1998年 6月山行 山行記

筆者 S・N (2年生)

 ここ2年程6月山行は欠席者が多発するという傾向にあることが、以前のミーティングで指摘されたため、今回の山行はボッカ山行という近年ワンゲル史上では斬新的な山行となった。

6月6日 曇り時々雨

 今回は出発の電車を遅く設定したため、土曜の午後立ちでは珍しく集合までの余裕があった。多くの部員は部室でパッキングをしていたが、T・N巨匠はどうやらご機嫌を損ねているらしく、やたら当たりがきつい。彼は山行の翌日にドイツ語の試験があることや、天気が悪いことや、ボッカ山行であること等、次々と不満をぶちまけていた。彼の不満はどうやら心底から湧き出ているものと感じとった私も彼に同調したが、自分の不満はもっぱら天気に対してだった。私は晴れ好きだ。また、欠席者はジンクス通り多数出てしまった。

 そうした状況の中で、部員の中にも「やる気」というものはあまり漂っていなかった様に思える。

 そんなこんなで、学院をあとにして目的地奥多摩氷川キャンプ場に向かった。電車の中ではいつも通りに「山行前のひとときトーク」が繰り広げられる。電車に乗ること1.5時間ほどで奥多摩駅に着いた。

 氷川キャンプ場は駅から歩いてすぐの河原にあり、なかなか大きな場所だ。着くと、なにやら大学生のサークルらしき集団がすでにキャンプの準備をしていた。我々も早速テントを立て、食事の準備に取りかかる。今回のメニューは冷やし中華という冒険的メニューだった。しかし冒険には失敗は付き物で有り、一人一玉では少なかった。K先生は強く実感されたらしく、しきりに「少ないな〜」とおっしゃっていた。何とか食事も終わり就寝だが、周囲にいる大学サークル生たちの馬鹿騒ぎはとどまることを知らない。川に飛び込む連中やら、校歌を歌う連中やら……その騒ぎは深夜にまで及んだ。周囲のメンバーの中には我々早稲田の大学生も居たらしい……。



6月7日
 曇り時々雨

 4時起きだ。驚くべき事に昨晩の大学生はすでに起きていた。早速朝食をとるが、計画のハムがないことが発覚。昨晩に引き続き物足りない朝食となった。
 ここで、お待ちかねのボッカ山行の始まりである。

 河原で適当な石を詰めては量り、お互いに少ないだの多いだの一通り盛り上がったあとには、しっかり20kgに大成されたザックが完成した。

 さえない天気の中、氷川キャンプ場をあとにした。奥多摩駅からバスで東日原まで行く。その車内で早稲田大学の沢登りのグループと一緒になったので、改めてどこにでもいる早大生を認識した。

 体操をして出発。一旦、日原川の沢底まで下ってから尾根へと登っていくため、今回のコースは標高差が1200m以上ある。

 1時間ほど登ると稲村岩分岐だ。ここで尾根に出て、稲村岩尾根を鷹ノ巣山向けて登るだけである。しかし、あいにくの天気で周囲の景色は単調だ。睡魔と格闘しながら歩き続けた。やがて今度は空腹がおそってきた。山頂で食べるはずの昼食を急遽変更して3本目のあとにとることになった。助かった。

 今日の昼食はパイン缶一人一缶である。パイン缶はもはやワンゲル昼食のスター的存在である。「それが今日は思う存分食べられる」と喜んだ。(これがのちに悪夢となろうとは……。)

 T・Nはまだ不機嫌だが、原因はすぐわかった。どうやら笹籔が多いらしい。しかも今回は食事に米がない! これは巨匠の称号を持つ者としては、相当の精神的打撃だったに違いない。

 あと一本で山頂だ。がんばって歩き出したそのとき、私に腹痛が!! どうやらさっきのパイン缶らしい。「してやられた!」と思うが既に遅し。50分の地獄だった。

 とうとう鷹ノ巣山頂に着いた。私は腹痛から解放されたことにより、その山頂の光が数倍の明るさに思えた。天気のおかげで視界はない。写真を撮って下山する。

 あとは下るのみだ。長々とくだり、3本目でとうとう林道に出た。ここで石を捨てることになった。石のなくなったザックは恐るべき軽さになった。うれしさのあまりその場でとびはねた。もう怖いものはない! そこからは50分ほどで奥多摩駅に着いたが、今回の山行は今までの中でも有数の苦しさだと思った。

 解散式のあと、いつもの立ち食いそば屋に行った。(ここではおもしろい話があるが、それはまた別の機会にしようと思う。)


《「稜線」第20号(1998年度)所載》

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