1997年 夏合宿 山行記

筆者 Y・K (3年生)

7月29日(火) <1日目>

 台風の影響により、1日遅れの出発となった。時々小雨が降ったが、気になるほどではなかった。高尾駅での遅刻者もなく、甲府でタクシーにすぐに乗れ、昼には広河原に到着。テント設営が終わると、夕食の準備まで2時間以上あり、各自時間をつぶした。


7月30日(水) <2日目>

 行動日1日目。白根御池小屋までの、コースタイムで3時間の登り。1日の行程としては短すぎ、仙丈岳のピストンがカットになった時点で計画を変更すべきだったと反省。

 朝食、撤収ともに手早く終わり、6:00に出発。A隊が先発で、間隔は5分間、今までと同じにした。広河原山荘を出ると樹林帯が続き、沢沿いに登る。久しぶりのトップでペースが乱れた。行程の半分程まで来ると、NとSが体の不調を訴え、A隊は休憩を入れる。後から来たB隊にしばらく休んでから行くと告げ、B隊が追い越した。ペースの乱れが原因と思われ、責任を感じた。20分程休んでから出発した。しばらくすると登りが終わり、起伏の緩やかな道を進むと白根御池小屋に着いた。

 設営と昼食が終わると、初日以上に時間が余った。持ってきた本を読むが、その内容に気が滅入ってしまって読むのをやめ、結局時間を持て余してしまった。


7月31日(木) <3日目>

 3日目の行程は、尾根まで登った後、白峰三山縦走の最初の目標である北岳に登る、とにかく登りの多い行程だが、出発前の頭の中では、登りが多いことの不安よりも、北岳山頂での眺めに対する期待の方が強かった。

 白根御池小屋から二俣までは樹林帯が続いた。頂上を覆う木が途切れた所が二俣の分岐点で、そこから周囲の様子は一変した。背丈を越える植物はなくなり、足元は石になり、きつい登りが始まった。一歩ごとの間隔が長くなり、歩幅は小さくなる。稜線上に出るまでは、ひたすら登った。途中のお花畑さえ、あまり目に入らなかった。稜線に出た後、緩やかな登りを行くと肩ノ小屋に着いた。昼食のためにザックをおろすが、その時にTのザックが壊れてしまった。昼食と同時にザックの応急処置をするが、不安が残るのでA隊のNとB隊のTを入れ換えた。

 肩ノ小屋を出発すると、小雨が降り始め、ガスが出てきた。雨はすぐにやむが、ガスは北岳山頂に着いても晴れず、展望は全くなかった。10分間の休みを延長して晴れるのを待つが、その気配もないので諦め、北岳山荘へガスの中を下った。

 こうして、夏合宿前半は終わった。反省点も残るが、成功したと言えるだろう。ただ残念だったのは、北岳山頂で展望が得られなかったことだ。自然を相手にしている以上、常に望みどおりにはいかないことはわかっているが、期待が大きかっただけにとても残念だった。


筆者 T・K (3年生)

8月1日(金) <4日目>

 4日目はいよいよ本格的な(とは言っても1日だけ)の縦走となる。

 私のいるテントは他のテントよりも早く撤収が終わったので、他のテントの撤収を手伝っていると、明るくなって、雲海に富士山が浮かんできた。こんな景色を見るのももうそんなにないだろうなあと感慨に浸りつつ、A隊から5分遅れで出発する。前日、K先生から大門沢小屋のテント場は狭いので早く着くために少しペースを上げようという言葉を受けていたので、やや速いペースで歩く。ただ、登りではやはり抑えていこうとKと打ち合わせをしていた(はず)ので、中白峰までの登りをじっくりと登る。しかし、遠目に見えるA隊との時間差を計ってみると、歩行30分にして10分程の開きができているので、Kのペースに疑問を抱きつつもペースを上げる。登りでのペースアップは1年生にはきつそうだった。

 途中やや短い休憩を1本入れて、間ノ岳でA隊に合流。Kに文句を言うものの、A隊のメンバー全員が口をそろえて「いいペース」だと言うのであまり意味がなかった。

 400m程下って農鳥小屋に到着。次の西農鳥岳までは250mの急登なので、今度はじっくり登ろうとKと確認する。ワンゲルでの本格的な登りもこれが最後と気合いを入れて登る。しかし、体が心になかなかついてきてくれない。先頭にもかかわらず、3年にもかかわらず、かなりバテてしまう。後ろを振り返ると、S、Nの3年生2人は余裕がありそうである。1年生も何とかついてきている。自分が情けなくなった。

 暗い気分で頂上に着くが、差し込んでくる日差しは明るい。ここで昼食。メニューはフランスパン。この固くて乾いた食物が水の使用を制限されている私達を悩ませる。なかなか飲み込めない。昼食にフランスパンは辛い。

 何とか食事を終えて出発。この辺りから日焼けに悩む1年生が出てくる。それでも2年前の夏合宿程強い日差しではないので当時の私のように水ぶくれになるような悲劇はないだろうと思った。

 農鳥岳を越えると、道も比較的平坦でペースも自然に上がる。大門沢下降点までのコースタイムをかなり詰めて、大門沢小屋までの急下降に入る。木の根や石ころが多く、台風の後ということもあって道がかなり荒れていたので、一歩一歩慎重に下る。沢の音がだんだん大きくなってきて、ようやく河原に着き、休憩。その後の道は緩やかで、50分かからないくらいで大門沢小屋に到着。下りにおいてはA隊とペースが一致していたようだった。


8月2日(土) <5日目>

 いよいよ最終日である。

 3時半に起床。私のいるテントはまた食事が早く終わってしまったので、他のテントの撤収を手伝う。そのため出発予定の5時半までかなり余裕ができ、10分繰り上げて出発する。本数の少ないバスを照準に出発したため、同じバスを狙う(のであろう)登山者が後ろから行列をなしてついてくる。途中A隊が道を誤ったため、私達の隊に合流し、より長い行列となる。私はその長い行列の先頭になっていたので、妙なプレッシャーを感じた。 途中で1本休憩を入れ、行列が先へ行き、このプレッシャーからも解放される。後ろからまた何人か来そうだったので、A隊にくっついて私達の隊も出発する。しかし、A隊のペースは速くてついていけないので、こちらはこちらのペースで進む。

 100m程急下降するところもあったが、全体的には緩やかで歩きやすかった。ただ、沢沿いでNが転んだのを見て、やはり登山道は甘くないと認識する。そして、この日の山場(少なくとも私にとっては)、4本の吊り橋に挑む。恐る恐る足を前に踏み出し、何とかこの難関を突破。その後は単調なアスファルトに飽き飽きしながら奈良田に到着、解散となった。

 解散場所で身延行きジャンボタクシーの誘いがあり、8人が引き込まれた。残りの、先生を含めた12人は温泉に入ってリフレッシュし、先に帰った8人に対して優越感を覚えるのであった。

 SLとして、行程が物足りなくなってしまったことに責任を感じているが、後輩達にはこのことをきっかけにどんどんレベルの高い山に挑戦して欲しいと思う。



《「稜線」第19号(1997年度)所載》

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