1999年 秋季第2回山行 山行記

筆者 T・M (2年生)

11月13日

 予定通りに学校を出発し、一路塩山へと向かう。今回、Tは指の怪我が完治しないというわけで参加していない。天候は良好。ただ一つ部員全員が気にしているのが、日一日と低下する気温の事である。初冬とはいえ、山が東京よりも遥かに寒いのは言うまでもない。皆それぞれが防寒対策を施しているようである。

 順調に電車を乗り継ぎ、15時30分、塩山駅に到着。予約したタクシーが早くに着いていたため、すぐに駅を発つ。窓からは白い冠をかぶった富士が見事に見える。

 思ったよりも早く、今回のテント場である福ちゃん荘に到着し、早速テントを組み立てにかかる。この頃にはもう日は山の向こうに沈んでおり、次第に肌寒さが増してゆく。今回、学院ワンゲルとしては初めてとなる「ツェルト」なるものを試すことになっていた。ツェルトとはいわゆる簡易テントのようなもので、テントの中で調理などのような作業をする際に邪魔になるザックなどを入れておくための物である。準備が整ったところで夕食の仕度に入る。初日の晩は豚汁。ぐっと寒くなってくる中でこの豚汁が皆の冷えきった体を癒す。やはり食べることは幸せである。

 翌朝のお茶漬けに使う米を炊いて、就寝。明日の天気が気になるところである。



11月14日

 夜は冷え込むかと思われたが、案外テントの中は快適でゆっくりと眠ることが出来た。朝食の際、ツェルトがなかなか役にたった。お茶漬けをすすり、撤収にかかる。僕が山行における嫌いな行動ワースト3に入るのが、この「撤収」である。外が寒いと分かっていながらあえて果敢に外へと飛び出してゆく、あれがどうも苦手だ。もっと中にいたいなーといつも思う。しかしそんなことを言っていてもきりがないので、意を決してえいやっと出てゆくのである。

 空には満天の星。どうやらよい天気に恵まれそうである。予定の時間よりも数分遅れたものの、順調にスタートを切る。だんだんと空が白んでゆき、登っているうちにすっかりと夜はあけた。また、気温も徐々にあがってゆく。やがて奇岩まで登りきり、そのまま大菩薩嶺まで歩く。もとよりここで膝の悪いF先生は下山されることになっていたので、お別れをして蕾岩まで引き戻す。そこからは昨日と同じ様子の富士山が巨大にそびえているのが見えた。

 しばらくの休憩の後、再び歩き始める。さすがに冬と言うだけあって、あちらこちらにたくさんの霜柱が立っている。これが気温があがるにつれて溶けはじめると、なかなか大変である。土がぬるぬるして滑ること滑ること。石丸峠に向かう下りが最もひどく、慎重に歩いていたつもりだったが4回程転んでしまった。Yは転んで手首をひねってしまい、非常に痛そうだった。しかしその他の部員ときたらただの1回も転ばない。何故だ? 僕の歩き方はそんなに下手なのだろうか。くやしい。

 狼平を過ぎた辺りから急に道のわきの笹の背が高くなり、道が分かりづらくなってくる。場所によっては目線の高さに達する程である。こういう道は非常に楽しい。先頭を切って深い笹薮をかき分けながら道を探って進んでゆくあの快感はなんとも言えない。途中、一度道をはずしてしまったのは不覚であった。でも、ほんのちょっとである。本当である。

 間もなく昼食。ホットドッグ+パイン缶というのはいささかリッチすぎたらしく、皆ちょっと多いといった感じである。特にパイン缶については皆あまり手をつけず、1、2缶あまってしまう有り様。前の代では考えられないことである。紅茶をすすってますますリッチな気分に浸ってから再度出発する。

 牛奥ノ雁ガ腹摺山の先の、黒岳までもう少しというところでの出来事。前の休憩から50分が経ち、休憩するかどうかという話し合いの末、満場一致で黒岳まで我慢ということになった。が、あと数分のはずの黒岳が10分歩いても20分歩いても姿を現さない。しかしここで諦めては男がすたるとばかりに皆が皆意地になるものだから、結局その1本は1時間20分くらい歩くことになったのだ。その上この黒岳というのが展望の「て」の字も見えないようなところではないか。こういう不測の事態は余分な体力を奪ってゆく(僕の場合)。さすがに皆も勘弁してといった様子である。

 この後の湯ノ沢峠から林道に出る道のりが、エアリアマップの示すそれよりもずっと短かったのがちょっと嬉しかった。だが喜びもつかの間、その先には桑西バス停まで約2時間半という恐怖の林道が待ち構えている。まったく、これでもかと言わんばかりに長い。何ゆえにバスは奥までこないのか、と文句ばかり言っていたのは他でもないこの私です。

 間に2回の休憩を挟んで、やっとの思いで桑西に到着した。もうヘトヘトである。その場で解散式を済ませ、塩山に向かうバスに乗った。

 こんなに長い山行はかつてないとK先生もおっしゃるほど、今回の行程は長かったようである。考えてみると、僕のペースが少し速かったためにこんなにも皆を疲れさせてしまったのかも知れない。皆には申し訳ない限りである。長い時間歩くときはよりペース配分が重要になってくるということを体で感じた今回の山行であった。これは何ごとに於いてもそうであって、今後もよく心得ておこうと思う。



《「稜線」第22号(2000年度)所載》

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