第二章

 

妖描

 

 

「捕らえた捕らえた、今日は邪魔な巫女がおらんから捕らえてやったわ」

 確かに女の声だが人間の声には聞こえなかった。墨由は恐る恐る振り返ると驚愕する。なにしろ女郎蜘蛛が天上から這い出してきているのだから。

「なっ、なんだっ!」

 空間の歪みから這い出してくる女郎蜘蛛。突然そんな者に遭遇しては墨由でなくても混乱するだろう。そんな時にドアが今までも無く激しく音を立てるが、未だにドアは開いていない。

 どうやら外の音羽が何かをしたようだが、ドアを開けるには至らなかったようだ。

 そんな日常から切り離されたような空間で墨由は腰を抜かしながらも、この場から逃げるためにも頭だけは動かしていた。

 何でこんな事に何ってるんだ。いったいなんであんなのが出てきて……いったいどうなってるんだ。そんな事を考えながら墨由は女郎蜘蛛から少しでも遠くへと立てないまま移動する。どうやら未だに腰が抜けているようだ。

 そんな墨由を見て女郎蜘蛛は長い舌なめずりをすると墨由に向かって語りかけてきた。

「いつも邪魔をしてる巫女は結界の外、これで血統(けっとう)家宝(かほう)入りの餌を食らえるというもんじゃ」

 巫女? 血統家宝? 何を言っているんだこいつは? どの言葉も墨由には心当たりが無い言葉だ。それなのに女郎蜘蛛はこんな状況を楽しんでいるかのように語り続ける。

「さすが我が主様よの、この状況を読まれておられたとは。さすがよ、さすがよ」

 女郎蜘蛛はまるで極上のご馳走を目の前にしたかのような笑みを浮かべると更に長い舌で唇を舐める。そんな時だった。突如としてどこからか、また別な声が響いてきた。

「ほう、という事はそこの三下は誰かの使いという訳じゃな」

 そんな声が聞こえて黒い何かが墨由と女郎蜘蛛の間に割り込むと一筋の光が走った。その後に何本もある女郎蜘蛛の足の一本から紫色の血が噴出すると、女郎蜘蛛の足の一つがボトリと床へと落ちた。

 その事で悲鳴を上げる女郎蜘蛛。けれども介入してきた黒いものは、そんな事態に構う事無く話を続ける。

「残念じゃが、こやつは餌の提供者じゃ。おぬしに喰わせてやるには勿体無いからのう。それに喰い慣れない者を喰らうと腹を壊すというものじゃぞ」

「なんじゃ、お前は!」

 女郎蜘蛛と墨由の間に入ったのは黒猫だった。それも毎朝餌をやっている黒猫だ。その黒猫が墨由のピンチを救い、なおかつ喋っている。

「見ての通りの妖描(ようびょう)じゃ。名なぞ持っておらん」

「猫風情が邪魔するでないわ!」

 女郎蜘蛛は足の一つを大きく振り上げると墨由と黒猫に向かって振り下ろす。だが黒猫は素早い動きで墨由の襟を噛み付くと、そのまま軽々と持ち上げて大きく跳び上がる。

 女郎蜘蛛の足はそのまま床に叩きつけられるが、何の効果が発しているのか分らないが、あれだけの衝撃で何も壊れてはいなかった。どうやら特殊な空間にいる事だけは墨由にも理解が出来た。

