1998年 夏合宿 山行記

筆者 T・S (3年生)

7月29日 <1日目>

 天候の関係により1日延期の合宿スタートとなった。

 新宿でD・Tさんの見送りを受け、列車に乗った。この中央線にもすっかり慣れて、まるで通学中であるかのように感じられる。

 松本からタクシーで上高地まで入る。2年前に比べて不安感・緊張感は全くない。これはこれまでの経験によって築きあげた自信のためであろう。が、荷物の重さは変わらない。サブザック行動がメインとなる2、3日目の間に減ることを願った。(だが、4日目のほうがなぜか重くなっていた。)

 横尾までは3時間の歩行である。着替えを多く持ってきすぎ荷物が重すぎるとかなんとかのトラブルはあったが、この後に起きる事件に比ベれば蚊の屁みたいなものである。特に何もなく1日目を終える。


7月30日 <2日目>

 朝食はお茶漬け。2年前はあれほどまずかったのに、よくここまでうまくなったと思う。どうも今回の合宿は昔のことと照らし合わせることが多い。

 まだ夜が明けきっていないため、足元がやや暗い中での出発となった。メインザックで700m登らねばならない。意織的にペースをおさえた。左から沢の音が聞こえる。ほぼコースタイムどおりに本谷橋に着く。ここからが本番の登りらしい。が、登ってみれば何のことはない。これまでくぐりぬけた修羅場に比べれば楽だ。途中から上が開けて涸沢ヒュッテが見えた。しかし、北アルプスは小屋が見えてからが長い。殺生ヒュッテも笠ヶ岳山荘もそうであった。この涸沢も例外ではない。1時間ほどヒュッテを見続けた。涸沢のテント場は有名であるが、あまりいい状態ではなかった。下は瓦礫で固まっていい場所がない。

 何とか場所を見つけてテントを張り、北穂高のピストンに向かった。歩き出してすぐ雨が降り出した。またしても雨である。今年度に入ってからすっきり晴れたことがない。上下前後左右、何も見えない。道は高度を増すにつれて瓦礫から岩場に変わっていった。岩場はどうもペースがつくりにくい。踏ん張りがあまりきかないのでポンポン登っていたら、先頭を歩く自分がバテてしまった。頂上に着いても雨は止んだが展望はない。40分粘ったが結局何も見えなかった。ガイドブックの絶賛する北穂から見る槍と奥穂を見てみたかった。

 下りも来た道を戻る。バテと雨で集中力が切れている自分にとって、この急坂を下るのは少し不安であった。足元にできる限りの注意を払い下っていく。半分くらい下りたあたりであろうか。風で霧が晴れ、右に涸沢が見えた。広大なガレ場が広がっている。文字通り広くて大きい。気持ちいいほど邪魔するものは何もなくすっきりしている。と思いきや、視線を少し上に向けると、邪魔するものがあった。例えるのなら、背骨のような、この光景に違和感さえ感じさせる飛び出た岩場、ザイテングラートである。なぜであろうか、面白そう、明日が楽しみだという妙な好奇心を持った。

 涸沢に戻ったときには、毎度のように足にものすごい疲労感を感じた。まだ合宿2日目なのに。それに加えて高山病らしき症状を訴える者も何名か現れた。先程とは一転して不安がつのる。考えてみれば、サブザック行動主体とはいえ、1500m登り800m下るというなかなかのハードスケジュールであった。この夜は標高も高いこともあってけっこう寒く、シュラフを持ってこなかったことを少し後悔した。(ちなみに、4泊目の蝶ケ岳でこの8倍(T・S比)寒い思いをして、シュラフを持ってこなかったことを大いに後悔することとなる。)


7月31日 <3日目>

 朝、起きてテントから首を出すと青空が広がっている。今日は、今回の合宿のメイン奥穂のピストンである。この分だと今日は展望はよさそうだ。今シーズンずっと雨だった分、期待が膨らむ。昨日から体調をくずしているFとKは回復しないので、今日はテント待機となった。この朝はテントをたたまなくてもいいから余裕があると思いきや、それが油断となってドタバタした出発となった。

