4月5日 <1日目>
ワンゲルに入部して初めての春台宿になったが、春合宿=夏合宿に次いできつい合宿という先入観があって、期待より不安のほうが多かった。そのまま迎えた春合宿1日目は、絶好の天気に恵まれ、まさしく登山日和だった。その時は、春合宿は難無く終わると思われたが……。
小田急線新松田駅からバスに揺られること1時間、バス停から歩くこと5分、大滝キャンプ場に着いた。遅刻したO先輩もそこで合流し、全員でテントを設営し、すばやく次の行動に移った。F先生はテントキーパ−として残り、他の人はバスに乗り西丹沢自然教室までいった。
一本目、車道を少し歩いて登山道に入った。少し急な登りを終えて沢を渡ると、前にも増して急な登りになった。ペースが遅かったせいもあって、僕はフラフラにならずに余裕をもってついていけた。そうこうしているうちに、緩やかな登りの尾根に出た。そこから木でできた階段を登っていくと桧洞丸の山頂についた。木が生い茂っていて、展望は望めなかった。今回はカメラを忘れていたので、「もって来なくて良かった、良かった。」と思いながら下山した。何の変哲もない、これといって何も書き表すことのない、ありふれた登山道を下っていくこと2時間半、車道に出てから歩くこと30分、また大滝キャンプ場に着いた。
夕食のポトフは、フランスパンと合っていてとても美味しかった。フランスパンと言うと、ぼくは夏合宿の時の悪夢を思い出してしまうので、ご飯にしましょうとキャプテンに言ったのだが、聞き入れてくれなかった。しかし調理の手間が省けたし、美味しかったので、キャプテンの判断力には参った。テントの下は砂で、岩がなかったので、その夜はぐっすりと眠れた。
4月6日 <2日目>
3時きっかりに目が覚めた。夜中に一度も起きずにぐっすりと眠れたので、我ながらうれしかった。横を見ると、昨日までいたSがいない! と思ったが……、僕の足元のほうで熟睡していた。彼の寝相の悪さには、思わず感心してしまった。みんなが起きてからもSはまだ寝ていた。彼は毎朝、ベッドから起き上がるのがつらいタイプの人間だなと、しょうもない事を考えたりもした。朝の力うどん=もたれるものというイメージがあったため、僕はあまり食べたくなかったが、食わないよりはましなので仕方なく食べることにした。その後撤収にかかったが、遅いというF先生のお叱りもあり、全員気を引き締めて出発した。しかし途中で道を間違えそうになったこともあり、士気も衰えたが、歩くこと3時間半(その間のことは全く覚えていないので省略させてもらいました)、「畦ヶ丸避難小屋まであと少し」という標識が見えてきた。「あと少し」という言葉に期待したのだが、歩いても歩いても着かず、だんだんストレスがたまってきた。
小雨が降る中、やっと避難小屋に着いた。「あと少し」という言葉は適当じゃないと思いながら昼飯を食べ、雨対策のため雨具を着用した。手ぶらで畦ヶ丸山頂まで向かい、素早く写真を撮って小屋までまた戻り、ザックをしょって一路道志の森キャンプ場を目指す。 雨の中の行動で一番嫌なことといえば、笹薮である。あの濡れたものが、顔に当たった時の不快さは、筆舌に尽しがたい。みなさんも笹薮が嫌いなようで、休息になるとブーブー文句ばかり言っていた。大界木山を過ぎたら、笹薮がなくなったので一安心した。分岐から少し下ると、車道にでた。その時点で、僕は少しフラフラしてきていた。苦しくなると、僕は「みんなも苦しいのだ。自分だけではない。」と心に言い聞かせることにしている。しかし、そうは言っても苦しい……。
そうこうするうちにキャンプ場についた。人っ子一人いず、まるでゴーストタウンのような不気味さを発していた。誰も見ていないから、屋根の下にテントを張りたかったが、結局河原に張ることになった。小雨の降る中、設営をし、食事の準備まで約2時間の間、テントの中で馬鹿話に花を咲かせたり寝たりしていた。その日のシチューは、今までの食事の中では最高の味だったのを今でも覚えている。明日の天気も雨らしいが、また雨の中を行動するのだろうかという絶望の気持ちや、それとも中止になるのだろうかという期待の気持ちもあったか、強度の疲れから睡魔が襲いかかってきた。
4月7日 <3日目>
起きてみると、テントにぽつぽつという小雨の音が、咋日より強く当たっていた。中止になるのではないかと少し期待したのだが、先生の判断は、出発を一時間遅らせることだった。小雨の中撤収をし、パッキングをして出発した。車道を少し行き、急な階段を登って登山道に入る。避難小屋までの途中にあった残雪では何度か足を滑らせたが、幸い大事には至らなかった。氷点下とも思える寒さの中、小屋で昼飯を食べ、菰釣山へ気合を入れて出発した。しかし、またしても道の両側にはにっくき笹薮が生えているではないか!
怒りを抑えながら登ること10分足らず、山頂に着いた。空はどんよりとしていて、展望は何も望めなかった。更に、そこら辺の山は標高が低くて森林限界の高さに至っていないので、山頂は木に覆われており展望はますます望めなかった。その後も木に覆われ、笹薮が邪魔する道をだらだらと行ったが、何処も同じような所で士気も衰えていった。後ろとの間隔も広くなり、キャプテンは何度も気合をいれるように声を出した。だが、山伏峠まであと一本というところでの休みでは、みんな喜びを隠さなかった。次の一本はとても軽く、トンネルの前にある山伏峠のバス停にすぐ着いた。どの山行でも終わったときの喜びは何にも変えがたいものである。
5月に先生から春合宿の山行記を書くように頼まれたのだが、春合宿が終わってから時間が経っていたので、なんとか記憶をつなげて書いたのだが一貫性のないだらだらした文章になってしまった。曖昧な点も多かったが、そこは許してほしい。
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