。
今日などは目が合っただけで逃げたほどだ。到底、神菜が誰かと話している姿など想像できなかったのだが、撫子ならそれも可能なのではないかと墨由は撫子にそんな期待をしていた。
「それで御堂さんってどんな人だと思う?」
墨由はよっぽど昼間の出来事が気になっていたのだろう。興味津々とした顔で神菜の事を撫子に尋ねるが、撫子は拗ねたような顔をすると墨由から顔を逸らしてしまった。
あれっ? えっと、なんで? いきなり撫子が拗ねてしまった事に困惑する墨由はとりあえず声だけでも掛けてみる事にした。
「えっと、撫子?」
「なに」
「……どうして窓を向いて喋っているのですか?」
撫子の雰囲気にどうしても敬語で喋ってしまう墨由。今まではこんな事が無かっただけに対応に困っているようだ。
けれども撫子は未だに拗ねているようで返事すらしてくれなかった。そんな撫子に墨由は更なる言葉を掛けてみる。
「えっと、良い天気だよね」
「もう夕暮れだけどね」
「洗濯物もすぐに乾きそうだ」
「もう乾いちゃってるけどね」
「明日も良い天気ならいいよね」
「明日はすー君の上だけが雨だって」
「…………」
さすがにここまで拗ねられると困り果てる墨由。このままどうしようと困惑するばかりだ。
そんな時だった。突然撫子が墨由に振り向くと楽しそうに笑った。そんな撫子に墨由は未だに困った顔をしている。どうやらなんで撫子が笑っているのかが分らないようだ。いや、それ以前に先程の態度すら分らないのだろう。
「えっと、撫子?」
「あははっ、あっ、ごめんね。すー君があまりにも困ってるのが面白くって」
「いや、まあ、それはいいんだけど」
墨由としてはなんで拗ねたのかが気になっているようだ。だがこのまま拗ねた理由を聞いて良いものかどうか墨由が迷っていると撫子から拗ねた理由を話し始めた。
「すー君が悪いんだよ。だって……神菜さんの話ばかりするから」
「あっ、いや、それは違う」
やっと撫子が拗ねた理由を理解した墨由はそのまま弁解に入る。
「えっと、僕は御堂さんの事を良く知らなくて、それで今日始めて知ったから、その事を話してただけで、だからそんな事は」
「うん、分ってるよ」
「へっ!」
墨由の言葉を遮って撫子は笑顔でそう告げた。
ずるいな〜。何故だかそう思ってしまう墨由。いや、墨由自信にも分かっているはずだ。墨由が撫子にからかわれた事を。
墨由があまりにも神菜の事を話したので撫子は嫉妬して拗ねたのだ。別に本当に拗ねたわけではないが、嫉妬していたのは確かかもしれない。その場に自分が居れば墨由はそんなに神菜の事を気にする事は無かったはずだから、とそう思っている撫子だった。
それを挽回するように拗ねただけに過ぎない。そうたったそれだけの事だが、墨由も撫子もなんか面白くなり、二人して笑い始めた。
そんな幸せな時間を墨由が過ごしていた。