 明るくなったので穂高連峰がすぐ上に見える。しばらくは石畳が敷かれていて歩きやすく迷うこともなかったが、―部石畳のないところでは見事に道を外し皆に迷惑をかけた。未熟である。そうこうしているうちに道は大きく左に向かい、ザイテングラートに取り付いた。下を見れば涸沢のテント村、上を見れば穂高連峰が見通せる。ここは前回の上州武尊と違い楽しんで登れる岩場であった。昨日よりはペースを抑えられている。いくつか鎖場、はしごを越えて穂高岳山荘に着く。標高3000mの割にすごい近代設備・機械類がある。これにはかなり驚いた。奥穂高の山頂までもう一息である。早速、鎖付きの急な岩場である。ここまで来ると人がかなり多くなっている。前のおばちゃんがもたついていて、なかなか進めず、風で体が冷えてしまった。この岩場を過ぎるとなだらかになり、人をかわせるようになった。多くの人とすれ違い、難なく頂上に着いた。最高である。遠くの方はやや雲海をかぶっていたが、北アルプスの山を眺めるには十分である。北には槍、西には笠ヶ岳が見える。その間には2年前歩いた稜線が見える。とにかく最高だ。最後にふさわしい山である。言い表せない程の満足感にひたった。

 下りもやはり混んでいる。特にザイテングラートでは他の大団体がいて大渋滞となった。しかも途中から雨が降ってきた。奥穂に行った後でよかったとほっとする。悪条件が重なり涸沢に着くのにだいぶ時間がかかった。S先生は明日から用事があるため、昼食も取らずすぐに上高地に向かった。

 昼食は涸沢でラーメンを作る。この時に事は起きた。突如上のライト・エスパースからS・Nの絶叫が聞こえた。熱湯をひっくり返したのである。それが足にかかり、S・Nはひどい火傷を負った。無論これ以上の合宿参加は不可能であり、それどころか急いでちゃんとした病院まで行かなければならない。

 急遽テントをたたみ、すぐ全員で横尾まで下りることとなった。急がねばならないが、S・Nはちゃんとついてこられるだろうか。そんなことを考えながら進む。S・Nは結構元気そうだ。しかし、人の多さは相変わらずである。登る人、下る人、どちらも多い。すぐに前のパーティに追いつき、また登りの人に道を空けたりで、思うように前に進めない。こんな場合は小人数の方が動きやすいので、S・NはF先生と2人で先に下りていった。我々はなかなか進めない。本谷橋までコースタイムの1.5倍かかった。ここまでにだいぶ他のパーティを抜かしたためか、この先はそれなりに進めた。途中でS・Nたちに追いつき、合流する。

 我々は横尾止まりだが、S・NとF先生はそのまま下りていった。こんな事故が起きてしまったことは非常にまずいことだが、これを頭から離すと、合宿前半が終わったことに安堵感を感じる。また、この予想外の出来事で教員の数が減り、Iもオーストラリアへ行く関係で明後日には下山しなければならないという事情が重なり、常念への縦走はカット、蝶ヶ岳から三股へ全員で下る1日短縮の日程への変更を余儀なくされた。この日、食事の後のお茶を飲みながら、3年生の間で次期役員決定会議を行った。

 さて、私が担当するのはここまでである。あと2日間も天候等のおかげでかなり面白いものとなったが、そのことはR・Sに任せるとしよう。悔いがまったく残らないほど完璧な合宿だったと言えば大ウソになるが、いろいろと強烈な思い出となった楽しい山行であった。

 では最後に、会議中に出た今合宿最高の名言をひとつ。――「千人いても俺はお前を選ぶ。」


筆者 R・S (3年生)