 それ以前に目の前の女郎蜘蛛や喋る猫なんかが目の前に居れば、今の状況がピンチであり、日常とは違う特殊な環境に居る事を無理矢理にでも理解せざる得なかった。

 黒猫は部屋の片隅に着地すると墨由をそこに降ろした。

「そこから動くでないぞ、今から結界を張るからのう」

 そういうと黒猫は何かを呟くように口を動かす。すると墨由が座り込んでいる床が光り始めると魔法陣のような物が展開された。

「良いな、そこから出るでないぞ」

 もう一度忠告をした黒猫は女郎蜘蛛に向かって跳び上がると、そこに足場でもあるかのように空中に着地した。

「ほれ、これで儂を倒さん限り血統家宝には手は出せんぞ」

「猫風情が、余計なことを」

 女郎蜘蛛は奥歯を強く噛み締めると鋭い視線を黒猫に向かって投げ掛けるが、黒猫は何処吹く風のようにまったく臆する事無く堂々としていた。

 そんな黒猫に女郎蜘蛛は再び足を振り回すが、黒猫はそこに足場があるかの空中を跳んでは着地して女郎蜘蛛の攻撃をかわす。

 そんな事を続けているうちに女郎蜘蛛にも焦りが出てきたのだろう。六本もの足を一気に動かして黒猫に向かって乱撃を入れるが、黒猫はそれらの攻撃を全て避けきって見せた。

 さすがに一気に動いて女郎蜘蛛も息が切れたのだろう。少しだけ息を荒くしながら女郎蜘蛛の動きが止まった。

「さて、今度はこちらの番じゃな」

 黒猫はそういうと猫とは思えない咆哮を上げると、黒猫の周囲に電撃が走り始めた。バチバチと音を立てながら黒猫の周囲に展開されている電撃に黒猫が総毛立つと、電撃は雷となって女郎蜘蛛に向かって一気に放たれた。

 雷は女郎蜘蛛の本体に当たる事無く、足だけを見事に貫いて見せた。そんな黒猫の攻撃に女郎蜘蛛は悲鳴を上げた。足だけに当たったとはいえ、その激痛はかなりのものだったのだろう。

「これで足は使えんじゃろ。さて、次はどこから行こうかのう」

 黒猫はまるで女郎蜘蛛をこれから甚振(いたぶ)るのを楽しみにしているような感じで、鋭い視線を女郎蜘蛛に送る。

 そんな黒猫とは反対に女郎蜘蛛の目からは完全に闘気は消えて怯えになっている。どうやら完全に黒猫が格上だと感じ取ったようだ。

 このままでは甚振られて殺されるだけだと女郎蜘蛛は本能で察したようで、再び空間に穴を開けて逃げようとするが、黒猫は再び咆哮を上げるとその穴に電撃を入れて空間の穴を強制的に閉ざしてしまった。

「さあ、踊り狂うが良いじゃろう!」

 黒猫がそう言い放つと黒猫の周囲にある電撃はその量を増して、威力が上がっているように感じられた。

 そんな時だった。玄関のドアが打ち破られると音羽が乱入してきた。

「お、音羽?」

 墨由が見た音羽は普段よりも目付きはキツクなっており、なぜか巫女装束を着ていた。そして手には抜き身の刀を握り締めているという普段の音羽からは想像も出来ないような格好をして音羽はその場へと乱入してきた。

 突然乱入してきた音羽に全員の視線が音羽に向かうが、それは音羽も同じで中の状況を確認しているように部屋の中を見回している。

 そんな状況で再び脱出を試みる女郎蜘蛛だが、そんな光景を見た音羽は女郎蜘蛛に向かって一気に駆け出し、刀を肩の上に乗せるように独特の構えを見せた。

「我が剣に宿れ退魔の炎、()之迦具(のかぐ)土神(つちのかみ)の力を持って滅せよ」

 そう叫ぶと音羽の刀に炎が宿る。そして一気に女郎蜘蛛の本体に迫ると刀を振り下ろす。

「炎鬼一閃!」

 振り下ろされた刀は見事に女郎蜘蛛を一刀両断すると、そのまま女郎蜘蛛を炎で包み込み。そして女郎蜘蛛は消滅した。

 

 

 あっ、電気が付いた。

 音羽が女郎蜘蛛を退治すると特殊な何かが消えたのか、普通に電灯が付いて庭の外も見えるようになっていた。どうやらピンチを脱したようだが、これで終わりという訳ではなかった。

 今度は黒猫に向かって刀を向ける音羽。その目付きはいつもの数倍はキツイものになっている。

 そんな音羽に声を掛けようとしても独特の緊張感が未だに消えておらず、墨由は声すら上げる事が出来なかった。そんな状況で音羽は黒猫に向かって語り掛けた。

「あなたはいったいなんなの! あなたを追っていた所為で墨由がこんな目に遭ったんじゃない!」

 叫ぶ音羽に黒猫は逆に笑い出した。

「くくくっ、儂を追っていたのはそなたの勝手じゃろ。儂は何もしておらんどころか、この血統家宝持ちを助けてやったんじゃぞ。なにしろここは大切な餌場の一つじゃからのう」

