1997年 新歓山行 山行記

筆者 D・N(3年生)

 僕にとって3度目の、そしておそらく最後の新入部員歓迎合宿である。目的地は、2年前の新歓と同じ奥多摩の川苔山になった。

5月10日(土)

 土曜日の午後に学院を出発し、特に混乱もなく奥茶屋キャンプ場に着いた。電車が少し混んでいたので、他の乗客の方に邪魔にならないように神経を使った。

 夜、カレーライスを作る時に、どうしても人手が余ってしまうのを見て、やはり人数が多すぎると思った。1年生は思ったより積極的に働いていた。大鍋とコールマンの組み合わせで飯を炊いたため予想通り焦がしてしまったが、カレーはよく出来ていた。


5月11日(日)

 翌日の朝、お湯が沸く気配が一向にないので、朝御飯の前にテントを畳んでしまうことにした。そのため撤収はかなりスムーズにすませることができた。自分のパッキングが終わった後、1年生のパッキングを見てまわった。全体的にまだストラップの締め方などが甘いようだったが、雨具類を出しやすいところに入れる等の基本は出来ていたので、初めてにしては上出来だと思った。

 今回はなんとか時間通り起床から2時間で撤収することが出来たが、条件によっては2時間での撤収すら出来なくなるだろう。また、お湯を沸かすのにだいぶ時間がかかったので、その対策も考えなければならない。

 だいぶ慌ただしかったが、なんとか時間通りに出発することが出来た。今回は人数が多いのでパーティを二つに分け、O
〔3年生〕の隊が出発してから10分後に僕の隊がスタートするシステムで行動することにした。

 1本目、2本目は車道であったが、なるべくゆっくり歩くことを心がけた。3本目から緩やかな登りの登山道に入り、徐々にペースを上げていくと、10分前に出発したO〔3年生〕達に追いついてしまうというハプニングがあった。

 4本目の急な登りで2年生のO
〔2年生〕が体調の不良を訴えたので、小休止を取った後、川苔山山頂まで登った。大した登りではなかったが、さすがに1年生は辛そうだった。また、途中で山頂から応援に駆けつけたO〔3年生〕と合流でき、トランシーバーのありがたみを感じた。

 山頂で昼御飯の時間を取った後、本仁田山経由でJR奥多摩駅に下山する予定だったが、O
〔2年生〕とF先生の二人はJR鳩ノ巣駅に下りることになった。

 途中、コースタイムよりもだいぶ早く歩いていたために、僕がコブタカ山の山頂の分岐に全く気付かず、危うく鳩ノ巣駅に下りてしまいそうになってしまった。

 本仁田山の山頂で、僕が現在地を1年生に聞くと、Nが自信を持った様子で「大仁田山」と答えたので思わず笑ってしまった。それではプロレスラーである。しかし、何も答えられなかった他の者よりは幾分立派である。1年生にはもっと地図を活用してもらいたい。

 本仁田山から、車道に出るまでの実質上最後の1本の途中、急に僕の膝が痛くなったのでトップをKと代わり、しばらく1年生の下り方を観察しながら一番後ろを歩いたが、パーティの状態はまったく悲惨だった。道が悪いこともあったが、人と人との間隔が空き過ぎで、僕の前を歩いていたIなどはほとんど走っている状態だった。パーティを分けずに行動するのは今のままではとても無理だろう。

 車道に出た後、しばらくの歩行でJR奥多摩駅に着き、無事に解散した。帰りの電車の中、Tが熟睡中の1年生の写真を撮っていた。

 今年の新歓山行はなにより天候に恵まれ、また大きな事故もなく、1年生もあまり疲れていない様子で、いい山行だったと思う。3年生には行程が少し物足りない感もあったが、CLとして、また装備係として、山行前いつになく忙しく、僕にとっては充実した山行だった。



《「稜線」第19号(1997年度)所載》

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