8月1日 <4日目>

 朝食はそうめん。前例がなかったので気にはなっていたが、これに関しては非常に失敗だったように思う。小さな鍋で大量にゆでたために満遍なくゆで切れておらず、固まりのようなものがあって非常にまずかった。山における飯の重要性を考えると、夏合宿での新メニューはやめておいた方が良いだろう。この日の行程は3時間40分と短かったので余裕を持って食事、撤収を済ませ出発した。

 蝶ヶ岳への道は鬱蒼とした樹林帯で、なかなか傾斜もきつい。しかも周りを木で囲まれているため風が吹かず、暑さに悩まされた。しかし、稜線に近づいてくると木々もまばらになり、次第に心地よい風が吹き始める。稜線に出て少し歩くと蝶ヶ岳ヒュッテが見え始めた。ここまでくると道もなだらかで自然とペースも早まる。まもなく今日の目標である蝶ヶ岳に到着。蝶ヶ岳に着いても期待していた槍、穂高の展望はなかった。かろうじて常念岳が見えたのが不幸中の幸いであろう。今回の夏合宿は天候に恵まれておらず、蝶ヶ岳からの展望には期待していただけに残念だった。

 さて、到着してテントを張ろうということになったが、非常に風が強い。僕ら3年生も今までに経験したことがないような強風だったので、テントの向きやペグの打ち方などをいつも以上に注意した。

 晩飯の焼きそばは、毎度のことながら非常においしかった。思えばここ数年間、巨匠の陣頭指揮による飯炊きを始めとして、ワンゲルの飯は確実にうまくなってきたなと改めて実感した。

 飯も食って、さて就寝という時間になったが、シュラフカバー一枚という寒さ故にどうも眠ることができない。周りの奴らを起こしてガスを焚いている幻覚なども見る始末。夏合宿最後の夜はいろいろな意味で思い出に残るものだった。


8月2日 <5日目>

 朝になって起きてみるとなかなかに大変なことになっていた。昨日からの風はますます強くなり、雨も混じっていた。外に出てみるとちょっと小高いところに張った個人用テントが強風のため3、4個つぶれていた。どうやら夜のうちに風向きが90度変わり、横から風を受ける形になってしまったらしい。個人テントに人が一人でどうしようもなくなってしまっているのを見ると、仲間がいることの心強さを感じた。雨も強くなってきたし、飯を食ったらすぐに撤収してしまおうと3年生の中で話し合い、先生にその旨を伝えたが、こういう状況だからこそ焦らずに時間通りに行動した方がいいと言われた。今考えてみると、初めての状況下で確かに焦っていたような気がする。時間を待って撤収を開始。テントを一つずつ確実に片づけていった。雨と風のせいで撤収は大変だったが、それだけ充実感もありまたいい経験にもなった。

 予定よりやや遅れて蝶ヶ岳を出発。前日の話し合いで常念岳へ行く行程はカットしてそのまま下山するということになっていたので、三股に向かって歩き始める。この風では歩くのも大変だと思っていたが、少し下って稜線の陰に入ると嘘のように風はやんでいた。それでも雨は降っていたので道は滑りやすくなっている。雨が降っていると気分的にも滅入ってしまい、集中力が途切れがちになってしまうので、そのことを意識して一歩一歩神経を集中させて歩いた。だいぶ下ってきたなというところで沢の音が聞こえ始める。いつもながらこの音が聞こえると何となくだいぶ近づいてきた気がして気分的に楽になる。まもなくして目的地の三股に到着。どこを展望するのかはよくわからないが展望台と称される屋根の下でタクシーを待つ。その間に交わされる温泉組や温泉に行かない組という言葉を聞くと、改めて夏合宿の終わりを実感する。

 振り返ってみると今回の夏合宿はワンゲル初の大きな事故があったりと、いい点も悪い点も含めていろいろなことがあったように思う。今後ワンゲルをより良いものにするために、1年生も2年生もその教訓を生かしていってほしい。



《「稜線」第20号(1998年度)所載》

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