 そんな黒猫の言葉に音羽は溜息を付くと刀を鞘に収めると、先程押し開けた玄関を閉めて鍵を掛けた。それから何かを呟いているようだ。

「くくくっ、結界を張らんでも儂は逃げたりはせんぞ。言ったじゃろ、ここは大切な餌場の一つじゃとな。そう簡単には捨てんよ」

 それから結界とやらを張り終わったのか、音羽は墨由を守るように黒猫との間に立つと、再び溜息を付いた。

「じゃあ何、あなたは本当に餌場を守るために墨由を守ったというわけ」

「そういう訳じゃな。それ以外の理由などないじゃろ」

 そんな黒猫の言葉に音羽は頭を抱えて思いっきり溜息を付いた。

「まったく、あなたの所為でこっちは散々振り回されたんじゃない」

「それはそっちが勝手にやってた事で儂は知らんわ」

 えっと、話しが見えないんですけど。そろそろ会話に参加したしても大丈夫かな。二人から殺気が消えたのを感じ取った墨由はそう思うと、軽く手と声を上げたので一人と一匹の視線は墨由に向く事になった。

「えっと、そろそろ説明して欲しいんだけど」

 そんな墨由の言葉に音羽はもう一度軽く溜息を付いた。

「本当なら墨由には知られたくないんだけどね。こんな状況になっちゃたらしょうがないわね」

 さっきまでのキツイ表情からいつもの音羽に戻ったように感じられた墨由はやっと一安心した。あのまま殺気立たれた音羽のまま説明されても頭の中には入ってこなかっただろう。

 なんにしても音羽が言うには説明には時間が掛かるからと勝手にお茶を入れるといつものようにテーブルに付いた。それから墨由にもこっちに来るように言った。

 黒猫がここから出るなというのを未だに気にしているような墨由は黒猫に目を向けると、そこには黒猫はおらず、すでにテーブルの上で呑気に丸くなっていた。

 そんな黒猫を見て墨由は立ち上がろうとすると、いつの間にか自分の下にあった魔法陣が無くなっている事に気付いた。どうやら音羽が女郎蜘蛛を倒した時に一緒に魔法陣も消し去ったようだ。

 だから少しだけ安心して墨由は立ち上がってテーブルに再び座ると音羽はお茶を出してくれたので、とりあえず一息付いた。

「さて、まずは何から説明しようかな」

 どうやらかなり時間が掛かる説明のようだ。それはそうだ、墨由にしてみれば狙われる理由も先程の出来事もまるで理解できていないのだから。その全てを説明するにはかなりの時間が掛かるのだろう。

 それを簡潔に説明しようした音羽はまず墨由を指差した。

「まず、墨由は矢頭家の正統なる当主なの」

「……はい?」

 えっと、正統なる当主ってどういう事? 墨由ならず誰でもまずはそう思うだろう。呆然とする墨由を前にして音羽は普通に説明を続け始めた。

「つまり墨由は矢頭家の当主であり、その証たる血統家宝をその身に宿しているのよ」

「ちょ、ちょっと待って、そもそもその血統家宝って何?」

 幾つもの分らない言葉に墨由がいちいち反応するので、音羽は少し黙るように言うと次のような説明を開始した。

 

 

当主と血統家宝

 

 遥かな昔、その家の当主を決めるのは相続ではなく血統家宝を有しているか、いないかで決まっていた。つまり血統家宝というのは、その家の正統たる当主の証であり、家の当主になる資格を現した物だ。

 その血統家宝は生まれた時から前当主から移動する物で、墨由も生まれた時から血統家宝を持っていたそうだ。前の当主は誰かは分らない。なにしろ今では本家も分家も無い。ただ血筋だけが幾つもの枝分かれしたように増えているのだから、以前の所有者などが分かるはずも無かった。

