1997年 春合宿 山行記

筆者 K・S (3年生)

4月4日(金) <1日目>

 渋沢駅に到着したのは8:45ごろだった。空の色は相変わらず冴えない。バス停にザックを並べ、各々水を汲みに行ったり、ドーナツを買いに行ったりしている。どうも午後から天気が崩れそうだというので、F先生とリーダーのN・Tとサブリーダーの僕で話し合った結果、当初の予定では登るはずだった鍋割山を避け、塔ノ岳までの最短コースの大倉尾根を採ることが決まった。

 バスに20分ほど揺られ、大倉に着く。そこで食事をとることに決まった。僕は個人の昼食を持ってくるときはいつもパンかおにぎりで、今回もおにぎりだった。その方がサッと食べられるためだが、D・TやY・Kがドーナツを食べているのが少しうらやましくもあった。今度は何かおもしろいものを持ってこよう。

 食事後、何人かが猫に食べ物をやっていた。すばしっこいのと、鈍くさいのがいて、鈍くさいのに餌をやろうとしても、すばしっこいのがサッと来て横取りしてしまう。猫の中にも鈍いのがいるんだなと興味深く見ていた。

 その後、体操し、10:00に大倉を出発した。シャツの上にもう一枚上着を来たままで出発したが、10分もしないうちに暑くなり、汗が吹き出した。シャツのボタンをはずし、パタパタとあおぐ。いつも歩き始めはつらい。早く休憩にならないかとずっと思いながら坦々と登っていった。雑事場という所で1回目の休憩を入れる。僕はまず上着を脱ぎ、ザックの中につめた。1本目のペースはやはり少し速かったらしく、F先生から、ペースが速いと思ったらリーダーに助言するよう言われた。

 休憩を終え、再び登っていくと、樹林帯を抜けた。木の階段がずっと上の方まで続いているのが見えた。F先生のおっしゃることによると、今現在、丹沢の植生を回復させようとしている最中なのだそうだ。大倉から塔ノ岳までのこの道は通る人が多く、道がどんどん広がってしまうため、それを防ぐために木の階段をつけているのだそうだ。今では草原になっている山肌も、昔は赤土むき出しだったそうで、想像すると少し不気味な気がした。

 2本目の休憩を入れるころには、かなり暖かくなっていた。空も晴れてきた。去年の春合宿ではブルブル震えながら昼食をとっていたのを思い出す。

 3本目も、2本目と同様に、階段を登っていく。どうも階段というのは、自分の歩幅で歩けないせいか、歩きづらく、疲れ易いような気がする。3本目ともなると、そろそろ皆疲れてくるようだ。ペースも少しゆっくりになっている。後ろにいると、それがよくわかった。今回、サブリーダーでもあるし、パーティを引き締めるため、「頑張っていこう」と声をかけた。「オゥッ」と声が返ってくる。なんとも爽快な気分だった。Kは少しバテているようで、少し前との間が開いている。僕は先程の余勢を駆って、「K、大丈夫か」と声をかける。が、返事はない。大分バテているのだろう。

 こうして、平穏無事に塔ノ岳まで着けるかと思っていると、花立の少し手前で突然D・Tが腰痛を訴えた。彼は不死身だと思っていたので、ショックを受ける反面、彼が我慢できないくらいだから、相当痛いのだろうと思われた。彼の荷物を皆で分担して運ぶことになった。D・Tは鎮痛剤を飲み、痛みが治まったら登ってくることになった。

 我々が塔ノ岳に着いたのは14:00過ぎで、早速山小屋の手続きを済ませる。D・TとM先生は10数分後に到着したが、明日の天気のこととあわせ、明日からの行動にかなりの不安を抱いていた。


4月5日(土) <2日目>

 この日は、丁度去年と同じように、朝から風雨が強かった。食事の後、荷物を詰め、雨具、スパッツまで着用し、出発できる態勢になったところで、チーフリーダーとサブリーダーが部長に呼ばれた。少し話し合った結果、とりあえず天気が回復するまでは待機、午前中に回復しないようなら停滞ということに決まった。とりあえずスパッツをはずし、雑誌を借りて読むことにした。皆、トランプをしたり、思い思いの行動をとっているが、横になって体力の回復を図るのが一番賢い過ごし方だと思った。

 掃除のため、もう片方の小屋に移ったが、まだ天気は良くならない。僕は、F先生やD・Kと、将来のことなど話しながら過ごしたが、話しながら、やっぱりD・Kはただ者じゃないなと感じた。

 結局、11:00頃、停滞が決まった。蛭ヶ岳までは行くことになるだろうと思っていた自分にとっては、肩透かしを食らったような、うれしいような、複雑な気分だった。


4月6日(日) <3日目>

 朝、風はあるが、雨は降っていない。気象係の予想では、雨は降るということだったので、雨具を着用しておくことにした。

 体操の後、D・TとM先生は大倉の方へ下っていく。大丈夫だとは思うが、とりあえず無事を祈った。

 我々も、塔ノ岳から去年通った道を下りていく。去年K君がアイゼン装着のため我々を30分も足止めしてくれた所を通り過ぎる。あれも今となってはいい思い出だ。今年は道は凍っていないが、その代わり昨日の雨のためにひどくぬかるんでいる。しばらく下った後は、ゆるゆるとした登りが続く。日高、竜ガ馬場を通り、丹沢山に6:53に到着。なかなかいいペースで歩けた。

 丹沢山からしばらく急な下りが続き、道がゆるやかになって少し歩いたところで、とうとう雨が降り出した。木が生えていないため、横から雨が当たる。棚沢ノ頭で休憩をとり、9:00頃、蛭ヶ岳に到着した。蛭ヶ岳山荘で昼食をとるが、雨が雨具を通して内側までしみこんでいてひどく寒く、小屋の人が焚いてくれたストーブがありがたかった。当初の予定では、黍殻山を経て西野々バス停に下りるはずだったが、部長とリーダー、サブリーダーで話し合った結果、八丁坂ノ頭から東野へ下りるコースを採ることに決まった。これで、去年の春合宿の3日目と全く同じコースを辿ることになった。

 今年の春合宿も、去年と同様、天気に振り回される結果になってしまった。その前の春合宿のときも大雪で予定が大幅に変わったというから、春合宿には何か憑き物でも憑いているんだろう。何はともあれ、今回入部2年目にして初めて本格的な雨を経験した。我々が入部する以前はこのぐらいの雨は当たり前のことだったというから、あらためて自分たちが今まで運が良かったということを思い知らされたと思う。何はともあれ、雨でびしょびしょに濡れ、靴の中まで水が入り、バシャバシャと音を立てながら歩いたこの経験は、今後に必ず活かしていかなければいけないと思う。



《「稜線」第19号(1997年度)所載》

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