1997年 秋季第2回山行 山行記

筆者 M・F (1年生)

11月2日 <1日目>

 今回は連休を利用しているので、1日目にも十分な時間があり、初日から2時間の歩行がある。急な欠席者が2人いたので、日向大谷で装備の組み替え等をしてから出発した。歩行は2時間と少ないが、高低差があるのできつい。1本目はそうでもなかったのだが、2本目は急な傾斜をひたすら登り、大変だった。こういう苦しい状態に置かれた時、自分は夏合宿を思い出すようにしている。「夏合宿に比べれば、こんな道は楽だ」という具合に自分に檄を飛ばすのだ。しかし、そんなことをしようが、道が急なことに変わりはないし、苦しいものは苦しい。しかも、高低差だけを考えると夏合宿の時とそう変わらないことに気付いてしまい、余計なプレッシャーに追われてしまう破目になった。もうこれはやめる。

 清滝小屋に着いた時には、とても疲れていた。テントを張り、夕食の準備までの結構長い暇な時間を、コーヒー、麦茶、紅茶を沸かしたり、話をしたりしながら過ごした。

 夕食、すき焼き。出来上がりはすき焼きっぽくはなっていたが、それをすき焼きと呼んでいいのかは今でも謎だ。ご飯にかければ、みんなはそれを牛丼と信じて疑わないだろう。ある意味では便利だ。反省会にも出たのだが、事前に調理法は調べておくと良いと思った。その成功例として、ワンゲルの常識を覆したT・Nの飯。今回もとても美味しい飯を作ってくれたT・Nは「巨匠」なるあだ名で皆から称えられている。


11月3日 <2日目>

 起床3:00。朝食のお茶漬け。もはやワンゲルの米を使った料理に死角はない。

 寒さで撤収は大変だったが、予定通りの時間に出発。

 前日に山頂まで散歩に行かれたK先生によると、山頂までに鎖場が6ヶ所ほどある、しかし危ないのは2ヶ所しかないので問題はないだろうということだった。しかし、僕にとっては2ヶ所もあるという時点で重大問題であり、不安であった。暗い中をヘッドランプをつけて山頂を目指す。急いで登れば山頂で日の出が見られるとのことで、期待に胸をふくらませて登る。途中にあった鎖場も無事通過して山頂へと急ぐが、無情にも山頂まであと少しという所で日の出を迎えてしまった。しかし、日の出こそ見ることができなかったものの、両神山山頂からの景色は素晴らしかった。自然が作り成すものの壮大さにはいつも驚かされる。

 山頂からしばらく下り、大峠で昼食。あまりの寒さのため、EPIを出して麦茶を沸かしながら暖まる。そんなこともあり、予定の時間より20分ほど遅れて大峠を後にする。ここからはしばらく起伏の大きい尾根づたいの道が続く。この道には沢山の落ち葉がフカフカと降り積もっていて、その上をザッザッと音を立てながら歩くのは爽快であった。

 楽しみながら歩くことができた落ち葉の道の次は長い下りである。長いと言っても1時間、ちょうど1本分の下りであるが、疲労している足にはつらい。山を楽しむ余裕などあるはずもなく、ひたすら下りに下るだけである。

 そろそろ嫌気も差してきた頃、僕に活力を与えてくれたのは、もうバス停がすぐ近くにあることを示す車のエンジン音であった。その時、前回の山行で小金沢山からの山々の景色の中に電線を渡している大きな鉄塔が数本あり、せっかくの景観を台無しにしていると嘆いたのをふと思い出した。ちょっと無責任な発想であった。自分が文明の恩恵を存分に受けて生きている以上、いくら自然を絶賛しても、自分は文明を批判できる立場でなかったのだ。そういうことを考えていると気が滅入ってしまった。結局、僕の葛藤はバス停に着いた頃には結論も出ないまま終わっていた。今来た道を振り返ると、今まで僕がいたきれいな紅葉した山々があった。汗で濡れた上着をガードレールに干し、僕は日向に座りながらバスを待った。

 丁度、バスの来る時刻に1台のバスが対向車線にやってきた。その運転手さんによると、今日のバスのダイヤはだいぶ遅れているとのことだった。こういう地方の「だいぶ」とは一体どのくらいの時間なのだろう。考えると、怖くなる。しかし、運転手さんからいろいろと話を聞いていた登山者と思われるおばさんが、「あと10分も待てば来るわよ」と言ったので安心した。そして、僕達は40分以上遅れてやっと来たバスに乗り、帰路についた。



《「稜線」第20号(1998年度)所載》

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