 けれども墨由は間違いなく矢頭家の正統後継者であり、その身体には血統家宝を宿しているのは確かな事である。

 昔ならともかく今では特殊な物を体の中に持っていると言った方が早いかもしれない。なにしろ今では正統なる当主などという物はまったく意味が無いのだから。

 けれども血統家宝は当主の証というだけではない。その名の通りに家宝、つまり宝であり、人間にはどうする事もできないが、先程のような妖怪にとっては大切な物になってくる。

 その血統家宝が秘宝と呼ばれる程、凄いものなら血統家宝を取り出してから喰らい。あまり役に立たないものなら、血統家宝を有しているというだけで妖怪にとってはご馳走と言えるほどの食材になる。

 つまり先程の女郎蜘蛛も墨由の血統家宝を狙って襲ってきたというわけだ。

 その血統家宝を取り出せるのは妖怪と血統家宝の持ち主だけである。一応退魔士と呼ばれる者にも取り出すことが出来るのだが、血統家宝は所有者と密接に関わっているため、取り出すだけで死に至る事もある。

 だから人間には血統家宝を取り出せない。取り出してはいけない物になっている。だから血統家宝を取り出して使う事ができるのは血統家宝を有している正統なる当主だけであり。その力があるからこそ正統なる当主とされていたのだ。

 つまり血統家宝とは家の当主としての証でもあり、力を秘めた宝でもあるのだ。

 

 ……えっと、つまり……どういう事?

 一気に説明されて混乱する墨由。さすがにこんな難しい話を一気にされると誰でも混乱してしまうだろう。

 その事は音羽も黒猫も分っているのか、墨由が口を開くまで音羽は呑気にお茶をすすったり、黒猫は寝返りを打ったりしている。

 その間に墨由は頭をフル回転させて先程の話を理解しようとしているのだった。

 つまり僕の中には血統家宝という宝があって、それを妖怪達が狙ってくるって事かな……って! それってかなり危ない事じゃないか!

「じ、じゃあ、さっきみたいな事がこれかも起こるって言うの」

 さすがに動揺しながら問い掛ける墨由だが、音羽は首を横に振る。

「これからじゃなくていつも起きてるのよ。けど今回は私もこの黒猫に気を取られてたからね。最初は墨由の血統家宝を狙って近づいて来てると思ったんだけど、なにしろ妖描だから監視だけはしてたのよ。でもその間に別の妖怪が墨由に接近しちゃってて、気付いた時には墨由は結界に捕らえられてたのよ」

「えっと、いつもって、どういう事?」

 墨由としてはその部分が一番最初に引っ掛かるのか、その事を音羽に尋ねると音羽は平然とした顔で答えてきた。

「墨由の血統家宝を狙って近づいてくる妖怪は今までにも居たのよ。けど、今までは墨由に近づく前に私が退治してたんだけどね。今回はこの妖描の事に気を取られてて妖怪の接近を許す結果になっちゃったわけなのよ」

「えっと……妖描だと何かあるの?」

 音羽の言い方だと妖描だと何かしらの理由で監視だけに留めていたように聞こえた墨由。そんな墨由の問い掛けに音羽は頷いて見せた。

「妖描と言っても元々は猫なのよ。だから勝手気まま、自由奔放、つまり本能だけで動いているから何をやるのか分からないのよ。まあ、普通の猫に特殊な力と知恵が付いたものだと思えば分りやすいかな」

