1997年 1年生山行 山行記

筆者 Y・M (1年生)

8月26日(火) <1日目>

 上野駅16番線ホームに6:30に集合、F先生に見送っていただき妙高高原へと、いささか上気した気味の私達を特急あさまは乗せ、出発した。列車の中では1年生は二つに分かれていたが、遠足気分の抜けない者が多かったようだ。

 妙高高原に着き、10分しか余裕のなかったバスに乗り込む。列車の遅れが多少あったので不安であったのだが、何事もなく私達は笹ヶ峰牧場へと到着する。準備運動を行った後に入山。

 基本的に木道であるため周囲の景色を眺めながら歩いていけた。空気もよく、木立の中を歩いていくのは気分がよかったと思う。黒沢と道が交わる所で休憩を取る。にわか雨が降ってきて、ザックカバーをつけた。K先生からペースが遅いと指摘された。水も補給し、いよいよ出発したが、しかし次の1本は立ち上がりが速くなってしまった。道は初日一番の急坂へと差しかかったところであったので、トレーニング不足と睡眠不足のためフラフラとなりながら富士見平を目指す。私語が増えた。登りも緩くなり始めれば、富士見平まではそこまできつくない。富士見平に着けば、1日目の行程は終わったも同然であった。高谷池ヒュッテに到るまでは高低差のない道を歩いていくだけであった。

 ヒュッテに着き、小休止の後、手早くテントを張る。1年生8人、はしゃぎながら、食事の用意に「独裁者」Sの下、かかり出す。事前ミーティングの際にSが述べていたように、牛丼は作るのにも手間がかからず、なかなか美味しかった。また、T・Nによる飯の炊き方のハウツーなど準備自体も、それなりに皆楽しんでいたのではないだろうか。食後、突然の雨に襲われる。かなり強い降りであった。ミーティングをジャンボ・エスパースの中で行うことになった。翌朝のサブザック行動の準備を行い、そして眠った。


8月27日(水) <2日目>

 翌朝、3:00に起床した我々は、「モチなし」うどんを食べた。お世辞にもうまいとは思えなかった。大量に余りを持ち帰ることになるのであった。

 火打山へとサブザックにヘッドランプのいでたちで出発する。1時間半1本の計画である。前日のオーダーに変更がなされ、出発。ヘッドランプの明かりを頼りに木道の上を歩いていく。朝露が冷たかった。足取りも軽く丸太の階段を登っていく。

 山頂は風も強く、身を切られるように寒い吹きっさらしである。本当に何も(地面の他は)ない場所であった。写真を撮り、早々に来た道を引き返す。朝日を浴びたそれは闇の中で息づく影色とは違い、爽やかであった。夜露に濡れた高山植物の美しさは筆致に表せるものではなかった。ヒュッテが近づくにつれ、オーダーが変になったことが唯一の失敗であった。 撤収を行う。ザックにサブザックの中味を移し返す。肩にかかる重みがやっとまともになった。

 黒沢池ヒュッテを次の目的地として出発。陽光もまぶしくなり、暑くなってくる。急な登りを登っていくと、稜線に出る。後は楽だ。

 黒沢池ヒュッテに到着。昼食をとる。少しずつ皆の疲労の色が見えたように私には見えた。馬鹿騒ぎを一通りやった後に出発。オーダーを元に戻し、目指すは妙高山である。

 急坂を越え、大倉乗越へ出る。目の前にそびえる妙高山を見るとため息が出た。大きな石が増え、岩が、そして巨岩が現れ始め、山頂へと到る。写真を撮った。ガスが出てくる。

 一日の登りの全てが終われば、次は下りである。岩場を越え、鎖場へ。光善寺池を過ぎ、天狗平へと到る。疲れが8人全員に浸透し、士気も落ちる。バスの時間が気になり始める。北地獄谷の河原に出れば、もうあと一歩である。

 バスの時間に間に合わせるために、無茶苦茶なペースで下る。先頭と後尾の差が開き過ぎているし、脚に相当の疲労を誰もが感じている中、このペースに対して私は批判的に見ていたが、結局、これが功を奏し、私達はバスに間に合った。今度は特急の時間が気になる。

 帰り、特急の中では、論理展開のまるでない「言い合い」に費やした。疲れた。一同にあるのは、この一語であった。さして失敗もなかったが、自分達だけで何もかもをやるのは初めてであり、やはり大変なことであったと思わざるを得ない。そして、得たものが非常に大きい山行であったと思われる。



《「稜線」第19号(1997年度)所載》

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