1998年 秋季第2回山行 山行記

筆者 T・M (1年生)

 このときは早慶戦の日の出発だったため、雲取山と郷前山の二通りの計画が立てられた。今年は秋1の山行が中止になったために今回の紅葉にかける皆の期待は大きい。又、今回は3年生が抜けてから最初の山だったので、重要な意味を持つ山行でもあった。

10月31日 〈1日日〉

 天気がよかったので雲取山行が決まった。

 我々は予定よりも1本早い電車で出発し、拝島での乗り縦ぎもうまくいって、順調にJR奥多摩駅に着いた。奥多摩駅からのバスは予想通りの混みようで、我々は乗れないかと思うほどだったが、臨時便が出たためにどうにかお祭にたどり着いた。

 その後は林道歩き。僕は林道が嫌いである。何といっても足がいたくなる。その林道が今回は最初にも最後にもあるというから参る。約3時間30分の歩行が予定されていたが、実際は2時間半程で、幕営地である三条ノ湯に到着し、テントを張ってすぐ食事の準備に取りかかった。周囲はまだあまり紅葉していなかった。暗くなるのが随分と早くなってきたのに気付く。

 この日の夕食は中華丼。ご飯にしろ何にしろ最高の食事だった。この時期になると気温も下がってくるので厚着をして寝た。ジャンボエスパースでは翌日の朝食のためにお米を炊いたので就寝時間に多少遅れてしまった。翌日の紅葉が楽しみだった。



11月1日
〈2日日〉

 朝はまだ暗いうちからテントの中での調理となった。さすがは我らが巨匠&料理長。朝食のおじやは申し分なかった。

 この日はあまり寒くなかった。各々が準備を整え、体操の後、出発。なかなかの天気である。今回のリーダーはT・N先輩だ。1本日は余裕のペースで、テント場にいた女子大生らしき集団にぬかされ、遅いとの声が上がった。2本日からは僕にとってはちょうどいい速さで、途中カメラタイムなどもとられた。三条ダルミにさしかかるころには富士山がその雄大な姿を披露。富士山を見るといつもうれしくなってしまうのは不思議だ。この辺りまで来ると紅葉も本格的になりはじめ、秋山らしくなってくる。女子大生を再び追い越し、雲取の頂上前の急斜面にさしかかる。普段のザックトレーニングのおかげで、ほとんど苦にならなかった。

 頂上に着いて、昼食となる。頂上はそれまで同様、人が多い。そして何より、寒い。昼食をとっていると、汗を吸ったシャツがじわじわと冷えてくる。Y君はやはり震えていた。そこで誰からともなく提案されたのがteatime。K先生のご協力により、暖かな紅茶を飲むことができ、心地よい一時を過ごす。

 記念撮影をして再び出発。F先生は歩いているところを後ろから写真にとって下さるということで少し後からついてこられた。このとき少しハイペースになり、なかなか先生の姿が見えなかった。F先生と合流してからも我々は加速し、かなりのスピードで坂道をかけ降りていった。しばらく行くとだんだん日がさし始め、紅葉がとても美しく見えた。僕は下り始めてから1〜2回目の休憩辺りが最も気持ちよかったと思う。この頃になると皆そろそろ疲れてきたらしく、つまずいたりすることも多少ながら増えてきた。山行前に怪我をしたというF先輩の足が気になる。

 それでも何とか山道を突破して林道へとはいった。林道は2時間30分の予定。案の定足がいたくなってくる。これだから林道は……いう思いが込み上げてくる。だがこの林道、コースタイムの半分ほどで終わってしまった。神の救いである。エアリアは結構いいかげんだという声もあった。

 そしてついに東日原のバス停に着こうというとき、その事件は起きた。先頭集団が思いもかけぬラストスパートをかけたのである。後から着いて行く僕達にはとても追い付けない速さだ。先輩の体力はやはりすごいものがあると改めて思った瞬間だった。(目的はバスの席の確保だったらしい)。なにはともあれ解散式をすませた我々はバスに乗り、奥多摩駅にて解散となった。

 今回の山行は僕にとって今までで一番楽しめた山行であった。入部してから最も天気がよく、紅葉も素晴しかったし、行程そのものもハードすぎずに充実したものであったように思う。又、ある程度の寒さ(F先生によれば、今回はかなり暖かいほうだったようであるが)も体験でき、防寒対策についても体感することができた。以後も、これからのワンゲルライフにきっと役立つであろう知識を毎回の山行で学んで行きたい。


《「稜線」第21号(1999年度)所載》

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