「まあ、確かに喋ったり、さっき見た事が無ければ普通の猫に見えるけど」

 そう言いながら墨由は黒猫を撫でてみる。そうするといつものように墨由に甘える事無く、無反応のまま自由に撫でさせてくれた。

「というか、さっきのが無ければ今でも普通の猫に見える」

「でしょ、だから何をするか分らないのよ」

「まあ、妖描などそのような者じゃからのう」

 いきなり喋りだした黒猫に墨由は驚いたように手をどけた。やはり未だに猫が喋るとびっくりするのは変わらないようだ。

「そんな猫が強力な血統家宝を持つ墨由の家に毎朝来てるのよ。だから墨由の守護者として私は監視してたって訳。本来なら私がこうなる前に妖怪を退治してるんだけどね」

「えっと、さっきも言ってたけど……いつもはこうなる前に音羽が戦っててくれたって事?」

「そう」

 いつもの事ながら凄い事をあっけなく答えるね、音羽は。そんな音羽に乾いた笑いしかでない墨由。けどそうなると音羽に申し訳ない気持ちも沸いてきた。

「音羽、その……ありがとう、でいいのかな?」

「あ〜、気にしなくていいわよ。これが私の仕事なんだから」

「えっ、仕事?」

「そっ、墨由の血統家宝を守るのが私の仕事。課せられた使命ってところかな」

 えっと、それはどういう事でしょう。墨由はますます訳が分からないという顔になったのを見た音羽は、今度は自分の事を説明する言ってから語り始めた。

 

 

音羽と神津家(こうづけ)

 

 今、音羽がいる水山家は神津家の分家であり。神津家とは昔から退魔の家として栄えてきた伝統ある家だ。音羽が言うには神津家は退魔士の中でも三本の指に数えられるほど優秀な退魔士の一族である。

 音羽は本来、神津家の血筋なのだが、理由が在って分家である水山の家に引き取られたらしい。それでも退魔士としての教育を音羽はしっかりと受けていた。だからこそ先程は女郎蜘蛛を一撃で倒す事が出来たのだ。本人が言うにはかなりの腕を持っており、退魔士としてはかなり優秀らしい。

 そんな退魔士で女性の事を巫女と呼ぶらしい。音羽もその巫女の一人であり、墨由の血統家宝を狙ってくる妖怪を退治していたようだ。

 つまり今まで平穏無事に居られたのは音羽の力によるものなのだ。

 そして、そんな血統家宝持ちを常に守っている者を退魔士の用語としては守護者と呼ぶようだ。つまり音羽は墨由の守護者をするように神津家からの命で、それを仕事としてまっとうしているらしい。

 そんな神津家だがむやみやたらに妖怪を退治しているわけではない。妖怪の中にも人間社会に溶け込んでいる者も居る。そんな妖怪を保護したり、話し合いで解決したりと妖怪側からも信頼が厚い退魔士の一族が神津家である。

 

 そんな話をした音羽はお茶で喉を潤すと黒猫に目を向けた。

「けど、今回に限ってはそこの黒猫が気になっててね。そっちを追っているうちにこんな事になっちゃったのよ」

「つまり、この妖怪猫が気になってて僕の事が疎かになったって事?」

「うっ、そうはっきり言われるとキツイわね。まあ、確かにその通りなんだけど」

「ごめん、そんなつもりは無かったんだけど」

 謝る墨由に音羽は気にしてないと手を振った。それだけで音羽が気にしてないと分るのは付き合いがそれだけ長い証拠なのだろう。

 そんな二人の会話を楽しそうに聞いてた黒猫は軽く笑うと横槍を入れてきた。

「くくくっ、儂なんぞに気を取られてるから、そうなるんじゃよ」

「うるさいわね。あんただって墨由の中にある血統家宝に気付いてたんでしょ」

「えっ、そうなの」

 というか、なんで僕の中に血統家宝があるって分るんだろう? そんな疑問を抱いていたのが顔に出たのか、音羽はその事について簡単に説明してくれた。

「秘宝クラス。つまり強力な血統家宝なら遠くからでも妖怪なら、その存在を察知できるほどの力を常に発しているのよ。つまり血統家宝の力は常に開かれている状態で、妖怪はそれを察知して襲ってくるって訳」

「その血統家宝の力を閉じる事は出来ないの?」

「それは無理、血統家宝はその人物の命と直結してるから封印なんてしたら死んじゃうわよ。結界の中に居れば気付かれないけど、さすがにいつまでも結界の中で暮らすなんて出来ないでしょ」

 ちなみに結界はどれだけ大きくしても意味は無い。なにしろ血統家宝の力を結界の内に閉じ込めるという事は、牢屋に閉じ込めるのと同じだ。たとえ巨大な結界を張ったとしても、閉じ込められている事には変わりないし、さすがに誰も侵入させない巨大な結界などは作れないのだから。

