1996年 夏合宿 山行記

筆者 K・O (2年生)

8月1日(木) <1日目>

 晴天の下、96年度夏合宿が始まる。去年より1日増えた5泊6日。山への期待と大きな不安を抱えながら駅へと向かう。

 引率に、F先生、M先生、K先生、S先生に来ていただき、生徒が12人来るというワンゲル部最大の山行、夏合宿。しかしながら、N・Tが病気のため来られなくなり、彼を除いた15名で合宿は行われるのである。

 今日のコースは、新宿―松本―上高地―横尾キャンプ場、歩行予定も3時間10分と短めの、いわばウォーミングアップである。が、まず最初の特急にD・Tが乗り遅れてしまい、松本で、我々が着いてから51分後に到着する特急を待つことになり、彼は早々とペナルティを科せられることになった。

 歩行は、平らな道を歩くだけの簡単なものだったが、久しぶりの身には結構疲れを感じさせるものであった。2時間16分で着き、すぐ幕営。夕食はミスのないはずのカレーを失敗し、これからの調理への気合を高めることになる。



8月2日(金)
<2日目>

 起床2:30。今日も晴れている。朝食(力うどん)をすませ、出発は4:31。多少手際が悪いが、段々慣れるにつれ、早くなるだろう。

 出発してしばらくは平らな道、それから徐々に登りになっていく。左の尾根が朝日に照らされて明るくなっているが、我々は日陰を歩いているため涼しい。途中2回休憩が入った。各54分、45分は、道を考えた歩行時間だと感じた。

 槍沢キャンプ場を抜けると、前方、これから行く道の視界が開ける。その道はかなり急で、大分雪が残っていた。日陰と日向の境界がはっきりと見て取れる。50m程残雪の上を越えて、最後の日陰で休憩。日向になっている辺りからはやはり暑く、時刻も7:30を過ぎて大分他の人の登っている姿が見えるようになった。それにしても、急だ。しかもずっと登りである。それから昼食まで50分登りづめだった。しかも昼食の場所はあまりよい所がなかった。

 9:00にまた出発。道はわかりやすく、険しい。太陽を背に、登り続ける。Sが体の不調を訴えたため、荷物交換をする。K先生が檄を飛ばし、励ます。

 昼食の後、1時間8分で殺生ヒュッテに着いたが、この1時間8分は今回の夏合宿のうち一番きついものであったと思う。

 殺生ヒュッテで設営した後、K先生とS先生は槍ヶ岳に、生徒5人は下の槍沢に飲み水を汲みに行った。

 夕食は、簡単な豚汁であったが、皆疲れのためか動きがテキパキとしていない。今日は疲れたので、明日を考える余裕はなくなっている。就寝の予定は18:30だったが、ご飯を炊いて19:00にシュラフに入った。



8月3日(土)
<3日目>

 起床2:30。また晴れ。我々はどうも天候に恵まれているらしい。皆、疲労と寝ぼけのため、まだ食欲がないらしく、朝食の雑炊の減り方が少ない。

 4:37に殺生ヒュッテを出発。一同は槍ヶ岳山荘を目指す。Sの調子も回復したらしいと安心したのも束の間、Kの様子がおかしい。どうやら気分が悪いらしく、後から行くことになる。どうも今回の合宿は病人が多い気がする。だからこそ自分も気をつけねば、そう感じる。(しかし、4日目に腹痛を起こす。)45分程で山荘に着き、ザックを置いて槍ヶ岳の登頂を目指す。足場の悪い所を多くの人が登るため、順番待ちが長いが、33分で全員が登頂。

 山頂は素晴らしい眺めだ。360度のパノラマと切り立った崖、我々の行く道も遥か彼方まで見える。何より、登っている時の不安感から解放され、安定した所にいるという安心感、それと、自分の足で来たという喜びがある。

 しかし、風が強いので寒くなってきたし、後から来る人もいるので、15分程で下りる。山荘でトイレその他の休憩を入れ、6:50に出発。

 100m程ガレ場の下りだ。足が痛くなってくるし、緊張の糸も切れてしまう。やっと割と平らな尾根筋に出るが、先頭のD・Tが足を滑らせたので、千丈沢乗越を通過して10分程で休憩。尾根筋の道は狭く、出発後も反対側から人が来るとよけるのが大変である。道は軽いアップダウンで歩きやすいが、太陽が照りつけるため暑い。が、皆1日経って元気が回復したようで、元気よく、とまでは言わないが、しっかり歩いている。右側に見える色の特徴的な硫黄尾根も順調に近づいている。しかし、今日は7時間歩く予定なのだ。油断してはいけない。

 休憩が入り、硫黄尾根を越え、広く、日向で、雪のある所で昼食。ここで、高山植物を踏みつけて先生に叱られてしまった。単に勉強不足が原因なのだが、私達はもう登山を始めて2年目、もっとルールを学ぶべきではなかろうか、そう思わせる事件だった。

 そうこうしていると、他の先生方からF先生の調子が悪い、と伝えられた。先生の様子を見ると、大分調子が悪そうだ。話し合いの結果、双六小屋に泊まることに決まった。具合の悪い人が出たのなら仕方あるまい。もう後休憩1回か2回で着くだろう。そして、10:25に出発した。