 だから何にしても血統家宝の力を封じたり、閉じ込めたりするのは不可能なのだ。

 そう説明されて納得する墨由は頷いて先程の説明に嫌な感想が心の中を走る。さすがに閉じ込められるのは嫌だな〜、それに学校もあるのに行動範囲が限られるというのもな〜。それに旅行だって出来やしない。なるほど、だから血統家宝の力をどうにかしようなんて無理なんだ。そんな風に考えた墨由は自分の考えが正しいか確認するために音羽との話を続ける。

「だから音羽のように守ってくれてる人が居る訳なの?」

「そういう事。まあ、そうした事をしてるのはウチの一族だけじゃないけど、とりあえずウチの管轄にある血統家宝はそれぞれに守護者が付いてるわ」

「そうなんだ」

「そうなんだって、その内の一人が自分だと認識しときなさいよ」

 いや、そう言われても未だに実感が無いんだけど。まあ、確かに墨由でなくてもいきなりそんな話をされて理解しろというにはちょっと無理があるだろう。そんな墨由の気持ちを無視して音羽は更に話を続ける。

「っで、私としてはそこの黒猫が墨由の血統家宝を狙ってる者だと思ったから監視してたんだけど、まさか別なのが現れるとは思って無かったわ。これだから妖描は困るのよ」

「くくくっ、勝手に決め付けたのはそっちじゃろ、儂には関係ないわ」

 音羽は疲れたように溜息を付いた。さすがに今回は黒猫に振り回されて疲れたのだろう。そんな音羽に追い討ちを掛けるように黒猫は今後の事を話し始めた。

「さて、これからじゃが。儂がこやつの血統家宝を狙っておらん事はこれでわかったじゃろ。じゃから今後もここを餌場に……いや、いっその事飼ってもらおうかのう」

「はぁっ! いきなり何を言い出しているのよ!」

 突然の申し出に音羽はテーブルを叩きながら立ち上がると黒猫に詰め寄る。

「あんたが墨由の傍に居るだけでこっちは大迷惑なのよ。それなのに飼えって、どういう意味よ」

「そのままの意味じゃが」

 しれっと答える黒猫に音羽の頭には怒りのマークが浮き上がるのを墨由は見たような気がした。そんな事はさて置き。黒猫はここに居付くつもりなのは確かなようだ。そうなると当然のように反対する音羽。それに黒猫にはそれなりの理由もあるみたいだ。

「儂を飼えば儂も餌場の確保に不自由は無いからのう。それに今回のような事もある。儂を飼ってくれるなら、そこの血統家宝持ちを守ってやっても良いぞ」

「なに自分勝手な言い分を持ち出してるのよ! 第一、あんたが墨由を守る理由がそんなんじゃ納得できるわけ無いじゃない! それって飽きたらここを出て行って、墨由の事も見捨てるって事でしょ」

「その通りじゃが」

 音羽の言葉をそのまま肯定する黒猫。どうやら音羽の言葉を否定する気はまったく無いようだ。

「これだから妖描は……」

 再び呆れたように溜息を付く音羽。どうやら完全に黒猫のペースに翻弄されているようだ。けれども音羽としては、そんな提案を受け入れる訳にはいかない。

 なにしろ相手は妖描だ。いつ裏切って墨由の血統家宝を狙うかもしれないし、第一そこまで信頼に値する妖怪ではないのは確かだ。

 けれども妖描にも義理という物がある。確かに墨由が餌を与えていれば、その間は言葉どおりに墨由を守ってくれるだろう。けれども妖描は自分勝手である。ここに飽きたら簡単に墨由を捨ててどっかに行ってしまうだろう。

 それが分っているだけに音羽としては、そんな提案を受け入れる訳には行かなかった。

 けれどもそんなピリピリした音羽とは正反対に墨由は冷静に状況を把握しようと思考を巡らしていた。

 ……えっと、つまり、僕がこの猫を飼っていれば、その間はこの猫が音羽と一緒に僕を守ってくれるって事なのかな? 話の内容からするとそうだよね。そう考えた墨由はとんでもない事を言い出した。