 しばらく歩くと、疲れが出てきたのか、だんだん元気がなくなってくる。地図ではテント場の直前に登りがあったため、あるピークの一つを越えた後、キャンプ場がなかった時には、全体に失望の色があった。先生の激励とともにもう一つピークを越え、休憩。石ころの道を下ると、テント場に到着。行動予定が2時間縮まったのにこの疲れている様子は、もしそのままだったらどうなっていただろう、と思わせる。

 夕食のスパゲッティを食べ、明日を考える。今日はまだ半分なのだ。

 去年より強くなったのか、行程が楽だったのか、今年は去年ほど疲れ切りはしなかった。しかし、今年も多くの教訓を得ることができたと思う。


                                                                                 

筆者 Y・K (2年生)

8月4日(日)
<4日目>

 前日の行動予定が変更になったため、サブザック行動の行程は鷲羽岳までになった。テントにはM先生に残っていただき、薄暗い中を出発。

 歩き始めると霧が出てきて、視界が悪くなる。しかも霧は湿っていて、体が冷えていく。そんな時に、Oが腹痛を訴え、小屋に戻ることに。改めて周りを見ると、双六岳山頂も双六小屋も全く見えない。この二つのことにより、急に不安を感じた。

 双六岳山頂に着いても、霧が晴れる気配はなく、さらにSまで体の不調を訴え、K先生に付き添っていただき小屋に戻っていった。不安は消えぬまま、霧と寒さの中を進む。急な登りもなく、順調に三俣蓮華岳山頂に着く。が、展望は相変わらず悪いままで、寒さに震えて休憩する。

 三俣山荘までの下りの間に、やっと霧が少しずつ晴れ始めたが、鷲羽岳山頂は霧に包まれたままだった。足場が悪い急な登りを経て、鷲羽岳山頂に着く。霧のためか寒さのためか、行程が時間以上の長さに感じられた。昼食の間も霧が晴れず、残念だった。

 下りは、登りと同じ悪い足場と急な道を下る。ペースは上がらず、怖い思いを何度もした。三俣山荘からは巻き道を通り、霧が晴れた中を順調に進み、1回の休憩の後に双六小屋に着く。テントにはOとM先生の姿はなく、双六岳に登りに行ったということだった。Sも元気そうで、行程中感じた不安は消え去った。結果論だが、4日目のサブザック行動は前日までの疲労を回復でき、良かったと思う。



8月5日(月)
<5日目>

 テントを打つ雨の音に起こされる。時計を見るが、起床時間にはまだ早い。再び寝ようと思っても、雨が気になり寝られない。前日の予報は当たったようだった。

 朝食後、テントで待機。時間にして30分ぐらいだったと思うが、寝不足だったため横になっていた。結局、5:45に出発した。雨はすでに止み、曇っていたが、稜線を歩くときはこれぐらいの方が良い。

 濡れたハイマツの間を進み、稜線に出る頃には空にも晴れ間が見えてきた。体も温まり、着ている雨具が邪魔になる。蓄積された疲労と寝不足のために、周囲を見る余裕もなく、ただひたすら前に付いて歩くだけだった。みんなも疲れているのだろうか、ペースが上がらない。2回目の休憩で雨具を脱いで体は軽くなるが、足取りは重くなる一方。何度か小ピークを過ぎ、雪渓を越えて、稜線を歩き続ける。

 笠ヶ岳と笠ヶ岳山荘が遠くに見えてからは、足取りも少しは軽くなった。目標が自分の目に入る範囲にあると、僕は安心するのだ。それから1時間半程歩き、笠ヶ岳山荘に着く。

 笠ヶ岳山荘で、夏合宿最後のキャンプをする。ここにも水場があり、今年は全体的に水に恵まれていた。しかし、激しい喉の渇きに苦しんだ後の水のおいしさと有り難さを感じることがなく、少し残念な気もした。夏合宿最後の夜は、疲労のために早々にシュラフに潜り込み、最後の下りに備える。



8月6日(火)
<6日目>

 夏合宿最終日の行程は、暗い中で始まった。笠ヶ岳山頂で日の出を迎えるためだ。山頂は近く、難なく登る。山頂に着いてしばらくすると、東の空が、爆発したように明るくなっていく。反対側には、光に照らされて雲海に浮かぶ山々。人で混み合う槍ヶ岳、霧に囲まれた鷲羽岳では味わえなかった、幻想的、神秘的な光景を目の当たりにする。

 笠ヶ岳山頂から下りてくると、ひたすら下界へと下っていくだけだが、易しい下りではない。さらに、精神的な疲労と合宿終了後のことが頭をよぎるため、下りに集中できない。

 笠新道への分岐点までは順調に行くが、眼下に雪に覆われた急斜面が見える。ここから本格的な下りが始まった。雪渓を避けて急斜面を下っていき、しばらくすると樹林帯に入る。しかし、足場は岩だらけで道は狭く、一向に歩きやすくならない。やがて道は土になるが、本来の笠新道とは違う、出来たばかりだという足場の悪い道を下る。ぬかるみに足を滑らせ、木の根につまずきながら下り続けた後では、やっと辿り着いた林道の、疲労した足に響く硬さと退屈な平坦さがうれしい。新穂高温泉に着く頃には、合宿終了と、下界に戻ってきたことを実感した。

 山から帰って時間が経つと、苦痛と疲労の記憶は霞むが、感動は色あせないようだ。だから、僕は再び、苦痛と疲労の伴う山へ向かうのだろう。



《「稜線」第18号(1996年度)所載》

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