「別にここで飼っても構わないんじゃない。ここってペットは禁止じゃないし」

 突然そんな事を言い出した墨由に音羽は驚きの表情を向けて、黒猫は楽しそうに笑っている。どうやら黒猫はこうなる事を予想していたかのようだ。

「って! 墨由、本気なの! 本気でこの妖描を飼うつもりなの?」

 問い詰めてくる音羽に墨由は本心を明かした。ここで嘘を付いても何の意味は無い。それにそれは墨由なりに音羽を気遣っての言葉なのだろう。

「うん、本気だよ。今までだって、その……音羽に守ってもらってた事は僕は知らなかったし、音羽だけに負担を掛けるわけにはいかないよ。だったら少しの間でも、この猫が守ってくれるなら、それでいいじゃない」

「まあ、そうだけど……こいつがいつ裏切って墨由の血統家宝を狙うのか分らないのよ」

 確かに音羽の心配も分らなくはないが、墨由にはこの黒猫がそんな事をするとはとても思えなかったのだろう。

「でも裏切るって決まってるわけでもないんでしょ。見捨てる事はあっても、僕はこの黒猫に毎日餌をやってるんだから。それだけの事をやってて裏切るとは思えないんだけど」

「けど妖描なのよ」

「妖描じゃからといって義理が無いわけではいぞ。今回もそうじゃが、餌を貰った人間にはそれなりに恩返しはしているつもりじゃ。今回の事でそれが証明されたじゃろ」

「まあ……そうだけど」

 確かに今回はこの黒猫が飛び込んで来てくれなかったら、今頃は墨由は血統家宝を奪われるか、そのまま妖怪の腹に収まっていただろう。

 それなのに助けてくれたという事は黒猫が言っているとおりに義理という物をちゃんと持っている証拠かもしれない。

 そう思えると黒猫の妖描もそんなに捨てた者では無いのかもしれないと、墨由は黒猫を持ち上げると自分の膝の上に乗せてみた。

 黒猫は少しだけ墨由の瞳を見ると後は無視してそのまま丸くなるだけだった。

「音羽の心配も分るけど……この黒猫は信頼して良いと思う。ううん、僕はそう思いたい。それで裏切られたら僕に見る目が無かっただけだよ。だからこの黒猫はここで飼おうと思うんだ」

「そんな妖描をね……」

 そこまで言われると音羽は呆れきってテーブルに突っ伏すのだった。音羽としては心配が消えないのだろう。そんな音羽とは裏腹に黒猫は笑っている。

「くくくっ、賢明じゃのう」

 どうやらこれでこの黒猫の妖描を墨由が飼う事のが決まってしまったようだ。音羽としては心配は残るが少しは安心しているのも確かだ。

 妖描といえば自分勝手のわがままだが、決して恩知らずではない。よく三日で恩を忘れると言うが、それは人間が勝手に決めたことで、妖描はそこまで恩知らずでは無い事を退魔士なら誰でも知っている事だ。

 けれども自分勝手でわがままなのは否めない。だからこそ心配はしたものの少しだけ安心する事も出来た。それは墨由が墨由らしい判断を下したからかもしれない。

 ここで黒猫を捨てるとか言い出したら、音羽は反対はしないものの少しだけ軽蔑していたのかもしれない。

 さっき助けられたのに、その恩を忘れて捨てるなんて墨由らしくない。そんな事にならなかったからこそ音羽は少しだけ安心が出来たのだろう。

「あっ、忘れてた」

 突然に墨由が声を上げると突っ伏していた音羽も顔を上げて何事かと問いただした。

「名前だよ、名前。いつまでも黒猫とか妖描とかじゃ、言い辛いじゃない」

「まあ、確かにそうだけどね。っで、どんな名前にするつもり」

 まだ名前まで考えていなかった墨由は自分の膝上にいる黒猫を見詰めて数回撫でると呟いた。

「じゃあ、ナベで」

『お前が喰う気か!』

 音羽と黒猫が同時に突っ込みを入れた。まさか突っ込みが揃うとは思ってなかった音羽と黒猫は見詰め合うと墨由も含めて笑い出した。

 どうやらこの調子なら心配は要らないのかもしれないと音羽は思い始め、墨由も笑い声の中で何の心配もいらない事を確信していた。

 こんな事もあり、黒猫は『ナベ』という名前を付けられ、墨由に飼われる事になった。